ヴァージニア日記 ~初体験オジサンの日常~ -10ページ目

のだめチャ~~ン

某お気に入りサイトにて、貴重な情報を入手した。


現在日本で大ヒット中の 

TVドラマ版「のだめカンタービレ」 がネット上で

「交響情人夢」なる題にて(中国語字幕付き)観られるという。


2年ほど前、友人が教えてくれた原作の漫画にハマり、当時出ていた11巻ほどを

一気に読んで笑い転げたが、その後のストーリーは(漏れ聞くだけで)読んでいない。

(今、漫画の方は16巻ぐらいまで出ているはずだ)


女房も「のだめファン」なので、さっそく二人で観てみることに!

http://www.youtube.com/watch?v=z_kCtTGz11E



のだめTV1    のだめTV2

ほぼ原作通りのストーリーで、各自のキャラもよく描かれており、

この2日間で、計9話をたて続けに堪能した!


後で調べたところ、このTVドラマ版は、原作コミックの9巻までのストーリーを

11回に分けて放送するようなので、あと残り2回。

おそらく千秋とのだめがヨーロッパに旅立つところまでで終わるのだろう。


もともと、私はクラシック音楽が大好きだし、ピアノを弾く以外にも、

オーケストラやブラスバンドでホルンを吹いていたり、指揮をしていたこともある

ので、「のだめ」はかなりマニアックに楽しむことができる。


一般に、TVドラマにおけるクラシック音楽のシーンなどというのは、

観ていてため息の出るような(・・・)稚拙な作りのものが多いのだが、

このTVドラマはさすがにクラシックのプロの演奏家や音大関係者などが

きちんと監修しているようで、安心して観ていられる。

(演奏シーン以外のバックグラウンド・ミュージックの選択も実によく考え

抜かれてあって、ドラマの雰囲気を盛り立てている)



また、この中国製海賊版(?)、

中国語字幕なので、中国語の勉強にもなる。


先輩 は、学長

がんばってね! は 加油 


漢字を見ると、「なるほど~」と納得できるものが多い。


ちなみに、
ひとりぼっち は 一個人

(そういえば日本には『一個人』という、チョイと食や旅にうるさい

中年のおじさんを対象にした雑誌があったな)



ともかく、アメリカにいて日本のTV会社に一銭も払わずに

その番組がほとんどオンタイムで観られるというのは、

消費者としては「便利な時代になったものだ」と単純に喜べるが、

私が情報を得たブログ http://ameblo.jp/kinnokuwagatashakitazawa/

の作者であるキタザワさん(=出版界のお方)もおっしゃる通り、

著作権問題はますます深刻だなこりゃ。。。


クリスマスコンサートに出演!


Christmas Concert4

昨夜は、私のオフィスがある実践倫理研究所のちょうど真ん前にある

University Village という老人ホームで行われたクリスマス・コンサートに出演した。

(ピアノがちゃんと写ってないのでわからないかもしれないが、上の写真で皆に背中を

向けてピアノを弾いているのが私)



アメリカに来てからずっといっしょに室内楽を楽しんでいる管楽五重奏の仲間たち

(モンティチェロ・クィンテット)がここでクリスマスの曲を中心にしたコンサートをやるので、

その1曲目にピアノも混ぜてもらい、ここ2ヶ月ほど一緒に練習している

モーツァルトの「ピアノと管楽のための五重奏曲 K.452」の第1楽章を

やったのである。


交響曲やピアノ協奏曲、オペラなどにおけるモーツァルトの有名な作品ほど

一般には知られていないので、この曲をご存じの方は少ないかもしれないが、

それはもう、「珠玉の名曲」!としか言いようがない。

(聴かれたことのない方はぜひ一度CDをお聴きになることをオススメします)

この曲が出来上がった時、モーツァルトが父のレオポルドに宛てた手紙で

「今までぼくが作曲した中で最高の曲」と自慢した、というのは、

モーツァルトファンには有名な話だ。



ここで、本ブログにて初公開!

