ヴァージニア日記 ~初体験オジサンの日常~ -4ページ目

ヴァージニア工科大学での銃乱射事件

AP配信の写真


日本でもニュースになっているのでご存じの方も多いと思うが、

今朝(こちらの時間で16日午前)、ヴァージニア州ブラックスバ-グにある

ヴァージニア工科大学(通称Virginia Tech)のキャンパスで銃の乱射事件があり、

現在のところ33人の死亡が確認されているという、死者の数だけからすると

(銃乱射によるものとしては)全米史上最悪の事件となった。


ブラックスバーグには行ったことがないが、私の住むシャーロッツビルからは

車で2時間半ほどのところ、、ヴァージニア州の南西部、アパラチア山脈のふもと

にある。

(このブログで書いた州内の観光地の中で一番近いのはナチュラル・ブリッジ

そこからさらに1時間ほど南西に行ったあたり)


行ったことがないのでわからないが、とてもこのような事件が起こりそうにない

のどかな田舎町というイメージである。

(もっともこういう田舎はセキュリティも甘いので、悲惨な銃撃事件はニューヨークや

シカゴのような大都会よりもこうした所で起きることがままある)


TVやインターネットでニュースを見ても、まだはっきりしたことはわかっていない

ようだが、


・犯人は一人、二度目の銃撃の際に自分の頭を撃って自殺


・二時間ほどの間隔をあけて、キャンパスの中の半マイル(約800m)ほど離れた場所で

 二度銃撃があり、同一犯によるとされている。


・犯人は二つの銃を両手にもって乱射したらしい。


・犯人が学生なのかどうかは明らかでないが、男性だということは発表されている。

 目撃者の証言では「19歳ぐらいに見えた」とのこと。


・最初の銃撃(午前7時15分ごろ)の後で大学側は、警戒を呼びかける放送などを

 行わなかったようで(2時間近く経ってからメールで銃撃事件のことが通知された

 だけ?)、この緊急事態に対する大学側の対応に大きな非難が寄せられている。


ということぐらい。



いずれにしても、

町中で公然と銃が買えるアメリカの銃社会の病根は深く、こういう事件がいくら起こっても、


「銃を簡単に買えない社会にしよう」というよりも、


「だからこそ銃を持って自衛しないといけない」という

世論の方が強いというのが、なんとも皮肉だ。。。



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(米国東部時間4.17正午 付記)

その後の発表では、犯人は韓国出身の23歳の学生Cho Seung-Hui(8歳で渡米、米国の

永住権をもつ)とのこと。

彼はEnglish専攻。Creative Writing(創作)のクラスで書いた作文に異常な精神的混乱が

認められたため、創作クラスの教師が心理相談室に行くよう紹介していたということだが、

その結果については教師も学科長も知らないと言っている。





宗教と現代がわかる本

宗教と現代がわかる本2007


今日は本の紹介(宣伝)でも。


3月16日に平凡社より、『宗教と現代がわかる本 2007

(渡邊直樹(編)、1680円)が刊行されました。


私も、「生命倫理の問題における宗教の位置」という小論を載せています。

(126頁~129頁)


まだ都会の方の本屋では目立つ位置に積まれていると思いますので、

興味のある方はぜひ手にとってみてください。



先日、執筆者用の献本が送られてきたので、読んでみましたが、

(一般向きの解説書ながら)宗教学者の私が読んでもなかなか面白く、ためになります。


執筆者の一人である私が言うのも何ですが、

宣伝用の帯に、「アカデミズムとジャーナリズムから「宗教」がわかる最高の執筆陣」

とあるように、ジャーナリズムの側で「宗教」を語る有名人(養老孟司・小林よしのり・

高村薫・香山リカなど)と、いま、最先端の研究をしている宗教学者が勢揃いしている

という感じです。

(宗教学者に関しては、「よくこれだけのメンバーを集められたなあ!」と感心)


一つ一つの小論やエッセイ、インタビューなどは短いし、どこから読んでもいいので、

一般の読者には読みやすいと思いますし、この内容で1680円はお得!

だと思います。



ちなみに、編者の渡邊直樹さんは東大宗教学科卒、平凡社時代に『SPA』や

『週刊アスキー』などの編集を手がけられた方で、

『SPA』に載った麻原彰晃と中沢新一の対談を企画した方でもあります。


なお、本のタイトルに2007とあるように、

この本は来年以降も毎年1回、その時々の最もホットなテーマを満載して

刊行予定とのこと。



激しいのがお好き?

今日は言葉に関するエッセイ。

(去年某SSNに書いた内容と同じなので、既読の人はスルーしてください)


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最近、競馬ファンの間で「激走」という語をよく目にする。

近走で成績不振だった馬が、(クラスが下がったり、相手が弱くなったわけでもないのに)

いきなり当たり馬券の対象になる上位(1~3着)に入線て大穴を開けた場合

(たとえば最近の成績が12着、13着、10着という馬が、いきなり2着に来るとか)

に使われる。


むかしは、こういうのを競馬用語で「大駆け」と言ったものだ。

(たとえば、レース予想で「○○の一発大駆けに注意」とか。今でも専門誌ではよく目にする)。

考えてみれば、

いつの頃からか、「激○」というような語が増えている気がする。

(刺激を求める現代社会の現れだろうか)。

もともと、「激」の字が熟語に使われる場合は「激しい」という意味だろうから、
「激震」「激痛」「激突」「激戦」「激論」など、激しくぶつかったり、せまってきたりするものか、

あるいは、「激増」「激減」「激変」「激動」など、変化のスピードが激しいものに使うのが普通だろう。


しかし、「激」の字をめぐる異変が起きたのは1980年前後(私が大学生のころ)のことだったと思う。

スーパーや電化製品・衣服などの安売り店に「激安」という文字が並ぶようになったのだ。

値段が高いとか安いとかいうのは、量的なレベルのものだから、

本来から言えば「激しい」というのは変である。

「大安」(おおやす)とか、あるいは「バカ安」とでもいうのが、

それまでの普通の言い方だったように思う。


それが「激安」!! 


