ダウンタウンの週末
シャーロッツビルのダウンタウンはこの街にふさわしく、ヨーロッパ調で
小じんまりとして上品。
(こんなに小さな街なのに立派な古本屋が3軒もあるのは、大学町だからか)
この季節になると、メインストリート沿いの各レストランにはオープンカフェも
開かれるので、少し華やかな雰囲気になる。
先日、ミシガンでアラビア料理 にハマってしまったという話を書いたが、
この話をアレックス君(英会話の先生)にしたところ、
「アラビア料理なら、シャーロッツビルでも食べられるよ」という意外な返答。
ということで先週の土曜日、さっそくアレックス君が教えてくれた店に!
ダウンタウンにある、Bashir's Taverna というレストラン。
なかなかおしゃれな店で、よく流行っている。
ただ、料理は(ミシガンで私が食べたような)本格的なアラビア料理というよりは、
「アラビア風のテイストを加えた地中海料理」、という感じである。
(下左が女房の注文したチキン、右が私の注文したラム)
味はなかなかのもので、
何よりもワインが置いてあるのが(私たち夫婦にとっては)有難い。
(30ドルのスペインのクリアンサを飲んだが、非常にコストパフォーマンスが高かった)
この店は、ランチ(サンドイッチ、スープなどが中心)とディナーではまったくメニューが
違うようで、ディナーも金曜日や土曜日は、その日ごとの特別なディナーメニューに
なるようだ。
この日は土曜日だったので、7時半からはショータイム。
シャーロッツビル在住のダンサー(Amalieさん)のベリーダンスを楽しむこともでき
今度はぜひお昼に行ってみよう!
ワタシの発音が悪い?
英語は不自由である。
とは言え、(英語がうまくはない日本人の中では)発音はそう悪い方ではない・・・・
と自分では思っているのだが、実際にアメリカで生活していると、私の発音が悪いせいで
相手が Sorry? とか Excuse me? と聞き返してくることがときどきある。
しかし、どう考えても私の発音におかしなところはないと確信している場面でこう聞き返されると、
こっちが「エッ・・・?」となってしまう。。。
観光で他の都市に出かけた時、「どこから来た?」ということをしょっちゅう聞かれるが、
Japan というのは言い飽きるので、時々Virginia と言ってみる。
(Charlottesvilleなどという小さな街は知っている人が少ないだろうから)
ヴァージニア州に住み、ヴァージニア大学にいるのだから、ヴァージニアなどという語は
いつでも使い、耳にしているので、私の Virginia という発音が(聞き取れないほど)悪い
ということはちょっと考えられない。
にもかかわらず、これが聞き取ってもらえず、
なんと 「エッ、ブラジル?(Brazil)」 と聞き返されたことが 2回 あるのだ!
一回目は、デンバーでタクシーに乗ったとき。
運転手は無線でスペイン語を話していたので、ヒスパニックだと思うが、
「ヴァージニアから来た」と言うと、「ブラジルかあ。そりゃ遠いところから来たんだなあ」と・・・・・
「いや、ヴァージニアだ。アメリカのヴァージニア州だぞ!」
「ペンシルヴァニアか?」
というような会話だったので、たぶんこのおにいちゃん(私よりも英語が変だったので、
たぶんアメリカに来てあまり年月が経っていないのだろう)はアメリカにヴァージニア州
という州があるということを知らなかった、という可能性が高い。
二回目は、先日デトロイト近郊の「アラブ・アメリカン国立博物館」に行ったときのこと。
受付にいた背の高い黒人男性とでっぷりしたおばさんに「どこから来た?」と尋ねられ、
同じように「ヴァージニア」と言ったところ、「ブラジル?」と聞き返され、
何度も「ヴァージニア 州 だ!」と言うのだが、わかってもらえない・・・・・
向こうはアメリカの地図を出してきて、「どこだ?」と。
「ここだ!」と指さすと、
「ああ、なんだあ、、、ヴィルジニア かあ・・・・」
私の発音を正すかのように、何度も「ヴィルジニア」と発音してくれたが、
発音が悪いのはあんたたちの方だろうが!?
←アラブ系の人には、ヴァージニアの「アー」という部分の発音(girlやearlyとおんなじ)
はしにくいのであろうか?
まあ、これは英語だからまだ許す(実際、同じ英語と言っても民族による発音のクセ
というのはずいぶんあるから)。
もっと驚いたのは、おとといの昼、前にチャンポンを食べたFというレストラン
に行った
時のことだ。
なにせ、「鉄板焼きと寿司と中華」というレストランだから、それぞれのコーナーが
異なっており、店に入るとまず「何を食べるのか」ということを尋ねられる。
私は、お昼のObentou Box(アメリカの日本食レストランには必ずある)を食べたかったが、
お弁当がどのコーナーで食べられるのかはわからなかったので、とりあえず、
I'd like Obentou Box.
と言ってみる。
ところが、これが通じない・・・・・・・Sorry? Sir. と聞き返される・・・・・
おいおい、オレ様は生粋の日本人だぞ! 「お弁当」は日本語だぞ!
