ヴァージニア日記 ~初体験オジサンの日常~ -5ページ目

ピアノを弾く人に100の質問(3)

51、本番の際のヘアセットやメイクはプロにやってもらっていますか。

       本番のためにヘアセットやメイクをしたことがないので。。。


52、演奏中にピアノの弦を切ったことはありますか。

       ない。


53、演奏した時のビデオ・録音・写真などがありますか。

       ある。

       先日やったコンサートの映像の一部がYou Tubeにアップ中。

       あと、その時のライブCDもできた。


54、一日の練習時間はどれくらいですか。

       1~2時間


55、練習の前後に体操をしていますか。

       いいえ。


56、練習の始めにハノンや練習曲で指の訓練をしていますか。

       普通はしない。

       何日もピアノにさわっていない時(出張の後など)や、特に指が動かないなと

       感じるときにやる程度


57、ピアノを置いている部屋の防音・除湿対策はどうしてますか。

       防音は完全ではないが、二重サッシにしていたり、廊下側のドアを厚くしたり

       して、音を漏れにくくしている。

       除湿は、特に梅雨時や夏場、部屋にいない時にときどき除湿機をかけたり、

       エアコンで除湿したりしている。


58、ピアノの楽譜は何冊ぐらい持っていますか。

       数えたことがないのでわからない(今はアメリカにいるので、数えられない)。

       たぶん50冊以上100冊未満だと思う。


59、ピアノの楽譜はピースと曲集のどちらが多いですか。

       曲集の方が多い。


60、ピアノの楽譜は国内版と輸入版のどちらが多いですか。

       半々か、少し国内版の方が多い程度


61、自分で楽譜を書くのは得意ですか。

       得意な方だと思う(速い)


62、ピアノのCDは何枚ぐらい持っていますか。

       これも数えたことがないのでわからない(今はアメリカにいるので、数えられない)。

       たぶん150枚から200枚ぐらいでは?


63、自分のCDを出したことがありますか。

       ない。


64、1年間に何回ぐらいピアノの演奏会に足を運んでいますか。

       行きたくても、ほとんど行けない(日本では地方都市在住のため、お金を払って

       まで聴きたいピアニストの演奏会は地元ではほとんどなく、大都市での演奏会に

       行こうとすると、移動時間・交通費・宿泊費などもかかってしまうため)。

       せいぜい年に1~2回行く程度(東京や関西に出張時に、たまたまいい演奏会が

       重なった時など)。


65、好きなピアニストは誰ですか。

       別格なのが、ミケランジェリとリヒテル(2人とももう故人だが)

       現役ピアニストでは、それぞれタイプの違った好きなピアニストがいるので

       なかなか絞れない。

       強いてタイプの違った3人に絞ると、シフ(特に彼のシューベルト)、ツィメルマン、

       キーシンということになるかも

       強烈な「毒」のある個性という点では、ポゴレリッチなんかも好き。


66、ピアニストのファンクラブ・後援会に入っていますか。

       いいえ。


67、.レッスンを受けてみたいピアニストは誰ですか。

       シューベルトならシフ。

       ベートーヴェンならコワセヴィッチ。

       モーツァルトならバレンボイムかピレシュに受けてみたい。


68、ピアニストの譜めくりをしたことがありますか。それは誰ですか。

       ない。


69、連弾・デュオは好きですか。

       ほとんどしたことはないが、やったらハマると思う。


70、連弾・デュオをしてみたいピアニストは誰ですか。

       シフ、ペライア、ピレシュあたり。


71、伴奏は好きですか。やったことがありますか。どんな楽器・歌でしたか。

       好きな方だと思う。 やったことがある。

       ホルンと歌(テノール)。


72、他の楽器とのアンサンブルは好きですか。やったことがありますか。どんな形態でしたか。

       好き。 やったことがある。 ピアノと管楽器の五重奏。


73、オーケストラのピアノパートをしたこと(してみたいと思ったこと)がありますか。曲目は何ですか。

       したことはない。 してみたい曲は特にない。


74、ピアノコンチェルトをしたこと(してみたいと思ったこと)がありますか。曲目は何ですか。

       アマチュアオーケストラの練習の時にピアニストの代弾きでやったことがある。

       モーツァルトの20番(ニ短調)。

       モーツァルトの(いくつかの)コンチェルトをいつかやれたらなあ・・・というのが

       (少しだけど実現可能性のある?)夢。

       あと、ベートーヴェンの1番もやってみたい。


75、共演してみたいプレイヤー・グループ・団体はありますか。

       もちろん、世界一流のオケとコンチェルトをしてみたいが。。。

       (これは、実現不可能な方の夢)


ようやく4分の3まで来た。




ピアノを弾く人に100の質問(2)

26、ホームページで自分の演奏を公開していますか。その形式は何ですか。(MIDI、MP3など)

       いいえ。


27、持っているピアノの機種は何ですか。自分で買いましたか。

       ヤマハ C3L     はい。


28、好きなピアノの機種は何ですか。その理由は何ですか。

       スタインウェイ

       ・アクションがいいので、音の粒立ちがきれい(トリルを弾くと他の楽器とは異質!)。

       ・普通は埋もれてしまうような中音域の動きがくっきりと出る。

       ・音色の変化の幅が大きい(逆にいうと、楽器それ自体の音色にはほとんど個性がない)。

       ・とりわけ(私はソフトペダルを多用するので)、ソフトペダルを踏んだ時の音色が

        何ともいえず素晴らしい。


29、これまでに弾いたことのあるピアノの機種は何ですか。

       アップライト・・・ヤマハ、カワイ、トニカ、スタインウェイ、Gulbransen

       グランド  ・・・ヤマハ、スタインウェイ、ペトロフ


30、ピアノ以外の楽器を持っていますか。それは何ですか。演奏できますか。

       ホルン、バロックリコーダー    できる。


31、電子オルガンについてどう思いますか。

       別になんとも思わない。

       同じように鍵盤がついているというだけで、ピアノとはまったく別の楽器だから。

       (何度か弾いて遊んだことはあるが)弾きたいとも思わない。


32、キーボードについてどう思いますか。

       上に同じ。


33、.好きな作曲家・嫌いな作曲家は誰ですか。

       少なくとも、ある程度名の知れた作曲家でその音楽が「嫌いだ」という人はいない。

       好きな作曲家は、多すぎて困るが、

       モーツァルト、シューベルト、ベートーヴェン、ハイドン、シューマン、ショパン、ブラームス、

       チャイコフスキー、マーラー、バルトーク、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、メシアンなど

       は「大好き」の部類に入る。

       (要するに、強いて言えばドイツ系とロシア系が特に好きで、ドビュッシーやラヴェルなど

        フランス系が「それほど好きではない」という感じかな)

       

34、得意な作曲家・苦手な作曲家は誰ですか。

       ピアノに限定すると、

       得意・・・モーツァルト・ショパン(弾ける曲に限る)

       苦手・・・バッハ


35、好きなピアノ曲・嫌いなピアノ曲は何ですか。(弾ける・弾けないに関わらず)

       もっともピアノらしい音楽(?)だと思うのは、私の場合はシューマン。

       逆に、すばらしい音楽で大好きだけれど、ピアノらしくない音楽というのは

       シューベルト(でもシューベルトのソナタのいくつかはよく弾きます)。

       シューベルトの曲(特にソナタ)はピアニストにとって恐ろしいほど弾きにくい

       ように書かれているが、華麗なピアノテクニックというのとはまったく違うので、

       音楽的に表現するためには大変な練習をしなければいけなりわりに、

       いくら練習したからと言ってピアニスティックな効果はほとんどない。。。

       