まあ、いきなり値段を下げたということで「変化のスピードが激しい」から「激安」なのかもしれない、

とか、「感激するほど安い」から「激安」なのか、などとも解釈できなくもなかったが、

この後、「激○」の語がそれこそ激増したことを思えば、これはやはり、何かの兆しだったのだろう。


最近よく使われる語でいうと、

「激ヤセ」「激太り」は、変化のスピードの激しさなので、本来の意味に近いだろうが、

「激ウマ」これも感激するほど美味い、ともとれる)や

「激辛」これには「刺激」というニュアンスがあるのかも)、

「激賞」(意味的には「絶賛」と同じかな)、

2ちゃん用語の

「禿同」(=「激しく同意」、本来なら「深く同意」かな)など、


現代人はやたら「激」が好きなのである!


学生たちの手書きのレポートや感想文に、


「激沈」(←撃沈)や「攻激」(←攻撃)、「激的」(←劇的)などの誤字


が出現するのも、現代社会におけるこの潮流の一環だろうか・・・・・



イタリア料理と桜(番外編)

競馬観戦の日の夜は、ベセスダにあるイタリア料理店

Cesco(セスコ) に行ってきた。


料理が出てくる以前から、

店の雰囲気、サービスの自然さと細やかさ、店員の動き、客層といったどれもが良かった

ので、こりゃ料理も期待できるな(!)とワクワクしたが、その期待は裏切られなかった。


特にすばらしかったのは、海老、蛸、烏賊と椎茸、いんげんの温サラダにマッシュポテトがかかったもの

(写真下左、ビネガーが強すぎず弱すぎず絶妙だった)、ソテーしたホタテの載ったサフランクリームと

トマトクリームがきれいなリゾット(写真下右、春のお花畑のよう!)。


Cesco1  Cesco2


これまで、アメリカで入ったレストランの中で、(私的には)ここが一番かもしれない。

けっして安くはないが(スパークリング、白ワイン、赤ワインを二人でそれぞれグラス一杯ずつ

飲んで、チップ込みで180ドルちょっと)、料理の質は値段を上回るし、同じ程度の料理を出す

東京のイタリアンレストランに比べたら、むしろ安いと思う。



翌日は、ベセスダ近くのケンウッド(Kenwood)という高級住宅街に花見に行ってきた。

桜まつりが行われているワシントンDCのポトマック川沿いの桜に比べると、観光客には

知られていないが、地元の人たちはみんな知っている桜の名所である。


Kenwoodの桜1  Kenwoodの桜2

駐車場がないので、近辺を車でゆっくりぐるぐると周りながら、ところどころで止まって写真を

とった。かなりの広さにわたるこの住宅街のすべてがまさに「桜のトンネル」であり、

(写真では十分表現できないが)見事!の一言に尽きる。


この地域では、家の庭に必ず桜の木を一本以上植えなければならないという規則

があるようだ(虫がついて手入れは大変だと思うが・・・)。


日本でも、住宅街でこれほどの桜が見られるところはないのではないだろうか?

(もしそんな場所があったら、住民以外の人々が大挙して押しかけ、そこら中で

どんちゃん騒ぎをやっていそう・・・)


でも、ここはアメリカ。

住民以外の人も(私たちのように)車でノロノロ通ったり、散歩したりして花見を

楽しみに来るので、この期間、住民は少々落ち着かないだろうが、

花見はしても、桜を見ながら外で酒を飲むということはないので(そんなことを

すると警察に引っぱっていかれる)、まあなんとか我慢しているのだろう。



ローレル競馬場へ!(後編)

数年前、香港で競馬に行った時は、馬券の買い方、オッズの表示、競馬新聞のデータなどが

比較的日本と似ていたのでほとんど困ることはなかったが、アメリカはやはりずいぶん違うので、

最初はとまどった。


馬券の種類自体は、単勝(=Win、勝ち馬を当てる)、 複勝(これは日本と違い、その馬が2着までに

来れば当たりとなるPlaceと、3着までに来れば当たりとなるShowにわかれている) 、馬単(=Exacta、

1→2着をその通り当てる)、三連単(=Trifecta、1→2→3着をその通り当てる)など、ほとんど日本

と同じなのでわかりやすい。

(それ以外に、連続する複数レースの1着を当てるような、日本にはない種類の馬券もある)