そのオレ様の「お弁当」の発音が悪いなどとは断じて言わせないぞ!!
とばかり、大声で Obentou Box!
やっと「Oh! Bentou box ! 」(何だわかってるじゃん・・・) というわけで
中華のコーナーに通してくれた。
メニューを見て、通じなかった理由がわかった。
ここのメニューでは、「お」がなく、Bentou Box になっているのである!
最初私は、「おべんとう」を「お・べ・ん・と・う」と少しゆっくり、外国人がローマ字で
書かれた日本語の単語を発音するように発音した。
これがいけなかったのだろう。
向こうは日本語を知らないので、最初の「お」が語を丁寧に言う時の接頭辞などと
いうことはわからないため、「べんとう」が「おべんとう」になっただけで聞き取れなく
なってしまったようだ。
最後に私が大声で言った時はたぶん、(無意識のうちに)英語的なアクセントがついて
おベんとー、
のように発音したため、きちんと「bentou」と聞き取れたのだと思う。
ともあれ、
私の日本語の発音までおかしくなった・・・・というわけではなかったのでホッとした(笑)。
英語風日本語
書くことがない時は、他人のネタでも拝借ということで、
ブログ友達のぜのぱすさんが前に書いておられたテーマ をちょっとお借りします。
英語の単語がもとにはなっているが、それを日本流にアレンジした語や表現で、
英語にはそういう語や表現が見当たらないものを、
ジャパニーズ・イングリッシュと言ったりするが、ちょうどあれの逆の話。
日本語にはそういう語や表現は見当たらないか、あるいは普通の人はほとんど使わない
のに、日本を離れて長い期間外国に住んでいる日本人が、(おそらく英語その他の西洋語
を頭の中で無意識的に日本語に直訳して)用いてしまうような日本語表現についてである。
イングリッシュ・ジャパニーズ(英語風日本語)とでも言おうか。
ぜのぱすさんが挙げておられた例の一つは、「週日」という語である。
この言葉、たしかに日本語にないわけではなく、ちゃんと広辞苑には載っている。
しかし、日本では、土日祝日以外の日という意味では、「平日」という語を使うのが普通だろう。
それに比べ、外国生活の長い日本人の間では、この「週日」という表現の頻度が非常に高い。
ぜのぱすさんがおっしゃるように、これは Weekday という英語をそのまま無意識の
うちに日本語に翻訳してそう言っている場合が多いと思われる。
(おそらく、普通の日本人が「しゅうじつ」という言葉を耳から聞いたとすると、
かなりの割合で「終日=一日中」という風にとるのではないだろうか?)
私の知人に、32歳で渡米されて以来在米生活40年を超えるO先生(日本人で、アメリカ
の大学の教授)という方がおられる。
10年以上前、この先生が編集された英語の本を私が日本語に翻訳したために知り合った
のだが、このO先生と日本語でやりとりしていると、書き言葉(手紙やeメール)でも、会話
でも、ときどきこちらが 「エッ?」 と思うような日本語表現にぶつかることがある。
たとえば、
「おそばせながら・・・」
普通は、「遅ればせながら」だと思うのだが、「遅れる」は「遅い」とも読めるので、
こういう表現が出てくるのだろう。
(ただ、googleで検索すると、「おそばせながら」という表現はいくつか出てくるので、
日本語として間違いというわけではないのかもしれないが・・・)
まあ、上は英語とは関係なく、単に長い間日本語をあまり使っていないからに
すぎないのだろうが、
以下のような、いかにも英語を直訳したような文章もよく出てくる。
「彼にもらった原稿は私を困惑させてしまってねえ・・・」
英語ではこういう無生物主語の文章はよくあるが、さすがにそれを日本語に
直訳すると、いかにも不自然である。
ぜのぱすさんはもう一つ、「美しい日」(←beautiful day)という表現を挙げておられたが、
これに関しても、私の知人のT先生の用例がある。
T先生は10年ほど前に定年退職された元大学教授だが、
一緒に飲みに行き、アルコールが回っていい機嫌になると必ず、
「今日は美しい晩だな!」
と何度もいうのが口癖である。
「美しい日」でも「美しい一日」でもなくて、「美しい晩」というところが非常に味わいのある言葉
だと思うのだが、いかがだろうか。
そう言えば、
このT先生も、英語の先生! でした。。。
食物連鎖バトン
ブログの更新がすっかり滞っていてすみません。
pipiさんからバトンが回ってきたので、まずはそれで再開!
1 コンビ二でよく買うおにぎりの具は?
鮭と塩昆布かな。 あとは(具ではないけど)かやくごはんのおにぎり。
アメリカには、コンビニおにぎりはないので、もっぱらスーパーの寿司で代用(?)。
サーモンのにぎり、うなぎとアボカドのカリフォルニアロール、
カニ身とマンゴーのカリフォルニアロールなどを好んで買っています。
2 コンビ二でよく買う飲み物は?