36、得意なピアノ曲・苦手なピアノ曲は何ですか。

       得意なのは、モーツァルトのソナタ、ハイドンのいくつかのソナタ、

       ショパンのマズルカ、グリーグの小品ぐらいかな。

       苦手なのは、弾かないので(笑)。

       まあ、バッハは練習はするが、人前で弾こうとは思わない。

37、ハノン・チェルニー好きですか。

       ハノンは嫌い。

       チェルニーは好きではないが、嫌いでもない。

       実際、チェルニーの30番、40番あたりを「指の練習」としてではなく、

       「音楽的に表現する」練習をすると、古典派の曲の表現の幅がウンと

       広がると思う。


38、スケール・アルペジオ・トリル・トレモロ・同音連打・二重トリル・連続オクターヴ・グリッサンドは

得意ですか。

       どれも得意ではない。 同音連打は特に苦手。


39、和音は何度まで届きますか。

       10度。


40、初見奏・伴奏付け・聴音・新曲視唱は得意ですか。

       初見はまあまあ得意な方だと思う。 伴奏も苦手ではない。

       聴音は得意。 新曲視唱というのはちょっとやったことがないのでわからない。


41、楽典はバッチリですか。

       正式に音大などで教育を受けていないので、たぶんダメだと思う。


42、アドリブは得意ですか。

       よくわからないが、やれと言われればソコソコできる(?)気がする。


43、暗譜は得意ですか。

       ピアノを習っていた時期(中学校3年まで)は得意な方だった。

       それ以降は、暗譜する必要にせまられたことがないので、わからない。

       たぶん、年齢と共に記憶力が衰えているので、「苦手」になっている

       可能性が高い。。。


44、現代音楽は得意ですか。

       いいえ。 

       ほとんど弾いたことがない(自分のテクニックのレベルで弾ける現代曲

       というのをほとんど知らないせいもあるかも・・・)。


45、作曲・編曲をしたことがありますか。既成曲の演奏よりも得意ですか。

       作曲はかつて少しやっていた。

       編曲も、いくつかやったことがある。

       (歌曲あるいは他の楽器やオーケストラの曲をピアノに編曲したことはない。

        逆にピアノ曲を、管楽器のアンサンブルなどに編曲したことはある)

       後半の問いは、ちょっと意味不明。。。

       ピアノで、自分で作った曲の演奏が、既成曲の演奏よりも不得手だったら

       ちょっとおかしいのでは(笑)。


46、DTM・MIDIデータ作成をしたことがありますか。音源・ソフトは何ですか。

入力はリアルタイム・打ち込みのどちらですか。

       いいえ。


47、自分で調律ができますか。

       いいえ。

       できたらどんなにいいか、とは思う。

       若いうちに調律を勉強しておけばよかった (これから勉強する時間はとてもない)。


48、本番に強いほうですか。それともアガリ症ですか。

       (ピアノでは)強い方だと思う。  ホルンでは弱いが。。。


49、ステージ衣装は何着ぐらい持っていますか。

       別にもっていない。

       普段着ないものでステージで着られるものといえば、タキシードと、普通の礼服ぐらいしかない。


50、プログラム用の写真をプロに撮影してもらったことがありますか。

       (リサイタルを開いたことがないので、)ない。


これでやっと半分終了。



ピアノを弾く人に100の質問(1)

ちょっと学問および仕事上の長いメールを書くことが続いたので

ブログを書く気力がありません。。。


上記のような質問コーナーを見つけたので、今日はその第1弾ということにします。

(100問もあれば、4、5回かかるかな)

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1、まずは軽く自己紹介。お名前・性別・お住まい・年齢・ご職業・家族構成などをどうぞ。

     Andy・男・アメリカ合衆国ヴァージニア州シャーロッツビル・46歳・大学教師・妻と2人


2、ピアノ歴は何年ですか。

     40年


3、演奏するジャンルは何ですか。(クラシック・ジャズ・ポピュラーなど)

     クラシック


4、ピアノを始めた理由は何ですか。

     情緒を安定させるのに効果があるかもしれないと幼稚園の先生に両親が勧められたため

        (正確にはそのためにオルガン教室に入り、その後ピアノに進んだ)


5、初めてのレッスンで使った教本は何ですか。

     バイエルの下巻


6、これまでに師事したピアノの先生は何人いますか。

     2人


7、ピアノをやめたこと(やめたいと思ったこと)がありますか。その理由は何ですか。

     小学校時代、やめたいと思ったことは何度もある。

     手首の骨折でしばらく休んでからあまり練習しなくなり上達が止まっていやに

     なったのと、「男のくせに」ピアノを習うということが格好悪いと思ったため

     

8、弾きたいのに弾けなくなったことがありますか。その理由はなんですか。

     大学時代、下宿生活をしていた期間がいくらかあり、その時は弾けなかった。

     (ただ、実家が遠いわけではなかったので、どうしても弾きたくなると実家に

      帰って弾くことはできた)


9、腱鞘炎になったことがありますか。どのくらいで治りましたか。

     いいえ。


10、指を守るために料理・裁縫・工作などの危険な作業や、バレーなどの突き指しやすいスポーツを

   避けていますか。

     いいえ。


11、現在、練習している曲は何ですか。

     ベートーヴェンの「ピアノと管楽のための五重奏曲」

     ショスタコーヴィチの「24のプレリュードとフーガ」より、ヘ短調の曲とト短調の曲

     あと、スカルラッティのソナタを数曲


12、現在もレッスンを受けていますか。月に何回ぐらいですか。

     いいえ。


13、初めての発表会はいつでしたか。演奏した曲は何ですか。

     小学校2年の時。 ランゲの「幼き流浪者」


14、これまでに発表会は何回ぐらい出ましたか。

     (音楽教室のピアノ発表会は)4回


15、発表会で大失敗したことはありますか。どんな失敗ですか。

     なし(本番には強い?)


16、コンクールに出たことはありますか。結果はどうでしたか。

     なし。

17、リサイタルを開いたことはありますか。何回ぐらいですか。

     なし。 

     自宅に親しい人を呼んでミニリサイタル(ディナー付き)を開いたことは2回あり。


18、これまでに演奏した中で一番小さい会場・一番大きい会場はどこですか。

     一番小さいのは友人の結婚パーティーのあったロシア料理のレストラン(だと思う)

     一番大きいのは、(ソロではないが)大阪厚生年金会館


19、海外で演奏したことがありますか。どこの国ですか。

     はい。 アメリカ合衆国


20、音楽系の学校を卒業しましたか。

     いいえ。


21、海外留学をしたことがありますか。どこの国ですか。

     なし。

22、講習会・公開レッスンを受けたことがありますか。

     なし。

23、ピアノを教えていますか(教えたことがありますか)。生徒は最高で何人ぐらいですか。

     いいえ。

     

24、音楽教室のグレードを持っていますか。何級ですか。

     いいえ。

25、あなたのホームページにはピアノ関連のコンテンツがありますか。

     (ブログには)ちょっとあり。


という感じです。


# まじめに事実を答えるよりお笑いを入れた方が面白いのではありますが、

   読者にピアノつながりの方も何人かいらっしゃるので、普通に答えて

   みました(but まじめに答えても笑える回答は出てくる可能性アリ・・・)。


ヘンテコ音楽人生(その4)