違うのは、馬券の買い方である。


日本(や香港)では、窓口で口頭で言って買うか、マークシートに記入したものを窓口に持って行くか、

あるいは機械にマークシートを入れるかのどれかで、

いずれも現金と引き替えに馬券を買うというシステムである。


アメリカでは、これがけっこうややこしい。

まず、マークシートはない。

窓口で馬券を買う場合は口頭で伝えればよいので、現金でも馬券が買えるのだが

機械で馬券を買おうとすると、現金では買えないのだ。

どうするかと言うと、まず現金を窓口ないし機械で、voucher(バウチャー)と呼ばれる金券

に換えなければいけない(金券は100ドル、50ドル、20ドル、10ドルのものがある)。

機械で馬券を買う場合は、この金券を機械に入れて、タッチパネルで(競馬場、レース番号、

馬券の種類、馬の番号)入力することになる。

おつりも現金ではなく、おつりの金額を書いた金券の形で出てくる。


慣れればどうってことないシステムであるが、最初はちょっととまどう。。。


アメリカ式のこの馬券購入システムには、便利なところと不便なところがある。

便利なところは、

当たり馬券もまた、バウチャー(金券)の代わりとして馬券の購入に使える

ということだ。

日本だと、たとえ馬券が当たっていても、それを一度換金しないことには、当たった分を

次の馬券の資金に直接回すことはできないが、アメリカではそれが簡単にできるのである。

(なので一旦バウチャーを買っておくと、全然当たらないでそれを使い果たしてしまうまで

は現金を出し入れしなくてよいし、日本の場合のように当たり馬券を換金するたびに、

細かい硬貨が増えて困る、というようなことは起こらない)


不便なところは、

このバウチャー(金券)というのが(馬券も同じだが)、スーパーのレシートに毛がはえた

ような、薄い紙切れだということだ。

・馬券とほとんど見分けがつかないので、おそらく「ハズレ馬券」と一緒にバウチャーを

 捨ててしまう人というのがけっこういそうな気がする。

・ポケットになど入れておくと、簡単にしわがついたり、折れ目がついたりするので、

 そういうバウチャー(あるいは馬券)を機械に入れると、なかなかうまく入らなかったり、

 認識しなかったりしてイライラするのだ。

 (自動販売機に札を入れる際に、いくら入れても何度も戻ってくるという経験のある人

 は多いだろうが、あれとよく似ている)

 日本の競馬場やウィンズのように混雑していて、そのレースの馬券購入締めきり直前には

 機械の後ろに人が複数並んでいるようなところでは、絶対に無理なシステムだと思う。



(私の少年時代の愛読書?であった)競馬新聞の表記は、まったく日本のものとは異なる。

あまりに違いすぎて私もまだ読み方をマスターしていないので、ここでは省略する。

(今回は、競馬場に着いてから現地で新聞を購入したので、読み方をマスターする時間すら

なかった・・・)



もう一つ、アメリカでは

オッズ(倍率)および払い戻し金の表示の仕方が日本とまったく違うのである。



・日本の場合、オッズは単純に掛け金が何倍になるかということで(たとえばオッズが20倍

 の馬券を200円買って、それが当たったら20×200=4000円払い戻してもらえること

 になる。

・払い戻し金は、その馬券を100円(馬券購入の最低単位)買った場合、いくら払い戻される

 かというように表示される。

 なので、オッズと払戻額の表示は100倍桁が違うだけで基本は同じだ。


アメリカの場合、

オッズの表示は、馬券を買った額1に対してそれが当たった場合いくら儲けることになるか、

というもので日本のような「倍率」とは若干違う。

なのでオッズに10とあると、日本の計算では「11倍」ということになる。

また、10と書いてあるのは正確には「10-1」(1に対して10儲けられる)ということなのだが、

たとえば「3-2」というような表示がされる場合があり、これは同じように2を買った場合に

3儲かるということなので、2ドル買えば5ドルの払い戻し、つまり日本のような倍率計算で

は、「2.5倍」という意味になるので、ややこしいのだ。


実は、今回5つのレースを観戦し、そのすべてで馬券を買ったのだが、

当たったのは1回。 第3レースだけであった。

このレースで、私は(パドックで馬体を見ても、それまでの最高タイムを見ても)1番の馬の力

が抜けていると判断し、1→2、1→4、1→6、1→7という4枚のExacta(馬単)を5ドルずつ

買った。

TV画面上のオッズを見たところ、どれも20~30ぐらいの表示(実際には21倍~31倍と

いうこと)であった。


そして、レースは、1番が予想通り逃げてそのまま楽勝! 2番が2着に入り、


やった、当たり~っ!!


となったのだが、配当金に関してはちょっと当てがはずれてしまった。。。


私は「悪くても20倍」と思っていたので、最低100ドルは払い戻せる(最初の2つの

レースで負けた分は余裕で取り返してプラスになる)と思っていたのだが、、、、


実は、払い戻しは14.4。

(→アメリカではオッズ表示と同じ形で、払い戻し金が表示されるのだな・・・

  とこの時は思っていた)



日本の中央競馬の場合、馬券を買う人の数(馬券の購入額の合計)が多いため、

レース直前の5分やそこらで、20倍以上の馬券が14倍になってしまう、などということ

はほとんどあり得ない。

ところが、ことローレルに関する限り、この日の入場者数の少なさを見れば、

締めきり直前でその馬券を買う人が増えた場合、このように短時間でオッズが

急降下することは十分あり得ることである。


まあ、いいか。。。  

14.4倍なら70ドルは返ってくるし、ちょうどトントンぐらいには戻るしなあ・・・


と思って的中馬券を機械に入れたところ、


出てきたバウチャーの金額は、36ドル。。。。


最初は何かの間違いだと思ったが、とあるHPからコピーして持ってきていた

(あまりちゃんと読んでいなかった)アメリカ競馬についての情報を見直して

みて、理由がわかった。


アメリカの払い戻し金の表示は、「何倍」ではなく、2ドルがいくらになるか

(馬券の最低購入単位が2ドルのため)という表示なのである!

