平成18年のフットボール
(タイトルは、大江健三郎の小説『万延元年のフットボール』をもじっただけで、
深い意味はない)
今日は、Mさん夫妻(奥さんのOさんは韓国籍で日本生まれの日本育ち、旦那のMさんは
NOVAの英会話教師として来日中にOさんと知り合い、後に結婚)に誘われて、
ヴァージニア大学vsウェスタンミシガン大学のフットボールの試合に行ってきた。
まず、上の二枚の写真を見ていただきたい。
今日の入場者数は約59000人。
左の写真でスタジアムがオレンジ色に染まっているのがわかると思うが、
これがUVA(University of Virginia)のカラーである。
会場は完全に UVA一色!
いわば町を挙げてのお祭りで、オレンジ色のシャツを着た人たちが
町中のあらゆる所から湧いて出てきたような感じであった。
それに対して、ウェスタンミシガン大学側の応援団は、右の写真で、オレンジ色が
見当たらない一角(扇形の部分)に密集している人たちオンリーである。
数にして200人足らずであろう。
とすると、ホームチームの応援団と敵側の応援団との人数比は、
およそ 295:1 ぐらいになる!!
(甲子園球場での阪神の試合でも、ここまで極端ではないだろう)
私も女房も、フットボールを観たのは生まれて初めてで(TVでも観たことなし)、
ルールも全くわからないので、Mさん夫妻に細かく解説してもらいながら観戦。
結果は、10:17でUVAの負け。。。
高校時代はフットボールの選手としてならし、大学からオファーも来たという
Mさん(鎖骨を骨折して断念したらしいが)は、
「こんな(強くない)相手に、こんなにぶざまな試合をしているようでは、
今期は先が思いやられる・・・」
「ボクが今まで観たUVAの試合の中で、今日の試合はワーストだった。。。」
とガックリ肩を落としていた。
まあ、ぼくたちはフットボール観戦初体験がそれなりに楽しめて、
よい息抜きになった。
Mさんご夫妻、ありがとう!
由緒正しき日本食
上の写真を見ていただきたい。 わが家の今日の夕食である。
私たちが日本出国時にアメリカに持ち込んだ食材・調味料はゼロ。
(もちろん、日本にいる誰かから送ってもらったというのもゼロである)
そこで 問題。
そのような初期条件のもとで、
上記の食事を作るには、一体どれだけの食材・調味料を買い揃える必要があるか?
料理をあまり作らない人にはちょっと難しいかもしれないが、ほぼ完答に近い
正解者には、(私たちが日本に帰ってから)何かおごらせていただきます!
ちなみに、料理は
(上)サーモンの刺身、いくら、(なぜか)キャベツ
(中)左から、納豆、(何も載っていない)ただの取り皿、いんげんのあえもの
(下)左から、肉じゃが(おととい作ったものの余り)、(刺身をつける)醤油、白菜と油揚げの卵とじ
である。
ご飯とビールは画面には写っていないが、ちゃんと食卓にのぼっていることをつけ加えておこう。
こういう食事ができるようになるまでに、私たちは2週間ぐらいかかったが、この程度の小さい
町でいろいろ買い揃えていこうと思えば、相当早い方だろうと思う。
大家さんが調理道具や食器をほとんど置いていってくれたのも大きいので、もしそういうもの
まで一から買い揃えるとなれば、1ヶ月どころではすまないだろう。
シャーロッツビルには4軒ほど、日本食の食材をある程度売っているスーパーがあるが、
品揃えにはバラツキがあるので、全部こまめに回って、買い揃えていく必要がある。
(スーパーで思いがけず見つけた白菜を買った際、白菜を英語でnappa cabbageという
のを初めて知った。後で見たら、ちゃんと辞書に載っていたが)
もちろん、ここではどうやっても揃わないものもあるが、それはワシントンDCにでも
出かけた時に探してみようと思う。
ちなみに、お刺身は、West Main Marketにある魚屋さんで、二週間に一回「お刺身デー」
があり、事前に何が入るかはメールで連絡をくれるので、ほしいものと分量を書いてそれに
返信して、予約しておくことができるので、助かる。
しかし、もう一度、上の写真を見ていただきたい。
なんと 由緒正しき日本食 であろうか!!
