ラスト・コンサート in the USA
しばらくブログの更新をさぼっていてすみません。
書くことはいっぱいあるのですが、いろいろ忙しいのです。。。
今日は、一大イベントが二つもあったのですが、お昼に行われた最初のイベント
(ブログを通じて知り合えた方々とのミニオフ会)については後回しにして、
夕方の4時からUniversity Village(私のいる研究所の真向かいにある老人ホーム)
で行われたコンサートについて書きます。
当ブログをずっと読んでいただいている方にはおわかりの通り、出演したのは
同じ会場で行われた昨年末のクリスマスコンサート 、3月1日に教会で行われた
スプリングコンサート に続いて、モンティチェロ・クィンテットと私(ピアノ)です。
改めてメンバーを紹介すると、
左から、ジェレミーさん(バスーン)、カレンさん(クラリネット)、クララさん(ホルン)、
ヤスコさん(オーボエ)、ナンシーさん(フルート)、うちの女房(ピアノの譜めくり)、
一番後ろが私(ピアノ)です。
今回は、いつも写真や映像をとってくださるK先生がカリフォルニアに出張中で不在なので、
演奏中の写真や映像がないのが残念ですが、上の(演奏後の)集合写真だけでご勘弁
ください。
上の写真を見ておわかりの通り、オーボエのヤスコさんは松葉杖姿ですね。
なんと演奏会の一週間前に、足首を骨折されるというアクシデント発生。。。
でも、骨折した箇所が「足首」だったのはラッキーでした!
もし手首や指、腕や肘などだったら、絶対に演奏不可能ですから・・・・・
また、もし骨折したのが「私」だったら、たとえ足首でも(ペダルが踏めませんので)
まるっきり弾けないということはなくとも、普段通り演奏するのは無理だったでしょう。
演奏会はおかげさまで、楽しく、素晴らしいものになりました。
私は、前回のモーツァルトに続き、同じ編成(ピアノ・オーボエ・クラリネット・バスーン・ホルン)
で書かれたベートーヴェンの「ピアノと管楽のための五重奏曲 変ホ長調 作品16」
の全曲演奏に参加しました。
これが、私のアメリカでの最後のコンサート。。。
改めて、このメンバーと出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
最後に、ホルンのクララさんからいただいたお花とカード。
ほんと、ジーーンときちゃいました。
シェナンドーアでBBQ
昨日は、シェナンドーア国立公園の中にあるピクニックエリア で、
UVA関係日本人10数人によるBBQを楽しんだ。
呼びかけ人は、このブログにも何度かご登場いただいている発生学者の
せのぱすさん
である。
ふつう、アメリカでBBQ(バーベキュー)というといわゆるハンバーガーを作って屋外で食べる
のだが、昨日は日本人ばかりの集まりであるから、
当然、日本式のバーベキュー ! である。
前日にADさんがワシントンDCで調達してきてくださった焼肉のうまかったこと!!
カルビ(写真右上)、タン、テッチャン、ミノ。
もちろんイカ焼き、焼き野菜(じゃがいも、玉ねぎ、ズッキーニ、とうもろこし)、焼きそば、
焼きおにぎり(下左)、パスタ、デザート(下右)まで完備。
テーブルが汚れないようにちゃんとビニールシートまで用意してきている、という
これぞまさに日本式!(アメリカ人は絶対にこんな繊細なことしません・・・)
まさに、自然環境はアメリカ(日本ではこんな近くでバーベキューができる場所って
少ないよね)、食べ物と会話は日本、という「いいとこ取り」の一日!
集まったメンバーの専門分野は医学、生物学、工学、英文学、宗教学など多種多様。
心配していたシャワー(にわか雨)も来ず、
心地よい自然の中でのおいしい食事と楽しい会話に、
時間がアッという間に過ぎました。
ドクター・デス、8年ぶりに娑婆へ
今日は、真夏のように暑くてへばっています。。。日本はいかがでしょうか?
猛暑の中、アメリカから最新のニュースを。
日本でもよく名前を知られているミシガン州の医師、ジャック・キヴォーキアン
(写真下)が、今日8年ぶりに刑務所を出所した。79歳だそうだ。
上の写真にキヴォーキアン医師とともに写っているのが、彼が1989年に開発した
自殺装置「マーシトロン」である。
キヴォーキアンは、「ドクター・デス」の呼び名で呼ばれることもあるように、
末期患者の自殺権を主張し、医師による患者の自殺幇助および積極的安楽死(医師
が直接に致死薬を患者に注射するもの)の合法化を訴えるもっとも極端な運動家の
一人であり、(積極的安楽死や医師による自殺幇助を認めない)ミシガン州の州法の中、
自ら罪に問われることもいとわず、上記の「マーシトロン」を使ってこれまで100人以上
の末期患者の自殺を幇助してきたことで知られている。
その過激な発言と行動によって、末期患者の自殺権を擁護する人々からは熱狂的な支持
が寄せられる一方で、それに反対する人々からの嫌悪と反感の大きさも計り知れない。
キヴォーキアンが自殺幇助を始めた1990年には、ミシガン州には自殺幇助を禁じる法律
はなかったが、その後、そうした法律ができ(医師による自殺幇助を合法化したのはアメリ
カではオレゴン州のみ)、キヴォーキアンは1999年までに計4回裁判にかけられている。
いずれも無罪判決がくだされたのだが、キヴォーキアンはなんと、今度は自殺装置の操作
もできないALSの末期患者に、(マーシトロンを使わずに)自ら致死薬を注射する場面を
ビデオにとり、それをCBSに依頼して全米に放映させたのである!