ヴォルヴィックの水。
3 目玉焼きはソース、醤油派?それとも。。
塩オンリーです。
4 お寿司で好きなネタ
うに、サーモン、中トロ、うなぎ、あとは納豆巻きとキュウリ巻
(キュウリ巻きは必ず最後に食べる)
5 いつも買うアイスの種類は?
ほとんど買わない。
6 いつも買うお菓子は?
あまり甘党ではないし、その時の気分でおいしいお菓子を買うことはあっても
「いつも買う」というものはない。
but アメリカではけっこうドーナツをよく買っている。
(甘すぎるけど・・・)
7 マクドナルドで好きなハンバーガーは?
ほとんど食べない。
8 ミスタードーナツで好きなのは?
たまに食べるが、特に好きなものはない。
9 好きなお味噌汁の具は?
これはもう、「豆腐と薄揚げとネギ」にかぎる。
10 好きなおでんの具は?
ごぼ天、しらたき、豆腐、牛すじ、シューマイ、たまご
あと、ネギマ、湯葉なんかも好きですね。
あと3ヶ月もない・・・
日本のみなさんはゴールデンウィーク真っ最中ですね。
こちらも新緑が美しい季節になりました。
シャーロッツビルのダウンタウンにも、こちらに来た頃(9月)の和やかでちょっぴり
華やいだ雰囲気が戻ってきた感じです。
とは言え、さすがに帰国の日が刻々と近づいてきた感じで、
もう のこり3ヶ月を切ってしまった。。。
先日、踏切で足止めをくい、長いなが~い貨物列車の先頭から最後尾までを
眺めるはめになった話 に、しばらく前までシャーロッツビルに(3年間)住んでおられ、
現在は東京におられるという方が「いやあ 懐かしいです」とコメントをくださった。
来年の今頃は私が、新しくシャーロッツビルに来られた方のブログを探し当て、
同じように懐かしがってコメントを書いている姿がありありと想像できた。。。
アメリカ滞在中の一大イベント(?)の一つであったミシガンへの講演出張が
無事終わり、これから帰国までの期間は、たまっている日本から
依頼された原稿(論文・ニュースレター・申請書等)を片付けるのに
かなり汲々としそうだ。。。
せっかくアメリカにいるのに・・・・・と思わないでもないが、大学の講義と諸雑用
が免除されているこの期間にしか、これだけ集中して原稿を書ける時間もない
ので、まあ、がんばりますわ。
ミシガン出張記(3)-アラビア料理と博物館
さて、ミシガン最終話は、恒例のグルメと観光編。
今回、食べ物といえば、アラビア料理につきる。
これまで、たぶんカバブ(串焼き)ぐらいしか食べたことがなかったのだが、
今回のミシガン出張で、とにかくアラビア料理にハマってしまった!
(シャーロッツビルにアラビア料理のレストランがないのは残念だが、今後おそらく
ワシントンDC、ニューヨーク、東京とアラビア料理を食べまくることと思う)
何しろ食いしん坊なので、他のグルメブログにあるようないい写真を
提供できない(食い気がまさって写真どころでない・・・)のは申し訳ないが、
アラビア料理とはどんなものか、少し紹介してみたい。
今回行ったアラビアンレストランは二つ。
一つは、初日の夜にモンゴヴェンさんにごちそうになった、
イーストランシングのSultan'sというお店。
もう一つは、最後の日にアラブ・アメリカン国立博物館の受付のおばさんに
聞いて勧められたディアボーンのCountry's Kitchenというお店。
前者は、「Mideterranean Cuisine(地中海料理)」、後者は「Mideast Cuisine
(中東料理)」と書かれていたが、基本的にはメニューは似たものであった。
(前者はレバノンの人がやっている店とのことで、オリーブオイルやニンニクを
使う点で、イタリア料理やギリシャ料理に似ていた。後者はよくわからないが、
同じパンに白いバター(これがとびきりおいしい!)がついていたのがちょっと
違っていたので、おそらくもっと内陸部の国の料理なのだと思う)
うまくとれている写真があまりないのだが、とりあえず二つ。
左は、ホブスというアラブのパン(ピタパンのような感じで非常に美味)をつけて食べるディップ。
左側の白いのがホモスというひよこ豆をペースト状にしたもの、右側の薄いコーヒー色のが、
ムタバルという茄子のペーストである。どちらも最高においしい。
右は、ワラクイナブという料理で、牛ミンチとご飯を葡萄の葉っぱで包んだ料理。
見た目はよくないかもしれないが、これが極めつけに美味い!
(紅色の付け合わせはラディッシュの酢漬けで、日本の蕪の漬け物に似た味)
他にも、ショルバというアドス(レンズ豆のようなもの)のスープ、(もちろん)カバブ、
(名前は忘れたが)ラムのシチューのようなものなど、
どれもこれも、実に美味である!!