→つまり、

それを2で割らないと、いわゆる「倍率」にはならないのだ

 (考えてみれば、日本と同じように最低購入額に対する払戻金が表示されている

  わけだが、それが1ドルではないためにこんなにわかりにくくなるのだ)

  


つまり私が買って当たった1→2という馬単の馬券の倍率は、

そもそも20倍以上だった・・・のが 直前になってその馬券を買う人が増え、

7.2倍まで下がっていた ということになる。。。


で、当たったのはこのレースだけ。

その後の2レースとも(別にこれで気落ちしたせいではなく)当たらず、

結局最初に買ったバウチャーの100ドル分だけ負け(うち女房の分が

20ドルほど)ということで、トボトボと競馬場を後にすることになった、

というわけでした。


まあ、私たちが観戦したレースは、14頭立てで大穴が出た第5レース(例の

フライング馬が出たレース)を除くと、みな出走頭数が少なく(5~8頭)、

馬券を買うにはあまり妙味のないレースばかりであった。

第1~第4レースまではほとんど本命ばかりの決着であったので、

人気薄の逃げ馬を狙ったり、1番人気だけをはずして買ったりした私は

一つしか当たらなかったものの、


アメリカで競馬を楽しんだ というだけで十分満足の一日でした。

                                       (完)

ローレル競馬場へ!(中編)


4月の雪!  昨日は、ワシントンDC郊外のベセスダ

 というところのホテルに泊まったのだが、

 朝起きてみると、ご覧のような雪景色で

 ビックリ。

 先週、東京でも19年ぶりに4月に雪が

 積もったというようなニュースが流れて

 いたが、こちらも同じ。

 最高気温27度といった夏のような日が

 あったかと思うとこれなので、どうも身体

 がうまく適応しないのが困りもの。。。




その話はさておき、ローレルでの競馬観戦記の続き。


昨日、私たちが見た馬は、日本で言えば未勝利クラスから1勝級クラスの3歳馬だけ

だったので、馬のレベルの比較はちょっとできない。

(タイムも馬場が違うと比較できないので何とも言えないが、馬体自体は同じクラスの

日本馬とそう変わらないように見えた)


ただ、一番「日本と違うな」と思ったのは、

馬がみな落ち着いている ということだ。


日本のパドックなどでは、よく入れ込んで首をたえまなく上下に振っていたり、口から

泡を吹いている馬、発汗の激しい馬を見かけることがあるが、そういう馬が皆無なの

である。

もちろん、日本の競馬場に比べて入場者数が少なく(こんなので経営が成り立つのか

と思うぐらい空いている)、パドックに人が少ない、ということが原因とも考えられる。

大声で応援したりヤジを飛ばしたりする人がいないので、馬もビックリして興奮したり

しない、ということはあるのかもしれない(馬というのは草食動物なので、元来きわめて

物音におびえやすい性質をもっているのだ)。


ただ、それだけではないような気がする。


というのは、一つ、ちょっと日本ではあり得ないな・・・と思うような

面白い事例ぶつかったからである。


第5レースのスタート時にアクシデントが起こった。


13番の馬が、ゲートの前扉を頭で押した拍子に、ゲートを突き破って出てしまい、

そのまま200メートルほど、直線を走ってしまったのである!

(ゲートは危険防止のために、たとえスタート前であっても馬が前扉に頭を突っ込ん

だりした場合、そこだけが開くようにできている)


予行演習?1 予行演習?2

上左の写真が、その「フライング」してしまい、200メートルほど走った馬を誘導馬が追いかけて

行き、止めようとしたところ。

1コーナーの手前でなんとか止まり(馬が「まだレースではない!」と気づいたようだ)、

なだめられながらスタート地点に歩いて帰っていく姿が上右の写真。


こういうことは、日本でもたまにあるが、そういう場合はどうするかというと、

まず、一旦ゲートの中に入った他の馬をゲートから出すのが普通だ。

(ゲートを突き破ってすぐのところで止まったならともかく、これだけ距離を走ってしまった

場合は、必ずそうする)


そして、まず、ゲートを突き破って少し走ってしまった馬の「馬体検査」というのをやる。

200mぐらいで止まったのなら大きな影響はないことが多いが、もう少し走ってしまった

ような場合は、馬の呼吸がかなり乱れていたり心拍数が上がっていたりするので、

そういう場合(あるいは、ゲートに頭を突っ込んだ際に怪我をしているような場合)

は、その馬を競走から除外して、再びスタートするためだ。


ところが、

(アメリカではどのような規則になっているのかはわからないが)

この第5レースの場合、13番の馬はそのままゲートのところまで歩いて戻り、

何事もなかったかのように、一番外側のゲート(突き破られたゲートは使えないので)

にそのまま入って、スタートが行われたのである。


その間(つまりこの馬がゲートを突き破って200mほど走って止まり、ゲートの場所まで

歩いて帰ってきて再びゲートに入るまでの間)、数分はあっただろうか・・・


なんと驚いたことに、

その間ずっと、他の馬はみなゲートに入ったまま待っていたのである!!


競馬をあまり見たことがない人は、そのどこが驚きなのかがわからないと思うが、

日本で同じようなことをやった場合、ゲートの中で待たされている側の馬たちの

中にイライラして暴れたりする馬が出ることは、はっきりと予想できる。

(ゲートになかなか入らない馬がいて、1~2分待っただけでもそういう馬が出る

のだから、この場合のように数分も待たされれば、結果は明らかだろう)


ところが、どの馬も、何事もなかったかのようにゲートの中でおとなしく待っていた

ばかりか、いざスタートが切られてみると、(気が抜けて出遅れるような馬が出る

のではないかと思ったが)そういう出遅れも一切なかった。


もちろん、ゲート内で待たされたことの影響が全然なかったとは言えないだろうが、

アメリカの馬が日本の馬に比べて精神的に図太い

ということは、どうもたしかなようだ。


(ちなみに、ゲートを突き破って出た13番の馬は、ブービーでゴールインした。

スタート前に200mほど走ったのがこたえてスタミナをロスしたためにブービーに

終わったのか、かえってそれがいい予行演習になったので最下位を免れたのか

はわからない。)



しかし、アメリカでの日常生活をよく思い起こしてみると、

上記のこと(日米の文化差?)は馬だけではなく、まさに人間も同じである!!