アメリカにおける私の音楽仲間たちを紹介しておく。


Christmas Concert2  

 右から


 カレンさん(クラリネット)


 ジェレミーさん(バスーン)


 クララさん(ホルン)



  Christmas Concert1



 左から

 

 ナンシーさん(フルート)


 ヤスコさん(オーボエ)






下の写真でナンシーさんがフルートを持っていないのは、

この曲にはフルートがないからである。

(そのため、上の写真でチラッと写っている通り、この曲での

ナンシーさんの役目は私の「譜めくり」であった)


一番上の写真にあるように、老人ホームの主催者側がセッティングをしたため、

ピアノが他のみんなに背を向けて弾かねばならない、というようなハメになり

(当日はリハーサルも何もなく、開始直前に集合だったため、セッティングを

しなおすのは無理であった)、大いにうろたえた。


結果、音の入りをみなで合わせなければならない箇所で、私が後ろを見たり、

合図のためにいつもより大げさに腕を振り上げたりせざるを得ず、そのせいで(?)

隣のキーを叩いてしまったりして、冷や汗をかいた・・・(^^;)。


それでも、(ぶっつけ本番としては)まずまずの演奏ができ、

終了後、聴衆(この老人ホームの入居者の方とスタッフ)のなかの何人かが、

「すばらしいピアノをありがとう」と握手しに来てくれたのは、とても嬉しかった。



私としては、

アメリカに来て以来初めて、まともなグランドピアノ(下左)が弾けたことも

すごく嬉しかったのであるが。


Christmas Concert piano Christmas Concert5

ピアノ五重奏の後は、

管楽器だけでクリスマスソングの編曲などを十数曲。(上右)

私は聴衆として、写真係として、大いに楽しませていただいた。


ちなみに、この老人ホーム、

たいへん豪華で、入居されているお年寄りたちも、

いかにも お金持ち~~~~! という人ばかりであった。


医療文芸雑誌?


Healing Muse  10月にASBH(アメリカ生命倫理学会)の大会に

 行ったとき、Medical literaly journalという

 見慣れぬ語を冠したセッションがあったので、

 ちょっと覗いてみた。


 生命倫理や医療倫理については、最近「多文化」

 ということがしきりに言われるようになったものの、

 それは概念、アプローチや議論のされ方に関する

 ことであって、問題になっているテーマそれ自体

 は、ほとんど世界(先進国)共通のものである。



なので、タイトルからだけでは一体何について議論するのか見当もつかない・・・・・というような

セッションはめったにないものだ。


この Medical literary journal (訳すと、「医療文芸雑誌」という感じ)

と総称されるような雑誌が、アメリカでは続々と創刊されつつある、ということを

そのセッションではじめて知った。


雑誌の中味を見ると、エッセイあり、闘病記あり、短編小説あり、詩あり、絵画やイラストあり、

要するに「何でもアリ」である。

投稿者は、病院その他の医療関係スタッフと患者および患者の家族たちで、

学会誌などと違い、特に投稿資格のようなものが設けられているわけではない。


上の写真は、

ニューヨークにあるサニーアップステイト医科大学のバイオエシックスセンター

が作っているHealing Muse(癒しのミューズ)という雑誌で、

この種の雑誌の中ではもっとも早く創刊され(2001年)、

後発のお手本になってきたもの。


セッションで得た知識によると、

この種の雑誌のほとんどは、もともとは医学部や大学病院などの内部の

機関誌(患者の声や医師やナースのエッセイなどを載せたもの)として

発足し、それを元にして編集に力を入れ、内容をグレードアップして

一般雑誌へと発展していったものらしい。

(それにしたがって、一般病院の待合室や他の大学などへの売り込み

作戦も展開されているようだ)