こう思うのも、先日、大学のメインキャンパスとぼくのいる研究所との間にある
日本食レストラン(その名をTokyo Roseという、昔のキャバレーみたい)で、
お昼に、Obentou Boxなるものを食べたからかもしれない。
出てきたものは、サーモンとはまちの刺身(少なくとも、今晩うちで食べたものより
おいしいということはない)、カリフォルニアロール(寿司)、やきとり一串、
赤だし(だしが珍妙な味)、(なぜか)福神漬け、(なぜか)中華風のクラゲの酢の物
であった。
お茶(たぶんティーパックで煎れたものだろう)は有料で、上記ランチと合わせて
13ドルちょっとした。。。もう二度と行く気はしない。
この店の隣にはTaiwan GardenというChinese Restaurantがあるが、
こちらはウーロン茶飲み放題、スープ、春巻きの皮を揚げたもの、
日替わりで8種類の料理の中から選べるメインプレート(焼き飯か白飯つき)、
最後にはフォーチュンクッキーまで出てきて、4ドル62セント。
味はまあ我慢できる、という程度だが、Tokyo Roseとはまさに好対照。
それにしても、あんな珍妙な組み合わせのもの(それもまずい)を出されて、
これが日本食だと言われてもねえ・・・
「ふつうの日本食」のレストランというのは、こっちでやっても採算がとれない
のかな? あるいは。。。
エリック・J・キャッセルの講演
昨日は、またまたちょっと確率の低い出会いがあった。
これから毎水曜日の昼休みの時間(12:30~13:30)に
大学のMedical Schoolで、Medical Humanitiesの連続講演
が始まるのだが、その第1回目ということで、行ってみた。
(Medical Humanitiesというのはあまり日本にはなじみの
ない言葉かもしれないが、訳すと「医療人文学」あるいは
「医療人間学」、要するに医療を人文科学や社会科学の
観点から考える、つまり、医療を人間の営みとして、社会
との接点の中で考えるという、幅の広い学問領域の総称)
その第1回目の講演者として、ニューヨークからやってきたのは、Eric J. Cassell、「病気」ではなく
「病む人」こそが医療の核になければいけないと説く、いわゆる「全人医療」の旗手の一人である。
彼の30年近く前の著書、The Healer's Artは『癒し人のわざ』という題で日本語訳も出ている(写真)。
Medical Schoolの4年生には、これが必修の講義にもなっているようだが、聴講自由なので、会場の
ホールには200人ほどの人々が集まり、ほぼ満員。医学部の教授や大学病院の医師らしい人の姿も
ちらほら見かける。大学病院の食堂から食べ物の皿をそのまま持ち込んで、ランチを食べながら聞いて
いる医学生もいて、日本ではまず見かけぬ光景。
講演は、医師と患者のやりとりを物真似でユーモラスに表現しながら、何度も場内を爆笑させつつ、
根本の主張がきっちり印象に残る、芸達者のそれ。(日本で言うと、河合隼雄氏と徳永進氏を足して
2で割って、それをアメリカナイズしたような感じか・・・この形容で想像できますか?)
前置きが長くなったが、確率の低い話はここから。
キャッセルの本は、私が去年書いた論文(「「病いの知」の可能性」)にも引用したが、その論文の
英語版を来年にかけて書こうとしているために、訳書をアメリカにも持ってきていた。
この本も古いし、訳者である土居健郎(『甘えの構造』で有名な精神分析家)がずいぶん昔から
キャッセルのことをエッセイなどに書いていたので、まだご本人が生きている、とは思っていなかった
のである。
また、土居健郎の思想については、実は昨年、東京で行われた宗教学の国際会議のパネルで、
私が研究対象として発表したもので、実は恐れている9月末締め切り・・・の原稿という
のは、その時の発表をアレンジしたもの(になる予定)なのである!
