チルドレス先生との出会い(1) | ヴァージニア日記 ~初体験オジサンの日常~

チルドレス先生との出会い(1)

今日から3回ほどにわけて、私のボス、ジェイムズ・チルドレス先生について紹介します。

チルドレス先生は、(たいへん若く見えるが)1936年生まれなので、今年で71歳。

少しでも生命倫理や医療倫理に関わったことのある人なら、世界中でその名前を

知らない人はまずいないであろう、生命倫理学界の大御所 の一人である。

1970年代はじめ、後に「バイオエシックス(生命倫理学)」と呼ばれる学問が産声

を上げはじめた頃からこの新しい分野での議論を先導してきたパイオニアとして、

研究者としても、生命倫理に関する国家委員会などの委員としてもたいへんな

業績を上げ、重責を果たしてこられた方だが、何といっても彼の名が最も知れ渡って

いるのは、1冊の本の共著者としてである。

Principles of Biomedical Ethics 生命医学倫理

その本とは、チルドレス先生と彼の友人でイェール大学の同級生であるトム・ビーチャムと
の共著
Principles of Biomedical Ethics (直訳すると『生命医学倫理の諸原則』)

のこと(写真上左)。


この本は、1979年にその最初の版が出版されて以来、現在まで4回にわたって大きな改訂・
書き換え
施されながら読み続けられている生命倫理の世界的教科書・理論書であり、
今出ているのは
第5版だが、すでに第6版の出版に向けての準備が着々と進められている。

(上右の日本語訳は、その第3版の翻訳である。
原書は第3版と第4版との間で最も根本的な改訂が行われているので、
第5版ないし次に出る第6版の翻訳が待たれるところだ)


この本は日本の生命倫理研究者には、著者二人の名前をとって「ビーチャム・チルドレス」と

呼ばれており、生命倫理をめぐる原理的な議論の際には、ほとんど常に引き合いに出されている。

そのため、ジェイムズ・チルドレスという名前を出すと、日本では、

「あのビーチャム・チルドレスの(片割れの)チルドレスか」

という風に言われることが多く、

高名なわりに、チルドレス先生自身の他の著作や業績については、とりわけ彼のキリスト教

神学や宗教学的な背景については、一部の人以外にはほとんど知られていない。



チルドレス先生のところに私が在外研究に来ることになったいきさつについては次回に譲るが、

私がアメリカでいくつかの学会に出席して他の研究者と話したり、講演やシンポジウムにおける

先生の姿を見ていてひしひしと感じるのは、アメリカの生命倫理学者たちの間で

彼がいかに敬愛されているか ということである。

単に「尊敬」というだけではなく、この「敬愛」という表現が本当にピッタリなのだ!


その学問的能力や業績以上に、会ったとたん誰もが引きつけられ、好きになってしまうという

チルドレス先生の人柄からくるものだろう。


私と親しい友人達はよく知っているが、私は「人品評価」というものがけっこう得意である。

アメリカで知り合った人たちについても、たとえば、


「この人は、日本で言えば○○さんのような人」

「こいつは、アメリカ版△△だな」


などと、その人の全体的な特徴や性格を、誰か知っている(面識のない人も含む)日本人

になぞらえて把握できることが多い。


しかし・・・・・・

チルドレス先生に似ているような日本人、というのだけは、

まったく思い浮かばないのだ・・・


チルドレス先生を一言で表現すると、

もう、全身これ「いい人」 ! というのに尽きる。


ちょっとした表情から、他人へのいろんな気遣い、やることなすことのすべてにわたって、

もう 「善良さ」のかたまり、という感じの人なのである。


なるほど、そういうパッと見るだけで「いい人」であるというオーラを全身から発している

ような人、というのは日本にもいないわけではないが、


少なくとも私は、日本のインテリや知識人

(とくにチルドレス先生クラスの、飛び抜けた業績と地位のある学者)のなかには

そのような人を見かけたことがない。


もちろん、実際にある程度親しく接してみると、

(少なくとも人間や社会のことを研究する私たちのような分野の研究者においては)

学者・研究者として尊敬に値するような仕事をされている人たちは、

ほとんど例外なく、人格的にもすばらしい人が多い、というのはたしかだ。


しかし、基本的に(日本では)インテリや知識人と言われる人たちは、

どちらかと言うと、自分の「人の良い」ところをあまり表面に出さない、というか

ちょっとハスに構えていたり、ある種の屈折があったりする方が普通なのである。

(むしろ、そういう方がインテリらしいポーズで「かっこいい」と思われているせい

もあるかもしれない)

なので、アメリカに来てチルドレス先生にはじめて出会い、日常的に接するように

なるにつれ、私は


世の中に、こんな人がいるのか!!


というような驚きと感動に包まれてしまったのである。


たとえば、お互いが同じ学会などに出て、そこで顔を合わせたとする。

高名な学者になればなるほど、学会などでは挨拶に来る人も多いし、

何かと忙しそうに応対しないといけないことが多い。

なので、こちらが日頃から親しくさせていただいている大先生であっても、

そういう場で出会ったときは、少々そっけないぐらいなのが普通だ。


ところがチルドレス先生は違う。


会場のどこであれ、私の姿を見かけると、例の、なんともいえない(少し

はにかんだような)素敵な笑顔で、こちらに手を振ってくれるのだ!


まあ、私は外国人の「お客さん」であるから、普通の人に対する以上に気を遣っている

という面はあるのかもしれないが、他の人に対する彼の応対の仕草などを見ていても

やはり同じように、大げさではなく(日本人にはそう感じられるアメリカ人は多い)、

本当に心の底からすっと自然に出てくるようなフレンドリーさが感じられる。


また、1ヶ月ほど前、私にちょっと心配事があって浮かぬ顔をしていた時に、

チルドレス先生が示してくれたいたわりと、私がそのことを話した際の先生の表情

(まるで自分の事のように文字通り「同情」してくれているさま)は、今思い出しても

涙が出てくるほどだ。


彼を見ていると、やはり学問は人間そのものだという(40代半ばになってから

ひしひしと感じるようになった)思いを強く抱かずにはおられない。


続きはまた。