(いわゆるエスニック料理には、日本人が「美味い」と思える閾値を超える料理もあるが、
アラビア料理には皆無! 西洋料理のように重たくもなく、日本では受容された歴史の長い
中国料理を除けば、これほど日本人の口に合う外国料理はないのではないかとも思える)
他の特徴としては、
・ご飯は、バーミセリという細く短い麺(糸こんにゃくを細くしたみたい)とともに炒めて炊き
上げたピラフのような形で出てくる。これがまたどのソースとも合っておいしい。
・イタリアンのエスプレッソのようなデミカップに入れて出てくるアラビアコーヒーも、
スパイスが効いていて食後にとても合う。
・お菓子もたいへんおいしい。
(少なくとも私の行ったレストランは二軒とも、お菓子屋を兼ねていた。
たぶんそういうスタイルが一般的なのだと思う)
・残念ながら、酒類は置いていない。(but 東京のアラビアンレストランには置いてあるようだ)
ということぐらいであろうか。
とにかく、これまでアラビア料理というものを食べたことのない方には、
ぜひ一度食べてみられるよう、強くオススメ したい。
ミシガン州にアラビア料理のレストランが多いのは、当然、ここにアラブ系の移民が多く
住んでいるからである。
モンゴヴェンさんの話では、それまで同じアラブ系ということで、たとえばイスラム教
シーア派の人たちもスンニ派の人たちも、あるいはキリスト教徒やユダヤ教徒も仲良く
暮らしていたこの地域のアラブコミュニティにも、イラク戦争以来、大きな亀裂が入り
つつあるという(親戚がイラクにいる人も多い)。
アラブ系の人たちが特に多いのは、ディアボーンという街(デトロイト空港とデトロイト市内
の中間地点)なので、一人で観光をした出張最後の日は、ここを訪れることにした。
ここにはたくさんの観光施設があるが、時間も限られているので、
アラブ・アメリカン国立博物館とヘンリー・フォード博物館の二つに絞ることにした。
前者はその名の通り、アメリカに移り住んだアラブ系の移民たちの文化と歴史を
伝える場所で、(アメリカにしては)小さな博物館だが、たいへん見応えがある。
上左は、どのような地域からアラブ文化圏の人がアメリカにやってきたかという地図。
上右の「宗教」のコーナーは、アラブと言えばイスラームというような通俗的常識とは異なり、
イスラーム(中央)、ユダヤ教(左)、キリスト教(右)という宗教がみなこの地域から生まれ、
今でもそれぞれがアラブで信仰されている宗教の一つである、ということを示している。
スペースの関係上詳しくは説明できないが、デトロイト近辺を訪れる機会のある方は、
ぜひ足をのばしてみられると面白いと思う。
上記のアラブ・アメリカン国立博物館はマイナーだが、
このディアボーン地域で一番有名なのは、(ここにフォードの本社があるということで)
なんといっても、ヘンリー・フォード博物館の方である。
こちらは、現在に至るまでの
ありとあらゆる機械文明の産物の一大展示という感じで、
アメリカの博物館らしく巨大で、見せ方がうまく、大人から小さな子どもまで、
あらゆる人が楽しめるように作られている。
ケネディが銃撃された時のオープンカーをはじめ、アメリカの歴代大統領たちの
乗っていた車がみな展示されていたりもする。
上は、ライト兄弟が、世界初の動力飛行(1903年だからほぼ100年前)に成功した際の
飛行機のレプリカである(実物はDCの航空宇宙博物館にある)。
今でこそ、ライト兄弟の名は世界中で有名だが、実はこの兄弟の偉業が「世界初動力飛行」
として評価されるようになったのは、ずいぶん後になってからのことのようだ。
というのも、この兄弟、二人とも高校中退の学歴しかなく、生前は何やらうさんくさい「(自称)
発明家」の類と見なす人が多かったようで、彼らの業績が正当に評価されるようになるまで
には時間がかかったようだ。
ライト兄弟は、ビジネスの才もなかったようで、兄は会社を設立したがうまくいかず、
結局失意のうちに亡くなったとのこと。
面白いことに、自動車王ヘンリー・フォードがフォード社を設立したのが、
ライト兄弟の記録的飛行と同じ1903年!
こちらは(同じ発明家でも)商才にめぐまれ、事業家としても大成功。
その偉業を記念して作られた博物館に、ライト兄弟の展示がされているのは、
ちょいと皮肉 に感じられた。
ミシガン出張記(2)-外国で日本について語ること
さて翌日は、講演会の本番。
とは言え、講演会は午後4時からだったので、それまではモンゴヴェンさんに大学の中を案内
してもらったり、別の会合に出たり、キャンパスをぶらぶらしたり・・・・・
一人で発表原稿を見直していたりすると、せっかくとれた緊張がまたぶり返したりするものだが、
こうして他にすることがいっぱいあったのもよかった。
さて、まずはミシガン州立大学のキャンパス、
もう、これは 巨大・・・・・!! という以外に表現のしようがない。
(写真などでは到底伝えられない・・・)
ちょうど境界線になって、
古い伝統的な建物が集まるOld Campusと、
モダンな建物が点在するNew Campusに
分かれているのだが、
ぐるっと外側を回るだけでも車で30分は
かかりそうだ。
モンゴヴェンさんが、「これが大学の一番の名物よ!」と
教えてくれたのが、コレ。
ミシガン州立大学は、農学校から始まって
いるのだが、その農学校特製のアイスクリ
ームである。
大学で作られているということで(教育・
研究の一環だから?)、一般に市販されて
いるものと違い、法律による脂肪分の規制
を受けないのだそうだ。
体重が心配ではあったが、当然好奇心の
方が勝ったので、私も食べてみた(^^;)。
大変おいしかった!
