ブランデー事件
おととい、無事ワシントンDCから帰ってきた。
いやー、疲れました。。。
シャーロッツビルからDCへ行くのは、米子から東京に行くようなもんで
(人も多けりゃ車も多く、高いビルがいっぱい)、
まして今回初めてDCに足を踏み入れるとなれば、なおさらである。
DCの報告もいろいろしたいのであるが、それより先に、
一番ショックだった出来事について書いておく。
むかしから、暖炉のある家に住むのが
夢だっただけに、一年間とはいえ、夢が
かなって万々歳なのである。
暖炉といえば、「ブランデー」!
って勝手に私が連想しているだけだが、
私にとって、「暖炉のあるリビングのソファー
に腰掛け、ブランデーをちびちびとやりながら
くつろぐ」というのが夢だったのである。
←お前は「チビチビ」ではなく「ガブガブ」しか飲めないだろう、という突っ込みはなしね(^^;)。
さて、そろそろ冬の気配も近づいてきただけに、
暖炉があるとなれば、何はともあれブランデー、
と行きたいところだが、いかんせんこちらで蒸留酒を買うのはtoo expensiveである。
(大体日本の量販店の倍ぐらいの値段)
雰囲気を完璧にするためには、ブランデーグラスも買わねばならず、
ちょっと買うのを躊躇していた。
そんな折り、
今回DCで行われたアメリカ宗教学会に日本からやってきた友人の宗教学者
CKさんが「おみやげに」とブランデーを持ってきてくださったのである!
CKさんとは17日にDCで会い、一緒にチャイナタウンで夕食を食べたので
あるが、その翌々日にシャーロッツビルのわが家においでいただくことになって
いたため、そこではおみやげの受け渡しはなし。
後から思えば、これが間違いのもとだった・・・・・・・
翌々日の午前中、シャーロッツビルに行くための列車(11時10分発)までの
時間つぶしにと、CKさんが寄った場所がまずかった。
14St.にある「ホワイトハウス・ビジターセンター」。
ここで手荷物検査があり、あえなくブランデーは 没収(!) されてしまった
のである!!!
(DCの法律で、公共の場所には酒類を持ち込んではならない、というのが
あるらしい)
CKさんは、「これは友人宅へ持って行く大事なおみやげの品だ」「30ドル以上
したんだぞ」「中に入るのをあきらめ、このまま帰るから許してもらえないか」・・・
などと、ずいぶん粘ってくれたらしいが、
結局、It's a law. の一言で却下。。。
ブランデーの到着を待ちわびていた私の落胆ももちろんだが、
わざわざスーツケースに入れて(現在、米国行きの飛行機内には液体は持ち込めない
ため)万全を期して持ってきてくださったCKさんのお気持ちも想像して余りある。。。
今頃、ビジターセンターの係員たちは、
「今日はいいものが手に入った!」などと酒盛りをしているのだろう
と想像すると、よけい腹が立ってくる!
今後DCに行かれる方は、くれぐれもご注意を !
下が、憎っくきホワイトハウス・ビジターセンター
(私の「呪い」がはりついているのが見えますかな?)
アムトラック初体験
アムトラック(アメリカのJRみたいなもの)の列車
クレセント号の旅を楽しんだ。
左がシャーロッツビル駅の駅舎(朝7時前)。
友人から聞いた通り、アメリカで列車に乗るのは、
飛行機に乗るのと同じような感覚である。
定刻30分ぐらい前に駅に行って、荷物を預け、
(定刻通り出発するとは限らない)列車を待つ。
前回のブログを読んでくださった方には、下の二つの写真の意味がおわかりになるかもしれない。
そう、
左が、クレセント号(ニューヨーク~ワシントンDC~アトランタ~ニューオリンズ)、
右が、カーディナル号(ニューヨーク~ワシントンDC~シンシナティ~シカゴ)
に乗るためのホームへ通じるドアである。
そもそもこの二つの列車にしか、シャーロッツビルからは乗れないのだ。
で、なぜ二つのドアが分かれているかと言うと、
この二つの列車、プラットホームも線路もそれぞれ独立しているからである。
説明すると長くなるので、
以下のサイト(日本語です)をご覧になっていただきたい。
http://usarail.hmc5.com/charlottesville_jp.htm
先日書いた通り、クレセント号は1日1本、カーディナル号は2日に1本なので、
上下線合わせ、左側のドアは1日2回、右側のドアは1日1回しか開かれる
ことはない、というわけだ。
列車に乗る乗り方もずいぶん違う。
これも事前に友人から聞いていたので、あたふたせずに済んだのだが、
こちらの列車、いわゆる「指定席」ではないのだ!