もちろん人にはよるが、平均的な日本人ならイライラして絶対にじっと待っていられない

ような状況でも、アメリカ人の多くは平気でへらへら笑いながら待っているのである!


そういう図太い人に育てられると、馬もそういう風に図太くなるのだろうか?



えっ? 「そんな話はどうでもいい」 って?


で、昨日 おまえは競馬で儲かったのかどうか・・・  が早く知りたい、って?


そういうアンタも気の短い日本人だねえ・・・・・・まあ、そうあせりなさんな! 


続きはまたあした(笑)。



ローレル競馬場へ!(前編)

昨日、隣のメリーランド州にあるローレル競馬場(正式にはローレルパーク競馬場)に行ってきた。

シャーロッツビルから車で3時間弱、定期的に競馬を開催しているところとしては一番近くにある

競馬場である。

海外の競馬場で競馬を観戦するのはこれが二度目(一度目は6年前の香港)、アメリカの競馬場

は当然初めてである。


レース


ローレル競馬場 といえば、日本とも深いつながりのある競馬場で、

古い競馬ファンなら「ああ・・・・・・あの競馬場か!」という人が多いかもしれない。

(今でも中山競馬場と友好関係を結んでいるので、3月に中山で行われる中山牝馬ステークス

という重賞競走は、「ローレル競馬場賞」という名前がついている)


今はもう廃止されたが、ローレル競馬場ではかつて「ワシントンDCインターナショナル」という

国際招待競走が行われていた。

勝馬にはヨーロッパをはじめ世界の一流馬が名を連ねている。

かつて日本の大レースを勝ったような一流馬も数多く参戦しているのだが、ヨーロッパやアメリカ

のG1レースを勝つことも珍しくない最近の日本馬とは違って、全体的に日本の競馬のレベルが

低かったことと、調教師などのスタッフの側に海外遠征のノウハウ(長距離輸送後の体調回復など)

がなかったため、いずれの馬も苦戦を強いられた。

(着順としては、1967年のスピードシンボリの5着が最高)


その後、近い時期に日本の国際招待競走であるジャパンカップ(1981年~)やアメリカ最大の

競馬イベントであるブリーダーズカップ(1982年~)といった、より賞金の高い国際競走が創設

されたため、ワシントンDCインターナショナルの存在意義が薄れ、1994年を最後に廃止されて

いる。



競馬を知らない人には少し説明する必要があるが、

ヨーロッパの競馬が「芝コース」中心であるのに対し、アメリカの競馬は「ダート(砂)コース」が中心

である。日本の競馬は、いわゆる中央競馬(現在のJRA)はもともとはヨーロッパと同じように芝が

中心であったので(最近はダートのレースもかなり充実してきたとはいえ、芝中心は変わりない)、

日本の競馬場では、外側(直線でスタンドに近い側)が芝コース、内側がダートコースである。

上の写真を見るとおわかりかと思うが、

アメリカではこれが逆になり、外側がダートコース、内側が芝コースである。


あと、日本やヨーロッパの場合は、競馬場によって左回りのコースと右回りのコースがあるが、

アメリカはみな左回り(日本でいうと、東京(府中)・新潟・中京と同じ)コースである。


コースの形態とかはかなり競馬場によって違うのだが、一般的に言うと、

アメリカのコースは平坦で(アップダウンがほとんどない)、どちらかと言うと小回りなので(1周の

距離が短く、その分コーナーがきつい)、先行する馬が有利、スピードのある馬が最初からガンガン

飛ばし、スタミナの切れた馬からバテて行く、という比較的単調な競馬が多い。


ローレル競馬場も、外側のダートコースの1周がほぼ1マイル(約1600m)なので、やはり

小回りコースの部類に属する。


日本の競馬は(地方競馬のナイターを除くと)、大体朝10時ごろから夕方4時ごろまで、

全部で11~12のレースが組まれていることが多いが、アメリカでは午前中のレースは

まずなく、午後から開始、一日のレース数は7~9というのが一般的だ。


昨日は、第1レース(12時40分スタート)から第5レース(14時38分スタート)までを

観戦した。


大体、各レースのスタート時間の間隔は30分、日本の場合は午前30分、午後35分が

普通なので、ほとんど同じなのだが、(ことローレル競馬場に関する限り)私には

レースとレースの間がいやに短く 感じられた。


この理由は、パドック(レース前の馬見せのための周回スペース)にある。

日本の場合、前のレースが終わるころには、すでに次のレースの出走馬がパドックを

周回している。

(なので、パドックで馬体や気合の入り方などを見て馬の調子を判断することを重視する

人たち(私もその一人)は、狙いレースになると、その前のレースを見ずに、パドックの

良い場所に陣取っていたりすることが多い)


日本では、馬がパドックに出てくる前に装鞍所で鞍やゼッケンをつけてくるので、

観客がそのレースに出る馬を最初に見るのが、このパドックだということになる。


ところが、(アメリカの他の競馬場はどうか知らないが)

ローレルでは、まったく勝手が違った。。。


パドックへの行進?  パドック


上の写真右側がローレル競馬場のパドックである。

写真をクリックして大きくしていただければおわかりのように、建物の一番外側にそれぞれ番号の

ついたスペースがあるが、ここが装鞍所である。


前のレースが終わって、いざ次のレースのパドックへ・・・・・と駆けつけても、

馬はどこにもいない。。。。

ふと本馬場を見ると、鞍もゼッケンも何もつけていない何頭もの馬が本馬場の一番外側を

こちらに向かって歩いてくるではないか!(写真上左)


そう! 少なくともローレルでは、本馬場を通って次のレースの出走馬がパドックに入って

くるのである!