これも何かの縁とばかり、
講演終了後、質問者の長い列に並んで、キャッセル氏に挨拶。
ぼくが自己紹介を終わらぬうちに、ぼくの手に持っている訳書(写真)に目をとめた
キャッセル氏は大喜び!!
後ろにも質問者が並んでいたので、短い話しかできなかったが、
キャッセル氏は土居本人にニューヨークで会ったということで、「彼はとってもナイスだ」
「彼の、あの・・・何て言ったっけ?、日本語で・・・えっ、「Amae」、ああ、それだ!!
あの理論は、医師と患者の関係の核にあるものをたいへん見事に表現している」と
話してくれた。
ぼくがアメリカにあの訳書を持って行ったのも、日本にいる間にし残した仕事がたまたま
土居に関するものだったのも、偶然のことだっただけに、これもまた不思議な出会い
であった。
メールの不具合
一難去ってまた一難。。。
大きなトラブルはないものの、小さいトラブルは毎日のように起こる。
今度はいきなりメールの送受信ができなくなった。
複数の人から、ご連絡いただいたが、
私のヤフーBBのアドレス(@ybb.ne.jp)では現在、メールが受け取られぬ
状態になっており、ここにメールを送っていただいてもrejectされて、
返ってくるとのこと。
【この場を借りてご連絡】
したがって、すみませんが(日本時間で13日の水曜日以降に)私に
メールを送ってrejectされた方は、アットマークの前は同じで
アットマークの後を(yahoo.co.jp)に直して、送り直していただけ
ませんでしょうか。
また、これからしばらく(復旧するまで)、私にメールを送られる方
は、@yahoo.co.jpの方か、あるいは、私のT大学のアドレスの
方にお送りいただくと、確実に届きます。
昨日、インターネットで予約したポートランド行きの飛行機の予約
確認のメールが、たぶんrejectされているので、それが一番気に
なっているのですが。。。
とにかく、ヤフーの方のサポートデスクに送ったメールの返事待ち
の状態です。
さあ、これからだ!
モンティチェロ(トマス・ジェファーソンが自らすべてを
設計した家と庭、プランテーションを含む丘の名称)
の中にある、ジェファーソンの墓である。
墓碑には「独立宣言の起草者、ヴァージニア信教
自由法の起草者、ヴァージニア大学の創立者、
トマス・ジェファーソンここに眠る」とある。
この墓碑の文言は彼の生前の指示によるらしいが、
「第3代アメリカ大統領」というのが載っていない
のが面白い。
日曜日、このモンティチェロに行ってきました。
モンティチェロのHPはこちら↓
つまり、こっちに着いてからはじめて「観光ができる」ぐらいになったということです。
万歳!