さて、ヘンテコ音楽人生の続きです。

今日は、私が本当の意味で「音楽」に出会った高校時代について書きます。


高校に入ってから私の音楽との関わりはぐっと多面化し、かつ深くなった。


・1年生に入学してすぐ、吹奏楽部に入部し、ホルンを吹き始めた。


・2年生になると、吹奏楽部で 指揮 をするようになった。


ためである。


中学時代にオーケストラに興味を持ち出したということを前に書いたが、

進学したS高校に吹奏楽部(ブラバン)があるということを知った私は

何かの管楽器をそこでやってみよう、と思うようになった。


楽器の候補として頭にあったのは次の3つ。

クラリネットとオーボエとホルンである。

(TVでオーケストラを聞いていて、音色が好きだったし、格好よかったため)


とはいえ、楽器の選択に悩むということはなかった。

オーボエはS高校の吹奏楽部には奏者がおらず楽器もなかったということ、

クラリネットは女子生徒ばかりであった、ということもあるが、

ちょっとした偶然も手伝って、すぐに楽器はホルンに決まった。


中学の時に2年間同じクラスだったY君という友人がいたのだが、

このY君、中学時代は音楽部で、「リコーダーの虫」と呼ばれており、

休憩時間はもっぱら一人でリコーダーを練習しているという変わった奴だった。

(いわゆる、音楽の授業など吹かされるアルト・リコーダーである。

この原型はバロック時代の縦笛なので、バッハやヘンデルのフルートソナタ

などは、リコーダーで吹く人もいる)


同じS高校に進学したY君は、はじめから「吹奏楽部に入ってホルンを吹く」と

言っていた(ちょうど3年上にY君のお兄さんがおり、彼が在校時代に吹奏楽部

の指揮をしていた、という影響もあったのだろう)。

入学式の日、さっそくY君と一緒に吹奏楽部の部室を見学に行った私は、何かの

拍子に彼と同じ「ホルン志望」と勘違いされてしまったのだ。

まあ、もともと候補の一つではあったので、それでいいか、というわけで

私は早々に入部を決め、ホルンを練習し始めることになった。


ホルン

ご存じの方もいると思うが、このホルンという楽器、ブラスバンドはもとよりオーケストラでも

演奏するのが最も難しい楽器であると言われており、中学生や高校生の吹奏楽でまともに

吹きこなせている人はきわめて稀である。

(なぜ難しいかはいくつか理由があるのだが、文章で書くと長くなるので、ここでは省略する)


はじめてこの楽器に触れてから1年の間、

私は、ほとんど一日も欠かさずにホルンを猛練習 した。


朝は8時前に部室に行って始業時まで練習、昼は3時間目と4時間目の間の休憩時間に

いわゆる「早弁」をして、昼休憩のあいだ中、ずっと練習。

放課後は一目散に部室に行って練習、合奏などが終わった後も定時制の授業がはじまる

まで残って練習。

日曜日や、試験期間中、夏休みのコンクール終了後、といった部活のない日は、

楽器を家に持ち帰って、家で練習した。


私の場合、


・ピアノをやっていたので、楽譜を読むことには何の問題もなかった

・絶対音感もあったので、自分や他人が何の音を吹いているのかは、

 音を聴くだけでわかった

・中学時代から少しずつクラシックのオーケストラ曲を聴いていたりして、

 高校になるとますますそれにノメリ込んでいった


というような、楽器演奏の技術以外の利点というのもあったと思うが、

以上のような猛練習のかいもあって、1年経ったころには、

「始めてから1年しか経っていない、などとはとても思えない」という程度

には上達することができた。



私のその後の音楽生活にとって、ホルンを始めた、というのは、

単に「できる楽器が(ピアノ以外に)一つ増えた」という以上に

決定的なこと だった、と思う。


まず、ホルンを吹き始めたことで、これまでピアノ曲やピアノ協奏曲以外には

ほとんど聴いたことがなかったクラシック音楽の曲(特にオーケストラの曲)を、

片っ端から大量に聴き出したことである。


ちょうど1学年上(当時2年生)に、吹奏楽部の指揮をしていたTさんという

先輩がいたのだが、この人は私と小学校も中学校も同じであり、中学の時

はいっしょに委員会のメンバーなどもしていたので、高校に入る前からの

顔見知りであった。

このTさんがクラシックのレコードを聴きまくっており、彼の影響も大きかった

と思う。「お前、こんな曲も聴いたことないのか!」とバカにされるのが

いやで、とにかくあらゆる曲を聴きまくった。


実際、クラシック音楽というのはいろいろ聴き出していくと、

自分の知らないいい曲がこんなにもあるのか(!)、

ということに驚き、ますますハマッテいくものである。

(当時のレコードは今のCDよりも高く、高校生にはたくさん買うのは難しかった

ので、FM放送のクラシック番組などをこまめにカセットに録音したものだ)


また、同じクラシックのオーケストラ曲を聴く、といっても自分で楽器をやる人と

そうでない人とでは、やはり「聴き方」が違ってくる。

私の場合、ホルンという楽器をやっていた、というのはかなり大きかったと思う。

ホルンはオーケストラやブラスバンドの中で、高音・中音・低音ということで言うと

「中音」(真ん中あたりの音域)を担当する楽器である。

しかも、たまにソロとかはあるものの、大抵は(高音部に現れることが多い)主旋律

ではなく、それと対になって音楽を立体化する対旋律や、和音の一部などを吹いて

いることが多い。


そうすると、いろんな楽器が同時に鳴っている中で「ホルンがその時、何を吹いている

か」ということを耳で探り当てながら聴いていく、という習慣がついてくる。

そうすると、一般には旋律に埋もれてしまいがちな、目立たない音を聞き分ける能力

もついてくるし、そういう目立たない音が実はその音楽の中でどれほど大切な働きを

しているか、ということもだんだんわかってくるのである。


しかし、そうやって、たとえばレコードでオーケストラの曲を聴きながら、耳でホルンの音を

とらえようとしても、どうしてもできない、という場合がある。。。


そういう時はどうするか?


その曲のスコア(総譜)を見てみるのである。


そうすると、ホルンが実際にどのような音を吹いているか、それが全体にどのような

音響的効果を生み出しているか、作曲家というものがいかにうまく個々の楽器の

音色を使い分けているか、などということがだんだんわかってくるのだ。


こうして、私は、


1、指揮 をしてみたい、と思うようになる。


2、小学校時代に一度まね事をしてみた作曲を、もう一度ちゃんとやってみたい、

  と思うようになる。


3、ピアノを弾く際にも、今まで旋律にばかり気をとられて十分に注意していなかった

  中音部の動きや、和音の際のそれぞれの音のバランスに注意が向くようになり、

  音楽(曲)を表現するということがどういうことか、ということに気がつき出す。


というようになっていった。


つまり、ホルンを吹くようになることで、

音楽というものがどのように作られていて、どのようにしたらそれがきちんと表現

できるのか、という(少なくともクラシック)音楽の面白さの根本にあることがら

に目覚めることができたのである。


幸運にも、高校2年生になると、指揮も作曲もする機会が与えられた。

(続きは次回)


死体はモノか?