講演会が始まる前に出た会合は二つ。
一つは、モンゴヴェンさんの勤める同大学のバイオエシックスセンターの研究者たち
との顔合わせ。
30分ほどの短い時間であったが、同センターの所長であるトム・トムリンソンさんを
はじめとする生命倫理学者たちと話ができたのは有意義だった。
もう一つは、医学部の某講座(一応名は伏せる)で公募している教授ポストの候補者
が行う公開講演。
「公開」なので誰でも入れるのだが、会場は15人も入れば一杯になるような小さな
会議室で、基本的には選考委員の人たち(モンゴヴェンさんもその1人)が中心のよう。
この日講演をした候補者の専門は、私が講演で話すテーマとも関係があるということで、
「きっとあなたも興味をもつと思う」とモンゴヴェンさんが誘ってくれたため、期待して行った
のだが、講演ははっきり言って スカ。。。。
よくもこれだけ内容のない話(方法論も杜撰ならば、なんの結論もない・・・)を
これほど自信たっぷりにプレゼンできるものだ(!)、とあきれてしまった。
(ネイティブの人の英語だけ聴いていると、なんでも自信たっぷりに調子よくしゃべって
いるように聞こえる・・・)
まわりを見渡すと、選考委員のスタッフたちもみな顔をしかめている。。。
案の定、質問では歯に衣着せぬ辛辣な批判や疑問が相次ぎ、この候補者はこの職
にはありつけなかったようだ。
モンゴヴェンさんは、「あんなにひどいとは思わなかった。。。。論文は面白かったのに
・・・・・・・変なものに誘ってしまってごめんなさいね・・・」と謝っていたが、
それはそれで私には面白かった。
さて、その後は二時間ほどキャンパス内をブラブラしてから、講演会場へ。
(下左の写真の建物の中に入っているInternational Center)
このあたりで少し緊張してきたものの、
会の冒頭で私の紹介をしてくださるウィリアム・ロンド先生(アジア研究センター副所長)
に会って、心がなごむ。
ロンド先生の専門は日本史で、研究対象は高野山の歴史(8世紀~11世紀まで)。
博士論文も高野山の宿坊にこもって書き上げたとのことで、日本にも何度もいらしており、
日本語も上手。
(やはり、こちらが期待していない場面で急に日本語で話しかけられると、ふっと緊張が
解ける)
そのため、講演でもほとんど緊張することなく、ほぼ時間通り(50分弱)に自分の話を
終え、質疑応答も何とか無事にこなせた。
聴衆は10人ちょっとと少なかったが、東洋の歴史・宗教関係と哲学・心理学関係の
教員がほとんどで、たいへん「レベルの高い」人たちばかりであった。
はっきり言って、私の講演(日本における「スピリチュアリティ」概念と宗教的伝統)
はそう単純な話ではなく、きちんと理解してもらえるかどうかが少々不安だったので
はあるが、聴衆のレベルがたいへん高く、みな本当に集中して聴いてくれている
ということは話している間にも感じとれたので、とても話しやすかった。
ロンド先生や、同じく日本史(中世)が専門のシーガル先生(後述)と話したところでは、
私の話は、外国人からみたようなステレオタイプな日本の像をそのまま自画像にした
かのような日本人の自文化紹介(日本のことを知らない外国人にはウケる)とはまったく
違って、上記のような話にウンザリしているような、日本をよく知る外国人が、これまで
うまく整理できていなかった混乱した経験に対して、「なるほど、そういうことだったのか!」
とそれを理解する枠組みを与えてくれた、とのことだった。
そもそも、私の講演内容は、たしかに「日本での現象について」語っているのだが、
実は「日本について語る」あるいは「日本を紹介する」などというのが目的ではないのだ。
つまり、「スピリチュアリティ」という現在世界的に使われている概念が、日本でどのよう
な(西洋とは違った)ニュアンスをもって語られているか、それは日本のどのような伝統や
文化的背景と関係しているのか、を語ることで、この概念がそれぞれ異なった文化的な
背景のもとでは異なった意味や働きをもっていることを示すことにあるのだ。
さすがにこのことに気づいてくれた研究者たちもいて、「あなたの話を聞いて、アメリカの
研究者は、もっとアメリカの歴史と文化的背景のなかでこの概念がどのように形成されて
きたのかについて批判的に考察する必要を感じた」と言ってくれたのには、「よくぞそれが
わかってくれた」という思いがして嬉しかった。
少し話が専門的になりすぎたが、ご勘弁ください。
さて、講演終了後は、モンゴヴェンさん宅に戻り、この夜はお宅でのディナー。
ロンド先生はご親戚の不幸があり、アナーバーまで行かなければいけないということで、
来られないのを残念がっておられたが、
イーサン・シーガル先生と奥さんのミホさん(下の写真)、彼らの娘さんでモンゴヴェン家
のケルシーちゃんと同級生のナオミちゃんがディナーに来てくれた。
驚いたのは、このシーガル先生の日本語!