上記のHealing Museは、インターネットでも購入できるし、一部のコンテンツ

はネット上で公開されているので、興味のある方は覗いてみてください。

http://www.upstate.edu/bioethics/thehealingmuse/


で、なぜこういう雑誌が注目を集めているか、

というと、理由は簡単。


医学雑誌を中心とするような専門家による科学知の体系




実際の患者(や心ある医療者)が病いをめぐって体験する

経験的な知恵


が、あまりにも乖離している、という現状があるからだ。


前者は医師その他医療専門職を目指す学生達の専門教育の中で

体系的にたたき込まれるのに対し、後者の知恵は同じ病気や障害を

かかえる人たちのネットワークなどを除いては、これまであまり「集積」

されたり「公共化」されてこなかった、ということがある。


したがって、こうした雑誌には、

1)将来、医療者となる学生達の教育用教材

2)病いとともに生きる人たちやそれを援助する医療者たちによる

  それぞれの経験の共有

といった役割が期待されているようだ。



ちなみに、

私が現在いるヴァージニア大学の大学病院でも、来年夏に同種の雑誌
の創刊が予定されており、編集に当たっている人は早々に当セッションで

宣伝のチラシを配りまくっていた。

(これがまた「すごい迫力のあるおばさん」だった。余談だが、日本のような

声の上ずった腰の定まらぬにいチャンねえチャンではなく、ああいう人に

街頭に立たれてチラシを配られたら、チラシ嫌いの私でも思わず受け取って

しまいそうだ・・・)

わが家のディナーへご招待

自分でいうのも何だが、

わが家は、夫婦揃って料理好きで、人をもてなすのが好きである。

              (酒好き、も書いておかないと・・・)

したがって、わが家には

「よく食べ、よく飲み、よくしゃべり、よく笑う」お客さん

(それはまさに自分のことだ(!)と思い当たる方が読者に何人かいるに違いない)

がよく訪れる。一度わが家に来ると、どうもクセになるらしく、リピーターが多い。


アメリカに来てからしばらくは、自分たちのいつものペースで料理を作るのは難しく、

人をディナーに呼ぶのは控えていたが、先月から今月にかけて本格的な来客

(日本から来た友人)もあったということで、昨夜は、こちらでお世話になっている

二組のご夫婦をご招待して、ディナー始め。


お呼びしたご夫婦のうち3人は、すでにこのブログにも登場し、うち2人は顔写真も

披露されている。


dinner1209    Mr. & Ms. Groner

左の写真、右側がKさん夫妻。

K先生は、いわずと知れたわが家のピアノの専属調律師で、電気魚を研究する生物学教授。

(このブログでは4回目のご登場になり、現在最多登場記録更新中である)

奥さんのY子さんはオーボエ吹きで、私がこちらへ来てから混ぜてもらっているアンサンブル

での音楽仲間でもある。


左側(ちょっと暗いが)、および右の写真のラブラブツーショットが、グローナーさん夫妻。

ポール・グローナー先生も当ブログにビアホールとジェラートのところで(写真なし)ご登場

いただいた。仏教学者(専門は日本と中国の中世仏教)で現在ヴァージニア大学宗教学科長

を務めておられる。

(昨夜はじめてお会いした)奥さんのシンディさんは、インドネシア音楽の専門家でガムランの

演奏家。



実は、この二組のご夫婦を一緒にお呼びしたのにはわけがある。

Kさん夫妻とグローナーさん夫妻は、むかし(10年以上前)、双方の娘さん同士が同じ先生に

ピアノを習われていた関係で、当時はよく会っておられたということをお聞きしていたからである。

(ご夫婦揃って会われるのは、ほぼ10年ぶりとのこと)


そういうこともあって、大いに話が弾み(日本語と英語のチャンポン)、

実に楽しい一夜となった。


前に書いたように私たちはアメリカで結婚15周年を迎えたが(その時にたまたまディナーに

誘っていただいたのがグローナー先生だった)、

Kさん夫妻は24年、グローナーさん夫妻は31年だとのことである。


ちなみに、昨夜のメニューは 気合い入ってます!