そして、パドックの中にある(皆から見える)装鞍所で鞍とゼッケンをつけて、

そしてやっとパドックを周回しはじめる、というわけだ。


なので、レースとレースの時間間隔はほぼ日本と同じ、であっても、

(私のようにパドックで馬をじっくり見たいと思っているファンには)道理でそれが短く感じられるわけだ。


つまり、パドックで実際に馬の状態をじっくり見る時間などというのは、ほとんどないのである。

鞍とゼッケンをつけ終えた馬は、厩務員さんに引かれてパドックを周るのだが、

日本のように1番から順にほぼ等間隔で周回などしてはくれず、それぞれ勝手に歩いているだけ。

一部の馬は、装鞍所に引っ込んでいてほとんど見えず、出てくるやいなや騎手が乗ってしまい、

そのまま本馬場に出て行ってしまう。。。


日本のように、馬だけでパドックを何周も周回してくれると、

それぞれの馬の相互の比較もしやすいし、何よりも周回ごとに気合が入ってくる馬とか、

歩いている間の脚の運び方(特に後脚の踏み込みに私は一番気をつけている)とか、

そういった変化もよく観察することができるのだが、

こういうパドックではちょっとそれは無理なので、馬の状態に関しては、それぞれの馬を

パッとみた時の勘(毛ヅヤとか、馬体のバランス)に頼る以外にはなかった。


ここまでで結構長くなったので、続きは明日(お楽しみに!)。



人体の商品化

少し前、メアリー・ローチさんの講演 をきっかけに、「死体はモノか?」 という話をした。


その時にも言ったことだが、今日、人体のさまざまなパーツがモノ化し、その一部は

はっきりと商品として流通していることは、まぎれもない現実である。

(人類は、もうとっくの昔に「越えてはいけない」一線を越えてしまった

のかもしれない・・・・)


ローチさんの講演をきっかけに、人体のモノ化・商品化の流れをおさらいしようと、

キンブレルの『ヒューマンボディショップ』(化学同人)という本を再読した。

(この本の題名は、人体(human body)と自動車の部品工場(body shop)とを合成

した語)


ヒューマンボディショップ

この本の原書の出版は1993年!

もう15年近く経ってしまったのだなあ・・・ということに驚くとともに、その間に、この本の著者が

「憂慮」していたような事態がすごいスピードで進行していることにも驚いてしまう。


私はかねてから、生殖技術と臓器移植という新種の医療が医療現場に定着した1980年代

はじめに、先進国の医療をめぐる根本的な推進システムは、それまでの「医療」理念を超えて

展開し、全面的な「生命操作技術」の方に向けて歩み出した(それゆえ、医療技術自体が

単なる量的な発展ではなく、(多くは知らず知らずのうちに)質的に異なったものへと転化し

つつある)と考えてきた。


この本を読み直してみて、人体の商品化、という意味でもやはり1980年代に一つの

質的な変化が起こっている、ということを改めて感じた。


たとえば、

一見、生殖技術や臓器移植などにおける売買、つまり精子・卵子の売買や商業的代理母、

臓器売買(主として腎臓)に比べれば目立たないが、人間の血液というのが法的には物品

であり、商品であるということが公に裁定されたのはこの時代なのである。

(それ以前から売血制度というのはもちろんあったわけで、血液が商品として売買されて

いたという事実はあったにせよ、それははっきり商品であると認知されていたわけではない)


そのきっかけになったのは、1980年に、アメリカの国税庁がある女性を相手に取って争った

訴訟事件である。

この女性(マーガレット・クラマー・グリーン)は中流家庭の三児の母で、血液型がRHマイナス

のAB型という珍しい(希少価値のある)ものだったため、自分の血液を売って家計の足しに

していた。

彼女が血液を売っていたのは、彼女の自宅から20マイル離れた所にあるセロロジカルという

血液会社であり、彼女は週に約2回(1976年の1年間に95回!)、自分の血液を会社に

売っていた。この会社は、プラズマフェレシスという技術を用いて、一回につき半パイント

(約235cc)の「血漿」だけをその血液から採り、残りの赤血球は彼女に返していたらしい。

また、血漿を良質に保つために、彼女は特別の食事と薬をとるように言われていた。


1976年、グリーン夫人はこの売血によって、7000ドル以上の所得(うち475ドルは交通費)

を得たが、このうち2355ドルは必要経費として控除されるべきだと主張したことから、それを

認めない国税庁とのいざこざが始まったのである。

(控除の内訳としては、自分の身体の金属成分と抗体の損失、セロロジカル社への往復の

交通費、医療保険代、薬代、命じられた特別な食事代などが挙げられた)


所得税の追加577ドルの支払いを要求した国税庁の命令を不服として、グリーン夫人が

国税不服審判所に訴えたのだが、

審判所はここで、


・血液は「物品」であり、

・事実上、グリーン夫人はその生産物である血液の「工場」であり、かつ「貨物車」である(!)


