安倍首相の戦後70年談話には、重大な事実誤認があります。
それは「(日本は)アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。」という部分です。
http://www.asahi.com/articles/ASH8G5W9YH8GUTFK00T.html
アジアで最初に近代立憲主義に基づく憲法を作り、立憲政治を始めたのは、オスマン帝国(現在のトルコ共和国)です。

オスマン帝国憲法は1876年発布、明治憲法は1889年発布ですから、日本より13年も前なのです。
安倍談話のこの記述は、トルコの歴史に対する重大な侮辱です。
トルコの愛国者が安倍のスピーチを聞いたら、きっと怒り出すことでしょう。
早く謝罪と訂正をしないと、大変なことになります。
トルコは大の親日国なのですから。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95

まずはこちらをご覧ください。
今 辺野古で起きていること(RBC琉球放送)

ご覧いただいたように、今政府が辺野古沖のボーリング調査で行っている
ことは明らかに異常です。
やはり安倍政権は「クーデター政権」であると言わざるを得ません。


ちなみに私は、段階的に米軍基地を撤去して、最終的には総ての米軍基地を日本から取り除き、国防は自分自身の力で行うべきという「自主防衛論者」であり、普天間飛行場の辺野古移設には、反対ではあるが現時点では止むを得ないと考えて来た「容認派」でした。

しかし、この安倍政権の強権的、非民主的、ファッショ的なやり方は断じて許すことができません。
今日以降、私は「辺野古移設断固反対」の立場に「転向」します。

事は、国防(安全保障)の問題でも、日米関係の問題でもなく、また、沖縄の地域的な問題でもなく、日本国民全体の自由と民主主義の問題です。
米国のご機嫌取りのための基地移設は、日本国民にとってはわずかな利益しか生まないし、もしそのために国民の知る権利、政治的意思表示の権利が奪われるのなら、返って大きなマイナスです。

安倍政権の暴挙断じて許すまじ、現行憲法の平和主義と戦後民主主義体制を維持し発展させる、『リベラル保守』の立場に立つ一員として、「社会主義」「共産主義」を目指す左翼とは一線を画しつつも、日本を戦前型の「君主制国民国家」に戻そうとする安倍晋三とそれを支える日本会議、チャンネル桜、田母神俊雄氏などの「右翼反動派」と断固戦う決意です。
NHKの籾井会長が、また問題発言をしている。
ネット視聴で受信料 3年以内に徴収意向
NHK籾井会長「ネット視聴でも受信料」の意向明かす 「スマホ所持だけで徴収」や「二重徴収」に危惧の声

籾井氏は放送とインターネットの本質的な違いが、理屈上はともかく、感覚的にまったく理解できていないのだと思う。

放送(ブロードキャスト)とは電波(番組)を一方的に送りつける行為だ。
相手が受信しようがしまいがお構いなしにだが、受信していなくても(番組を見ていなくても)、とりあえず電波は届いている。
だから、放送法という特別な法律を作って、NHKとの受信契約を受信設備(テレビ)設置者に義務化することが可能だった。
とはいえ、それは罰則のない努力義務に過ぎず、それ以上の強制力を持った義務化は、他の法律との整合性がとれなくなるので、法体系上無理だったのだ


一方インターネットは、一方的にデータ(番組)を送りつけることはできない。
インターネット(WWW)は、その仕組み上、相手のサイトに行って、データを自分のPCやスマホに取ってくる(ホームページを見たり、動画データを再生する)ことで、成り立っている世界だ。
放送と同じような、リアルタイムのストリーミング放送はできるが、相手がそれを見に来なければ、そもそも番組データを相手に届けることが出来ないのだ。
だから、受信契約の義務化なんてそもそも無理なのだ。
できるとしたら、ビデオニュース・ドットコムのように、会員制のサイトにして、月額いくらで会費(視聴料)を徴収するか、すでにNHKオンデマンドや、民法各社がやっているように、1番組いくらでばら売りするしかないのだ。

籾井氏は、商社マン出身だから、発想力(アイデア)や交渉力はあるのかも知れないが、技術的な知識や法律的な知識がなさ過ぎる。
スマホやPC所有者に受信契約を義務付けることは、放送法の改定ぐらいでは絶対に無理だと断言してもよい。
民法や、契約に関する法律、消費者保護の法律など、民民(民間同士)の契約に関わるすべての法律を、根本的に改定しない限りそんなことは出来ないし、もしそれをやれば、国の機関でもない民間の一事業者(NHKは特殊法人)が、インターネットユーザに一方的に契約を義務付けることになり、自由主義経済の根本が狂ってしまうことになるのだ。

