小生は、日本は韓国にたいする謝罪が足りないのではなく、戦時中の協力に対する感謝の念が足りないのだ、と考えております。
韓国・朝鮮人は、当時は日本国民として、大東亜戦争(当時の名称)に協力してくれました。
徴用工に応募して、「産業戦士」(当時の名称)として、軍需品の生産や、それに必要なエネルギーや資源の生産に協力して下さったのです。
これはデリケートな問題なのではっきり書きにくいのですが、いわゆる従軍慰安婦だった皆さんも、当時は、日本の兵隊さんを慰安するために頑張ってくださったという見方もできます。
それを、ただの売春婦だっただのなんだのと侮蔑するのは、あまりにも感謝の念に欠けた、忘恩行為だと思うのです。
小生は、もちろん大東亜戦争を肯定する者ではありませんが、しかし、日本が国運をかけた、乾坤一擲(生きるか死ぬか)の戦いに協力してくださった、韓国・朝鮮の方々に対する感謝の念を忘れるべきではないと考えます。
それを忘れて、徴用工への補償は済んでいるとか、従軍慰安婦などいなかった、いたのは売春婦だった、などというのは、あまりにも人倫にもとる態度だと考えます。
それをベースに、もう一度今日の日韓関係を見直せば、解決の糸口が見えてくるのではないかと愚考します。
韓国経済が今回の件で大きな打撃を受けるのは間違いない。
しかし、それはたかだか数年から、せいぜい10年程度のことで、いずれ韓国経済は受けた打撃から回復するだろう。
しかし、日本に対する韓国民の怨みは、その何倍もの期間残るだろう。
隣人の(隣国の)怨みや憎しみを買って良いことなど一つも無いと小生は考える。
故に、今回の安倍内閣の対韓輸出規制強化策は、日本国家百年の大計にとって、大きなマイナスだと思うのだ。
今回の件は、ドラえもんの登場人物に置き換えると分かり易い。
乱暴者のジャイアンは安倍総理、そのパシリで尻馬に乗るスネ夫は世耕経産相、苛められ役のび太は文在寅大統領という訳だ。
どこかに、いじめっ子のジャイアンやスネ夫を叱ってくれる、静香ちゃんはいないだろうか?
参院選挙結果について一言。
1.個人的には、直接応援した立憲民主党の議席がほぼ倍増し、まぁまぁの結果でした。
2.日本全体を考えたときには、
1)改憲勢力が2/3を割ったこと、この点は良かったと思います。しかし、まだ油断は出来ません。野党や無所属の議員から一本釣りで改憲勢力に引き込む手が残されているからです。
この意味では、今後も改憲発議を許さない取り組みを続けて行く必要があると思います。
2)れいわ新選組の躍進、この点も大変良かったと思いますが、逆に不安もあります。
まずは山本太郎氏の勇気と実行力を讃えたいと思います、しかし、彼のそうした行動が200万人を越える多くの国民の支持を得たと言うことは、この国の今の政治にたいする不満のマグマが、それだけ溜まっていると言うことです。
これが今後どう動いていくのか、万が一、ファシズム的な強いリーダー待望論に繋がっていくことはないのか? その点に一抹の不安を感じます。
3)野党共闘の一定の成果と限界、この点が今回の参院選の一番大きな教訓だと思います。
選挙ムードが盛り上がらず投票率が低い中では、自公両党の強烈な組織締め付け型選挙には勝てない、そのことがはっきりしたと思います。
であるならば、野党共闘の今後の課題は、単に候補者を一本化したり、互いに推薦したり、選挙区を棲み分けるだけでなく、選挙自体を劇場化し、与野党一騎打ち的な対決ムードを盛り上げる。そうした演出が必要になってくると思います。
これは、一種のポピュリズム型選挙であり、日本が成熟した民主主義の国であるなら、やる必要のないことですが、残念ながら、今の有権者の民度や、地方における利権配分政治の有効性を考えると、必要な対策だと思います。
4)N国党の議席獲得など、まだまだ分析したい点はありますが、とりあえず、重要な点を3つ、取り上げさせていただきました。
菅野完さん(著述家、「日本会議の研究」著者)が、第16回「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞」を受賞されました。(*^_^*)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016102800248&g=soc