・前菜・・・生ハムメロン、なすのアラビアータソース、じゃがいものジェノベーゼペースト和え(下の写真)


・第1のパスタ・・・トマトとバジル、モッツァレラチーズのフェットチーネ


・野菜の特製スープ、チーズ、パン


・第2のパスタ・・・ホタテ貝柱とグリーンアスパラのタリオリーニ、サフラン風味


・メインディッシュ・・・若鶏のフリカッセ


・ケーキ(いただきもの)、コーヒー


【さて、どれが私の料理で、どれが女房の料理でしょう?】



前菜


辛さの壁

前に(11月9日)、雨に濡れることに対する耐性が日本人とアメリカ人では違うのではないか、

などと書いたが、


食べ物の味覚(甘・辛・苦・酸)や香り(匂い)、食感などについても

個人差はもちろん、文化差も大きいのは言うまでもない。


とりわけ 辛さ についてはその差が激しいように思う。

私の知人には、

ククレカレーの甘口ですら「辛くて食べられない」というような人(れっきとした大人の男性)

もいれば、

「辛さに挑戦!」のえせカレー屋の20倍カレー(実はタバスコが大量に入っていただけ

だったりする)でも、水も飲まずにペロッと食べてしまうような人もいる。


いずれにせよ、人それぞれに辛さの閾値のようなものがあって、

そこまでは「(辛いけど)おいしく食べられる」が、それを越えてしまうと

そもそも「食べもの」としてのカテゴリーを超えてしまう、というか

「食べることがまるで苦行のようになってしまう!」というような

限界が存在しているようだ。  (他の味覚についても同様)


なんでも10段階で数値化するのが好きな私としては、

「辛さに対する耐性」についても1~10までのランク(数値が高い方が「辛いものOK」)

をつけてみるとすると、

私自身は・・・7か8

うちの女房は・・・5

ぐらいだと思う。


感謝祭のターキーのことを書いたときに、その日のわが家の夕食が

「四川風激辛鍋」であったことを記したが(11月24日)、実はこの激辛鍋

(おいしく食べられた)には、その前段階のストーリーがある。



激辛鍋の素  この激辛鍋のオリジナルは、左の写真の

 「老火鍋の素」(四川省重慶産)である。


 ワシントンDCの帰りに寄った韓国料理店

 のとなりの小さなアジア食料品店で見つ

 けたものだが、中国語はわからないものの、

漢字からすると何やら「賞をとった」などと

 いうことが書かれており、いかにもおいしそう

 である。


 というわけでさっそく、袋に記載されている

 分量通りの水を入れてスープを作り、鶏肉・

 エビ・野菜・マロニーなどを入れて食卓に。


 毒々しいほど真っ赤な色とスープを味見した

 時のとてつもない辛さには少々腰が引けつつ

 も、おいしそうな匂いに胸が膨らむ。




 で、思い切って、ガバッと一口。


 どひゃ~~~っ! 何じゃこりゃあーーーーっ!!

 ハ、ハ、ハ・・・ハフ・・・ハ、ハ、ハァ~ッ・・・・・・・

 (口の中が大火事)


 とてもじゃないが、食べられたものではない・・・


 お湯を足して鶏ガラスープの素を入れたり、大量に入っている唐辛子(種ごと丸々!)

 を掬って出したり、いろいろやってみたが、その辛さはどうやっても私たちが「食べもの」

 と認知できる閾値の中には入ってこない。。。

 

 女房は早々に食べるのをあきらめたが、私は最後まで苦闘!

 

 骨付きの鶏肉はまだ表面にしか辛いスープがつかないのでなんとか食べられなくは

 ないが、野菜類は(時間が経てば経つほど)スープを吸ってしまうので、

 もはや「辛い」などというレベルではなく、「勘弁してくれ~」と叫びたくなるほど。

 もう、からだ中の毛穴が開き、涙タラタラ、鼻水タラタラ・・・・

 まさに「苦行」である・・・・・


 さすがの私もここでギプアップ。。。


 食事中は、口の中の火事を少しでも抑えようとして飲んだ大量のビールと水のせいで

 お腹がふくれたような錯覚を覚えたものの、その実、ほとんど何も食べていないに等しい。

 というわけで、この日はお腹が減って眠れぬ一夜を過ごすことに。トホホ・・・・

 