もう一つ問題がある。
「インターネットに国境はない」という問題だ、
インターネット放送は、外国でも視聴できる。
しかし、日本の法律で、外国のネットユーザーから受信料を取ることなど不可能だ。
これも、上記の会員制やオンデマンドによる番組販売ならクリアできるのだが、もし、「インターネットで放送を同時配信しているのだから、世界中のPC・スマホ所有者は、NHKと受信契約を結んでNHKに金を払え」なんて言ったら、気狂い扱いされるのが関の山だ。

NHKの籾井会長は、木を見て森を見ることのできない、つまり物事の大局を見たり、本質を見ることのできない、視野の狭い人物だと私は思う。
無用の混乱をさけるため、私の立場について、ご説明をしておこうと思います。

私は平和主義者で戦争に反対する者ですが、同時に、自主防衛論者でもあります。
日本は、対米従属をやめ、自分の国は自分の力で守る、自主防衛に切り替えるべきだと思っています。
ただし、この場合の「自分の力」とは、なにも軍備(武力)のことだけを指して言っているのではありません。
外交や、経済関係や、文化交流など、あらゆる手段を尽くして、近隣諸国との友好関係維持に努めていくことが、自主防衛の本当の意味だと思っています。
武力は、国の安全と独立を守る上で、重要ではありますが、結局のところ、そのための努力の一部に過ぎないと思います。

しかしまた、武力を欠いた外交的努力が時として無力なことを、人類の歴史は証明しています。
ムッソリーニ率いるイタリア王国の侵略に対し、エチオピアの皇帝ハイレセラシエ一世は、国際連盟で強く抗議しましたが、形式的な制裁決議を得ただけで、イタリアの侵略をやめさせることは出来ませんでした。
ヒトラーの領土割譲要求に対し、当時のチェコスロバキア政府は、国際社会にその非道を訴えましたが、この問題を話し合うミュンヘン会談に出席することすら許されず、英仏の対独宥和外交によって、ズデーテン地方の割譲を余儀なくされました。

あえて申し上げますが、私は戦争を憎むものですが、軍備(武力)を憎むものではありません。
戦争と軍備はイコールではありません。
軍備は、時には自国の独立や平和を守るための力となり、他国の侵略を未然に防ぐための抑止力となります。
また、武力は、時には圧制者を倒し、人民の自由や権利を勝ち取るための道具になります。
自由の国アメリカで、人民の武装する権利が憲法で保障されているのは、このためです。
軍備があるから戦争が起こるのではなく、戦争を起こす人間がいるから戦争が起こるのです。
軍備や武力はそのための道具に過ぎません。

私は日本国憲法の平和理念を尊ぶものですが、憲法が掲げる恒久平和の理想が実現するには、まだしばらく時間がかかると思っています。

第二次世界大戦以降、核兵器の登場もあって、それまでにような全面戦争(総力戦)は起こらなくなりました。
その代わりに登場した、「冷戦」も終了して、すでに20年以上が経過しています。

人類史を俯瞰すれば、世界は確実に恒久平和の方向へ向かって進んでいると思います。

しかし、それが完全に実現するまでには、今しばらく時間がかかります。
現に今現在も、軍備を大幅に増強しつつある、中国のような時代錯誤の国がまだ存在しています。

世界中の国が軍備を放棄するその日まで、少なくとも、国連安保理常任理事国、米英仏露中の五ヶ国が軍備を捨てる日までは、日本が自衛のための軍備(武力)を捨てることは難しいと思います。
それまでは、本来の憲法意志とは少し違うかもしれませんが、日本は、絶対に戦争をしない、専守防衛の武装中立を貫くべきだと思っております。

長くなりましたが、以上が私の平和主義です。

政府が、陸上自衛隊に装備する予定のオスプレイ(垂直離着陸輸送機)を佐賀空港に配備する方針を固めたようです。

あまり人と違う意見は述べたくないのですが、私は、技術屋の端くれとして、オスプレイについて、多分、私と同じように平和を愛する多くの皆さまと、異なる意見を持っています。
以下、簡単に述べます。