医師による自殺幇助も禁じられているなかで、「マーシトロンすら使えない状態の人には
これ以外には道が残されていない」ということを直接世間に訴えるために、あえて自殺幇助
ならぬ積極的安楽死の実施場面を流すという、決死の行動に出たというわけだ。
(彼の弁護士も、この件については何の相談も受けなかったそうだ)
さすがにこの件では無罪は勝ち取れず、キヴォーキアンは第二級殺人罪により10年以上
25年以下の服役(同時に、統制薬品使用の罪により3年以上7年以下の服役)に処せられ
たのである。
医師による自殺幇助や積極的安楽死の是非については、あまりにも大きな問題なので、
ここで論じるつもりはない。
(生命倫理研究者としての私の立場からいうと、どちらかと言うと反対に近い)
ここでは、キヴォーキアンという一人物の思想についての感想だけを少し述べておく。
数年前に翻訳が出た際に読んだ、キヴォーキアンの本(『死を処方する』、青土社)
この本を読んで、私はなにかチグハグだなあ・・・という印象をいだいた。
ふつう、生命倫理でいうと、「患者の自己決定権」というものは、「医師のパターナリズム」
と対立するもののように(もちろん両立しないわけではないが、双方は逆のベクトルを向いて
いる)とらえられるのが普通であるのに、キヴォーキアンの場合、「死の自己決定」をも含む
徹底した「患者の自己決定権」の思想と、ある意味時代錯誤にすら感じられる「医師=聖職
者」意識(これはやはりパターナリズムの一種だろう)が奇妙に結びついているということ。
なので、死を望む末期患者の死にあたって、自殺を積極的に介助できないということは医師の敗北
であるとか、医師が「死をコントロールする」という最大の聖なる仕事を放棄したに等しい、というよう
なキヴォーキアンの主張につながってくるわけだ。
このあたりは、積極的安楽死賛成派の人でも思わず「エッ?」という感じを抱く人がいるに違いない。
また、もう一つは、キヴォーキアンの徹底した合理主義者ぶりと、彼の人生における「なにかに憑き
動かされているような」ある種の熱狂的ロマン主義の間に、なにか違和感を感じるのだ。
(もちろん、ある人が同時にきわめて合理主義的で、きわめてロマン主義的であることはあるのだが、
キヴォーキアンの場合、彼の人格の中の両方の要素が「奇妙に合体」している、という感じがある)
私がキヴォーキアンの主張にいまいちしっくりこないのは、彼の主張そのものだけでなく、
人間の「死」という、この繊細にしてタフな現実 に向き合う時に、
・彼のあまりにも合理主義的なところは、この問題の「繊細さ」にふさわしくなく、
・彼のあまりにもロマン主義的なところは、この問題の「タフさ」にふさわしくない。
という印象を拭うことができないからでもある。
そう言えば、キヴォーキアンはプロ級の腕前をもつフルート奏者(クラシックもジャズも
できるらしい)としても有名で、今日の新聞記事にも、「しばらくは、刑務所の中でできなか
ったこと(音楽活動)などをゆっくり楽しみたい」という意向が書かれていた。
どっちもどっち、私はこっち
息抜きにちょうどいいバトンが回ってきたので、やってみます。
☆携帯はMail派?
ほとんど電源切ってるし、めったに使わないけど、使うときはもっぱら電話用。
指先が不器用なので、とても携帯メールなんか打てまへん。。。
「えっ、ピアノは!? 」 って?・・・・ ピアノの鍵盤と携帯のキーの大きさ比べてみてよ。
私のように太い指の人間には携帯のキーは打ちにくいです。。。
☆Mステ派?HEY!×3派?
(日本にいるときも)まったく見ないので、どちらでもない。
☆携帯持つのは右手派?左手派?
左ですね。 コーヒー飲むのもビール飲むのも左。
右手は、同時にするかもしれない他の動作(字を書く、箸やフォークを使って食べる等)
のために空けておこうとするせいでしょうか。
☆炭酸派?果汁派?
炭酸派。 もちろん「アルコールの入った」ものに限ります。
まあ、朝は果物ジュースを飲んでますが。
☆家で遊ぶ?外で遊ぶ?
家で遊ぶ > 家で仕事する
外で遊ぶ < 外で仕事する
家で仕事する < 外で仕事する
というのはおそらく上の通りだと思うけど
(私の場合、けっこう家で仕事することは多いので、「おそらく」程度でしかない)、
「家で遊ぶ」と「外で遊ぶ」の関係はよくわからない。。。
☆体の赤信号は頭痛派?胃痛派?
頭痛派。
胃痛というのは40数年間で2、3回しか経験がないので、
たまーにあると何か重大な病気ではないか・・・・と
恐ろしく深刻に悩んだりする。
☆告る?告られるの待つ?