(切符にはreservedとはあっても、何号車とか、席番号は書かれていない)
で、どうするかと言うと、
・列車に乗り込む時に、(バスのように)乗降口のところに駅員さんがいて
まず切符を確認する。
・乗り込んだら(どの車両に乗るかは決められており、そこのドアしか開かない)、
空いている好きな席にすわる。
・しばらくすると、車掌さんが回ってきて、切符を確認し、メモ用紙ぐらいの紙に
到着駅を書いて、荷だなの下の部分にはさんで行く。
(つまり、これで「その駅までは、この席はその人のものだよ」ということになる)
まあ、慣れれば、どうってことはないシステムであるが、
日本のシステムに慣れていると、「大丈夫かいな」と不安になる。。。
でも、座席は広くて快適!
コーチシートという普通の席だが、
オットマンなどもついており、日本のグリーン車よりいい気がする。
下が、シャーロッツビルに(運良く)定刻通り到着したクレセント号。
ワシントンDCに到着したのは、定刻より30分も早かったが。。。
アメリカの鉄道
明日からワシントンDCでアメリカ宗教学会(American Academy of Religion)が行われる。
DCは、(リッチモンドを除くと)シャーロッツビルから一番近い大都市なのだが、
まだ一度も足を踏み入れたことがない。
車で行くと大体片道3時間弱だが、行き帰りは問題なくても、DCの中心部に入ったときに
道がわからないし、駐車場の不安もある。
かと言って、列車やバスは本数が少なく、DCでたっぷり時間を使って日帰りするのは
難しい。
なので、今回はいいチャンスとばかり、
学会(5日間)に行くのを2回に分け、それぞれ観光を兼ねて、間一日はさんで、
1泊2日の小旅行をすることにした。
・明日(金曜日)の朝、列車でDCまで行って一泊し、明後日(土曜日)の夕方のバスで帰る。
・月曜日の朝に再び車でDCまで行って一泊し、火曜日の午後に帰る。
という日程。
明日の朝、乗るのはクレセント号という特急。
左の地図にある経路を見ていただければ
わかるように(クリックして大きくしてください)、
ニューヨークからニューオリンズまで延々
30時間かけて走る長距離列車である。
シャーロッツビルからワシントンDCまでは
特急で約2時間半なので、日本人なら
「通勤特急」のようなものがあるに違いない
と思いきや、それは甘い。。。
この区間を走っている列車は2本だけ。
このクレセント号はそれでも毎日運行しているものの、もう一つのカーディナル号
(ニューヨークからワシントンDC経由でシカゴまで)などは2日に1回しか運行して
いないので、
シャーロッツビル周辺では1日に1本、多い日で2本しか、
列車が走っていないのである!
(これだけ聞くと、ほとんどの日本人はすごい田舎を想像しそう・・・)
実は、私のいる研究所の裏はアムトラックの線路だし、シャーロッツビルを車で走っている
と時々線路と交差するのであるが、こっちにきて2ヵ月半、未だかつて「客車」というのには
遭遇したことがない。
そのかわり、貨物列車はたまに見かけるが、
これがすごいのなんの。。。
とにかく、バカみたいに長いのである!!