 このスープを上濾しし、それをホンの薬味のようにして中華スープの中に入れて

 作ったのが、翌日(感謝祭当日)の「四川風激辛鍋(これでも相当激辛だった)」

 というわけなのでした。


 実はこの「老火鍋の素」、買ったのは、二袋。


 もう一袋は、先日わが家を訪れた友人のN君におみやげとして進呈。

 (もちろん「事情」はちゃんと説明しましたよ)

 高級ブランデーと京都の食材を持ってきてくれたN君には

 ずいぶん不釣り合い(?)なおみやげだが、

 今頃、N君が勤めるK大学の○○研究室の学生諸君が、

 被害者になっていることであろう。。。


 その姿を思い浮かべると、思わず ウヒヒ・・・と笑いが漏れる。


 P.S. 辛いものに絶対の自信をお持ちの方(10段階の10と自負される方)

      がいらしたら、是非この鍋に挑戦されてみてはいかが?

2日に1回の××

わが家のラップトップ
 こっちに来たのが8月28日。

 記録を見ると、


  9月 ・・・ 15

 10月 ・・・ 12

 11月 ・・・ 14

 

 当ブログの更新回数である。


 ほぼ、「2日に1回」のペースで更新していることになる。


 さて、ここからはご一緒に考えていただきたい。


 2日に1回、××する


 上の文章の××に、各人にとって現実味のある適当な語を入れて、

 ご想像いただくとよい。


 たとえば、

 ・2日に1回、部屋を掃除する

 ・2日に1回、フルートを練習する

 ・2日に1回、スポーツジムに汗を流しに行く

 など


 ××の中味が「自分にとって現実味のあるもの」であることが必須なのだが、

 そうしていただくと、

 「2日に1回」というペースを維持、継続するためには、

 ほぼ 「毎日××するぞ~~!」という心構え が必要だ

 ということがおわかりになるのではないかと思う。


 はじめから「2日に1回」というような気持ちでいると、

 時が経つにつれ、それが


 3日に1回  になり

 ・・・・・

 4日に1回  になり

 ・・・・・

 1週間に1回 になり  ・・・・・・・・・・・・・・・


 というのは目に見えているからだ。


 てなわけで、何が言いたいかというと、

 私は「毎日更新」を目指しておりますよ、ということ。


 そして、たとえ短いブログでも、本当に毎日更新していらっしゃる方々、

 というのを私は尊敬しちゃいますよ! ということ。


 というより、

 今日のように内容のない報告でも「1回は1回」なので、

 回数をかせいでいる、というのが本音なのだが・・・

ベストセラー読んじゃった!

異国の地にいると、日本にいる時は絶対にしないようなこと

をしてしまったりするから不思議だ。

えっ、何をした って?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・別に日本の皆様に顔向けのできないようなことはしておりません。


One More Day  「ベストセラー」 なるものを

 読んでしまったのです!


 学会でデンバーに行ったとき、デトロイトの空港で

 乗り継ぎ便を待っている間に、本屋に入ったところ

 「今月売れている本ベストテン」の第1位のところに

 知った著者の名前があったので、衝動的に買って

 しまった、というわけ。


 著者の名は、ミッチ・アルボム。

 彼が、大学時代の恩師であった社会学者モリス・

 シュワルツの死の床で受けた、生と死についての

 個人授業のことを書いた『モリー先生との火曜日』

 は日本でも翻訳されたので、ご存じの方も多い

 のではないだろうか。

 (アルボムとモリー先生のドキュメンタリーは、

 日本語訳出版を機にNHKの番組でも放映された)




 ベストセラーになっているのが、そのアルボムの新著、

"for one more day"(『もう1日だけ』)


