『生命倫理百科事典』日本語版刊行 | ヴァージニア日記 ~初体験オジサンの日常~

『生命倫理百科事典』日本語版刊行

今日はめずらしく仕事の話でもしよう。

先月(2007年1月)末に丸善から翻訳・刊行された

『生命倫理百科事典』日本語版・全5巻(写真下左)のことである。


生命倫理百科事典
  
Encyclopedia of Bioethics



原書は、Encyclopedia of Bioethics 3rd Edition (写真上右、同じく全5巻)である。


アメリカで、「バイオエシックス(生命倫理)」なる学問が形成されたのが、

大体1960年代~70年代のこと。

一つの学問領域としてのバイオエシックスの確立を記念する出来事の一つが、

原書の初版(1978年)の刊行であった、と言ってよい。

なにせ、この領域の難しいところは、人間の生や死、医療などをめぐるそうした倫理的問題を次々と

呼び起こす新しい生命科学や医療技術の進展がたいへん急速なことである。そのため、つい数年前

に口角泡を飛ばして議論されていた問題の様相そのものが、新しい技術の進展によって、根本的に

様変わりすることも珍しいことではない(もっとも、マスコミや一部の学者がその時々の「流行のテーマ」

に踊らされているわりには、そこで何が問題になっているかという原理的な事柄については、あまり

大きな変化はないのではあるが・・・)。


そういうわけで、原書も

・1995年(初版刊行から17年後)に第2版が刊行され、

・2003年(第2版刊行から8年後)に第3版が刊行され、

・おそらく来年か再来年(第3版刊行から5~6年後)に第4版が刊行されるのではないか、

と言われているように、版を重ねるごとに内容そのものが大きく変更・改訂されており、

しかもそのスピードが毎回(ほぼ倍近いペースで)速くなっている!


これは、すごいことである!!!


なにせ、全体の量が量である。。。。。


上の写真だけではおわかりにならないかもしれないが、

1巻1巻の大きさとしては、ほぼ普通の「百科事典」を思い浮かべていただければよい

のではないかと思う。


それが、


・全5巻で、約3000頁

・各項目の執筆者(著者)数は、約460人


という量である!!



Encyclopedia of Bioethics 見開き

 ちなみに、1頁あたりの文字量も、左の

 写真を見ていただければおわかりの

 ように、普通の本に比べると倍以上。


 つまり、実際の分量からすると7000頁、

 いわば200頁ぐらいの本が「35冊分」

 ある、と思っていただければいいだろう。






これを日本語に翻訳する、というのが一体どのくらいの大事業である

かは、ちょっとでも翻訳というものに携わった経験をお持ちの方なら容易に想像

できるだろうと思う。


今回の日本語版刊行のための翻訳の仕事に携わった人は、


編集委員(各分野ごとの監訳者、責任者)が 41人!

(私もその一人である)


翻訳者が全部で 約290人! である。


百科事典の概要は、

http://pub.maruzen.co.jp/book_magazine/seimeirinri_hyakka/

翻訳に携わったメンバーは、

http://pub.maruzen.co.jp/book_magazine/seimeirinri_hyakka/kumi.html


大体、一人一人の編集委員が、ほぼ薄めの本を1冊分、担当していることになる。

(ちなみに、私が担当したのは、「宗教と生命倫理」に関する項目のうち、キリスト教

と東洋宗教(仏教・ヒンドゥー教・儒教など)を除く他の宗教(ユダヤ教・イスラーム・

モルモン教・エホバの証人など)および、宗教一般に関する部分その他である)