まあ今日で、到着後に必要な事務的な手続きと、基本的な買い物がほぼ完了し、
町の大まかな地理も把握できた、ということで、一応の区切りがついた感じ。
(車の売買・名義の書き換え・登録、銀行口座開設、送金方法の設定、ケーブル
TVとインターネットプロバイダの契約、新しいVisiting Scholarのための大学の
オリエンテーションとIDカードの取得、SSN(Social Security Number)の申請、
オフィスへの本等の持ち込みと整理、などなど)
あと必要なことと言えば、ヴァージニア州の運転免許の取得(国際免許証だけ
では6ヶ月しかダメ)ぐらい。もっともこれはSSNが来てからでないと試験を受け
られないので、あと2週間ぐらいは無理。
まあ、DMVに置いてある「交通のしおり」をきちんと勉強してから行けば、
筆記試験は大丈夫とのことなので、あせることもない。
これでようやく、研究のことを考えられるようになったなあ、という感じ。
今月中には、来月ポートランドであるSSSR(Society for Scientfic Study of
Religion) での発表原稿を仕上げないといけないので、そう余裕はない・・・・・
そういえば、出国前にやり残した日本の仕事があった、、、
原稿の締め切りはたしか・・・9月末 だったな、、オエッ。。。
在住日本人秋祭り
(http://www.people.virginia.edu/~yk7s/J_School/ )の
秋祭りに出かける。
シャーロッツビルに住む日本人一家の子どもが日本に帰る
時のための補習教室の集まりだが、実質的にはシャーロッ
ツビルに住む日本人(独身の人および夫婦の両方あるいは
どちらかが日本人である一家)の集まりである。
全部で100人ほど。
こんな小さな町にこんなにたくさん日本人がいるのか(!)という感じである。
(ヴァージニア大学関係者がとても多い。
私たちのように短期滞在の予定の人(いわばお客さん)は意外に少なく、かなりの期間にわたって
ここに住んでいる人や、アメリカの他の都市から移ってきた人など、いろいろだ。
国際結婚も多いので、民族的にも多種多様な人たちが集まっている。
幼稚園の一角を借りて、さまざまな食べ物(お好み焼き・かき氷・白玉ぜんざいなど)が売られ、
子どもの遊び(ヴァージニア大学の生物学教授の手作りルーレット、ヨーヨー釣りなど)、盆踊り
など、まさに日本の夏祭りである。
最後にraffleの当選発表。私たちは、5ドルで6枚の券を買ったのだが、そのうち2枚が当たり!!
一つは、(今どき必要なさそうな)和風アドレス帳だったが、もう一つは一番高いプラダのスカーフ。
女房は大喜びであった。
しまった。。。こんなところで確率の低い幸運をものにしてしまってはいけないぞ。
肝心の宝くじまで幸運はとっておかなければ・・・(^^)
確率の低い出来事
遅ればせながら、写真を添付します。
写真(上)がレッカー移動された車(左端のNissan Altima
99がわが車)。
写真(下)が、colliers towingのoffice(!)である。
海外生活初日に停電に遭うのも、二日目に車をレッカ
ー車で撤去されるのも、相当に確率の低い出来事
であるに違いないが、
その後も(すべてがトラブルというわけではないものの)
確率の低い出来事がバンバンわが身に起こっている
から不思議だ。
今日はトラブルでない方を一つ書こう。
先週の土曜日、招聘元のホスト(実践倫理&公共生活研究所の所長)
であるJames Childress先生ご夫妻に、夕食にお誘いいただき、
ダウンタウンのレストランで食事をしていたのであるが、そこで偶然、
今、私たちが住んでいる(借りている)家に2年前まで(13年間)住んでいた、
という家族に出会ったのである。
ちなみに、この家は、2年前に今の持ち主であるO氏(ヴァージニア大学の助教授で日本人。
ちょうどこの一年間、サバティカル(研究休暇)で韓国に行くため、私たちに家を貸してくれることに
なった)が買ったものである。
レストランで偶然出会ったのは、O氏の前のオーナーなのだが、なんと夫婦ともChildress先生の
教え子で、奥さんのMarciaもよく知っている一家だそうだ。なので、Childress先生夫妻は、
私たちの住所を見た際、「どこかで見覚えのある住所だな・・・」と思ったそうだが、実際に車で
家まで迎えにきてくださった際、「ああ、あの人たちの家だ」ということがわかったらしい。
それにしても、その足で行ったレストランで、その当の家族に会うとは・・・
これも相当に確率の低い出来事に違いない。
これからは、a man of low probability というのをトレードマークにするかな(笑)。
それよか、宝くじでも買った方がいいかも!
The First Two Days
8月28日13時30分過ぎ(現地時間)にシャーロッツビルに到着してから一週間。
ようやく家にもインターネットがつながり、ブログを書く余裕もできたので、渡米後初めてのご報告を。
海外生活を経験した人たちは口を揃えて「最初の一週間が大変・・・」と言う。
まさにその通り! しかし、私たちの場合は、その大変さが 強烈 だった!!