1.私はオスプレイを自衛隊が装備することに賛成です。
 その理由は、

a.尖閣諸島における、中国軍部の冒険主義的な過ちを抑止する効果を期待するからです。
  つまり、中国との戦争を回避するために一定の効果があると思うのです。

b.オスプレイは垂直離着陸機で、離着陸時はヘリコプターと同様に、ローター(プロペラ)を垂直方向に向けて使います。
 つまり、オスプレイが危険なら、すべてのヘリコプターも、論理的には、離着陸時のオスプレイと同じ危険性を、飛行中常に持っている、という事になります。
 それにも関わらず、現在マスコミの取材ヘリは、官邸前抗議行動の大群衆の上でも、住宅密集地の上でも、かまわずに飛んでいます。
 オスプレイが絶対に安全だとは言いませんが、その危険度はヘリコプターと大差ない可能性があります。

c.オスプレイは、水平飛行時はローターを地面と平行に向けて推進し、翼によって揚力を得ます。
 つまり、オスプレイは見た目の異様さとは異なり、水平飛行時は、すでに百年以上の歴史を持ち、技術的に完成の域に達したプロペラ機なのです。過度に恐れる必要はないのではないでしょうか。


d.オスプレイについて懸念される唯一の点
 しかし、そうは言ってもなんの危険性もないとは断言できません。
 それは、垂直状態から水平状態へ、またはその逆に、ローターの向きを変える時です。
 垂直状態では、回転するローターの羽のねじれで下向きに風を起こし、揚力を得ているわけですが、水平状態ではまったく異なる原理で揚力を得ます。
 すなわち、横に向けたローターで得た、横方向の推力により、前方からの気流が翼にあたり、それによって揚力を得ることになります。
 この切り替えが上手く行かなければ、バランスを崩したり、一時的に揚力を失って墜落する可能性があります。
 着陸時には翼にまだ揚力がある状態で、ローターの向きを変えればいいので、よほどの操縦ミスでも起こさない限り安全だと思いますが、離陸時には、逆にまだそれほどスピード(横への推力)が出ていない状態で、徐々にローターの向きを変えて横への推力を得ていくことになります。
 これが上手くいかなければ、簡単にストンと落っこちる事になります。
 しかし、そうは言っても、オスプレイは、ほとんどの場合、安全に飛行しているわけですから、何らかの技術でその問題を解決しているものと思われます。
 私としては、この技術や、その元となる理屈を、国民に対してわかりやすく説明して欲しいと思っています。
 すべての国民に、力学的な理屈や機体の制御技術などについて、理解を求めるのは不可能も知れませんが、「安全神話」ではなく、少なくとも技術屋や理系の人間であれば、誰でも理解できる程度の説明は必要だと思います。

2.私は、オスプレイを沖縄以外の場所に配備することに賛成です。
 理由は言うまでもないでしょう。

a.沖縄に過度に軍事基地を押し付けるのは、本土住民のわがままであり、地域エゴです。
 国土防衛の負担は、全地域が平等に分担するのが理想だと思いますが、もちろんそんなことは地理的条件が違うので不可能です。
 しかしそうだとしても、出来るだけ、特定地域の住民にだけ負担が重くならないよう、配慮すべきではないでしょうか。

b.オスプレイは、軍用機ではありますが、兵器ではなく、あくまでも輸送機です。
 現在、北は北海道から南は九州沖縄まで、全国数十箇所の航空自衛隊基地に、危険な武器であるミサイルを装備したジェット戦闘機が配備され、日々訓練や警戒任務についています。
 海上自衛隊の対潜哨戒機や、陸上自衛隊の攻撃型ヘリコプターも同様に多数配備され、日々飛んでいます。
 これらはオスプレイの何倍も危険な兵器であり、ミサイル等の武器を装備しています。
 いまさら、輸送機であるオスプレイを過度に危険視するのはおかしいと思います。

陸自オスプレイ、佐賀空港に配備方針固める 日本テレビ系(NNN) 7月18日(金)19時21分配信

7月1日、安倍政権は、集団的自衛権の行使を限定的に容認する閣議決定を行い、憲法解釈を変更(以下解釈改憲と呼ぶ)しました。
これは、日本国憲法第9条の実質的な空文化であり、憲法の平和理念を大きく損う行為だと思います。