先のロンド先生や、ヴァージニア大学でお世話になっているグローナー先生(このブログにも
何度か登場)も日本語は上手だが、「日本に留学されていた時にはもっと上手だったのだろ
うな・・・」とこちらに感じさせるような、いわば「最近は使っていないので少し錆び付いている」
日本語である。
それに対して、このシーガル先生の日本語は、最初の「はじめまして」からしてまったく外国人
の発音や物腰と違う。日本で育った人なのではないか、とこちらが感じるぐらいナチュラルなの
である!
実際にはシーガル先生は早稲田大学に留学はしているものの、日本での在住期間は通算でも
4年ちょっと。
奥さんが日本人なので、家の中でも日本語を話されているということもあるのだろうが、
それにしても驚異的なうまさだった。(やはり語学は才能かな・・・・・)
ここまで日本語が上手だと、「日本語がお上手ですね」などとは失礼で、とても言えたものでは
ない。
ある本に、「ネイティヴの人から「英語が上手ですね」と褒められているようでは、まだ英語修業
の序の口の段階にすぎない」と書いてあるのを読んだことがあるが、
まさにその通り ですね。
ミシガン出張記(1)-家族のかたち
昨夜、出張先のミシガンから無事帰還しました。
楽しく、かつ有意義な旅になりました。
これから3回に分けて、そのレポートをお送りします。
今回は、私を講演に呼んでくださったアン・モンゴヴェンさんのお宅に、
二夜にわたって泊めていただいた。
アメリカ人の家に泊めていただくのは、もちろんこれが初めてのことである。
(下の写真がモンゴヴェンさん宅)
モンゴヴェンさんのおうちは、
アンさんと小学校1年生になる娘さんのKelsey(ケルシー)ちゃん
の二人暮らしである。
ケルシーちゃんは中国人の養女なので、アンさんとは血はつながっていない。
今週の月曜日、ミシガン州立大学のあるイーストランシングに近いデトロイト空港から、
ミシガンフライヤーというバスに2時間ほど乗り、イーストランシングに到着すると、
この親子がバス停に迎えにきてくれていた。
前に書いたように、アンさんは2004年から2005年にかけて安倍フェローシップ
(現首相の父である安倍晋太郎氏が設立した学術交流基金)で東大に来ていたので、
当時4~5歳だったケルシーちゃんも東京で10ヶ月ほど暮らしたことがある。
ケルシーちゃんとは初対面なので、
会うなりすぐ、Hajimemashite! Do you remenber Japanese?
と尋ねてみたが、答えは(そっけなく) No !
初めて会う、わけのわからないオジサンに緊張気味のケルシーちゃんだった。
三人でそのままアラブ地中海料理のレストラン行き、夕食。
(アンさんは、私に「シャーロッツビルでは食べられない料理を食べさせてあげたい」ということで、
アラビアンレストランを選んでくれたとのことだったが、これがすこぶる美味!
詳細はまた次々回のブログにて・・・)
その後、モンゴヴェン家におじゃますることになった。
なんとリビングには、(わが家にあるものよりは少しマシな)ピアノが置いてあった。
これまでモンゴヴェンさんとは、二人が宗教学と生命倫理という共通の学問領域にまたがって
仕事をしているということで、もっぱらお互いの研究についての話をするばかりで、それ以外の
ことを話したことがないので、私がピアノを弾くということも彼女は知らなかったのであるが、
ケルシーちゃんがピアノで遊び出した(まだ始めたばかり、という程度)ので、
これはチャンス! とばかり、
「実は私もピアノを弾いていて、アメリカでも音楽の仲間ができて・・・・・」という話をする。
「えっ!? すご~い!! ぜひ聴かせて!」
ということで、ピアノを弾くことになった。
普通は、私のピアノを初めて聴いた人はビックリして(あまりにも外見とイメージがかけ離れて
いるためか?)その場に立ちつくしてしまうものだが、どうもこの親子は違ったようで、何やら
キャッキャッ言いながら、バタバタと動き回っている様子。。。。。。
(ピアノが壁にくっついているので、私が弾いている間は後ろにいる彼女たちは見えず、
何をしているのかわからなかった・・・)
一曲弾き終わって、後ろを向いたとたんにわかった。
彼女たちは、音楽に合わせて踊っていた のである!!
(もちろん下の写真は私がピアノを弾いている時の写真ではなく、
その後、カンガルーが主人公の童話、Marsupial Sueの音楽のCDに
合わせて踊った時のもの)
それから、「もう一曲弾いて! 今度はもっとゆっくりの曲!」などと二人から注文が
出る。
もちろん私もサービス精神は旺盛な方なので(笑)、うろ覚えの曲を何曲か弾く。
どんな曲を弾いても、彼女たちはそれに合わせて 踊りまくった!