おとといローチさんのインタビューを聞いていて考えたことの続きを書いておこう。

(少し話が難しくなるかもしれないが、できるだけ学問的な用語を避けて書こうと思う)


もちろんローチさんは生命倫理学者ではなくジャーナリストなので、彼女の本の目的は

「人間の死体が(現在アメリカで)どのように利用されているか」という現実をレポートする

ことであって、「人間は、人間の死体に対してどのように接するべきか」とか、

「人間の死体をどのように利用してはいけないか」ということを論じることではない。


とは言え、(文化的な差異の影響も含めて)

人々のある種の本能的感情を刺激する(がゆえにタブー化されることの多い)このテーマ

を扱う限り、そうした倫理的な問題を素通りするわけにもいかない。



ローチさんのインタビューで私がもっとも興味深かったのは、


「死体をこのようにさまざまに利用することが、

人間性あるいは人間という存在に対する畏敬の念を損なったり、

それをむしばんだりするのでは?」


という懸念に対して、彼女が述べたコメントであった。

(インタビューでローチさんが使ったのは、respect for humanity, respect for human beings

という言葉だったように思うが、生命倫理などでよく使われる「人間の尊厳」という言葉で

言い換えてもいいかもしれない)

ローチさんは、これに対して次のように述べた。

「もちろんそういう面があることは否定できないとは思う。ただ、「別の面も」あると思うんですよ。

たとえば、飛行機の墜落の衝撃を調べる実験に死体が使われた、としますよね。

こんなことをして、その人の人間性をrespect(尊重)していないではないか、というのはもちろん

一理あるんだけど、逆に私たちは、この人、この死体のことをrespect(尊敬)の念をもってみて

いる、ということも言えるんじゃないかなって思うんです。

だって、墜落することがわかっている飛行機に自ら乗り込んで実験台になるなんてことは、

「生きている」私たちにはとてもできない、英雄的な行為じゃあないですか!

死体は、私たちにはとてもできないことをやってのけるスーパーヒーローなんですよ!」

(うまく聞き取れた自信はないが、まあ大体以上のような意味のことをしゃべっていた)



この問題は、実はたいへん根が深い。


つまり、結局のところこれは、死体はモノなのかどうか?

(あるいは、死体をモノとして(モノのように)扱ってもよいのか?

という問いに帰するからである。


もちろん、「死体なんかただのモノにすぎない」と言い切る人がいないわけではない・・・


が、


多くの人は、「死体はモノだ」と言われると、かなりの抵抗を感じるだろう。


とは言え、私たちがすでに、死体だけでなく(生きている人の)人体やその一部(臓器など)

まぎれもなく「モノ」化し、一種の「医療資源」化している(その一部は実際に商品化され

ている)社会に生きている、ということもまた事実なのだ。


たとえば、臓器移植。。。


いくらこの医療がさまざまな美名で飾られ、カモフラージュされようとも(たとえば、「愛の医療」

「いのちの贈り物」「いのちのリレー」など)、その本質が、人体を「機械」と見なした場合に、

臓器はその(交換可能な)部品=モノであり、それを交換するという原理に基づいていること

は一目瞭然である。


逆に言えば、臓器移植という医療の本質を支えるこの観念(臓器はモノである)が、

人々にある種の嫌悪感・不快感を引き起こしてしまうために、その埋め合わせ

して、それに過剰な、人間的な意味づけを与えないと、私たちは不安なのである・・・

つまり、私たちは「臓器はモノだ」と割り切って臓器移植医療を進めることはできないので、

そこに「愛の医療」だの「いのちのリレー」だのといった意味をそこにかぶせようとするのだ。

(このことについては、もうすぐ出る『バイオテクノロジーの経済倫理学』(ナカニシヤ出版)

という本に入っている私の論考の中で、もう少し学問的な説明がなされているので、ご興味

のある方は、そちらを読んでください)



死体の利用が人間性や人間存在へのrespect(尊敬・畏敬)を失わせるか、という問題

に対するローチさんのコメントも、結局これと同じことのように私には感じられた。


つまり、「死体はスーパーヒーローだ」という言い方は、「死体はモノだ」ということを否定

しているというよりは、実は同じことの表裏 なのではないか、ということだ。

「死体はモノ」とは言い切ることができない私たちが実際に死体をモノ的に利用する

(しなければいけない?)時には、必然的に「死体」を 過剰に人間化・人格化

してしまわざるを得ない、ということである。



面白いのは、ローチさん自身、死体の利用法についての本を書いた動機として、

自分が死んだときに、死体となった自分がどのように活躍するか、

ということを想像するとわくわくした」

という風に言っていたことだ。


考えて見れば、「死体となった自分」には、今生きている自分のような意識はないであろうから、

それを「自分」だと言えるかどうかは疑問である。


にもかかわらず、そういう「自分」を想像して、

その自分の「活躍(スーパーヒーローとなった自分!)」をイメージするということ。

これもやはり、死体というものに過剰な「人格的」「主体的」意味を与える

一種の思考トリックには違いない。


このことは、ローチさんの本の副題にもよく表れている。

英語の副題は、The Curious Life of Human Cadavers(人間の死体の興味深き生活)。

(←普通の意味では、死体に「生活」はないのだから)

実は、日本語の帯についている副題(?)はもっとシャレており、

ローチさんのアプローチの本質をよく衝いた傑作であると思う。


曰く、あなたは死んだら何をしますか?


(訳者のアイデアなのか、編集者のアイデアなのかわからないが、表彰モノである!)


つまり、

死んでから、自分の遺体(あるいは、自分の家族や愛する人の遺体)に

何をされるか(?)という風に考えたら、ほとんどの人は、それを「モノのように利用される」

ことに嫌悪感や不安感を感じるに違いない。


ところが、そこに「自分」がいて、「自分が何か(世の中の役に立つことを)やっているんだ」

という風に、それを「主体化」して考えたとたん、同じ風景がなにか違ったものとして

見えてこないだろうか。


ローチさんの本が、感覚的には吐き気を起こさせても不思議のないような現場の記述に

満ちているにもかかわらず、大笑いしながら読めるのは、彼女のユーモア(たとえば、

自分が死後に医学解剖に使われるときのために、「死体についての本を書いた女」という

名刺を準備しているとか)によるところも大きいが、そういう彼女のユーモアを根本のところ

で支えているのは、こうした視線の転換だと言ってもいいように思う。


誤解しないでいただきたいが、

私はなにもそういう視線をもってこうした問題を見るべきであるとか、

あるいは逆に、そういう視線はまやかしに過ぎないからだまされてはいけない、などと

ここで言うつもりはない。


ただ、ここにもやはり、かなり文化的な差がある、という気もする。

日本人の場合、たとえば脳死臓器移植にしても、あるいは死後の献体にしても、

こういう形で、自分が「これこれこういう姿で活躍している、世の役に立っている」

ということを主にイメージする人、というのは比較的少ないのではないだろうか?


むしろ、日本人の場合、そうして問題を一人称的に主体化してイメージするよりは、

「自分の家族がそういう状況になったら、自分はどういう気持ちがするか」

あるいは逆に、

「自分がそういう状況になったときに、家族がどういう気持ちになるか」

ということを考える人の方が多いのではないだろうか?