 仕事にも結婚生活にも挫折し、自殺を試みたが死に損なった主人公(元野球選手)が、

 ほうほうの体で故郷の家にたどりついたところ、なんとそこには8年前に亡くなった母親

 が・・・! そして、その母親(幽霊?)と一緒に「もう1日」過ごす中で、主人公は

 今まで知らなかった母親の人生、その陰の仕事や少年時代の彼をいたく傷つけた

 両親の離婚の真相について知ることとなり、徐々に癒されていく。


 亡くなった大切な人がこの世にもう一度現れ、その人との限られた時間をともに過ごす

 中で、主人公が自己を再発見し、癒されていくという物語は、

 たいへんありきたりのものだ。

 (映像には格好のテーマであり、この種の映画やテレビドラマは数限りなくある)


 こういう「ありきたりのお話」を小説としてどう書くか、

 そこで作家の力が試されるのは言うまでもない。


 ミッチ・アルボムのそれは、もう お見事! としか言いようがない。

 

 別に評論などここでする気はないが、

 なまじっか、心理療法とかカウンセリングの解説書を読むぐらいなら、

 この小説を読んだ方が、「心理療法というものの本質」がずばり理解できる、

 ということだけは言っておこう。

 つまるところ、心理療法というのは、幽霊との対話を通して、「今まで生きられ

 なかった自分」をもう一度生き直す作業なのだから。


 面白いのは、この小説のところどころに挿入されている主人公と母親をめぐる

 過去のエピソード(主人公の回想)についてのいくつか章に、

Times My Mother Stood Up for Me

            (母が私の味方になってくれた時)

 Times I Did Not Stand Up forMy Mother

            (私が母の味方になってあげられなかった時)