と裁定した。


それゆえ、

「グリーン夫人は会社に雇用されていたというのではなく、製造業者が販売業者に製造物を

売ったり、生産者が加工業者に生産物を売る商売を行っていた」と見なされる、というのである。


「申立人の血液が希少価値をもつために、そこから血漿を製造し製品化することが営利行為

になり得たのであって、これはちょうど他の企業家が鶏卵、蜂蜜、牛乳、羊毛を買い取って、

加工、販売することにより利益を得るのと同様である。たしかに人体を神聖なものとする感覚は

伝統的に存在するが、申立人の血漿の販売をして、ことさら他の天然から採れる原産品の販売

と、法的にこれを区別するに足るいかなる理由も見いだすことはできない」


というわけである!


それゆえ、審判所は、夫人の要求する必要経費のうち、


・行き帰りの交通費(グリーン夫人自身が「貨物車」なのだから!)


・高タンパクの特別な食事代(「ユニークな製造装置(としての夫人の身体)」の維持費!)


の二つを認めた、というわけである。



ウーン・・・・・・・たしかに反論は難しいんだけどね。。。(私は法学者でもないし)


もちろん、人体全部(死体など)や臓器とは違って、血液や髪の毛などはとっても再生される

ので、「モノ化」「商品化」されても、そのぶん抵抗は少ないということはある。

(献血する時に、採られた血液がどのように使われるのかは普通はあまり意識しない。

散髪で切った髪の毛を、カツラのメーカーが加工用、あるいは実験用に使うと言っても、

おぞましいと感じる人は少ないだろう)


しかし・・・・


ここまで公然と血液はモノであり、商品だ、その持ち主の身体は「血液の生産工場」だ、

と言われてしまうと、やはり「ハイ、そうですか」と感覚的に納得できないのもたしかだ。



臓器移植があまり進まない日本では、推進論者たちを中心に欧米がさも「標準」であるかの

ように日本の「遅れ」を嘆いたりしているが、需要と供給という点ではどのみち圧倒的な

「臓器不足」には変わりなく、臓器を少しでも多く「調達」するためにアメリカではすでに

「臓器提供の有償化(=事実上の商品化)」へ向けての議論が盛んである。


インドや東南アジアの国々でにおける臓器売買の問題も周知の通りである。


もはや私たちは、「臓器移植は良いが、臓器売買は悪い」というような単純なことを言って

いられる時代にはいない、ということはたしかなようだ。。。

シャーロッツビルを食べ歩く

昨年末、チルドレス先生夫妻と食事した際、私たちがシャーロッツビルでどこのレストランに

行ったか、という話になった。

私が「○○に行った、△△に行った、××はまだ行っていないが行きたいと思っている・・・」

などとその時点での食べ歩き経験を話したところ、

チルドレス先生日はく、


「ヤスノリはこっちに来てまだ4ヶ月にしかならないのに、

実によくシャーロッツビルを探検(explore) してるなあ!


そう! 食べ歩き(飲み歩きを含む)は私の得意なもの(特技?)の一つなのである!

(そんなもの得意も不得意もないだろうという人がいるかもしれないが、限られた予算の

中で美味しいものに出会うためには、いろいろ技や秘訣があるのです)


別に私は「グルメ(食通)」と言うほどの経験も蘊蓄もないのであるが、

人一倍食いしん坊なので、美味しいものを食べるためには努力や手間を惜しまない。

(なので、わが家のエンゲル係数は飛び抜けて高い・・・・・)


ご参考までに書いておくと、

食べ歩きを楽しむために、私が特に重視しているのは、以下のことである。


・手間(調べること、歩くことなど)を惜しまないこと。

・美味しいものを知っている友人を見つけること。

・気に入った店では、店の人に話しかけ、仲良くなること。

・いい店を見つけたら、必ずその周辺を歩いてみること。

  (大体、いい店というのは、特定の場所にかたまって存在することが多い)

・「美味しかった店」と「美味しくなかった店」とで、料理以外の部分(店構え、客層、

 メニューの表示法、従業員の姿勢や動線など)の違いをしっかりと記憶しておき、

 勘を養うこと。


あと、外食を本当に楽しもうと思ったら、

うちで食べる日常の食事がおいしいこと。

も条件の一つだと思う。



ところで、私の住むシャーロッツビルという街は、実に食べ歩きに適した街である。


Mesob lunch buffet 1  Mesob lunch buffet 2

(上の写真は、ヴァージニア大学近くにあるMesobというエチオピアンレストランのランチビュッフェ。

これらを皿に取り、インジェラと呼ばれる少し酸味のあるクレープの皮のようなものに包んで食べる。

ちなみにこのランチビュッフェのお値段は6ドル98セント!)


・街自体が大きくないので、車で15分程度の範囲内でどこにでも行ける。

 (私たちの住んでいる家から歩いていけるダウンタウンにもいくつか良いレストランがある)

・ヴァージニア大学にはいろいろな国の人が来ているので、国際色豊かであり、

 街の大きさの割に、さまざまな国の料理が食べられる。

 (日本料理・中華料理・インド料理・タイ料理・メキシコ料理・フレンチ・スペイン料理などなど。

 残念ながらイタリアンはろくな店がないので、わが家で作るものが一番かと思う)

・大都市のレストランよりも値段が安い。

 (夫婦二人でディナーに行き、ワインを1本頼んだ場合でも、チップ込みで大体80ドル~90ドル

 が普通。料理だけだと、1人3000円も行かないという感じだろうか)


それと、ありがたいことが一つ。

私はそうとう大食いであるし、うちの女房も身体には似合わずかなり食べるのであるが、

どうしてもレストランに行くと、あれこれ目移りがして、たくさん頼みすぎてしまう。

(何といってもアメリカなので、一皿の量が多い!)