こんな厖大な事業が、ほぼ2年弱の作業で、

よく刊行にまでこぎつけられたものだとつくづく思う。



以下、やや手前味噌になってしまうが、

私にとっては、この大事典の日本語訳の刊行を「アメリカの地で」

迎えられた、ということには格別の思いがある。


実は、昨年末(アメリカではとっくにクリスマス休暇に入っている頃)に

日本から頼まれた「急ぎの仕事」の一つが、この大事典の最終チェック作業に

関係するものだった。


それは、原書の各項目の著者名、および各項目の記述の中に出てくる何千もの

人名の「読み」を確定するという作業である。


日本でもよく知られているような有名な学者や、アメリカ人によくある姓名であれば、

それを発音し、カタカナに直すのはそう難しいことではないが、なにせアメリカは

移民大国であるから、学者にもいろいろな国や民族の出身の人がいるわけで、

その中には名前の綴りを見ただけではどのように発音するのか、あるいはそれを

カタカナに直す場合に一番近い表記は何なのか、についてまるで見当がつかなか

ったり、確信がもてなかったりする名前というのがごろごろあるのだ。。。


そこで、アメリカにいる私に

年末に日本の大司令部から以下のような密命が下された。


「日本側の研究者たちの知恵を集めてもどうしてもわからない人名の読み方

について、アメリカの研究者に尋ね、可能な限りカタカナ表記を確定せよ」


という指令である。


簡単なことのように思う人がいるかもしれないが、実はこれ、「だれに尋ねるか」を

よほど厳選しないと、まず無理な相談である。

(学問や文化の「輸入」にかけては超一流である日本の学者達にも読み方が

わからないような人名というのは、普通のアメリカ人の学者にはまずわからない、

と考えてよい)


幸い、私のいるヴァージニア大学には、すばらしい研究者が揃っている。


・私のいる実践倫理研究所の所長のジェイムズ・チルドレス先生は、

 いわば「バイオエシックスの大御所」の一人であり、この大事典の

 原著者の多くとも面識がある。


・宗教学科長のポール・グローナー先生は、専門が中国および日本の

 中世仏教ということもあり、東洋宗教関係が専門の研究者や出身が

 アジア系の研究者をたくさんご存じである。


・同じく宗教学科におられるアブドゥルアジズ・サチェディーナ先生は、

 イスラーム生命倫理が専門で、インド系タンザニア人という出自から

 アラブ系その他、日本にはあまりなじみのない人名についてご存じ

 である。


というわけで、この3人の先生を通じて、ほとんどの人名の読みを

確定することができた、というわけだ。

(とりわけ、年末の休暇中に、わざわざ時間をとって人名のチェックに

付き合っていただいたチルドレス先生とその奥さんのマーシャさんには

いくら感謝しても足らないぐらいである)


上に挙げた方々の中で、チルドレス先生、サチェディーナ先生は

原書の項目における著者の一人でもある。

このお二人を含め、私はこれまでアメリカで、この大事典の何人かの

原著者にお会いする機会があったが、

私が「Encyclopedia of Bioethicsの日本語訳がもうすぐ出版される」

ということをお伝えすると、

みなが一様に、

「えっ! ほんとうにあの事典を全部翻訳したのか・・・・!!」

と驚嘆し、

何回も「おめでとう!!」と祝福してくださった。


こんな時にたまたまアメリカにいたのは、運が良かったという他ない。



(付記)

ちなみに、この大事典、英語の原書は日本円で9万円ぐらいで買えるが、

日本語版はなんと 21万円 である!!

(どうしても翻訳書というのは、版権の問題で原書より高くなるのは仕方ないが

ここまで高いのは・・・・と思われる方もいるかもしれない。

ただ、実際に原書を長年使っている研究者の一人として言わせていただくと、

原書の装丁紙質は、それはそれはヒドイものである。そのため、頁の中に

線を引いたり、書き込みをしたのを消したり、また書き込んだりすると文字の

一部が薄くなったりするし、コピーなどを数回とると背表紙がはがれて各頁が

バラバラになったりして大変である。。。よく使っている人の原書はおそらく

「満身創痍」状態なのではないかと思う。この点、日本語版の方は、装丁も

紙質も数段上であり、安心して使える。こういうところも、値段に反映されて

いるので、安ければよい、というものではないのです)


最後に、この大事典の翻訳刊行は、日本生命倫理学会の事業であるため、

印税はすべて学会に寄附、編集委員も翻訳者も全員タダ働き(印税、原稿料

など一切ゼロ)です。