「告る」(こくる?)って言葉があるのを今日はじめて知った(笑)。
かといって、いつも「告られて」いるわけではない。
質問から外れすぎ?
☆犬派?猫派?
人間ほど面白いものはない。
☆天使派?悪魔派?
友人に、『天使と悪魔の○○』という本で印税をかせいでる男がいる。
うーん、「天使にあこがれる悪魔」派か、「悪魔にあこがれる天使」派か
どっちかな?
☆マック派?モス派?
アンチファストフード派、ってのはなし?
ハンバーガー、アメリカのチェーン店ならFuddruckers派。
☆コーヒー派?紅茶派?
コーヒー派。
紅茶は時間的にも精神的にも余裕のある時に
じっくり楽しむにはいいと思うけど。
☆目玉焼きは、醤油派?ソース派?
塩派! コショーなんか絶対かけません。
☆朝は、ごはん派?パン派?
本当は、一週間に「4日パン、3日ごはん」というのが理想。
現実は、(女房に押し切られ)「6日パン、1日ごはん」。
☆エロい?エロくない?
エロくなければ人間ではない!?
☆DoCoMo派?au派?
日本にいる時はボーダフォンだったけど、私が渡米してからどちらかに
統合されちゃったの??
☆和式派?洋式派?
洋式派。
ダイエットしてやせたら、和式も苦しくなくなるんだけど。
(実感をもってわかってくれる人、います?)
☆グラビアアイドル派?清純女優派?
「元清純アイドル」派?
☆S系?M系?
いい男はみんなMですよ。
☆お風呂では頭から洗う?体から?
頭から。それよりも前に顔から。
☆交友は浅く広い派?狭く深い派?
気の合う人とだけ深く付き合うが、狭いというわけではない。
(数としては少ないかもしれないが、年齢、性別、職業、趣味、民族など
いろんな点で多様な人と付き合うのが面白いので)
☆邦画派?洋画派?
洋画派。
☆ボケたい派?ツッコミたい派?
ケースバイケース。
ただ、英語ではボケもツッコミもほとんどできないのがツライ。。。。
うさ晴らしに(?)日本人にツッコンで嫌われている今日この頃。
というあたりでどうでしょうか。
ダービー・人生と競馬の比喩
(日本時間の)昨日、競馬の祭典、日本ダービーが行われた。
結果は、なんと46年ぶりに牝馬のウオッカが優勝。
2着に18頭立て14番人気の人気薄アサクサキングスが入り、かなりの高配当となった。
えっ、私はどうだったか、って?
フフフ・・・・・
見事的中しましたよーっ!!
2着のアサクサキングスは昨年秋に「この馬は強い」と確信し、ずっと狙っていた馬で、
皐月賞、NHKマイルカップとこの馬の馬券を買い続けていたのですが、惨敗続き。。。
3度目の正直、で今回馬券(ウオッカとのワイド、万馬券でした)をゲット!
これで、ここのところ預ける一方だった「私のJRA貯金」もようやく少し引き出すことが
できました。 \(^o^)/
(注・・・私は競馬で負けることを「JRA(日本中央競馬会)に貯金している(=いつか
利子がついて返ってくる)」と考えるようにしています)
新聞その他によると、昨日は皇太子殿下と安倍首相夫妻が来場、観戦されたとのこと。
首相は、奥さんが牝馬のウオッカの単勝を買ったので、ウオッカの複勝(3着までに
入ればよい)を買い、夫婦で的中したようだが、JRAのホームページに載った安倍首相
の談話の中で、ヘミングウェイの言葉が引かれているのが目についた。
曰く、
「競馬は人生の縮図であり、これほど内容の詰まった小説は他にない」
この言葉が本当にヘミングウェイの言葉なのか、それがどこに載っているのか、について
は私は知らない(どなたかご存じの方があれば教えてください)。
しかし、この言葉より、ずっと味わい深い名言を残した日本人がいる。
寺山修司(1935-1983) である。
ある時、寺山に誰かが「競馬は、まさに人生の比喩ですよねえ」と語った。
(たぶんどこかの記者だったように思う)
すかさず寺山は、こう言ったという。
「逆だよ。人生こそが競馬の比喩なんだ。」
「競馬が人生の比喩だ」という言い方は、「(実)人生」がホンモノであって、人は競馬
というフィクションにそれを投影しているにすぎない、というありきたりの認識でしかない。
ところが、「人生は競馬の比喩だ」という言い方には、そういうありきたりの認識とは
次元を異にする、なにか私たちをハッとさせるものがある。
たとえば、競馬にははっきりと「勝ち」と「負け」がある。
人生そのものには、本来は「勝ち」も「負け」もない。
にもかかわらず、私たちは人生で「勝った」とか「負けた」とかいう言葉を常に
口にし、そういうフレームを通して人生を眺め、語っているからだ。
(「ナラティヴ」だとか「物語」だとかいう言葉が学問の世界で流行りだしたのは1990年
代になってからだと思うが、寺山は、人生というのは「人生のナラティヴ」でしかあり得ない
のだということを、こうやってさりげなく言ってのけることができたのだ)
寺山の、競馬に関する名言で、もう一つ忘れがたいものがある。
ある人が寺山に向かって言った。
「でもねえ、(そんなに競馬に入れ込んでいる)寺山さんだって、平均すれば
競馬で負けているでしょう?」
寺山はムッとして言い返した。
「いったいどうして平均する必要があるんです?