石橋湛山は中国侵略に反対し続け、戦時下にもリベラリズムの火を絶やさなかった、希有のジャーナリストです。
戦後は左翼(マルキシズム)の天下になったため、自由主義者の彼や清沢洌の戦時中の業績に、目が向けられることは少なかったですが、左翼でも、右翼でもない、まっとうなリベラリズムがいまこそ見直されるべき時です。
こうした時に、菅野さんが石橋湛山の名を冠した賞を受賞されたことは、誠に意義深いことだと思います。
今後の励みとされ、なお一層のご活躍をされることを期待します。
10月9日、ポーランドの映画監督、アンジェイ・ワイダ氏がお亡くなりになりました。
「地下水道」「灰とダイヤモンド」そして「大理石の男」は、今でも必見の映画だと思います。
謹んでご冥福をお祈りします。
・特に小生の好きな「地下水道」のあらすじをご紹介します。
第二次世界大戦末期、ソ連軍がワルシャワ近郊まで侵攻して来た戦況を受け、ドイツ軍に対し蜂起したレジスタンスの元軍人や若者達。
しかしソ連軍は、蜂起を主導したのがロンドン亡命政権(つまり共産主義者ではなく、民主主義者)だったため、ワルシャワ近郊で進軍を停止し、蜂起を見殺しにしてしまう。
ソ連軍に見捨てられたレジスタンスは、ドイツ軍によってワルシャワの一角に追い詰められ、日々猛攻を受け次々と死んでいく。
ついには脱出のため下水道(地下水道)へと逃れるが、一人また一人と追い詰められ、駆り立てられ殺されてゆく。
その悲惨な状況下に恋もあれば、卑劣な裏切りもある。
緊迫感のある映像が忘れられません。
・もう一つ「大理石の男」
戦後共産主義体制下で、労働英雄に祭りあげられた煉瓦積み職人の素朴な青年。
煉瓦積みの速度が抜群に速かった彼は、政府によって生産性向上の象徴に祭りあげられ、組合幹部へと出世していく。
しかし過酷な労働にあえぐ周囲の労働者の怨嗟の対象となり、あるとき焼けた煉瓦を手渡され大やけどを負ってしまう。
それがきっかけで、労働者の置かれた過酷な状況と、それを改善しようとしない政府の姿勢に疑問を抱いた彼は、政府(共産党)に逆らい、労働条件の改善を申し立てる。
たちまち彼は失脚し、全ての称号と役職を奪われ、職場からも追放されてしまう。
・ワイダ監督は通り一遍の戦争映画や社会派映画の作家ではなく、社会主義体制の非人間性や矛盾、その中で気高い精神を持っていたが為に不幸な人生を強いられ、死んでいった人々を描いて秀逸な映画作家でした。
本日、内田百閒の『東京焼盡』を読了した。
昭和19年7月から、敗戦後の昭和20年8月21日に至る細かい日録なので、読むのに10日ほどかかったが、ようやく今日読み終えた。
戦時下の日誌はずいぶん読んだが、古川緑波(ロッパ)の『ロッパの非食記』に並ぶ面白さであった。
圧巻は、昭和20年5月25日、空襲で市ヶ谷の家を焼かれ、妻と二人大きな荷物を背負って市ヶ谷見附から四ツ谷見附に至る土手を逃げ回る記録だった。
塀の向こうの雙葉学園が焼けるさま、焼け出され防空壕や仮住まいに住む人々の姿がリアルであった。
昨年、戦後の日記『百鬼園戦後日記』を読んだが、ほとんど同じ調子であることに驚いた、百鬼園先生にとっては、B29の来襲も、食糧不足も、家の狭さ(わずか二畳の小屋に妻と二人暮らし)も、新円切り替えによる手元不如意(金欠)も、すべて同じなのである。
空襲が恐ろしくないと言ったら嘘になるのだろうが、すべては日常なのである。
戦争も平和も超越して、ひたすらに酒と心の平穏を求めて生きた文学者の魂を感じた。
政治的な感想は、唯一、大政翼賛会が解散したというニュースを聞いて、傘下の文学報国会も解散になったと思い(あとで誤解と判明)快哉を叫ぶ部分だけである。
この部分に書かれている、文学報国会の活動に一切かかわらず、会から通知が来ても無視し続けたという態度は、『断腸亭日乗』に書かれている永井荷風と全く同じである。
夏目漱石門下として、二人の精神には相通じるものがあったのだろうか?