トラブルは最初の二日間に集中して起こった。
まず一日目。
夕方、家の大家さんたちと別れ、スーツケースの荷ほどきを始めようかとした途端、いきなり
停電!
だんだん外が真っ暗になっていく中、文字通りのblack out状態で、何もできず(蝋燭や懐中電灯が
どこにあるのかもわからないし、そもそも初めて入る家なので動くことすら困難。もちろん字も読め
ないし、どこに電話することもできない)。いつまで経っても電気がつかない(周りの家も)ので、
あきらめて寝ることにしたが、とてもじゃないが眠れない。。。
結局、電気が復旧したのは、それから5時間後の深夜0時ごろ。
シャーロッツビルは木が多いため、停電はよくあるそうだが、越してきたその日の夜にこういう目に
遭う確率というのはいかほどであろうか?
そして二日目。
午前中に訪れた実践倫理&公共生活研究所の環境のすばらしさに感激し、ダウンタウンに出て
おいしいランチにもありつけ、「今日は一転、いい日になりそうだ」と意気揚々と駐車場に戻ってきた
ところ、私たちの 車がない。。。。。
しかも車の中にはパスポート以外のありとあらゆる重要書類が詰まったカバンとノートパソコンが・・・
駐車場に管理人の姿は見あたらない(私たちがそこに駐めた時にもいなかった)。
何回も確認してみたが、やはり駐めた場所はそこで間違いない。。。
いくら何でも、白昼堂々車が盗まれる、などということは考えられなかったが、
ないものはない のである。
呆然としながら(ほとんどパニック・・・)、メイン通りに引き返し、見つけた警官に急を訴える。
I am stolen・・・じゃなかった(でも、気持ちとしてはまさに「私」がどこかへ盗み去られたような)、
高校英語を駆使して、I had my car stolen !
警官はけげんな顔をしながら、「駐車場の責任者に相談しろ」と繰り返すのみ。。。
しょうがないので、もう一度駐車場に戻るが、相変わらず誰もいないし、どこそこへ電話しろ
というような看板も見あたらない。
もう一度メイン通りに戻ると、警官の姿は消えていた。。。
まったく途方に暮れてしまったが、幸い、親切な人が助けてくれたおかげで、事の真相が判明!
私たちの車は、違法駐車を取り締まるColliers Towingという役所(業者?)にレッカー車で
運び去られた、ということがわかる。
何で駐車場に駐めてる車がレッカー車で持って行かれるんだ??
・・・・・・
どうもその駐車場に駐めた時に(管理人不在の場合は)、なにかカードをとってそこに記入し、
ボックスに入れておかねばならないのに、私たちがそれを怠ったためらしい。
しかも、この駐車場は、すぐ前に葬儀屋があり、その関係の車が駐めるのに迷惑にならない
よう、特に取り締まりの目が厳しいらしいということも後でわかった。
罰金(110ドル!)を払えばすぐに返してくれるというので、とにかく、タクシーで、場所を教えて
もらったcolliers towingのofficeへと向かう。
着いてビックリ! 私たちの車を含め、同じようにレッカー車で撤去されたと思われる車が数台
(中には高級車も)並んでいる空き地の奥にあった建物は、とてもofficeなどと呼べるような
代物ではなく、まさに掘っ立て小屋・・・であった。
(しっかりデジカメにおさめたが、画像のサイズを小さくする技術を未習得なので、ここに
アップできないのが残念。そのうちアップしますのでお待ちを)
というわけで、最初の二日間は、苦難の連続。。。
こちらで知り合ったいろいろな人にこの話をしたが、皆それなりにトラブルはあるものの、
ここまで強烈なのは聞いたことがない(!)とのこと。
しかし、これで厄が落ちたのか(そう信じたい)、それからは大したトラブルもなく順調。
まあ、一週間で、こうしてブログが書けるまでに日常生活が回復した、というわけです。