今度は、ケルシーちゃんが、「マミー、サックス吹いてよ~!」とせがむ。
(これも今まで知らなかったのだが)アンさんは高校および大学時代に
バンドでサキソフォーンを吹いていたとのことで、「もう、最近は全然吹いて
ないから全然いい音でないんだけど~・・・・」と言いながら、アンさんも
サックスを取り出し、吹き始める。
今度は、子ども用のピアノの入門曲をケルシーちゃんと私が連弾!
(先生用の伴奏パートを私が弾く)
そんなこんなで、この変なトリオの即席演奏会は2時間近く続いた。
とにかく、アンさんとケルシーちゃん親子は、
なんともおもろい親子(いきなり大阪弁!)であった。
こうして、私が「アメリカ人の家に泊めてもらう初体験」を経験させてもらったのは、
いわゆる、アメリカ人の典型的な家庭(英語や英会話の教科書に出てくるような!)
ではないけれど、
これはこれでアメリカでこそあり得るような素敵な家族
という意味では、アメリカに典型的な家庭だとも言える。
(この二人を見ていて、あらためて、幸せな「家族のかたち」というのは
本当にいろいろあるものなのだなあ、と感じた)
しかしまあ、
生粋のアメリカ人女性と中国人の養女が住む家に
けったいな(?)日本人男性が泊まりに来て、
みんなでアラビア料理を食べ、ピアノとサックスで音楽を奏で、踊りまくる、
というのは、なんとも異様で前衛的な(?)光景かも。。。
また、前日まで(講演が不安で)ひどく緊張していた私もこれでいっぺんに
緊張が解け、翌日の講演にはほとんど緊張せずに平常心で臨むことが
できたのも有難かったです。
(もし前日にホテルに一人で泊まっていたりしたら、翌日の講演のことが
気になって眠れなかったかも・・・・)
講演会などのことについては、明日また書きます。
明日からミシガン
明日から3日間、ミシガン州イースト・ランシングにある
ミシガン州立大学で講演するため、出張の旅に出ます。
前に書いた友人のアン・モンゴヴェンさん が今回の講演会をアレンジしてくれました。
英語での学会発表すら、昨年10月が初めてだったぐらいで、
英語での講演などもちろん初めてであり、大いに不安ではありますが、
私程度の学者にとっては、
こういう機会は「アメリカにいてこそ」なので
(日本からわざわざ講演に呼んでもらうほどの知名度も実力もないため)、
そういう機会をいただいたことに感謝して、精一杯がんばってこようと思います。
パソコンは持って行かないので、向こうでのブログの更新はできません。
報告は帰ってからということで。
それでは、行ってきま~す!
ブラヴォー、キーシン!!!
昨夜は、ワシントンDCにあるジョン・F・ケネディ芸術センター(写真下右)
のコンサートホールで行われた、
エフゲニー・キーシンのピアノリサイタル に行ってきた。
(日本では、彼のファーストネイムは「エフゲニー」とロシア式に読むが、
アメリカではアメリカ式に「ユージェニー」と読んでいた)
とにかく「一度生で聴いてみたいピアニスト」の筆頭にいた人なので、
アメリカにいるうちに聴けるチャンスが回ってきただけでも幸運だった。
この日のプログラム(上左)は、
・シューベルト/ピアノソナタ 変ホ長調 D.568
・ベートーヴェン/自作の主題による32の変奏曲 ハ短調 作品80
(休憩)
・ブラームス/6つのピアノ小品 作品118
・ショパン/アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 作品22
というもの。
クラシックのピアノ音楽にかなり親しんだ人なら飛び上がって喜びそうな
魅力的なプログラムなのだが、最後のショパンの曲を除けば、あまり一般
的に有名な曲はなく、どちらかというと地味なプログラムに映るのではない
だろうか。
このキーシンというピアニストについてご存じない方のために一言だけ。
彼は、本物の天才である。
キーシンがピアニストとしてデビューしたのは、12歳の時。
1971年生まれなので、ちょうど私より10歳下(比べてどうする?)ということになるが、
最初、「ソ連に天才少年ピアニスト現れる!」と大々的に宣伝された際には、
当時大学院生だった私は、「ああ、またか・・・・・」程度にしか思わなかった。
というのも、クラシック演奏の世界というのはとにかく、
「才能を早く見つけて売り出す」ことにかけては他の世界の比ではないからだ。
これはもちろん皮肉をこめて言っているわけで、
実際、キーシンの数年前にも、「100年に一度の天才」などという宣伝文句の
もとに来日したギリシャ出身の13歳のピアニストのリサイタル聴きにいって、
ガックリ来たことがあるからだ。
まあ、ベートーヴェンは音大の入試でこの演奏をしたら100点がもらえるだろうと
いうような学生の模範のような演奏だったが、シューマンなどは「小学校出たばかり
のガキが、曲のことなど何もわからずに、ただ指が早く回るのが嬉しくてたまらない
ので弾いている」としか感じられなかった。。。
なので、キーシンがデビューした時も、「また同じようなものだろう・・・・・所詮12や13
のガキに、音楽を味わい深く聴かせられるわけがない・・・・」と思っていたのだ。
ところが、
キーシンの演奏をFMで聴いて、それこそ 仰天 した!