それでどうしても食べきれずに料理が残ってしまうのだが、こういう時に

アメリカのレストランでは、こちらが何も言わなくても「持ち帰りされますか?」と尋ねて

くれ、持ち帰り用のパック容器に残したものを詰めてくれるのである。

それを次の日にレンジでチン(!)して食べる。

一度行けば二度おいしい、というわけで、これもずいぶん得した気分になる。



表題から、シャーロッツビルのレストラン案内を期待した人もいるかもしれないが、

そういう情報を求めている人は、以下のサイトをご覧あれ。


・当ブログにも時々コメントを書き込んでくださるrobpapaさんのブログ


・シャーロッツビル版「アスクユー」のようなグルメ投稿サイト。

 http://www.charlottesville-dining.com/



シャーロッツビルでの生活も、残すところ4ヶ月・・・・を切ってしまった。


小さい街なので、

これまでに私が目をつけた美味しそうなレストランの7割ぐらい試したように思う。

完全制覇の日は近い?



ピアノを弾く人に100の質問(4)

ついでにもう一丁! これで最後!!


76、ピアノ関連のサークル・団体・事務所などに所属していますか。

      いいえ。


77、ピアノ以外の音楽関連のサークル・団体・事務所などに所属していますか。

      いいえ。 (少し前まではアマチュアオーケストラに所属していた)


78、恋人・配偶者に自分の演奏を聞かせたことがありますか。

      はい。


79、恋人・配偶者もピアノ又はピアノ以外の音楽をやっていますか。

      いいえ。


80、家族・親戚にピアノ又はピアノ以外の音楽をやっている人はいますか。

      いいえ。 

      もう亡くなった家族には、謡曲・三味線等をやっている人はいた。


81、自分の子どもにピアノを習わせて(習わせたいと思って)いますか。

      子どもはいないので、答えられない。

      仮にいた場合、子ども自身が興味をもつようなら、習わせるか

      (最初は)自分で教えるかすると思う。


82、自分の子どもにピアノ以外の楽器・歌を習わせて(習わせたいと思って)いますか。

      上にほぼ同じ。


83、ピアノ友達は何人ぐらいいますか。

      いない。

      オケその他の友人でピアノを弾く人というのはいるが、ピアノの友達ではない。

      ネット上ではピアノつながりの人はいる。


84、ピアノや音楽と関わりのない友達は何人ぐらいいますか。あなたがピアノを弾くことを知っていますか。

      友達は多い方だと思うが、数えられない。

      私がピアノを弾くことを知っている友達は半分以上はいると思うが、

      実際に私のピアノを聴いたことのある人となると非常に少ない。


85、ライバルはいますか。

      いない。


86、ピアノ・音楽関連でよく読む雑誌は何ですか。

      レコード芸術・音楽の友


87、ピアノ関連で新聞・雑誌に載ったことがありますか。

      いいえ。


88、ピアノ関連でTV・ラジオに出たことがありますか。

      いいえ。


89、ピアノがテーマのマンガ・小説・ドラマ・映画などで好きな作品は何ですか。

      のだめカンタービレ・シャイン


90、携帯電話の着メロは何ですか。

      サティのジムノペディ、ホルストの木星(だった)


91、気がつくと、机や膝の上などで指が動いていることがありますか。

      しょっちゅうある。


92、ピアノを弾いていて良かったことは何ですか。

      オーケストラの楽器と違って、一人で音楽ができる、というのは大きい。

      自分の時間とピアノさえあれば、音楽に集中できる。

      (みんなで一緒に音楽をする楽しみはもちろん大きいが、実際にやる

      となると、時間、人間関係などさまざまな制約があり、特に社会人に

      なってからは、活動しようとするといろんなことをクリアしなければなら

      ず、音楽だけに集中するのは難しい)


93、逆にピアノを弾いていて損したことはありますか。それは何ですか。

      ほとんどない。

      聴きたくなくても、他人の弾くピアノの音が耳に入ってくると非常に気になる

      (要するに耳がそれを「雑音」として処理できない)ことぐらいか・・・


94、ピアノに関して悩んでいることはありますか。それは何ですか。

      今は、(日本の)家のピアノが弾きたいなあ・・・ということだけ


95、1週間後に演奏してくれと言われたら、何曲ぐらい用意できますか。

      暗譜しないでよいのなら、7~8曲はすぐに用意できる。


96、自分の結婚式・披露宴でピアノを使いましたか(使いたいですか)。

      いいえ。


97、自分のお葬式は音楽葬にしたいですか。

      いいえ。

      しかし、流してほしいと思っている曲はある(ピアノ曲ではない)。


98、世の中からピアノがなくなったらどうしますか。

      ピアノのある星に移住を考える(笑)。


99、生まれ変わってもピアノを弾きたいですか。

      人間以外の動物に生まれ変わる場合は、カバに生まれ変わりたいので、

      そうなればピアノは弾けない。。。

      人間に生まれ変わる場合は、プロゴルファーになりたいと思っているので、

      ピアノとは両立しそうにないため、あきらめる。


100、最後に、あなたにとってピアノとは何ですか。

      神経質で気むずかしく、つき合いにくいが、心にもないことは絶対に口にせず、

      けっして人を裏切らず、自分がほんとうに困ったときにはそっと手を差し伸べて

      くれるような、つき合えばつき合うほど味が出てくる、そんな友人



ということで終わります。