あなたの人生、「平均したら」、笑ってますか? 泣いてますか?」
ほんとうにすごい人だった。。。
寺山修司は、私が小さい頃、(当時はJRAなんて呼ばれていなかった)日本中央競馬会
のテレビPRのキャラクターであったし、時々テレビの競馬中継にもゲスト出演していた
ので、文学少年ならぬ「競馬少年」であった私は、劇作家や詩人としての彼を知るより
ずっと前から、なんともかっこいい競馬ファンとしての寺山にあこがれていたのだ。
ちなみに、寺山氏には生前、一度だけお目にかかったことがある。
私が大学1年の時だから、1979年か80年、彼が亡くなる3~4年前である。
公演の直後に楽屋に押しかけたものだから、寺山は「ステテコ一丁」の姿だった。
話らしい話もできなかったが、あこがれの寺山を目の前で見られただけで嬉しかった
のを覚えている。
寺山とはずいぶん異質な人物に話が飛ぶが、私が人生の糧の一つにしている
名言をここで紹介しよう。
作曲家で指揮者のレナード・バーンスタイン(1918-1990)が語った
その演奏会に行った人から「空前の名演」として語り継がれている大阪での
コンサート(イスラエル・フィルとのマーラーの交響曲第9番)の翌日、お別れ
パーティーの席上でのスピーチで語られたようだ。
日く、
「人生、どんなことでもいい、一日に一ついいことがあれば、すばらしく
充実して生きていけるんだ。
昨日は、マーラーが良かった! 今日はウニが美味い!」
ものすごく単純な言葉だが、毎日を生きていく上できわめて大切なことだ。
古今東西、いろんな名言というものがあるが、
こういう、日常のちょっとした会話の中で自然に出た言葉の中に、
恐るべき叡智が含まれていることがあるから、人生は奥が深い。
名画と美食
おととい、ワシントンDCの フィリップスコレクション に出かけてきた。
ここは、個人の邸宅を美術館にしており、ダンカン・フィリップス(1886-1966)夫妻の
コレクションを公開しているのだが、実に見事なコレクションである!
アメリカの美術館や博物館はたしかにみな立派なのだが、巨大で展示作品が膨大な数の
ところが多い。、その都市に住み、何度もそこに行ける人であれば、「今日はこれを観よう」
というように目的を絞って出かけられるのでよいが、観光客や、近隣の都市から何時間も
車に乗って訪れる者としては、見て回るだけで疲れる。。。ところが多い。
そういう点で、こういう少数精鋭展示の美術館は貴重だ。
一番の目玉は上のルノワール「舟遊びの昼食」。
他にも美術全集で一度は目にしたことのある名画が多く所蔵されており(他の展覧会に
貸出中のものも多いので注意)、絵を観るのが好きな人には、DC観光に欠かすことの
できない美術館と言えよう。
下左がエル・グレコ「悔悛のペテロ」、下右がピカソの「緑色の帽子をかぶった女」
おとといは、名画を堪能しただけでなく、昼食、夕食と
入った レストランが2軒つづけて大当たり! で実に幸せな一日だった。
お昼に行ったのは、ワシントンDCの人気レストランの一つ、「ゼイティニア(Zaytinya)」。
(写真下左)
さまざまなテイストを取り入れた地中海料理(スペイン料理、ギリシャ料理、レバノン料理
などの混合)のレストランだが、どの料理も非常に洗練されおり、おすすめの店だ。
タパス(小皿料理)の種類が多く、どれも魅力的なメニューなので目移りするが、量的には
少なく、二人で行けば各自3皿ずつぐらいでちょうどよいぐらいなので、6種類は食べられる。
私たちはとりわけ小ぶりのクラブケーキ(写真下右)が気に入った。
(今までアメリカで食べたクラブケーキの中で文句なしに一番である)
夕食は、シャーロッツビルへの帰り道、29号線沿いにあるドイツ料理の
「The Bavarian's Chef(バイエルンのシェフ)」に。
このレストラン、いつもDCからの帰り道にその前を通るのだが、食事時にしてはかなり早い時間
(夕方5時ごろ)からいつも駐車場がいっぱいになっていることに、うちの女房が目をつけ、
「あのレストランはきっとおいしいに違いない」と前々から狙っていたのだが、ようやく初体験。
結果は、大当たり!!
生ビールは最高だし、料理はどれも本格的なドイツ料理で、すばらしい味!
とりわけ、私が食べたコルドンブルー(ハムとチーズをはさんだ子牛のミンチカツ)
は最高だった。
ただし、量はハンパではないので、半分持ち帰るぐらいの心づもりで行った方が
よい(下のコルドンブルーが、大体3分の2は食べ終わった後の写真)。
写真を見るだけで、またヨダレが出てきた(^^;)。
帰国するまでに、もう2回は行こう っと!!