非常に乱暴に言えば、

西洋人が、死や死後というものを徹底的に「一人称」的に「自分の事柄」として

イメージするのに対して、日本人はそれをけっこう「二人称」的に、「自分と

周りの人々との間で起こる事柄」としてイメージすることが多いのではないか?


まあ、こういうことについては、最近はいろいろ学問的な研究や議論も行われて

いるので、これ以上あまり単純な印象論をぶつべきではないだろう。


一つ面白いのは、日本語の「遺体」という言葉である。

これは「遺された身体」、つまり「遺産」などと同じく、「遺族に」遺された身体、

という意味なのだろうか?(そういうことは気にせず、普段使っているが)


英語には「死体」を表す言葉がいくつかあるが(stiff, cadaver, corpseなど)、

「遺体」に当たるような言葉は(単語1語では)ないように思う。


だとしたら、日本ではそれを単純に「死体」と言わずに「遺体」と言うことの中には

大切な意味があり、死体もまた「人と人の間」の観点から、二人称的にイメージ

されている、と言えるのかもしれない。



ミーハー学者


Mary Roach1 Mary Roach2

といっても、上の写真のきれいな女性のことではない。

この私 のことである。


写真の女性は、メアリー・ローチ(Mary Roach)さん。

2003年に書いた、"Stiff(死体)"日本語訳は『死体はみんな生きている』NHK出版)

という本がベストセラーになって注目された、カリフォルニア在住の科学ジャーナリストである。

(日本でいえば、『絶対音感』で有名になった最相葉月さんのような存在、といえば

一番近いだろうか・・・)


この本は、アメリカで人間の死体というものがどのように利用されているかについて、

さまざまな現場に乗り込んでレポートしたもの。

つまり、これまでは普通の人の目にはふれることがなかった(半ばタブー視されていた)

ような現場に自ら踏み込んでいったのである。彼女が女性であるという理由で取材や

立ち入りを拒否されたり(but なんとか粘ってそこを突破!)したこともしばしばで、

彼女が「その現場に入った初めての女性」というケースも多かったらしい。


Stiff 原書

Stiff 日本語訳

今日は、水曜日恒例のMedical Center Hourに、そのローチさんがやってきて、

インタビューが行われた(ヴァージニア・ブック・フェスティバルとの共同企画)。

やはり、「ベストセラーの著者(おまけにきれいな女性)」という威力はすごいものだ。

こんなに会場が満員なのは、ついぞ見たことがない。。。

インタビュー開始前から、壇上の彼女のもとには、本(上左)を持ってサインをもらいに

行く人があとを絶たない。

ちなみに、インタビュアーであったマーシャ・デイ・チルドレス(私のボスのチルドレス先生の

奥さん)が会場の聴衆に「みなさんのなかで、『Stiff』を読んだ人は?」と尋ねたところ、

(私を含めて)5分の4ぐらいの人が手を挙げた。

インタビュー終了後にいたってはもう、サインを求める人たちの長蛇の列 である。。。



しかし、ローチさんがサインする時に一番喜んだのは、この私 の時である。

私が一番男前だった・・・・・・・からではない。

私が持っていたのが、英語の原書ではなく、日本語の訳書(上右)だったからである。


「あなたの本の日本語訳です!」「私は日本からUVAに客員研究員として来ているところです」

「ワオーーッ!! ワンダフル!!」「いい翻訳でしたか?」

「ええ、とっても!」「すっごく面白かったです!」

「今日はあなたに会えてすっごく嬉しい!」

本当に嬉しそうにサインしてくれました。



いただいたサイン

この本の訳書が出たのは一昨年(2005年)。

出てすぐに本屋で目にして購入、あまりに面白かったので一気に読んでしまった

のを覚えている。

(ご興味をお持ちの方はぜひ読んでみられることをオススメします!)



もちろん、この本をわざわざアメリカまで持ってきたのには、わけがある。

この本に書かれている、アメリカでの死体のさまざまな利用法を読んで、

文字通りビックリしてしまったのだ。

その中には、日本では到底受け入れられないであろうような(遺族が了解

しないであろうような)ものがかなりあったからである。


たとえば、自動車の衝突実験において、たとえば助手席にこういう体格の人が

こういう角度で座っていた場合に、こういう角度からこういうスピードで車が衝突

した場合、身体のどの部分にどのような怪我を負うか、というようなことをダミー

人形ではなく、実際の死体を使ってやってみる、といったようなことだ。


かねてから日本では、臓器移植についての国民感情の違いにおける一つの

要素として、「遺体観」とでも言うべきもの、つまり、たとえ死体であれ、それを

傷つけたり、その一部を取り去ったりすることに対する感情が文化によって異なる、

ということが指摘されてきた。


それはたとえば、


・飛行機事故などで遺体がバラバラになった際、日本人の遺族の多くは、

 単にその人が亡くなったという確認だけでは満足せず、遺体のすべての

 部分がそろうことを重視し、現場を探し回ったりする。


・戦争中に海外で戦死した日本兵についても、遺骨を日本に持ち帰って

 供養するということに、(何十年後の今になっても)こだわり続けている。


・墓参りの際も、食べ物やお酒など(特に故人の好物だったもの)を供える、

 など、先祖や故人が単なる「霊的な存在」ではなく、ある種の肉体をもった

 存在であるかのようにイメージしているフシがある。


といったような現象が、西洋人にはほとんど見られないことに表れている。


というわけで、こちらで臓器移植の文化比較などの話になったときに

備えて、私はこの本をアメリカに持ってきていたのであった。


ラッキー!!

もっとも、

今日、ローチさんのインタビューを 聞いていて改めて感じたことがいくつかあるのだが、

それを書くとちょっと長くなりそうなので、続きは明日にでも。



元教え子がシャーロッツビルに!

着いたその日に数時間の停電、その翌日には駐車違反で車をレッカー移動されるなど、

のっけから低確率の出来事がバンバン起こっていた今回のアメリカ滞在。


その後も、低確率の、(といっても)嬉しい出会いはいくつも続いたが、

今回ばかりは、まさに ビックリ ! としか言いようがない。


ここ、シャーロッツビルで11年ぶりに再会を果たしたのは、下の写真の夫婦。

二人とも、(私が今のT大学医学部に転勤する前)Y高専で教えていた時の

教え子である。


KW夫妻

二人は同級生で、同じ学科(電子制御工学科)の卒業。

右が夫君のKW君。 左が奥さんのA子さんである。


KW君は、Y高専卒業後渡米し、アリゾナ大学に留学。その後、ミシガン大学大学院に

進み、勉強・研究を続けている。新しい電波望遠鏡を作るプロジェクト(私は専門外なので

よくわからないが)に関わっていることから、ここシャーロッツビルにある国立電波天文台

で研究しながら、博士論文を書くとのことで、この2月にシャーロッツビルにやってきたので

ある。


奥さんのA子さんは、Y高専卒業後、青年海外協力隊の一員としてタンザニアに派遣され、

その後日本の大学を卒業してからKW君と結婚して渡米、ミシガンではエンジニアとして

働いていたという。


彼らは、自分たちが移り住むことになったシャーロッツビルについての情報を

インターネットで検索していたところ、私のブログを発見!!

最初はもちろんそれが私だとは気づかなかったようであるが、

「宗教学・倫理学」という専門分野、Andyというペンネーム(タイトルの下を見てもらえば

おわかりの通り、uva(うば?)じゃないんです!)などを見て、「もしかしたら」と思い、

読み進んでいくと、故郷山陰の話が出てきて、「もしかどころではないかも」となり、

ついには私の写真を発見して、ビックリしたようだ!