さらに安倍首相は、今回の解釈改憲を、私的な諮問機関「安保法制懇」に諮問し、自民党、公明党の与党内で議論しただけで決めており、憲法改定に必要な、国会決議も、国民投票も、一切の必要な手続きを踏まずに行っており、もはやこれは「改憲クーデター」と言ってよいと思います。

これによって、戦後長く続いてきた日本の民主主義体制は終わりを告げ、7月1日以降は、「安倍独裁」とも呼ぶべき、特殊な国家体制になったといって過言ではないと思います。

私としては、特に今回、自民党総務会で行われた、民主的な議論の圧殺が重要な出来事だと思っています。
従来の自民党では、党内に様々な意見をもつグループや個人が存在し、それぞれが総務会などの党機関で意見を述べ、時に対立したり協力したりしながら、全会一致の原則に基づき、最後は一致協力するという、それ自体はやや前近代的な村社会的合意形成がなされてきました。
しかし、このことによって、数の論理だけではなく、極端に偏った政策は通らない、ある意味、民主的な合意形成が実現できていたと思います。
しかし今回は、総務会で村上誠一郎総務が反対したにも関わらず、議長一任と言う形で、その意見を圧殺してしまいました。
これは明らかに、自民党が従来の合意形成システムを捨て、総裁の意向による独裁政党に変質してしまったことを意味すると思います。

安倍晋三によって支配される自民党は、もはや昔日の、多様な意見の存在が許される、「民主的」な政党ではなく、共産党のような、上意下達型(共産党ではこれを民主集中制と言います)の政党になってしまったと言えると思います。

さらに、この独裁的な政党が支配するこの国も、まだ完成はしていませんが、後世の歴史家がおそらく、「安倍独裁」と呼ぶであろう国家体制に進みつつあると思います。

このまま、「安倍独裁」が完成するか、それともそうならないかは、まさに私達国民の意思と行動にかかっているわけですが、ここでは安易な予測は避け、どちらになる可能性も、まだ残っているとだけ主張したいと思います。

思えば、第一次世界大戦後期、ドイツ帝国陸軍参謀本部次長のルーデンドルフは、総力戦(トータルウォー)を唱え、ドイツに残っていた資源と人材を根こそぎ戦争につぎ込み、最後の大攻勢「カイザーシュラハト」をかけましたが、これに失敗、返ってドイツ帝国の崩壊を招きました。

このときの国家体制をさして「ルーデンドルフ独裁」と呼びますが、私は、「安倍独裁」と言う名称を、これにちなんで用いました。

私が危惧するのは、「安倍独裁」による、国民の自由や人権の侵害はもちろんなのですが、それより更に怖いのは、「安倍独裁」崩壊後に巻き起こるであろう、過激なバックラッシュ(反動、揺り戻し)です。

「ルーデンドルフ独裁」後のドイツ帝国では、共産主義者による革命が起こって国内が混乱し、軍部によって共産主義革命は鎮圧されたものの、帝政が倒れ、社会民主党などの中道勢力によって、ワイマール共和国と言う、極めて民主的な政府が出来ました。
しかしそれと同時に、それとは正反対の、ナチスと言う全体主義的政治勢力の台頭を準備する結果となりました。

「安倍独裁」後の日本に何が起こるか、それは予言者ではない私の身に余る予想ですが、「ルーデンドルフ独裁」後のドイツの例から類推しますと、大変な混乱が起こり、天皇制の存続に関わるような、革命的な国家体制の変化すら起こる可能性が考えられます。
また、ナチスの現代版のような、超国家主義的な政治勢力の台頭が起こるかも知れません。
現状維持を好み、急激な変化を好まない保守派の私としては、そうした劇的な変化には反対です。

日本は、格好良くはないかも知れませんが、なるべく今の憲法を守りつつ(変えるとしても必要最小限にして)、軍備によってではなく、外交と経済と文化によって、近隣諸国と戦争しない関係を作っていくべきだと思います。

軍備は、安全保障の一部でしかありません。
確かに諸外国が軍備を捨てない以上、日本だけが完全に軍備を捨てることは不可能ですが、軍備は、それだけでは戦争やテロを防ぐ抑止力として不完全です。
世界一の軍事大国アメリカが、自国へのテロを防げないばかりか、大量の戦死者を出しながら、アフガニスタンでもイラクでも、平和を回復できていないことからも、それは明らかです。