何両あるかはとても数える気がしないが、長さで言うと1kmはゆうにあるのでは
ないだろうか、、、たとえば踏切で運悪く貨物列車に遭遇した場合、待ち時間
は最長だと(先頭車両が通り過ぎてから最後尾が通り過ぎるまで)5分以上
かかる。
まあ、こんな貨物列車が走れる、というのも、客車がほとんど運行していない
から可能なわけで。
ついでに言うと、
アメリカで鉄道がいかに主たる移動手段ではないか、
を典型的に示すのが道路地図。
なんと、そこには
鉄道の線路が載っていない のである。
(道に迷ったときに、鉄道の線路が方向の手がかりになることがあるので、
これは不便)
というようなわけで、(大昔鉄道少年だった私は)
明日の「アメリカ鉄道初体験」にワクワクしているのです!
さんぱつ
こちらに来てから2ヶ月半、かなり髪が伸びてきた。
しかし、
アメリカ人のさまざまな仕事ぶりに関するこれまでの私の観察からいっても、
こちらに長く住んでいる先達の忠告からも、
アメリカの床屋に行くのは とてつもなくリスキー である、
という結論に達した。
リスクが同じ(?)なのなら、、、、、コストがかからない方がいいので、
わが女房に頼んで、刈ってもらうことにした。
女房は、いろいろなホームページを見て、素人でもできるカットの仕方を
勉強してくれたようで、
結果は たいへん上出来!(私と違って、女房は器用である)
「日本に帰っても、これで散髪代が浮く」と思わないでもないが、
行きつけの美容院のご夫婦は、家族ぐるみで付き合っている
親しい友人なので、悩ましいところだ。。。
CUSOコンサート
昨日は、Charlottesville & University Symphony Orchestra
のコンサートに行ってきた。
会場は、ヴァージニア大学の音楽学部の建物でもある
Old Cabell Hall(写真)。
このオーケストラは、いわゆるアマチュアの市民オーケス
トラだが、各楽器の首席奏者はいずれも音楽学部の先生
なので、ソロとかはなかなか上手い。
(全体としては、日本のアマチュアオーケストラの中の上
レベル、といったところか)
驚いたのは三つ。
まずはプログラム。
・ジョージ・バターワース「青柳の堤」
・ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」
(休憩)
・ドナルド・グランサム「ハイド氏の歌による幻想曲」
・ニー・ロサウロ「マリンバと弦楽オーケストラのための協奏曲」
「田園」交響曲以外の曲を知っている方はいらっしゃるかな?
バターワース(短命だったため、あまり有名でないが近年再評価されているイギリスの作曲家)
の曲は、1913年作曲。同時代のヴォーン=ウィリアムズに似た響きの曲で、マニアなら
知っているかもしれないが、後半の2曲はまず誰も知らないだろう。
こんなプログラムをアマチュアオーケストラが組む、というのは日本ではちょっと考えられない。
(「田園」だけを聴きにきたのか、前半が終わると帰ってしまった聴衆がいくらかいた)
次に驚いたのは、観客の年齢層。
まあ、クラシックの演奏会というのはどこでも年齢層が高めだが、
この演奏会はそれがとびきり高い。
まあ、平均年齢は60代半ば、ぐらいではないだろうか?
たまに出演者の友人なのか、20代の学生っぽい若者を見かけるものの、
ほとんどが高齢者。
私たちのような40代の夫婦でもちょっと「浮いてしまう」感じである。。。
次が私たちの座った席。
写真で少々わかるかもしれないが(左端に円柱の一部が映っている)、
私たちの前には 巨大な円柱・・・・・・・。
右側に座った私の席からは、指揮者より左、つまりコンサートマスターをはじめとする
第1ヴァイオリン、チェロの一部、フルート、クラリネット、ホルンの第2奏者は見えない。
(この演奏会では、第2ヴァイオリンが向かって右端、という配置)
もっとひどいのは左側に座った女房。。。
オーケストラが円柱の左側と右側に分断して視界に入り、
なんと 指揮者が見えない のである!