それで、KW君がいきなり私にメールをくれたのであるが、(おそらく彼ら以上に)

私がビックリしてしまった、というわけ。


夫君のKW君については、名前は覚えていたものの、顔までは覚えていなかったが、

奥さんのA子さん(旧姓KDさん)については、名前も顔もよく覚えていた。


10年以上経っているとはいえ、彼らが私のことを覚えていても、別に不思議はない。

しかし、私がY高専に勤めていた9年間で教えた学生は、1年で5学科約200人に

もわたるので、9年間でざっと1800人!

私が担任をしていたとか、クラブの顧問をしていたという学生以外では(二人とも

それには該当しない)、10年以上経っても名前を覚えている学生

などというのはきわめて少数である。


しかも、Y高専のあるY市(T大学医学部もここにあるので、私はずっとそこに住んでいる)は、

人口13万人あまりの、山陰の小さな地方都市である。


ここシャーロッツビルも、市内だけだと約4万人、周辺地域を合わせても約15万人という

小さな街である。


「東京で教えていた教え子とニューヨークで再会する」というのとはわけが違うのだ!!


これが、一体どのくらいの 低確率の再会 であるかを考えると、

まさに気が遠くなるほどである。



夫君のKW君とは、先月に二回会ったのであるが、

奥さんのA子さんの方はミシガンでの仕事の関係で夫君より1ヶ月遅れてシャーロッツビルに

越してきたため、二人揃って会うのは、おとといの夜、わが家のディナーにおいでいただいた

時が初めてであった。


ところでこのKW君、

まあ、「いまどき、これぐらい無口な人というのがこの世にいるのだろうか!」

とこちらが思うぐらい、無口な男である。


まさに、「男は黙ってサッポロビール!」(彼はお酒を飲まないが・・・)を

絵に描いたような・・・

(ちなみにKW君はミシガンにいた頃、「シカゴマラソン完走歴」をもつランナー。

うーん、寡黙で黙々と走り続ける長距離ランナー! シブい・・・・・・


KW君と(だけ)会話していると、昔のNHKの相撲放送を思い出す。


今は(お相撲さんにかぎらず)スポーツ選手はみなよくしゃべるが、

むかしのお相撲さんというのは、とてつもなく無口な人が多く、

NHKのアナウンサーは思いっきり苦労していたものだ。

たとえば、横綱を倒して金星を挙げた若手力士にアナウンサーがインタビュー。

アナ「1敗の横綱を見事倒して金星を挙げられた○○関です。

   どうもおめでとうございます! 今のお気持ちは?」

力士「え、まあ・・・(嬉しそうな顔)」

アナ「もう、この笑顔です!」

   「○○関、今日の勝因はなんでしょう?」

力士「え、まあ・・・いつもとおなじ・・・・・」

アナ「ああ、横綱戦だからと言って特に緊張したりすることなく、平常心で

   取り組みに臨めたのがよかった、ということですね」

   「ところで、前頭2枚目という大変な位置で、これで勝ち越しまで

    あと1番になりました。これからの抱負をお聞かせ下さい」

力士「え、まあ・・・一番一番・・・・・」

アナ「あと残り5日間、一番一番がんばって大切に取っていきたい、と

   いうことです。どうもありがとうございました。○○関にお話をうかがい

   ました」


というような調子である! 


インタビューをこうやって書き起こして見ると、力士がしゃべった内容は

一行にも満たず(「え、まあ・・・」を抜くと、「いつもとおなじ」と「一番一番」

のみ)、アナウンサーがこうやって彼の言いたいことを無理矢理に補って

あげないと、そもそもインタビューが成立しないのだ。


KW君の場合も、ちょっとこれに似たところがある。

(彼の場合は「え、まあ・・・・」ではなくて、

「そうですね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

(点の長さで沈黙の時間を表現したつもり)

というのが口癖。


そんなわけで、私とうちの女房という(平均よりはかなりおしゃべりな)二人が

寄ってたかっても、KW君一人とだと、(別に楽しくないわけではないのだが)

どうしても会話がスムーズには進行しない。


でもまあ、夫婦というのはうまくできているもので、(互いを補い合うかのように)

奥さんのA子さんは、相当なおしゃべり!


おとといも、6時半にはじめたディナーなのに、気がついたら11時を過ぎている

ぐらい会話がはずんだ。


途中、A子さんがときどき、「△△さん(KW君の名前)、いかがですか?」

と夫君に話を振るのであるが、それでもニタニタ笑いながらほとんど黙っている(!)

KW君の姿がなんとも可笑しかったです。


私たちよりもずっと年上の、何十年も連れ添った仲の良いご夫婦と話をするのも

いろいろ勉強になって楽しいですが、こういう、ほほえましく、将来が楽しみな

若い夫婦と話をするのも、またいいものです。



ブログにハマッて半年以上・・・

このブログを始めてから、半年以上になる。


最初は、1年間のアメリカ滞在中の出来事、近況を日本にいる知人、友人たちに

報告するというのを目的にブログを作った。

メールだと、同じことを何回も書かないといけないというのが面倒

だと思ったのが主たる理由。

最初に書いたものをコピペすれば済むかというとそうでもなく、同じ出来事を書く

にしても、それぞれの人で興味・関心や私との関係も違うので、メールを出す相手

ごとに少し書き方を変えないといけなくなるからだ。

また、それぞれの人にどのようなことを書いたのか(書かなかったのか)も覚えて

おくのはほとんど不可能だし、向こうからの返事にまた返事を書いていったりする

と、ますます誰に何を書いたかがわからなくなり、メールを書く度に前のメールを

読み直さないといけなくなってしまう。。。


それならいっそ、報告は一括してブログでやってしてしまった方が楽だろうと

思ったのである。



ブログを書き出してみると、なかなかこれは楽しい、ということに

気がついてしまった。 というか、ハマッて しまった。


もともと文章を書くのが嫌いではないし、仕事(研究・教育)も基本的には

言葉を使って相手(研究者・読者・学生)に何かを訴えかけるという内容

のものなので、ブログを書くという作業は普段の日常生活の延長線上に

すーっと嵌った。


大体、根がおしゃべりであるし、話し出すと(書き出すと)止まらない、と

いうか、話しながら(書きながら)考えるタイプなので、

メールにしてもブログにしても、普通の人よりはどんどん長く、長くなっていく

傾向がある(^^;)。

まあ、その人個人に宛てられたメールだと、長くて鬱陶しくても読んでしまわ

ざるを得ない(?)ということはあっても、ブログなら、興味のないところは

読まなくてもいいし、飛ばし読みをしてもいいので、書く方としてもいちいち

読み手に合わせたり、気を遣ったりする必要がない、というのはいい。



とは言え、

ブログをしばらく続けていくと、いろいろ当初のもくろみとは違うことも出てきた。


・有難いことに、このブログにも一定の固定した読者というのがついた。

 (大体、毎日平均70~80人の人が読んでくださっているようだ)

