ダービー・人生と競馬の比喩
(日本時間の)昨日、競馬の祭典、日本ダービーが行われた。
結果は、なんと46年ぶりに牝馬のウオッカが優勝。
2着に18頭立て14番人気の人気薄アサクサキングスが入り、かなりの高配当となった。
えっ、私はどうだったか、って?
フフフ・・・・・
見事的中しましたよーっ!!
2着のアサクサキングスは昨年秋に「この馬は強い」と確信し、ずっと狙っていた馬で、
皐月賞、NHKマイルカップとこの馬の馬券を買い続けていたのですが、惨敗続き。。。
3度目の正直、で今回馬券(ウオッカとのワイド、万馬券でした)をゲット!
これで、ここのところ預ける一方だった「私のJRA貯金」もようやく少し引き出すことが
できました。 \(^o^)/
(注・・・私は競馬で負けることを「JRA(日本中央競馬会)に貯金している(=いつか
利子がついて返ってくる)」と考えるようにしています)
新聞その他によると、昨日は皇太子殿下と安倍首相夫妻が来場、観戦されたとのこと。
首相は、奥さんが牝馬のウオッカの単勝を買ったので、ウオッカの複勝(3着までに
入ればよい)を買い、夫婦で的中したようだが、JRAのホームページに載った安倍首相
の談話の中で、ヘミングウェイの言葉が引かれているのが目についた。
曰く、
「競馬は人生の縮図であり、これほど内容の詰まった小説は他にない」
この言葉が本当にヘミングウェイの言葉なのか、それがどこに載っているのか、について
は私は知らない(どなたかご存じの方があれば教えてください)。
しかし、この言葉より、ずっと味わい深い名言を残した日本人がいる。
寺山修司(1935-1983) である。
ある時、寺山に誰かが「競馬は、まさに人生の比喩ですよねえ」と語った。
(たぶんどこかの記者だったように思う)
すかさず寺山は、こう言ったという。
「逆だよ。人生こそが競馬の比喩なんだ。」
「競馬が人生の比喩だ」という言い方は、「(実)人生」がホンモノであって、人は競馬
というフィクションにそれを投影しているにすぎない、というありきたりの認識でしかない。
ところが、「人生は競馬の比喩だ」という言い方には、そういうありきたりの認識とは
次元を異にする、なにか私たちをハッとさせるものがある。
たとえば、競馬にははっきりと「勝ち」と「負け」がある。
人生そのものには、本来は「勝ち」も「負け」もない。
にもかかわらず、私たちは人生で「勝った」とか「負けた」とかいう言葉を常に
口にし、そういうフレームを通して人生を眺め、語っているからだ。
(「ナラティヴ」だとか「物語」だとかいう言葉が学問の世界で流行りだしたのは1990年
代になってからだと思うが、寺山は、人生というのは「人生のナラティヴ」でしかあり得ない
のだということを、こうやってさりげなく言ってのけることができたのだ)
寺山の、競馬に関する名言で、もう一つ忘れがたいものがある。
ある人が寺山に向かって言った。
「でもねえ、(そんなに競馬に入れ込んでいる)寺山さんだって、平均すれば
競馬で負けているでしょう?」
寺山はムッとして言い返した。
「いったいどうして平均する必要があるんです?
あなたの人生、「平均したら」、笑ってますか? 泣いてますか?」
ほんとうにすごい人だった。。。
寺山修司は、私が小さい頃、(当時はJRAなんて呼ばれていなかった)日本中央競馬会
のテレビPRのキャラクターであったし、時々テレビの競馬中継にもゲスト出演していた
ので、文学少年ならぬ「競馬少年」であった私は、劇作家や詩人としての彼を知るより
ずっと前から、なんともかっこいい競馬ファンとしての寺山にあこがれていたのだ。
ちなみに、寺山氏には生前、一度だけお目にかかったことがある。
私が大学1年の時だから、1979年か80年、彼が亡くなる3~4年前である。
公演の直後に楽屋に押しかけたものだから、寺山は「ステテコ一丁」の姿だった。
話らしい話もできなかったが、あこがれの寺山を目の前で見られただけで嬉しかった
のを覚えている。
寺山とはずいぶん異質な人物に話が飛ぶが、私が人生の糧の一つにしている
名言をここで紹介しよう。
作曲家で指揮者のレナード・バーンスタイン(1918-1990)が語った
その演奏会に行った人から「空前の名演」として語り継がれている大阪での
コンサート(イスラエル・フィルとのマーラーの交響曲第9番)の翌日、お別れ
パーティーの席上でのスピーチで語られたようだ。
日く、
「人生、どんなことでもいい、一日に一ついいことがあれば、すばらしく
充実して生きていけるんだ。
昨日は、マーラーが良かった! 今日はウニが美味い!」
ものすごく単純な言葉だが、毎日を生きていく上できわめて大切なことだ。
古今東西、いろんな名言というものがあるが、
こういう、日常のちょっとした会話の中で自然に出た言葉の中に、
恐るべき叡智が含まれていることがあるから、人生は奥が深い。