チルドレス先生との出会い(3)
前回書いたように、私がチルドレス先生に実際にお会いしたのは、昨年8月末、
生まれて初めてアメリカに入国した翌日のことである。
日本を発つ前、先生へのおみやげを何にしようか、ずいぶん迷った。。。
チルドレス先生とはメールを通じていろいろなやりとりをしたが、私たちの滞在をめぐる事務的な
事柄が中心なので、彼が非常に親切で誠実な人だということはわかっても、先生の好みなど
個人的な事柄に関する情報はまるでゼロだった。
特に、先生がどういう家族構成で暮らしておられるのかがまったくわからなかった。
実は、私は、チルドレス先生が、
10年ちょっと前に奥さんのヴィクトリアさんを亡くされている、ということを、
彼の書いた本(Practical Reasoning in Bioethics, 1997)の献辞のところを読んで、
もう10年以上前なので、再婚されているかもしれないが、
会ったこともない人にメールでそんなことも聞くわけにもいかないし・・・・・・・
で、結局、扇子を一つ買って、おみやげに持って行った。
何度も来日して「日本通」になっていたり、日本人の留学生などがよく来るような研究室の
教授は、みなが同じようなおみやげを持って行ったりするので、よほど珍しいものでないと
喜ばれない、というような話を聞いたこともあったが、幸い、チルドレス先生のところに来た
日本人は私がはじめてということもあり、扇子には大喜びされたので良かった。
その週の週末にディナーに誘っていただいたのだが、「妻と一緒にあなたの家まで迎え
に行くから」と先生が言われたので、奥さんがおられる(再婚されている)ということが
わかった。
(帰ってからそのことを話すと、「やっぱり扇子を二つ持って行けばよかったかなあ・・・」
とうちの女房)
ディナーの夜、はじめて奥さんのマーシャさんとお会いしたが、
「あの Japanese fan、どうもありがとう! とっても気に入っちゃったのよ。
あれはビューティフルかつプラクティカル(実用的)だもんね!」とマーシャさん。
「あれはビューティフルでプラクティカルだ」というこの言葉は、その後私がマーシャ
さんに会うたびに何回も言われたので、よほど気に入って、毎日使っていただいて
いたのだろう。
(前に書いたが、マーシャさんは医学部で文学を教えており、私が毎週のように
行っていた(9月15日
、10月5日
、3月15日
、3月22日
の記事などにある)
Medical Center Hourという連続講演会の主宰責任者でもあるので、
大学でも出会うことが多かった)
先日のランチ
の際の写真を見ていただければおわかりかと思うが、
チルドレス先生はアメリカ人にしてはずいぶん小柄で、きゃしゃな体つきであり、
マーシャさんの方が大きい。また、チルドレス先生は寒がりで、夏でも上着を着て
おられることが多いのに対して、マーシャさんはずいぶん暑がりのようだ。
これだけ喜んで使っていただけると、贈り主としても大満足である!
ともかく、お二人は大の仲良しで、実に素敵なご夫婦である。
お会いしていると(少々会話が不自由でも)ほんとうにくつろぎ、癒された気分になる。
チルドレス先生ご夫妻についてのエピソードを少し紹介しよう。
ある時、彼らのファミリーカーのBMWのナンバープレートが
Woolf 1 であることに気づいて、どういう意味かを尋ねてみた。
(「狼」ならoが一つ少ないはずだが・・・)
答えは、「Virginia Woolf (ヴァージニア・ウルフ)」
アメリカの車のナンバープレートの一番上には州の名前が書いてあるので、
上下を続けて読むと、「ヴァージニア・ウルフ」と読める。
ヴァージニア・ウルフ(1882-1941)は、日本語の翻訳も出ている英国の
女性作家だが、チルドレス先生ご夫妻が二人とも大好きな作家だとのこと。
チルドレス先生は、
「この前、ワシントンDCに泊まったときに、ホテルで配車係に車を駐車して
もらおうとしてキーを渡したら、Welcome Mr. Woolf ! と言われて
困ってしまってねえ」
と笑っておられた。
(たぶん、ヴァージニア・ウルフはホテルの配車係の人が名前を知っている
ような作家ではないからだろう)
ちなみに、先日ランチに連れて行ってもらった時には、彼らのBMVは新車
になっており、ナンバープレートも「WOOLF 2」に変わっていた。
また、チルドレス先生はアメリカ人にしてはお酒が強くない。
(「日本人にしては・・・・・」の私とは正反対だ)
30年近く前に中国に行かれた時、レセプションでマオタイ酒で何度も乾杯させられ、
「次の日は頭がガンガンして、一日中地獄だったよ・・・・・」と言っておられた。
ちなみに、チルドレス先生が来日されたのは、この、中国への視察旅行(1979年)
の途中に東京(上智大学)での会議に立ち寄られた一回だけ、ということである。
その後も何度か講演のオファーが来たようだが、忙しくて断ったとのこと。
「でも、次にオファーが来たら、君もいることだし、絶対行くよ!」とおっしゃって
くださっているので、近いうちに先生を日本にお呼びする計画がひそかに進行中である。
(注)
日本でもナンバープレートの数字は空いている番号であれば好きなものを
つけられるようだが、アメリカでも車の登録の際20ドルほどの追加料金を払うと、
好きな文字と数字の組み合わせが選べる。
私の音楽仲間 の一人であるホルンのクララさんの車のナンバープレートは、
GO 4 HRN (ホルンはオーケストラなどでは通常4人で演奏するため)
だったりする。
車を走らせていて、前の車のナンバープレートの意味を探ったりするのも
なかなか面白い。
チルドレス先生との出会い(2)
さて、私は今回アメリカに来るまで、チルドレス先生とは一度もお会いしたことがない。
