ドクター・デス、8年ぶりに娑婆へ | ヴァージニア日記 ~初体験オジサンの日常~

ドクター・デス、8年ぶりに娑婆へ

今日は、真夏のように暑くてへばっています。。。日本はいかがでしょうか?


猛暑の中、アメリカから最新のニュースを。


日本でもよく名前を知られているミシガン州の医師、ジャック・キヴォーキアン

(写真下)が、今日8年ぶりに刑務所を出所した。79歳だそうだ。


Jack Kevorkian

上の写真にキヴォーキアン医師とともに写っているのが、彼が1989年に開発した

自殺装置「マーシトロン」である。

キヴォーキアンは、「ドクター・デス」の呼び名で呼ばれることもあるように、

末期患者の自殺権を主張し、医師による患者の自殺幇助および積極的安楽死(医師

が直接に致死薬を患者に注射するもの)の合法化を訴えるもっとも極端な運動家の

一人であり、(積極的安楽死や医師による自殺幇助を認めない)ミシガン州の州法の中、

自ら罪に問われることもいとわず、上記の「マーシトロン」を使ってこれまで100人以上

の末期患者の自殺を幇助してきたことで知られている。


その過激な発言と行動によって、末期患者の自殺権を擁護する人々からは熱狂的な支持

が寄せられる一方で、それに反対する人々からの嫌悪と反感の大きさも計り知れない。

キヴォーキアンが自殺幇助を始めた1990年には、ミシガン州には自殺幇助を禁じる法律

はなかったが、その後、そうした法律ができ(医師による自殺幇助を合法化したのはアメリ

カではオレゴン州のみ)、キヴォーキアンは1999年までに計4回裁判にかけられている。

いずれも無罪判決がくだされたのだが、キヴォーキアンはなんと、今度は自殺装置の操作

もできないALSの末期患者に、(マーシトロンを使わずに)自ら致死薬を注射する場面を

ビデオにとり、それをCBSに依頼して全米に放映させたのである!

医師による自殺幇助も禁じられているなかで、「マーシトロンすら使えない状態の人には

これ以外には道が残されていない」ということを直接世間に訴えるために、あえて自殺幇助

ならぬ積極的安楽死の実施場面を流すという、決死の行動に出たというわけだ。

(彼の弁護士も、この件については何の相談も受けなかったそうだ)


さすがにこの件では無罪は勝ち取れず、キヴォーキアンは第二級殺人罪により10年以上

25年以下の服役(同時に、統制薬品使用の罪により3年以上7年以下の服役)に処せられ

たのである。



医師による自殺幇助や積極的安楽死の是非については、あまりにも大きな問題なので、

ここで論じるつもりはない。

(生命倫理研究者としての私の立場からいうと、どちらかと言うと反対に近い)


ここでは、キヴォーキアンという一人物の思想についての感想だけを少し述べておく。

数年前に翻訳が出た際に読んだ、キヴォーキアンの本(『死を処方する』、青土社)

奇妙な読後感 についてである

『死を処方する』

この本を読んで、私はなにかチグハグだなあ・・・という印象をいだいた。


ふつう、生命倫理でいうと、「患者の自己決定権」というものは、「医師のパターナリズム」

と対立するもののように(もちろん両立しないわけではないが、双方は逆のベクトルを向いて

いる)とらえられるのが普通であるのに、キヴォーキアンの場合、「死の自己決定」をも含む

徹底した「患者の自己決定権」の思想と、ある意味時代錯誤にすら感じられる「医師=聖職

者」意識(これはやはりパターナリズムの一種だろう)が奇妙に結びついているということ。


なので、死を望む末期患者の死にあたって、自殺を積極的に介助できないということは医師の敗北

であるとか、医師が「死をコントロールする」という最大の聖なる仕事を放棄したに等しい、というよう

なキヴォーキアンの主張につながってくるわけだ。

このあたりは、積極的安楽死賛成派の人でも思わず「エッ?」という感じを抱く人がいるに違いない。

また、もう一つは、キヴォーキアンの徹底した合理主義者ぶりと、彼の人生における「なにかに憑き

動かされているような」ある種の熱狂的ロマン主義の間に、なにか違和感を感じるのだ。

(もちろん、ある人が同時にきわめて合理主義的で、きわめてロマン主義的であることはあるのだが、

キヴォーキアンの場合、彼の人格の中の両方の要素が「奇妙に合体」している、という感じがある)


私がキヴォーキアンの主張にいまいちしっくりこないのは、彼の主張そのものだけでなく、


人間の「死」という、この繊細にしてタフな現実 に向き合う時に、

・彼のあまりにも合理主義的なところは、この問題の「繊細さ」にふさわしくなく、


・彼のあまりにもロマン主義的なところは、この問題の「タフさ」にふさわしくない。


という印象を拭うことができないからでもある。


そう言えば、キヴォーキアンはプロ級の腕前をもつ
フルート奏者(クラシックもジャズも

できるらしい)としても有名で、今日の新聞記事にも、「しばらくは、刑務所の中でできなか

ったこと(音楽活動)などをゆっくり楽しみたい」という意向が書かれていた。