 その中には、最初私が「読者」に想定していた日本の知人、友人だけでなく、

 現在アメリカに住んでいる人も日本に住んでいる人も含めて、会ったこともない

 方々もかなりいらっしゃる。逆に、このブログを通してお知り合いになれた方も

 少なくない。


・やはり、誰に読まれているかわからないので、個人宛のメールなら書けても

 ブログには書けないこと、というのはけっこうたくさんある。

 なので、ブログでアメリカ生活の報告をしているからと言って、個人メールが

 それほど減ったわけでもない。。。


・日本の知人・友人にも、「ほぼ毎回読んでくれている」ことをこちらが知っている人が

いくらかいるし、直接には知らない人でもコメントを残してくださったりして、相手の

 ブログも覗いたりすると、その人がどういう人かがある程度わかってくるので、

 単純に「不特定多数の読者」、というわけでなく、ある程度こちらに「顔の見える」

 読者層というのが、わかってきた。


・そうすると、やはり今度は「読者を楽しませてあげよう」とか「また読みたい、という気に

 させてみよう」と思うようになるので、(個人メールとはまた違った意味で)何を書くかと

 いう テーマの選定 にけっこう気を遣うようになる。

たとえば、

同じアメリカ生活のことを書くにしても、

仕事や学問の話をすると、私の専門分野に近い研究をしている友人は喜んで読む

だろうが、そうでない普通の読者には難しすぎたり、面白くなかったりする。

かと言って、たまにはそういう話も混ぜておかないと、観光や遊びの話ばかり書いて

いると、「アイツは一体何しにアメリカに行ってるんだ!?」と誤解されかねない(^^;)。

(このブログの読者には、大学の同僚や、同じ分野で私が尊敬しているような大先生も

いらっしゃいますので・・・)

アメリカでの日常生活におけるさまざまな困難や発見については、かなりの人が

興味をもって読んでくれるだろうが、これとて在米生活がけっこう長いような人には

新鮮味がなかったりする。

シャーロッツビルの街の情報などは、近辺に旅行に来る予定の人たちや引っ越して

来る人たちには大いに重宝がられるだろうが、「そんなものを書かれたって、何の役

にも立たない」とそっぽを向く人もいるだろう。


というようなわけでけっこう困るのである。


なので、いろんな話をちょこちょこと、手を変え品を変え書いていくしかない。


たぶん、このブログの特徴というのは、


・一回一回の文章が長い


・テーマがいろんなことにまたがっている

 ・・・私自身、(多趣味というのとはまた違うが)「すごく好きなこと」「人生においてすごく

   大切にしていること」というのが複数あって、けっこう一つ一つを深く究めている(?)

   ということもある。

   音楽と飲み食い(料理作りも含む)は、研究と同じぐらい私にとっては「命」の素である。

   もう一つ、「競馬」というのがあるのだが、このブログでは競馬の話はしていない。

   (ミクシイというSNSの方の日記で、主として競馬エッセイのようなものを書いているが)


それと、最近になった気づいたことだが、


読者の層が男女ほぼ均等である

 

ということ。

(これはなぜかよくわからないが、他のブログを見ると、読者が男女いずれかに偏っている

ものが多いという印象を受けるので、何か理由があるのだろうと思う)



そんなわけで、最近は「ヴァージニア日記」というブログのタイトルからはずいぶん

外れてきた感じもしないわけではないが、

やはり「ブログを書かねばならない」ということになると楽しくなくなるので、


自分の好きなことを書く! ということに徹していくと、

私の場合、こういうスタイルになっていくしかないかなあ、という感じです。



♪♪♪

「ヘンテコ音楽人生」の方も、次に必ず 続きを書かなければいけない

と思うと楽しくなくなるので、間に別のテーマをはさみながら続けていくことにします。

現在(その3)まで連載中ですが、たぶんあと3回ぐらいで完結(?)すると思います。

音楽関係の話に特に興味をもって読んでいただいている方々は、気長に

おつき合いください。




医療とマスメディア

昨日は、Medical Center Hourの講演会。

講師は、ニューヨークのホバート&ウィリアム・スミス・カレッジの教授、

Lester D. Friedman氏。

フリードマンといえば、アメリカ映画史の本もいくつか出している人で、

本を読んだことはないものの、よく見かける名前である。


そのフリードマンが、医療について 何を話すのか?


講演の題は、Docs in the Box

(直訳すると「箱の中の医師たち」ということになるが、「箱」とはここではテレビのこと。

要するに、テレビをはじめとするマスメディアの中で作られている医師や医療

イメージがいかに現実の医療場面に影響を及ぼすか、というお話であった)


    ↓ 下は、フリードマンが編集した本、"Cultural Sutures: Medicine and Media"

                            (『文化の縫い目-医療とメディア』)
Friedman編集の本















今日、TVや週刊誌には医療に関する情報があふれているばかりでなく、TVドラマや映画の

中には頻繁に病院でのシーンや、医師が登場する。中には日本でも人気のTVドラマ

「ER(緊急救命室)」をはじめとする医療ドラマのように、病院を主たる舞台として、医師や

ナースの日常を描いたものも多い。


こうした「メディアによって作られた」医療の情報は、、病気や障害について

の人々の知識だけでなく、「医療」や「医師」というものへの人々のイメージに大きな影響を与え

ている。


こうした情報の中には、現実の医療場面で私たちが遭遇する状況とはずいぶん異なっている

ものも多いのであるが、私たちが真剣に医療の問題を考えようとしたときに、それらをただの

「作り話」として無視することはできない、とフリードマンは言う。


つまり、人々の知識やイメージにマスメディアがこれほどまでに大きな影響を与えている

社会の中では、医療場面における実際の医療者と患者(やその家族)のやりとりやそこで

なさねばならない意志決定において、そうした患者(やその家族)がもっている病気や治療

についての予備知識や、彼らが抱いている医療や医師についてのイメージは、(それらが

いかに現実とかけ離れたものであろうとも)重要な働きをし、逆に現実の一部を形作る

ことが多いからである。


フリードマンが挙げてくれた例は面白かった。


たとえば、医療ドラマ(特に救急医療)でよく目にする光景として、

患者の心臓が止まった時に行う CPR(心肺蘇生法) があるが、

・現実のCPRの成功率(蘇生率)は、多く見積もっても3%程度


であるのに対し、


・TVドラマの中でCPRを施された患者の3分の2ぐらいは

 蘇生してしまう(!!)


のである。


このため、実際に患者の心臓が止まった際、医師がCPRは無駄である

と考える場面にあっても、(TVで劇的に蘇生した患者ばかりを多く見ている)

患者の家族はCPRを要求し、医師としてもそれをせざるを得ない、という

ようなことになってしまうようだ。


また、

医療ドラマなどで描かれる医師の像というのは、ステレオタイプ化されており、

たとえば、

・理想に燃え、患者を何とかして救おうとする研修医がいて、

・厳しい現実の中で自分の感情を排除することを覚え、ルーティン化した

 判断と作業に疑いをもたない中堅医師がそれに水を差し、

・多くの経験を積み、叡智を備えた老練な医師が、彼らのやりとりを見つつ、

 温かい目で若い医師たちをサポートするが、

・病院の経営スタッフは、官僚的で硬直しており、医療者たちの現実には

 目もくれようとしない

などという状況は、典型的なものだ。


このため、それまでの治療法に疑問をもっている患者やその家族が、

若い研修医に相談をもちかけて彼らの感情に訴えようとしたりして、

逆にものすごい失望を味わう(「こいつ、こんなに若いのにもう理想を

失ってやがる・・・」)、などということがよくあるようだ。



もちろん、医療ドラマなどにはそれぞれ専門的な知識をもった医師など

がアドバイザーとしてついているのが普通であるから、医学的に完全に

間違っており、極端に有害なエセ知識などはある程度チェックされている

のであろうが、いかんせんドラマはドラマであり、「正確な医療情報を

伝える」ことが目的ではなく、いかに話を面白く単純にするか、という

ことが主眼だから、まあ、こういうことも致し方ないのかもしれない。


フリードマンの主張も、

こうしたマスメディアによって作られた医療についての情報は嘘であり、

有害であるから排除せよ、というのではなく(もちろんその質を高める

努力は必要だろうが)、私たちはこうした現実をふまえて今後の医療や

医療倫理のことを考えていく必要性がある、ということに尽きるようだ。


(私が知らないだけかもしれないが)