そんな私がなぜ、チルドレス先生のもとで在外研究生活を送ることになったのかを
回想してみると、それはそれは 不思議な縁 としか言いようがない。
人との出会いにおいて、
「もし、あそこでこういうことが偶然起こっていなかったら・・・・・」
たとえば、「あの時、あの電車に乗り遅れていなかったら・・・・・」
「あの時、携帯電話をなくしていなかったら・・・・・」
「あの時、講義であの席に座らなかったら・・・・・」
この人と出会うことはなかったろう。。。。
と後から不思議な思いに打たれた経験をお持ちの方は多いのではないだろうか。
私がチルドレス先生に出会ったのも、そんな(確率の低そうな)偶然がいくつも積み重なった
上でのことだ。
まず、第一に、
私がアメリカに行く計画を立て始めた時(前々からそういう計画があったわけではなく、ほんの
2年ちょっと前のことだ)、受け入れ先として当てにしていた既知の先生が一人おり、その先生
のいる大学には私の専門に近い他のスタッフもいたので、そこに行けるものだと思っていたところ、
晴天の霹靂(?)のごとく、その先生から受け入れを 断られてしまった・・・・のである!
(ちょっとしたコミュニケーションの行き違いが原因になったのだが、それにはふれないでおく)
まさか断られるなどとは考えてもいなかったし、すでに勤務先のT大学からは1年間の研究休職
の内諾を得ていたり、フルブライトの奨学金の申請手続きにとりかかっていたりした(結局もらえ
なかったが)ため、いまさらアメリカ行きをやめる、というわけにもいかず、かと言って、これまで
海外の学会などには出たこともなくアメリカの研究者に知り合いもほとんどいない(情けない・・・・)
ということで、文字通り途方に暮れてしまったのである。。。
これがちょうど2年前(2005年)の今ごろのことだが、
その時、ふと思い出した人がいた。
その2ヶ月前に、東京で行われた宗教学の国際学会でお会いした、
アン・モンゴヴェンさん である。
前にも書いたが、3月に国際学会ではじめてモンゴヴェンさんにお会いした時、
彼女はVisiting Scholarとして東大に来ている期間中だった。
「たしか、アメリカに帰国するのは6月だと言ってたよなあ・・・・・」
「そういえば、6月の2週目に学会で東京に行くなあ」
ということで、さっそくモンゴヴェンさんにメールを打った。
(彼女の帰国が6月の後半であることを祈りながら・・・)
すぐに、「私もとっても会いたいけど、そのあたりは殺人的なスケジュールなの。。。
でも、なんとかなるわ!」という返事が返ってきた。
まさに、ギリギリのタイミングだった。私が学会の翌日にモンゴヴェンさんに会った時、
彼女は、帰国2日前!だったのである。 → これが(確率の低い)第二の幸運!
モンゴヴェンさんは2時間ほどかけて、私の研究に大きな興味をもってくれそうな
アメリカの研究者や、私の滞在先としてふさわしい大学について、事細かにアドバイス
してくれた。
そこで、彼女がもっとも勧めてくれた行き先の一つが、ヴァージニア大学だったのである。
「ジェイムズ・チルドレスはすっごくいい人! 彼は絶対、あなたの研究に興味をもつ
と思うわよ」
チルドレスの名はもちろん知っていたが、(前回書いたように)有名な本の共著者として
であって、それ以外の本や論文は読んだこともなかった。
しかし、私がチルドレス先生のいるヴァージニア大学にもっとも食指を動かされた点は、
(モンゴヴェンさんの話のなかで出た)宗教学と生命倫理との間の関係が非常に濃い
というヴァージニア大学の特色だった。
(両方の分野にすぐれた研究者がいる大学であっても、制度的に宗教学科とバイオエシックス
センターとのつながりがまったくなかったり、双方の研究者同士にあまり交流がなかったり
することが多い)
ここだ! と思った。
もちろん他にも魅力のある大学はあり、前に書いたウィリアム・ラフルーアさん のおられる
ペンシルヴァニア大学のように、実際に可能性を検討し、お世話になっている日本の先生
を介してコンタクトをとってみたところもあるのだが、この時からとにかくヴァージニア大学を
行き先の第一候補と考えて、突き進んだ。
ところが大きな困難が・・・・・・・
日本で私が親しくさせていただいている著名な先生の中に、チルドレス先生と親しかったり、
直接面識のある人が皆無だ、ということがわかったのだ。。。
ただ一人、チルドレス先生と確実に面識がある先生がいらしたが、この先生と私は面識
がなかった。それでも、ここは突き進むしかないので、その先生(早稲田大学のKM先生)
に電話をかけ、事情を説明した。
KM先生は、まったく面識のない私にも、ほんとうに親切にいろいろなアドバイスをくださった。
彼に言われたのは、
「まだ時間もあるので、とにかく直接チルドレス教授に手紙を書いて、自分をアピールして
みてください」
「私はあなたと会ったことがないので、今すぐチルドレスにあなたを紹介したり推薦したり
することはできないが、あなたのこれまでの履歴と業績書を私の方に送っていただければ、
もしチルドレスが「この人を知っているか?」と私に問い合わせて来た場合には、あなたが
立派な研究者であることを説明する」
ということだった。 → KM先生がいなかったら、私はどうしていただろうか・・・
そして、
慣れぬ英語でチルドレス先生に手紙を書き、英文の履歴業績書と主要な論文の英文要旨
を添えて(もちろんT大学で私の隣の研究室にいる(!)アメリカ人の同僚に添削してもらった)
手紙を送り、返事を待った。。。
待てど暮らせど(1ヶ月半ぐらい)、返事は返って来なかった。
やっぱりだめかなあ。。。。。
もう一度念押しのために、eメールで「1ヶ月ちょっと前にお手紙を差し上げた者ですが・・・」
と尋ねてみたところ、翌日、チルドレス先生からのeメールが!!
