私がいるテキサス大学の物理学科は今から四、五十年前のある時期に突然質が良くなりました。その後現在に至るまで、ノーベル賞学者や物理の歴史にでてくる蒼々たる人たちが名を連ねています。四、五十年前に何が起こったのでしょうか。
一つ考えられることは、テキサス州は大変な金持ち州で、テキサス大学にも潤沢な資金がある。だから、東部の有名大学の教授連をいくらでも引き抜くことが出来たのではないかと思われるかも知れません。でも、そんな理由ではありません。何故なら、テキサス大学がお金持ちだったのは、それよりずっと以前からだったからです。
実は、私が思い至ったのは、ちょうどその頃テキサス大学にエアコンが入ったことです。テキサス大学のあるこのオースチンの町は、夏には30日以上に渡って連日40Cを越えるときが幾らでもある。だから、東部の先生にどんなに札束を重ねて招聘しても、夏は全く仕事にならず、よっぽどビールでも飲んで昼寝をしていた方が増しだ。だから、彼等は一夏を過ごすと、いくら給料を上げてやると言っても東部に帰ってしまったのでしょう。
ところが、その地獄の夏にエアコンが入った。そこに持って来て、大学が札束攻撃で一流学者の引き抜きを始めた。これなら、文句なく凄いのが集まって来て、見る間に大学の質が上がって行った。これが、私の説です。
エアコンのお陰でテキサスが如何に快適かと言うと、私は夏の数ヶ月をベルギーのブリュッセルで20回以上過ごした経験がありますが、そこでは、夏のある時期の2週間ほどを除いてエアコンが全く要らないくらい夏が快適でした。だから、エアコンを入れているところなんて殆どありませんでした。ところが、その2週間は気温が連日35Cを越え、その時は扇風機も瞬く間に売り切れてしまい、地獄の暑さを味わいました。テキサス大から来てドイツの大学で一夏過ごした先生も、その地獄の暑さについて触れ、テキサスに居ればよかったと言っておりました。
このように、技術による一寸した進歩が、そこの文化を全く変えてしまうことがあるのですね。
他の例では、石鹸の発明で戦争で出兵した人たちが清潔な生活が出来るようになり、不潔が原因で病死する兵士の数が激減した。その結果、戦争の形態が一変したと言うのもあります。
実は、そのことに関するもっとドラマチックな例を、『サイバネティクス』で有名な偉大な数学者ノーバート・ウィーナーの『人間機械論』と言う本で昔読んだことがあります。今その本が手元にありませんので確認できませんが、彼は時計のテンプの発明があの大航海時代をもたらしたのだと書いていたと、記憶しています。
それ以前の正確な時計は振り子時計だけだったので、波で揺れる船の上では使い物にならない。ところが、陸の見えない海の上で東西の経度を確認するには、磁石だけではだめで、ある時刻の天体の恒星の位置を確認しなくてはならない。だから、正確な時計がない時代には、船乗りたちは陸が見えなくなることを極度に怖れていた。ところが、テンプの発明で船の中でも正確に時が計れるようになり、それを契機として大航海時代が始まった、と書いてあったのです。
「ヘー、こんな何でもない発明が人類の歴史を全く変えてしまうんだ」
と、私はその当時強烈な印象で、そのことを覚えていました。
ところがどっこい、そのことについてこのブログに書こうとして、今回改めてウィキペディアでテンプの発明を調べてみたら、テンプは、物理学でバネに関する
「フックの法則」で有名なロバート・フックによって発明されたと書いてある。フックは1635年生まれだ。一寸待った。コロンブスが「イヨークニが見える」ってアメリカを発見したのは1492年、関ヶ原の戦いが1600年だ。
だから、ウィーナーの言ってることは時期年代が全く矛盾している。まあ誰でも考え違いはするものですが、こんな偉い人でも考え違いをするんだと、凡人の私は嬉しくなりました。喜ばせてくれて、ウィーナーさんありがとう。
でも、もしかしたら私が記憶違いをしているのかもしれない。もしそうだったら、ウィーナーさん御免ね。その代わり、私の考え違いだったら改めてウィー
ナーさんに感心してあげますので、このことに関して、どちらにしても、ウィーナーさんの存在は私には意味があったようです。