日本ではまだ「医療とマスメディア」についてのこの種の議論が学会

などでなされたのを聞いたことがないし、そうしたテーマを扱った本格的

な本を目にしたこともない。


今後の大きな課題の一つであろうと思う。


今日はすこし堅いお話でした。


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(追記3.24)

CPRの蘇生率について、本文のデータを少々訂正しました。

最初、講演中にとった私のメモを頼りに、

・CPRによる実際の蘇生率            多くて3%程度

・TVドラマの中でのCPRによる蘇生率       3分の1

と書いたのですが、

その後、フリードマンの編集した本を読んだところ、

・CPRによる蘇生率(さまざまな医学雑誌のデータ) 2%~15%

・TVドラマの中でのCPRによる蘇生率       3分の2

とありました。


後者はたぶん講演中の私の聞き間違いなので、3分の1を3分の2に訂正。

前者は、(いくつか調べてみても大体そのぐらいの数値が妥当であり)講演

でも「3%程度」と言ったのは間違いないので、そのままにしておきました。

(15%なんていう数字を出した医学論文は、たぶんデータのサンプルが

特別なのでしょう)


どうもすみませんでした。

ブログとはいえ、こういうことはちゃんと訂正しておくべきと思いましたので。

ヘンテコ音楽人生(その3)

どこまで書いたっけ?


そうそう、小学校時代まで、でしたね。


その後、中学時代は比較的平穏というか、大した思い出が何もない時代。。。

今から思えば私にとっては潜伏期というか、外面的な自分と内面的な自分を分離

していた時代なのかもしれない。

人前では、一応他人に合わせるふりをしておく。

自分の好きなことは、あくまで自分一人になったときにやる、という感じ。


もっともこの頃、一番好きだったもの(時間をかけて探究したもの)といえば

競馬であったから、音楽とは直接関係はない。


ただ、「自分の好きなことは自分だけの楽しみにとっておけるのだ」ということ、

自分一人にさえなれば他人の目を気にせずに「自分の世界」に入れるのだ、

ということをこの時期に学んだことは、私の人生にとっては案外大きかったの

かもしれない。


幸いなことに、小学校時代と違って、音楽に関して学校で特別に何かを「させられる」

ということはなかった(クラブは卓球部だった)

本格的に音楽にのめり込んだのは高校に入ってからだとは言え、やがて自分から

音楽に手を伸ばすようになるきっかけは中学時代にはぐくまれていたとも言える。


一つはピアノに関して。

前に書いたように(同じ誕生日の人たち )、中学2年になった時にピアノの先生が

替わった。たいへん美人で褒め上手の先生だったので、レッスンが苦痛でなくなり、

家でピアノを練習する時間が増えた。

この時期にテクニック上の一つの壁を越えていなかったら、その後独学でピアノを

続けるのは、難しかっただろうと思う。


もう一つは、それと関係するが、

この時期から(少しずつではあるが)クラシック音楽のレコードを聴いたり、

テレビのクラシック番組を見るようになったことである。


小学校時代に作曲のまね事を試みた時にも、少しはレコードを聴いたが、

ピアノでソナチネアルバムのような曲を弾いている時期には、いわゆる

「クラシックの名曲」と言われるような曲は、作曲をする人のもの」で、

演奏をする自分のもの」とは思えなかった、というようなところがある。

なので、私は魅力的な向こうの世界に行くために、

いきなり「作曲をする人」になろうとしたのだ!


   (下の写真は、モーツァルトが6歳の時に作曲したと言われていた

    「メヌエット ト長調 K.1」。その後の研究によると、この作品は

    もう少し後の1764年(モーツァルト8歳)の作曲らしいと言われて

    いる)
Mozart K.1

ところが、ピアノのテクニックの習得がある段階を越えると、

いわゆる大作曲家の作曲した名曲(実際にプロのピアニストが演奏会で弾く

ような、音楽的に十分な内容のある曲)の一部は、自分でも実際に弾ける

ようになってくる。


そうすると、今まで「向こう側のもの」だったクラシックの名曲や作曲家の

世界が、ぐーんとこっちに近づいてくるわけだ。


そんなわけで、


・たとえばモーツァルトやベートーヴェン、シューベルト、ショパンといった

 自分でも少しは弾けるようになった作曲家が作った他の曲を聴いてみたい。


とか、その中で気に入った曲が見つかれば、


自分でも弾いてみたい


・今は弾けないが、どういう練習をしたらこの曲が弾けるようになるのか?


などと考えるようになってくるのである。



私の場合、レコードを聴いて一番好きだったのは、モーツァルトのいくつかの

ピアノ協奏曲であった(実際、モーツァルトの作曲したあらゆるジャンルの音楽

の中で、最もすばらしい曲が揃っているのは、ピアノ協奏曲だと思う)。


クララ・ハスキルが弾いたニ短調のピアノ協奏曲(20番)、

ロベール・カサドシュが弾いたイ長調のピアノ協奏曲(23番)

ウィルヘルム・バックハウスが弾いた変ロ長調のピアノ協奏曲(27番)


などが私の大のお気に入りであった。


そうすると、こういった協奏曲も自分で弾いてみたくなるのは言うまでもない。

もちろんオーケストラはないので、「オーケストラの部分をピアノに編曲して

2台のピアノで弾けるようにした楽譜」を買ってきて、そのオーケストラの部分と

ピアノ独奏の部分を両方自分で弾いてみたりするわけだ。

(ロマン派のピアノ協奏曲などは、ピアノの名人芸を最大限に駆使しているため

素人にはまず弾けないが、モーツァルトのピアノ協奏曲の独奏部分ぐらいなら、

モーツァルトのソナタをいくつか弾けるぐらいのテクニックを持った人であれば、

ある程度は弾ける)。


やってみると、まあ、ピアノ独奏の部分については、うまくは弾けないけれど、

ある程度その曲の「感じ」は出せるのだが、困るのはオーケストラの部分・・・・・

それをピアノに直した譜面を弾いたところで、オーケストラのあの分厚さや

個々の楽器の音色は出ないので、全然曲の雰囲気が出せないのである・・・・・


こうして、私はピアノでは表現できない「オーケストラの音楽」というものに

少しずつ興味を持ち出すことになる。


とりわけ、モーツァルトの後期のピアノ協奏曲というのは管楽器、特に

木管楽器がかなり活躍し、ピアノといろんな掛け合いを行う。

そんなわけで、私は、ピアノ以外の楽器(特にオーケストラでソロの

あるような管楽器)をやってみたい、と思うようになっていくのである。


高校に入ったのは、ちょうどそんな時だった。

(つづく)