多忙のため返事が遅くなったことを丁重に詫びるとともに
「あなたのなさっている研究は、私や私の同僚の関心ととてもよくフィットしており、翌年、
あなたがヴァージニア大学に来ていただけるのを大歓迎します」という内容のメールで、
非常に丁寧なだけでなく、「あなたのオフィスは研究所内に用意できる」「パソコンも用意
できるし、プリンターやコピー機も研究所のものをお使いいただける」などといった具体的
な好条件が詳しく書かれており、思わず 飛び上がって しまった。
というわけであった。
本当に、「人は、出会う必然性のあるときには出会う」 ものですね。
チルドレス先生との出会い(1)
今日から3回ほどにわけて、私のボス、ジェイムズ・チルドレス先生について紹介します。
チルドレス先生は、(たいへん若く見えるが)1936年生まれなので、今年で71歳。
少しでも生命倫理や医療倫理に関わったことのある人なら、世界中でその名前を
知らない人はまずいないであろう、生命倫理学界の大御所 の一人である。
1970年代はじめ、後に「バイオエシックス(生命倫理学)」と呼ばれる学問が産声
を上げはじめた頃からこの新しい分野での議論を先導してきたパイオニアとして、
研究者としても、生命倫理に関する国家委員会などの委員としてもたいへんな
業績を上げ、重責を果たしてこられた方だが、何といっても彼の名が最も知れ渡って
いるのは、1冊の本の共著者としてである。
その本とは、チルドレス先生と彼の友人でイェール大学の同級生であるトム・ビーチャムとの共著
Principles of Biomedical Ethics (直訳すると『生命医学倫理の諸原則』)
のこと(写真上左)。
この本は、1979年にその最初の版が出版されて以来、現在まで4回にわたって大きな改訂・
書き換えを施されながら読み続けられている生命倫理の世界的教科書・理論書であり、
今出ているのは第5版だが、すでに第6版の出版に向けての準備が着々と進められている。
(上右の日本語訳は、その第3版の翻訳である。
原書は第3版と第4版との間で最も根本的な改訂が行われているので、
第5版ないし次に出る第6版の翻訳が待たれるところだ)
この本は日本の生命倫理研究者には、著者二人の名前をとって「ビーチャム・チルドレス」と
呼ばれており、生命倫理をめぐる原理的な議論の際には、ほとんど常に引き合いに出されている。
そのため、ジェイムズ・チルドレスという名前を出すと、日本では、
「あのビーチャム・チルドレスの(片割れの)チルドレスか」
という風に言われることが多く、
高名なわりに、チルドレス先生自身の他の著作や業績については、とりわけ彼のキリスト教
神学や宗教学的な背景については、一部の人以外にはほとんど知られていない。
チルドレス先生のところに私が在外研究に来ることになったいきさつについては次回に譲るが、
私がアメリカでいくつかの学会に出席して他の研究者と話したり、講演やシンポジウムにおける
先生の姿を見ていてひしひしと感じるのは、アメリカの生命倫理学者たちの間で
彼がいかに敬愛されているか ということである。
単に「尊敬」というだけではなく、この「敬愛」という表現が本当にピッタリなのだ!