チケットを買うときに配置図を見ながら席を選べたが、「ここには円柱がある」とは
書いてもなかったし、販売員が助言もしてくれなかった。。。
次からこのホールに来るときは要注意(!)である。
演奏会自体の目玉は、何と言っても最後のマリンバ協奏曲。
マリンバのソロは、このオーケストラの主席ティンパニ奏者でもある
イ・ジェン・ファン。
技量も音楽性も抜群の上に、台湾出身の美人で、
とにかく 魅せる演奏 だった。
曲が終わると、聴衆は総立ちで拍手!
今日がアメリカに来て、演奏会初体験となったわけだが、このマリンバ
協奏曲のおかげで充分楽しめた(この曲の時はマリンバが見えないと
話にならないので、空いている席に移動したのは言うまでもない)。
帰りに、かねてから目をつけていたEl Pleutoというメキシコ料理屋に寄って、
満足の1日。
アジア人大集合
(シャーロッツビルから行くと)ワシントンDCのちょい手前
のFairfaxというところにある韓国系巨大スーパー、
その名は Hマート! (写真右)
ワシントンDCとヴァージニア州北部に住むアジア系住民
の間では有名なスーパーである。
いったいどこからこんなにアジア人が湧いて出てきたのかと思うほど
店内はふつうのスーパーとはまったく民族的様相を異にしている。
(首都であるDCはちょっと別にすると、大体このあたりは西海岸などとは違い、
アジア系住民の比率は少ない)
どこを見ても、アジア、アジア、アジア。
(東南アジア系の人とインド系の人はわかるが、日本人、韓国人、中国人の区別はつきにくい)
今日は、このスーパーの開店4周年の記念セールということもあってか、
ものすごい人出で、駐車場も満杯。
日本の食品企業も、紀文・伊藤園・森永乳業・ミツカン・永谷園・味の素など数社が
キャンペーンに来ており、店内ではあちこちで実演販売が行われている(下の写真)。
全部試食して回ると、なかなか豪勢なランチビュッフェになる。
韓国系スーパーということで、一番品揃えがすごいのは何と言っても
キムチ(写真下左)だが、
私たちには、シャーロッツビルでは手に入らず、ここに来る(車で約2時間半)まで買えなかった
ものがいくつかある。
・薄切り肉 (写真右) ・・・ これがないとしゃぶしゃぶやすき焼きは無理ですよね。
・カセットコンロ ・・・ やっぱりこれからの季節、鍋物ですよね。
・割り箸
などなど。
(日本のみなさんや、アメリカでも日本人の多い西海岸などにおられる人は、
「何だ、そんなものがないのか?」と意外に思われるかもしれませんが)
とにかく、
カートに入るかぎり、どっさり 買い込みましたですよ。
これからの食卓が楽しみ!!
とりあえずビール!
わが家の食卓に、ビールが上らない日というのはほとんどない。
夫婦揃ってビール好き!
疲れて帰ってきたら、とりあえずビール。
手間暇かかる食事を作っている時(私も時々)もその合間にビール。
(ワインや日本酒、焼酎を飲む時も)一杯目はとりあえずビール。
というのがわが家の日課(?)である。
日本ではほとんどエビスビールしか飲まなかったのであるが、
アメリカに来て何を飲むか、というのは大問題であった。
しかし、「郷に入っては郷に従え」ということで、とにかく
この1年間は基本的にアメリカのビールしか飲まない
という原則を立て、到着以来スーパーで売っているアメリカ産ビールを
片っ端から試してみた。
日本で買えるアメリカビールというと、バドワイザー、クアーズ、ミラー
のような全米ブランドのものだけで、総じて色も味も「薄~い」という
イメージがあるかもしれないが、アメリカは広く、州ごとにさまざまな
伝統的ビールがあって、多くのタイプのものが飲める。
というわけで、2ヶ月近く試飲(?)に明け暮れた結果、
私たちのお眼鏡にかなったものは二つ。
一つは、ボストンのSamuel Adams(Boston Lager)。
これはたいへんコクがあって、ずっしりしたビール。
もう一つが、上の写真にも使った、フィラデルフィアのYuengling
(発音は「イングリン」に近い)。
ラガーはちょっと薄めだが、Black and Tanが特にイケル。
しかもこのビールは、うれしいことにたいへん安い!