21世紀も、外国と戦争しない国、軍事大国ではなく、平和で豊かな、アニメなどのサブカルチャー分野で世界をリードする、文化大国日本を維持していくことが、今何よりも、私達日本人に求められている課題なのだと思います。
昔の戦争、例えば大河ドラマに出てくる戦国武将の合戦や、ナポレオン時代の戦争は、軍隊同士が戦場で戦って勝敗を決するものでした。
もちろん都市の争奪などで、一般市民が犠牲になることはありましたが、基本的に戦争は軍人だけが行うものでした。

しかし、アメリカ南北戦争に端を発し、第一次世界大戦後期に完成した「総力戦」においては、戦争は軍人だけが行うものではなくなりました。つまり前線と銃後の違いがなくなったのです。
その証拠に、本格的な総力戦となった第二次世界大戦では、軍需工場や交通・輸送機関(橋や鉄道や船)が攻撃対象になり、また多くの一般市民が無差別都市爆撃の犠牲となりました。

これは、核兵器の登場で世界大戦こそ起こらなくなりましたが、
現在の戦争でも基本的に同じです。
前線と銃後の違いすらないのに、戦闘部隊と後方支援の違いなどまったく意味がありません。
銃後である一般社会も、テロの対象になります。
ですから、日本が米国の戦争に軍隊を送って後方支援をすれば、自衛隊員が犠牲になるし、日本国内もテロの標的にされる、ということになります。

このことを何故多くの日本国民が理解しないのか、私は不思議でなりません。
これは、先の戦争で日本が負った犠牲があまりにも大きく、悲惨だったために、戦後の日本人が戦争を嫌うあまり、戦争や軍事について学ばなくなってしまったのが原因だと思います。
つまり、一言で言うと厭戦による「平和ボケ」です。

戦争や軍事を知ることは、決して戦争をするためでなく、戦争を防ぎ、平和を維持するためにこそ必要なのだと、私は思います。
私達が戦争に対して持つべき態度は、戦争や軍事をまったく理解せず、ただやみくもに嫌う「厭戦」ではなく、戦争や軍事の本質を十分理解した上で、戦争にならないよう努力する、「反戦」ないし「非戦」的な態度ではないかと愚考する次第です。
結論から先に書きます。

アベノミクスは、膨大な財政赤字(国債発行残高一千兆円超)を抱えた政府が、中央銀行に通貨をジャブジャブ発行させ、それで得た資金で公共工事を発注しまくるという、人類史上はじまって以来の壮大な経済実験です。

これはあらゆる経済法則に反した無謀な賭けといっても過言ではありません。

この賭けに失敗したとき、私達を待っているのは、年金、医療、教育、警察、消防など、すべての公共サービスが停止ないし低下し、ハイパーインフレによって資産価値が下落し、治安が悪化した社会で、低賃金に耐えてなんとか生きていくか、(可能な人は)国外脱出するという選択肢しかありません。

そんな事態は考えたくもありませんが、税収が劇的に増えるような奇跡でも起こらない限り、いずれそうなることは避けられません。
思えば、国民は最悪の選択をしたものです。

先に私は、【これはクーデターです】という一文で、「今安倍一派が推し進めていることは、実質的なクーデターです」と書きました。
私は冗談や比喩ではなく、本気でそう思っています。
今回はその根拠を少しご説明します。

安倍氏とその仲間が、いつクーデターの計画を立てたかは、私にはわかりません。

しかし、いつ行動を開始したかは大体わかります。
それはNHKの経営委員に、安倍氏と思想が近かったり、個人的に関係の深い、
百田尚樹氏や長谷川三千子氏、本田勝彦氏、中島尚正氏など送り込んだ時だと思います。
すなわち、昨年(2013年)の11月から12月にかけてです。

NHK経営委員は、放送法第31条の規定により「
両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する」となっています。
つまり、事実上内閣総理大臣が任命します。
さらに、その経営委員がNHK会長の任命権を持ちます。
それによって、現在の籾井会長が選ばれたわけです。

ここで思い出していただきたいのですが、革命や軍事クーデターの場合、それを起こした勢力が、権力の掌握と同時に、必ずやることがあります。
それは、放送局の占拠です。
放送局を占拠して、自分達の主張を放送し、正当性を国民に訴えます。
また、反対勢力による放送や、自分達に都合の悪い報道を禁止します。