 という題がついていることだ。


 浄土真宗の「身調べ」という行をアレンジしたと言われる

 内観療法という日本独自の心理療法があるが、そこで徹底的に要求される

 過去からの自分の両親との関係の回想(「していただいたこと」「して返したこと」

 「迷惑をかけたこと」)のことを思い起こさせる。


 まさかアルボムが日本の心理療法まで勉強して取り入れているのではない

 だろうが、人生において本当にリアルなものを表現しようと思ったら、そういう

 ある種の「仕掛け」が必要だということを彼は熟知しているのだろう。

 とにかくこの本ではアルボムのストーリーテリングの腕が冴えまくっている。


 英語はきわめて平易で、

 こんな簡単な英語でこんなに味わい深い表現ができるのか(!)という点も

 勉強になりますよ、ハイ。


アメリカでの再会

アメリカに来てちょうど3ヶ月。

こちらでの新しい人との出会いはもちろん有難いが、

日本ですでに会ったことのあるアメリカ人や、日本の友人と、アメリカの地で再会する

というのもまた格別の嬉しさがある。


デンバーでのASBH(アメリカ生命倫理学会)で、Ann Mongovenさんに再会できた

のに続き、ワシントンDCでのAAR(アメリカ宗教学会)では、William LaFleurさんに

再会することができた。


今回の渡米にあたっては、多くの方々のお世話になったが、

アメリカ人では、私のホスト(受け入れ先)になっていただいたジェイムズ・チルドレス

先生を除くと、上に挙げたお二人がキーパーソンである。



アン・モンゴヴェンさんとは、

去年(2005年)3月に東京で行われたIAHR(国際宗教学宗教史会議)世界大会で

初めてお会いした。当時、モンゴヴェンさんは臓器移植をめぐる日米の比較研究

のため、安倍フェローシップを得てVisiting Scholarとして東大に来られている最中

だったが、宗教学と生命倫理という共通の問題関心もあって話がはずんだ。

6月に再び東京でお会いした時には、アメリカに帰国される2日前というあわただしい

スケジュールの中、私の渡米計画について相談に乗っていただき、行き先の大学や

研究所に関していくつもの候補をあげて、それぞれのスタッフや研究環境の特色に

ついていろんな情報をいただいた。

チルドレス先生のいるヴァージニア大学は彼女がもっとも薦めてくれた行き先のうち

の一つで、この時にモンゴヴェンさんにお会いできなかったら、私がヴァージニアに

来ることはなかったかもしれない。


モンゴヴェンさんとデンバーで再会した際には、朝食を一緒に食べながらお互いの

現在の研究のことなどについて語り合えただけでなく、いろんな研究者に紹介していた

だいたり、今話題になっている本についてもいろいろ教えていただいた。

さらに来年の春、彼女が現在勤めるミシガン州立大学バイオエシックスセンターの

研究会に私を講師として呼ぶ計画を立ててくださっているとのことで、在米期間中に

こうした貴重な機会がいただけそうなのは、有難いかぎりだ。



一方のウィリアム・ラフルーアさんは、日本仏教思想の研究者として大変有名な方で、

日本の水子供養についての彼の著作(Liquid Life)は『水子-〈中絶〉をめぐる日本

文化の底流-」として昨年翻訳書が出たところだ。ラフルーアさんとは、去年9月に

静岡で行われた国際シンポジウムで初めてお会いしたが、私の渡米についていろ

いろ相談に乗っていただき、励ましていただいた。

実はラフルーアさんのおられるペンシルヴァニア大学も私の行き先の候補の一つ

だったのだが、私が「実はヴァージニアからもOKをもらっていて、どちらに行こうか

迷っている」と正直に告白したところ、「私は来年、日本の生命倫理についての講義

を予定しているので、あなたに来てもらいたいのは山々だが、ヴァージニアもとても

よい所だし、あなたは私に遠慮したりせずに自由に決めていいから」と、両大学の性格

の違いや私の研究にとってのそれぞれの利点などについてお話しくださったのである。


今回ワシントンDCでお会いした際も、私がこれから書こうとしている英語の論文

(「病い」論)についての概略をお聞きいただき、「それはとても重要なテーマで、ぜひ

あなたが書くべきだ」と力づけていただいた。


つくづく有難いことと思う。



また、先に(ブランデー没収事件のことで)、宗教学者のCKさんがシャーロッツビル

のわが家を訪ねてきてくれたことを書いたが、

彼が、日本からの友人の来客第1号。


今週末、来週末と続けて、第2号、第3号の友人がやってくる。

それぞれボストンおよびボルチモアでの会議に引っかけてシャーロッツビルまで

寄っていって(けっこう遠いが)くれるのだが、

今週来るN君(化学者)も、来週来るA君(社会心理学者)も、

私の高校時代の同じクラブの仲間である。

(N君は同級生、A君は一年後輩)


こういう偶然もさぞかし確率が低いことだろうが、

「有難い」という語は、文字通り「有るのが難しい=確率が低い」

ということなのだなあ、と再認識させてくれる。




ワシントン記念塔

今回のワシントンDC小旅行では、 観光は中途半端に終わった。

まあ、観光などというものは、限られた時間のなかで「あれも見たい、これも見たい」

ということで熱が入るものだが、

DCは近いし(日帰りも可能)、アメリカに滞在中にこれから何回も来るチャンスがある

(仕事もある)ので、「まあ、また次でいいか・・・」と思ってしまうからだろう。


特にDC観光の目玉である美術館・博物館の大群(スミソニアン博物館群)などは、

あまりに見るものが多すぎるので、一回に一つずつ、「今日はここを観よう」と決めて

クリアしていくのが正解に違いない(今回は、ナショナルギャラリーの西館の半分

ぐらいを回っただけで力尽きた・・・)。


Washington monument1    Washington monument2

 さて、今回の観光のメインは上の写真のワシントン記念塔。

 着工(1848年)後40年かけて一般公開された(1888年)この塔は、パリのエッフェル塔

 ができるまでは、世界一高い建物だったとのこと(現在でも、石造のものではナンバー1)。

 高さ約170mの最上階まで、エレベーター(1959年製)で登ることができるのだが、

 入場料はタダである。

 (30分ごとに時間の決められた整理券を近くのチケットキオスクで配っているが、

 ここで列をなして待つのを避けようと思うと、ネット上で予約(1人1ドル50セント)

 しておくことができる)