写真の4種類入り24本パックが17ドル99セント。
円に直すと、ほぼ1本(352ml)85円ぐらいである!
ということで、最近はもっぱらこのイングリンが、わが家の
「定番」に落ち着いた。
ついでに、
先日、シャーロッツビルで評判のコリアンレストランに行ったところ、
何と、その店にはビールが置いていない・・・・・
ということがわかり、唖然となった。
(他のお客も飲んでいなかったので、私たちが一見客だから
出さない、というわけではないようだ)
このお店、料理はけっこうおいしくて(しかもビールに合うもの
ばかり!)、値段も安いので、また行こうかと思うが、ビールが
ないのは、大きなマイナス。。。
(何回か行って顔を覚えてもらったら、「ビールの持ち込み」が
できるかどうか聞いてみよう、とひそかに思っている)
雨ニモマケズ?
昨日からずっと雨である。。。。。
(下左が裏側から見た大学の講堂、下右がCornerと呼ばれる大学近くの学生街)
「雨の嫌い度」を10段階に分けるとすると(数字が上がるほど雨嫌い、
「雨が好き」なんていう人は1や0を通り越してマイナスと考える)、
私は、8か9ぐらいのところにランクするように思う。
大体、
・濡れるのが嫌い(注・・・お風呂や水泳は関係ない)
・傘を持つのが嫌い
・視界の悪いのが嫌い
である。
しかし、上には上がいるもので、最初に勤めた学校にいた某教授などは、
文句なしに「雨嫌い度10」に属する人だろう。
この先生、廊下ですれ違ってこちらが会釈しても、雨の日は機嫌が悪く(ほんとうに
苦虫をかみつぶしたような顔をしている)、挨拶してくれないのである!
最初、この先生は挨拶をする時と無視する時があまりに極端なので、
原因がよくわからなかったのだが、ふとした時に彼が属する学科の学生に
その疑問をぶつけてみたところ、
「挨拶してくれない時ってのは、雨の日じゃないですか?」と。
それからしばらくこの先生の挨拶行動を観察したが(彼の定年退職までウン年間)、
雨じゃないのに無視されたことはあっても(!)、
雨の時に挨拶を返してくれたことは皆無であった。
雨嫌いもここまで行くとスゴイ!
それと、
アメリカに来て雨が降るたびに感じるのだが、
同じぐらいの強さの雨が降っている場合、
日本に比べて、傘をさしている人が少ないように思う。
車社会だからあまり傘を持ち歩く習慣がないからなのか、日本人よりも濡れる
ことに対する心理的耐性が強いのか、よくわからないが。
(どしゃ降りの時でも常にランニングしている人を見かけるのは、後者のせい
かもしれない)
こういう雨に対する意識や行動の心理学的研究というのはあるのだろうか?