戦時下の記録としては、いささか平板なきらいはあるが、『断腸亭日乗』に次ぐ隠れた名作と言ってよいのではないだろうか。
もう一つ小生の押しは、山田風太郎の『戦中派不戦日記』である。
この三冊は、時代を超えて読み継がれるべき、戦時下の生活を描いた日記文学の傑作といってよいと思う。
これに、清沢洌の『暗黒日記』(これは個人の生活記録というより、戦時下の政治や社会の記録)を併せて読めば、戦時下でいかに馬鹿なことが行われていたか、人々がどういう目にあっていたかが、つぶさに解ろうというものである。
(なお、『ロッパの非食記』は個人の記録としては抜群に面白いが、ややマニアックなので万人にはお勧めしない)
いろんなところで意見を述べて、それが批判されたり、賛同を得たり、いろんなことになっています。
まぁ、本人としては、少しでも世の中の風通しがよくなればいいなぁ、と思い、あえて権威や権限を持った方の耳に逆らうことでも、勇気をもって発言しているつもりです。
実はこんな言葉を小生はモットーにしております。
『威武に屈せず富貴に淫せず、ユスリもやらずハッタリもせず』
これは明治・大正期のジャーナリスト宮武外骨が『滑稽新聞』に掲げたモットーの一部ですが、小生はこの言葉が大変気にいっております。
まぁ、こんな言葉をモットーにしていますと、何かと風当たりが強く、サラリーマン時代などは、ずいぶん上の方針にズケズケとものを言って、一部の上司に疎まれたものです。(もちろん、可愛がって下さる方もいました)
42歳で独立してシステム設計の会社を経営をしている時も、あまり発注元に頭を下げす、言うべきと思った技術的意見や提案を遠慮せずに進言するので、変な目で見られていたかもしれません。
その代わり、仕事は丁寧に、かつ納期は絶対に守ることを心がけていました。
その会社経営も60歳で自分で定年にして、今はビルの賃貸業をやっておりますが、上の人や空気(大勢)に遠慮せず、言うべき意見は言う、という癖は治っておりません。
なにかとお騒がせしますが、どうぞご寛容の心をもってお接しいただければ幸いに存じます。<(_ _)>
写真は船堀駅前で戦争法廃止2000万人署名を呼びかける小生
「55歳にもなって中二を生きた」これは今年2015年の夏を振り返って香山リカさん(精神科医、立教大学教授)が述べた言葉だ。まさにその通り、小生も香山さんとまったく同様に「還暦にもなって中二を生きてしまった」のだった。 6月4日衆院憲法審査会で、憲法学者の長谷部恭男氏(早稲田大学教授)、小林節氏(慶應義塾大学名誉教授)、笹田栄司氏(早稲田大学教授)の3人が口をそろえて「安全保証関連法案は違憲」と述べ、小生の心は中学二年生のようにざわついたのであった そしてその心に動かされ、6月24日の総がかり行動実行委員会主催の「戦争法案反対国会前集会」に参加したのであった。 三日後の6月27日、渋谷でSEALDs(シールズ:自由と民主主義のための学生緊急行動)の「戦争法案に反対するハチ公前アピール街宣」集会が開かれ、そちらには小生が応援している初鹿明博代議士が参加していた。 つまり、ほぼ同時期に、普段後援会などで顔を合わせている二人が、互いにまったくなんの連絡も取り合っていないのに、安保法制反対の集会に参加していたのだった。 