その学問的能力や業績以上に、会ったとたん誰もが引きつけられ、好きになってしまうという
チルドレス先生の人柄からくるものだろう。
私と親しい友人達はよく知っているが、私は「人品評価」というものがけっこう得意である。
アメリカで知り合った人たちについても、たとえば、
「この人は、日本で言えば○○さんのような人」
「こいつは、アメリカ版△△だな」
などと、その人の全体的な特徴や性格を、誰か知っている(面識のない人も含む)日本人
になぞらえて把握できることが多い。
しかし・・・・・・
チルドレス先生に似ているような日本人、というのだけは、
まったく思い浮かばないのだ・・・
チルドレス先生を一言で表現すると、
もう、全身これ「いい人」 ! というのに尽きる。
ちょっとした表情から、他人へのいろんな気遣い、やることなすことのすべてにわたって、
もう 「善良さ」のかたまり、という感じの人なのである。
なるほど、そういうパッと見るだけで「いい人」であるというオーラを全身から発している
ような人、というのは日本にもいないわけではないが、
少なくとも私は、日本のインテリや知識人、
(とくにチルドレス先生クラスの、飛び抜けた業績と地位のある学者)のなかには
そのような人を見かけたことがない。
もちろん、実際にある程度親しく接してみると、
(少なくとも人間や社会のことを研究する私たちのような分野の研究者においては)
学者・研究者として尊敬に値するような仕事をされている人たちは、
ほとんど例外なく、人格的にもすばらしい人が多い、というのはたしかだ。
しかし、基本的に(日本では)インテリや知識人と言われる人たちは、
どちらかと言うと、自分の「人の良い」ところをあまり表面に出さない、というか
ちょっとハスに構えていたり、ある種の屈折があったりする方が普通なのである。
(むしろ、そういう方がインテリらしいポーズで「かっこいい」と思われているせい
もあるかもしれない)
なので、アメリカに来てチルドレス先生にはじめて出会い、日常的に接するように
なるにつれ、私は
世の中に、こんな人がいるのか!!
というような驚きと感動に包まれてしまったのである。
たとえば、お互いが同じ学会などに出て、そこで顔を合わせたとする。
高名な学者になればなるほど、学会などでは挨拶に来る人も多いし、
何かと忙しそうに応対しないといけないことが多い。
なので、こちらが日頃から親しくさせていただいている大先生であっても、
そういう場で出会ったときは、少々そっけないぐらいなのが普通だ。
ところがチルドレス先生は違う。
会場のどこであれ、私の姿を見かけると、例の、なんともいえない(少し
はにかんだような)素敵な笑顔で、こちらに手を振ってくれるのだ!
まあ、私は外国人の「お客さん」であるから、普通の人に対する以上に気を遣っている
という面はあるのかもしれないが、他の人に対する彼の応対の仕草などを見ていても
やはり同じように、大げさではなく(日本人にはそう感じられるアメリカ人は多い)、
本当に心の底からすっと自然に出てくるようなフレンドリーさが感じられる。
また、1ヶ月ほど前、私にちょっと心配事があって浮かぬ顔をしていた時に、
チルドレス先生が示してくれたいたわりと、私がそのことを話した際の先生の表情
(まるで自分の事のように文字通り「同情」してくれているさま)は、今思い出しても
涙が出てくるほどだ。
彼を見ていると、やはり学問は人間そのものだという(40代半ばになってから
ひしひしと感じるようになった)思いを強く抱かずにはおられない。
続きはまた。
わがボス、ついに登場!
今回は、当ブログにこれまで名前は何回も出てくるのに、写真が出てこなかった
超大物の登場です!
ジャンジャジャーン!!
アメリカでの私のボス(実践倫理&公共生活研究所所長)である
ジェイムズ・チルドレス先生(右)と奥さんのマーシャさんです。
私がこちらに来て以来、お世話になりっぱなしの大恩人。
昨日も、シャーロッツビル郊外にあるBoar's Head Inn というちょっとお洒落なリゾートホテル
の中にあるレストランで女房ともどもランチをごちそうになった。
ランチやディナーに誘っていただいた時にはこちらもちょっとしたプレゼントを持って行く
のだが、今回はちょっと 趣向をこらして 面白いものを持って行った。
その「面白いもの」というのは、上の写真でチルドレス先生が抱えている額である。
写真をクリックして拡大しても、ちょっと中味まではわからないと思うので、解説しよう。
実は、額も、そこに入っている中味も 同じものを二つ用意した。
一つは「私」用に、もう一つはチルドレス先生用に。
(下左で私がもっているものが「私」用のもので、それをを拡大したのが下右の写真)
前にこのブログで、私が編集委員および翻訳者として関わった、
『生命倫理百科事典』 という大部の翻訳書が出版されたことを書いたが、
その中の一項目(といっても、普通の本ならゆうに一章分ぐらいになる本格的な学術論文)
である「隠喩と類比」は、チルドレス先生が執筆されたすばらしい論考である。
この部分は私自身が翻訳を担当したので、英語の原書と今回出た翻訳書から、
その最初と最後の部分をコピーして左右にならべたものが、額の中味。
そして、左側の英語原文の下にはチルドレス先生のサインをもらい、
右側の日本語訳文の下には私がサインをして、それぞれ相手用のものに一言書き添えて、
お互いが記念にもっておこう、というアイディア!
ちなみに、チルドレス先生に差し上げた分には、私が
As a memory of our friendship (わたしたちの友情の記念に)
と書き、
私が持っておく分には、チルドレス先生が
Many thanks for your wonderful time at UVA !
(ヴァージニア大学で過ごされたあなたのすばらしいひと時に多謝)
と書いてくださった。
チルドレス先生には「これは実にgreatなアイディアだ!」と何度もお礼を言われ
て恐縮したが、それほどまでに喜んでいただき、嬉しいかぎりである。
先生の人となりや、私との出会いのいきさつなどについては、また明日。
(つづく)