 最上階からの眺望は、すばらしい の一言につきる。

 例によって「きったな~い窓」越しの写真だが、下の写真でその一端は

 おわかりいただけることと思う。

 左が北側(ホワイトハウスを上から見下ろしたもの)、

 右が西側(ポトマック川に面したローマ神殿のようなジェファーソン記念館)

 の窓から見た風景である。

 view from WM1
   view from WM2

 ただ、
 眺望には大いに満足したものの、

 ちょっといやな思いもしないわけではなかった。


 一番上の左側の写真でもおわかりになると思うが、

 この塔をぐるっと取り囲む

 「これでもか~~~!!」というぐらいの星条旗の大群

 (下がその拡大写真)

 Washington monument3

 ニューヨークにある自由の女神像はフランスから寄贈されたものだから、

 まあ、この記念塔はアメリカ人にとって

 「自前で造り上げた」建国の象徴、といった意味を帯びているのだろう。


 それを誇りたい気持ちはわかる。。。


 しかし。。。。


 ある意味、ここには、いいところも悪いところも含めて

 アメリカという国、アメリカ人という国民の本質がモロに出ている

 ように思うのだ。


 その

 ・ 途方もないぐらい無邪気な善意


 ・ それと一体になった、

   厚顔無恥と他者(異文化)に対する想像力の欠如


 もちろん前者は、少なくとも個人レベルで現れる限りは、

しばしば私たちに感動を呼び起こすし(なんたる善意!)、

 それが一種の「ふところの深さ」として誤認される場合もあろう。

 (もちろん、「地獄への道は善意で敷き詰められている」

 というネストロイの名言を思い起こしはするが)


 しかし、この後者の側面は、

 この国で暮らす外国人が、日々それを感じざるを得ないもので、

 異文化にどっぷり浸かった経験のある(ごくごく少数の)アメリカ人

 以外にはけっして理解されることはないだろう、

 とひしひし感じる。

 (ちょっとしめっぽい話になってしまいました・・・)






恩赦を受けた七面鳥

昨日はThanksgiving Day(11月の第4木曜日)でお休み。

アメリカではクリスマスより盛大に祝われる祝日である。


感謝祭と言えば、ターキー(七面鳥)。

ネットで調べたところ、なんと、アメリカ人家庭の90%がこの日にはターキーを

食べるそうです! 

道理で少し前からスーパーの冷凍肉の売り場がターキーに占領され、

いつもデーンとおいてある冷凍のエビやホタテが隅っこに追いやられて

いたわけだ。。。


この習慣に対して、動物愛護団体は毎年抗議のデモを行っているようだが、

罪滅ぼしのための儀式 もちゃんと存在する。

下の写真をご覧あれ。


恩赦を受けたTurkey  ブッシュ大統領が、選ばれた1羽

 (たった1羽)の七面鳥に 

 恩赦 を与えているシーンである。


 大量に殺され、食べられる七面鳥

 に感謝をささげ、罪滅ぼしをする

 ために、トルーマン大統領の時に

 始まった恒例行事(今年で57回目)

 らしい。




この七面鳥、相当厳しい審査を経て選ばれているようで、

候補の七面鳥たちは、儀式で立派に役を務められるよう(?)、人の手で餌付けされ

(つまり人になつくように)、最終審査に残った15羽の中から、選ばれた1羽と補欠の

1羽がワシントンDCに送られるとのこと。


また、恩赦を受けたこの七面鳥はその後、ヴァージニア州のフライング・パン・パーク

という農場に送られて、悠々自適の余生(?)を過ごすらしい。

(七面鳥って何年ぐらい生きるものなのか・・・?)


しかし、

(ブロイラーの鶏と同じで)劣悪な環境に詰め込まれて大量飼育され、

短期間で無理に太らされたふつうの七面鳥に比べ、

この七面鳥はなんと おいしそう(^^;) なことか・・・



ちなみに、

昨日のわが家の夕食は、「激辛の四川風中華鍋」でした。

(ターキーは入ってません)