ヒトラーが権力を握った時代、言論や宣伝は主に新聞・雑誌などの紙媒体によって行われており、ラジオ放送は黎明期でした。
彼は政権につく前から、新聞や機関誌を発行し、宣伝に使っていましたが、政権掌握後はそれに加え、新しいメディアであるラジオ放送や映画を活用しました。
すなわち、
ヒトラーは政権掌握後、ラジオ放送や映画を使って大々的な思想宣伝を行い、ドイツ国民を自らの熱狂的な支持者へと変えていったのです。
安倍氏が、NHK会長に自分の仲間を送り込んだのは、本質的にこれとまったく同じ意図をもつ行動だと思います。

今日はここまで、このテーマ、まだ続きそうです。

ヒトラーの権力掌握と、ワイマール共和国の乗っ取り(換骨奪胎)については、CBSラジオの特派員として、ナチス政権下のベルリンから、開戦前からアメリカが参戦する直前まで、ラジオ放送を行った、ウィリアム・シャイラー氏の「ベルリン日記」をお読みいただくのが、一番わかりやすいと思います。
同氏の「第三帝国の興亡」も大変読みごたえのある名著です。

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集団的自衛権と解釈改憲の問題について、私自身の頭の整理も兼ねて、考えてみたいと思います。

1.日本は集団的自衛権をもっている
 国連の規定(事実上の国際法)により、すべての独立国には自衛権(外国から攻められた場合に自国を守る権利)があります。
 同じ国連の規定によれば、自衛権には個別的自衛権(自分の国を自分で守る権利)と集団的自衛権(他国と条約を結んで、共同で防衛する権利)があります。
 つまり、独立国である日本は、この両方を「国際法上は」保有しています。

2.日本は憲法で戦争を放棄している
 しかし、日本は憲法9条で、国際紛争を解決する手段としての、戦争および軍備を放棄しているので、戦争はできません。
 したがって、自衛権は持っているが、国際紛争を解決する手段としては、それを使えない、という事になります。

3.自衛のための軍備はもてるし、自衛戦争も出来る
 憲法9条では、国際紛争を解決する手段としてではない戦争、すなわち、外国から攻められた場合に、自国を守るためにおこなう戦争(個別的自衛権に基づく自衛のための戦争)や、そのための軍備保有までは禁じられていません。
 これは、憲法に明記されていませんが、従来、政府によってそう解釈されてきました。
 本当は憲法にそう書かなければいけないと私は思いますが、それはさておき、 現在、個別的自衛権は使えるし、そのための軍備は持てる、という事になっています。

4.集団的自衛権は持っているけれども使えない
 上記のことから、日本は、国際法上は自衛権を持っているけれども、憲法9条の規定によって、そのうちの集団的自衛権の方は行使できないという事になります。

5.集団的自衛権を使いたかったら
 ここからは仮定の話になります。
 日本が集団的自衛権を使いたい場合、方法は二つあります。
 A. 一つは、憲法を変えて、集団的自衛権の行使が出来るようにする。
   これは、所定の手続きを踏めば可能です。
 B.二つ目は、憲法解釈を変えて、集団的自衛権の行使が出来るようにする。
   これには、所定の手続きがなく、また、誰がそれをやる権限を持っているのか、難しい問題です。
   普通に考えると、政府の憲法解釈を司るのは内閣法制局ですから、そこの長官に憲法解釈を変える権限がありそうですが、そうではありません。
  憲法を解釈するのはあくまでも政治家である内閣総理大臣であって、法制局長官は、その正当性を判断するだけです。

6.では、総理大臣に憲法解釈を変える権限があるか、というと微妙な問題だと思います。 
 すなわち、私が総理大臣になったら憲法解釈をこう変えますよ、ということを明らかにして総選挙をやってそれに勝ち、かつ、その憲法解釈に正当性がある(無理がない)場合には、変えてもいいような気がします。
 しかしその一方、総理大臣には憲法を遵守する義務があります。
憲法を守るべき総理が、憲法解釈を自分の都合のいいように変更していいかというと、普通に考えれば、そんなことをしては駄目だ、ということになると思います。
 また憲法を変えるには所定の手続きがありますから、解釈変更などという変則的なことをする必要はまったく無いわけで、その点からも、やはり総理大臣が憲法解釈を変えると言うのは、無理があると思います。

7.【結論】すなわち、一定の条件が整えば、総理大臣に憲法解釈を変える権限はあるかもしれないが、憲法を遵守する立場にある総理大臣は、それをやってはいけない。というのがこの問題に関する私の結論になります。

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