歳など関係ない。先の「天才ピアニスト」などとは似ても似つかぬ大人の音楽
を奏でる、本当の天才が現れたのだ、という思いでいっぱいだった。
そのキーシンが、今や36歳。
おそらくピアニストとしては「一つの」絶頂期にさしかかっているように思える。
昨夜の演奏も、とにかく今のキーシンの充実ぶりをいかんなく発揮した、
すばらしいものだった。
まるで(スタインウェイではなく)ベーゼンドルファーを弾いているのではないかと
思えるぐらいやわらかな音色と歌に溢れたシューベルト。
あまり演奏会では弾かれないベートーヴェンの32の変奏曲を、これほど聴かせる
演奏というのにもちょっと出会ったことがない。
ブラームスは、いわゆる「晩年の枯れたブラームス」とは違った「まだ青春をあきらめきれない
ブラームス?」というイメージであり、これらの小品の解釈としては賛否が分かれるかもしれない
が、これはこれで新鮮だ。
そして、最後のショパン。
華麗なテクニックを見せつけるだけで、得てして音楽的には「スカ」な演奏が多い曲だが、
キーシンにかかれば、もうそんなことはみじんも感じさせない。
圧倒的なテクニックだけでなく、どんな細かいフレーズにもすべてにこの曲のスピリット
を感じ取ることができる、類まれな名演であった。
会場はもう、絶叫と興奮の嵐につつまれた。
それに応えたキーシンは、
リストの「愛の夢第3番」から始まって、ベートーヴェンの「エコセイズ」まで、
なんと 8曲のアンコール を聴かせてくれたのだ!!
むかし、大阪でのリサイタルで、ある一流ピアニストが11曲アンコールを弾いた
というのをうわさに聞いたことがあるが、このピアニストの場合は、(もちろんすばらしい
ピアニストなのだが)この日は不調で、演奏中に大きなミスをして(途中で曲を忘れて
しまったらしい)、それを挽回するために11曲も弾いた、ということだったらしく、
ピアノの演奏会で8曲ものアンコールを弾く、ということは普通はあり得ない。
とにかく、私もこれまでにさまざまな名ピアニスト(リヒテル・ギレリス・ポリーニ・
アシュケナージ・ブレンデル・アルゲリッチ・ツィメルマン・ポゴレリッチなど)の演奏
を実際に生で聴いたことがあるが、昨夜のキーシンほど、会場全体を熱狂させた
演奏会というのは、はじめてのことだ!
日本と違って、演奏会の開始は午後8時だったため、
アンコールが終了したのは、なんと午後10時45分!!
それまで、ほとんどの観客は会場を後にすることもなく、合計10回にもわたる
スタンディングオベーションでキーシンのアンコールを堪能し続けたのである。
それで話は終わらない。
実は、この後で、サイン会が行われたのだ。
会場でCDを買った人には、サインがもらえるというわけで、
アンコールが終わってロビーに出ると、すでに長蛇の列。。。。。
(アンコールを全部聴かずに並んでいた人もいたようだ)
さすがに私(と女房)はこれに並ぶ気力も体力もなく、ホテルに退散した。。。
私たちが泊まったのは、会場のすぐ隣にあるウォーターゲートホテル。
(いわゆる「ウォーターゲート事件」で盗聴の舞台になったところだ)
まあ、それで有名と言うことはあるが、そう大したホテルではなく(まあ私たち
が泊まれるぐらいだから)、私たちも演奏会が終わってすぐ隣だと便利だと
いうのでこのホテルに泊まったに過ぎない。
(実際、朝食などは値段が高いわりに、ひどいものだった・・・)
そして、朝の10時ごろ、チェックアウトしようとしたところ、
後ろにいた女房が、突然「ヒャーッ!」という声を出した。
なんと、キーシンが私たちのいる横を通って、ホテルを出ようとしている
ところに遭遇したのだ!!
キーシンに付き添っていたのは年配の女性二人。
これはクラシックファンの間では有名な話だが、
キーシンはずっと、彼のお母さんと、彼の子ども時代のピアノの先生(女性)
と3人で演奏旅行をしている、と言われている。
まさにその通りの3人!!
一瞬あまりの驚きに何も反応ができなかったが、とにかくその後を
文字通り、追っかけた!
キーシンがちょうど車に乗り込もうとする直前に、胸をドキドキさせながら
(うぶな中年男!)声をかけた。
「ミスター・キーシン。昨夜の演奏会を聴きました。本当に素晴らしくて
感動しました」
「ああ、それはどうもありがとう」
なんと、あのキーシンと握手できたのです!
(そう大きな手だという感じはしなかったが、何とも言えずやわらかい、
クッションの効いた手だった!)
最後に、このブログでだけ見られるキーシンの写真を大公開!
(車の助手席からカメラを構えているこちらに向けてほほえんでくれたキーシン)
ただし、この写真のコピーや転送などはご遠慮下さるようお願いします。
なんとも 至福の二日間 でした。