あの日初鹿氏がSEALDs集会でとった行動(菅直人元総理、共産党の志位和夫委員長の二人と手をつなぎ、高く掲げて参加者に安保法制反対をアピール)がマスコミを賑わし、その後の安保法制反対の世論に棹を差し(貢献し)、ひいては維新の党が、大方の予想を裏切って安倍政権に取り込まれず、安保法制反対の立場を維持することにつながったことは明らかであろう。 小生は初鹿氏と違い一般人なので、当然社会に対してそのような影響を与えることはなかったが、その日以来、連日とはいわないが、毎週何らかの形で、国会前集会や新宿駅などで行われた街頭宣伝にかようようになり、多くの信頼できる仲間と出会ったのだった。 7月18日に澤地久枝さん(作家)の呼びかけで行われた、「アベ政治を許さない」ポスターを全国で一斉に掲げる行動では、無謀にも地元のJR平井駅前に一人で立つことまでしたのであった(これを中二病と言わずしてなんと言おう)。 その行動は7月、8月、9月と続き、9月19日の参院での強行採決をもって、一応の区切りを迎えたのであった。形の上では敗北である。 しかし、小生も、そして初鹿氏を含む多くの仲間も、まったくがっかりしていない。 中学二年生は挫折など知らないのだ。 たかが中二病、されど中二病、今はこの不治の病を大切に抱えたまま年を越し、新しい年にはさらにその症状を悪化させ、安保法制(戦争法)の廃止はもちろん、安倍首相や、その仲間の極右勢力が狙う戦前回帰的な憲法改悪を阻止したいと、臥薪嘗胆しているところなのである。
こちらをご覧ください。
【さらば、アベノミクス!日本「デフレ」に逆戻り! ~株価、収入、物価が一斉に低下。またあの「悪夢」が繰り返される】
もともといい加減な政策でしたが、異次元の金融緩和という経済法則無視の禁じ手を使ったおかげで、なんとか2年半は、デフレを抑え株高を演出することが出来ましたが、ここへ来てその効果もなくなりました。
これからは、禁じ手を使った報いで、年金積立金は溶けて無くなるは、国債は暴落するはで、国民経済も庶民の家計も、壊滅状態になることが予想されます。
たった2年半の偽りの好景気のために、日本経済を滅茶苦茶にした男、それが安倍晋三であり、アベノミクスです。
選挙で自公に投票した方、また、棄権した方には、安倍政権を支えた責任があります。
大いに反省していただきたいと思います。
それは、愛国心と反戦平和は矛盾しないということです。
いわゆる左翼とか労働組合の活動家ではないのに、今回の安保法案に反対して立ち上がっている人が沢山います。
主婦とか学生とか会社員とか自営業とか、いわゆる普通の市民が山ほど参加しています。
中にはいわゆる右翼(民族派)の人もいます。
例えば、民族派団体の「一水会」は柳沢協二氏を招いて安保法案のフォーラム(講演会)を開いたり、銀座で安保法案反対デモを行うなど、積極的に反対運動を行っています。
早い話が、日本がアメリカの戦争に参加することに反対するのに、右とか左とかはまったく関係ないのです。
今回、左翼でも、リベラルでも、民族派でも、日本社会や日本国の未来を真剣に考える、心ある人はすべて、安保法案反対に立ち上がっていると言っても過言ではありません。
これが今回の反対運動が、60年安保や70年安保の時の反対運動と大きく違う点だと思います。
ここに、この国が本当の民主主義を確立し、今後も平和で豊かな、文化・経済大国として再生していく希望があるのだと思います。