(たぶんあるような気がする)
この雨の中、メインキャンパスの方に出かけた(できれば外に出たくない・・・)
のは、Medical Center Hourの講演を聴くためである。
今日の講演は、ニューヨーク大学のナーシングカレッジの教授で老年看護学の
重鎮であるMathey Mezeyによる「高齢者ケア」についてのもの。
高齢者数の増大、というと、すぐ医療費の増大という話に結びつけられがち
だが、そこには高齢者に対する医療やケアの質の問題が抜け落ちており、
高齢者のニーズに合わせた質の高いケアを提供することは、むしろ医療費
の無駄使いを抑制する効果もあるという。
メジーによれば、現在の病院のシステム自体が高齢者のニーズに適合せず、
適切なケアを行いにくい構造になっているという。
たとえば、病院の高齢患者の35%に認知障害があるにもかかわらず、その
うちの65%が(家族や医療スタッフによって)きちんと認識されていない、
というような報告がある。
(そのせいで、患者の状態に応じたコミュニケーションができず、意思疎通が
欠如するために、本来なら予防あるいは適切に処置可能な病態や症状が
そのまま悪化してしまう、というようなこともあるようだ)
また、病院の診療科ごとのタテ割り組織(日本はアメリカより数段ひどい)は、
複数の病気を同時に抱える、といったような高齢者特有の病態には対応
しにくし(それゆえいろんな科をたらい回しになって、よけい医療費がかさむ)、
高齢者医療や高齢者看護の専門スタッフも非常に少なく、そうした
専門スタッフが病院における高齢者ケアのシステム改革に関わったり、
そこでスーパーバイザー的な役割を担っているような病院はまだまだ少ない。
こうした従来の病院システムに大きな問題があり、それが質の高い高齢者ケア
を行う妨げになっているという。
(アメリカの医科大学で、老年学の講座をもっているのはたった3校しかない、
というのはちょっと驚きだった。日本は?)
講演が終わって、外に出ると、
雨はあがっていた。 \(^0^)/
Natural Bridge
昨日は、ブルーリッジ・パークウェイを南にドライブし、上のナチュラル・ブリッジに行ってきた。
ご覧の通り、巨大な岩の真ん中がぽっかり開いているのだが、
(左の写真に写っている人の背の高さで大体の想像はつくと思うが、高さ215フィート(約65.5m)、
幅90フィート(約27.4m)だそうである)、
なぜこんな奇観ができあがったのか、については諸説あって、いまだに謎らしい。
入り口に観光センターがあり、そこから階段を下って、しばらく行ったところがこのナチュラル・
ブリッジ、そしてそのまま川沿いを歩くハイキングコースを往復してほぼ1時間。
最初の階段の部分は歩かずにシャトルを利用してもよく、そこ以外はさして坂もないので、
車椅子の人も楽しめるコースである。
(私たちにとっても、観光センターで、いかにもアメリカ(!)という特大のサンドイッチを食べた
後の腹ごなしに、ちょうどいい運動であった)
はじめは、この近辺に住む原住民にしか知られていなかったようだが、その後、白人にも
知られるようになり、ワシントンやトマス・ジェファーソンがこの光景に魅せられて土地を
買ったり、近くに接待用の別荘を建てたりしたという。
今のように観光用に道が整備されていない頃、これをはじめて見た人は、「自然の驚異」
などという以上に、ある種の宗教的な感情を抱いたかもしれない。
夜はライトアップされるようで、それもさぞかし神秘的な光景だろう。
それはそうと、
この周辺には、鍾乳洞(約45分の案内ツアー)もあり、蝋人形館やおもちゃ博物館も
隣接して建てられているので、観光客は先の観光センターで最初にチケットを買う
のだが(それぞれのスポットごとに入場料がいるが、2つのスポットを組み合わせると
何ドル、3つだと何ドルというように、少し割引になる)、
大して満員というわけではないのに、このチケット売り場に長い列が。。。
原因は、チケットブースが2つしかない(あのぐらいの人出なら4つは必要)のと、
案内のチラシやセンター内の地図で、それぞれの場所への行き方の説明が
ほとんどないため、みんながチケット売り場であれこれ尋ねざるを得ず、チケット
を買う際に要らぬ時間を食うためである。
チラシを改良し、ちゃんとした案内板を目につくところに出せば済む話なので、
ちょっと日本では考えられない光景だ。
それでも誰も文句も言わず(ボソボソとは言っていても、私たちが聞き取れないだけ
かもしれないが・・・でもそんなに不機嫌そうな顔の人は見なかった)、
平然と列に並んでいるのを見ると、
またまた「やっぱアメリカやなあ・・・」といういつものつぶやき
(ため息)が出ちゃいました(笑)。
ASBH大会 in Denver
シャーロッツビル周辺は今、紅葉真っ盛りである。
どこをドライブしても美しいので、少し郊外に出て、今まで通ったことのない道に車を進めるだけで、
いろんな風景を楽しめる。
でも、忘れないうちに、
デンバーでのASBH(直訳すると「アメリカ生命倫理と人文学会」)のことを
書いておこう。
今回は、自分の発表がないので、ある意味気楽に「高見の見物」というところ。
ただ、ほぼ3日間この学会に出てみて、しみじみと実感したのは、
アメリカの生命倫理の層の厚さ であった。
もちろん、それは必ずしも(特定のテーマあるいは原理的思索における)議論の内容
の「深さ」というのではない。 日本の生命倫理における議論の中には、ここでの議論
よりずっと深いレベルのものがあることも確かだ。
しかし、
多様な研究者達が集まって、議論を組み立てていく際の「密度」というか
議論の場となるサークル自体の厚みが全然違うのである!
本の展示販売会場である。
生命倫理関係の本を多く出している出版社が
並び、最新刊の話題書から古典的概説書や事典
まで、それぞれ20%~30%引きで買う
ことができる(もちろんカード、小切手OK、
自宅やオフィスへの郵送もしてくれる)
日本の学会でも、本の展示というのはたいていあるが、「一体どこでやってたの?」
というような片隅で行われていることが多い。それとは対照的に、この展示会場は
いわば学会会場の一番メインの場所(発表が行われる各部屋を出てくると必ず通り
かかるところ)に置かれており、ここが参加者たちの第一の交流の場になっている
のだ。
めぼしい新刊をざっと見るだけでも、(翻訳書などによって)日本で紹介されている
アメリカの生命倫理文献が、いかに偏っているか(そのメインストリームの抜粋と、
ある意味極端な思想を提示して「論争を呼ぶ」ような学者の著作だけか)がわかる。
日本で語られる「アメリカを中心とする生命倫理(バイオエシックス)はこれまで
・・・・・・・・であった」などという常套句に反して、メインストリームに対抗する多種
多様な議論がすでにわんさと出てきているのである。
議論の密度の違いというのは、結局のところ、人の密度の違いから来る
ところが大きい。
最初にバイオエシックス(生命倫理)という学問領域が制度化されたアメリカでは、
多くの有名大学にバイオエシックスセンターがあったり、バイオエシックスを専門
とする講座やコースが設けられている。
生命倫理自体がさまざまな学問的分野を横断する学際的側面を持つがゆえに、
こうした組織やプログラムのあり方も、求心的なものではなく、いくつもの中心を
もつ多面的ネットワークとなっていることが多い。
ちなみに、今回のデンバーの学会に参加したヴァージニア大学の研究者は約10人、
それも(私のいる)実践倫理研究所の他に、教養学部の哲学・倫理学講座、医学部
の医療倫理学講座など、それぞれ異なったところから来ていた。
(生命倫理で著名な研究者がいるような大学は、大体同じような感じであった)
それともう一つ。
この学会の厳しさを象徴するのが、参加者全員に配布された下のアンケート。
(10頁にもおよぶ冊子)
ついて、そのセッションの総評だけだなく、
セッションにおける各発表者の評価を
5段階で行うことが求められる。
評価があまりにも低いと、翌年に発表を
申し込んでも却下されることがあるようだ。
日本の学会でも、大会役員や学会誌の
編集委員が、担当を決めて各部会を見回り、
(特に若手研究者の)発表の評定をしている
ことはよくあるが、
参加者全員を対象にした、ここまでオープン
なアンケートというのは、見たことがない。
私が肌で実感した、アメリカ生命倫理の議論における「層の厚さ」というのは、
人の数だけではなく、こういうシビアな相互評価を通して培われていっている
ということもあるのだろう。