ゼノンのパラドックスと量子力学 | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

Quoraに対して、ゼノンのパラドックスについての私の書き込みに次のような反論は来ましたので、それに対する私の回答をここに載せておきます。

 

その反論とは以下の通りです。

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野矢茂樹の「無限論の教室」という本によると、ゼノンの一連のパラドックスは、無限の足し算が有限の値に収まると考えても解決しないそうです。なぜなら問題は、無限回の作業が完了し得ないというところにあるからです。

たとえばアキレスと亀のパラドックスで、亀の後方から出発したアキレスが亀がさっきまでいた地点に到達する度に0.1.2.3….と自然数を数えていくとします。

アキレスが亀に追いついた時、彼は自然数を数え終えたことになる。しかし、そんなことはありえない。最後の自然数が矛盾概念だからです。あるいは無限回の作業は完了しえないからです。

つまり線分の中にすでに無限個の点が含まれていると考えると、問題が生ずる。そして、飛んでる矢のパラドックスも瞬間点を考えることによって生じる問題のように思えます。

私はゼノンの一連のパラドックスをこのように受け止めていました。

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それに対する私の回答は以下の通しです。

 

私の見たところ野矢茂樹氏は数学の概念と物理学の概念をゴチャゴチャにして混乱しているようです。

数学の問題と捉えた場合でも物理学の問題として捉えた場合でも野矢茂樹氏の言う「最後の自然数が矛盾概念だから」と言うこととは無関係にこの問題の決着をつけることができます。

さらにこの問題は下で詳細に説明しますように、物理学の「量子ゼノン効果」と言う現在物理学で活発に論じられている問題と絡んだ面白い問題です。そしてこの場合には物理的な観測とは何か、さらにその作業をどのように定量的に扱うことができるのかという問題に絡んできます。

先ず数学の問題として捉えてみましょう。時間は連続無限の集合であり、過去から未来へ連続的に流れています。この場合、可付番無限に細分化された無限級数の総和が上から押さえられた有限値になっていることが重要です。ですから、その有限値より大きな値を持った時刻ではすでに矢は壁に届いています。従って、無限級数の和が有限値を持つことが証明できたら、「最後の自然数が矛盾概念だ」と言うことに無関係に矢が当たることが証明されたことになります。それどころか、この無限級数の総和の値が、矢が当たる時刻を厳密に言い当てています。

次に、これを物理学の観測の問題として考えてみます。物理学では観測をすると言うのはある物理的な行為です。観測するとは、例えばその被観測体に光という光子である量子を当ててその被観測体を構成する原子や分子と光子が相互作用をしてはね返ってきたものを観測する行為です。もっと詳細に言うと、はね返ってきた光子を観測器を構成する原子や分子と相互作用させてその観測器の時間変化を見る行為です。そしてこの物理的な行為をした場合に、当然その被観測体がその物理的行為で影響を受けてその運動形態が変わることがあるはずです。そこでその影響はどう言うものか言う問題が生じてきます。

このことに関して、例えば原子分子から出てくる光をその途中の過程で何回も観測し続けて行くと、その光の出方に影響が出ることを私の友人のB. Misraと G. Sudarshan が示して一躍脚光を浴びました。それが量子ゼノン効果です。この効果はゼノンの矢の問題を彷彿とさせるので、彼らは初めこの現象を「量子ゼノンの矛盾」と名付けました。彼らはこの現象を量子力学の原理であるシュレーディンガー方程式と、それとは完全に独立な原理体系であるフォン・ノイマンの観測の理論を援用して論じたのです。しかしその後、私はこの問題はフォン・ノイマンの観測の理論を援用することなく、シュレーディンガー方程式だけを使って純力学的過程として理解できることを示しました。一番下に引用した文献を参照して下さい。そしてこの現象が観測の理論を使わずに、力学の原理だけで完全に理解できることが明らかになったので、これを量子ゼノンの矛盾とは呼ばずに、量子ゼノン効果と呼ばれるようになりました。

上記で説明したようにゼノンの矢に光を照射すると、その矢を構成している分子は必ずその照射を受けてその運動形態を変えます。しかしこの場合、その矢を構成している分子の総質量は個々の分子の質量よりも圧倒的に大きいので、光の照射で起こる矢の運動の変化は無視できるとしてよろしい。ここが、数個の原子分子の振る舞いを論じる量子ゼノン効果とは決定的に違うところです。量子ゼノン効果の場合にはその振る舞いの違いを量子力学の運動方程式を解いて定量的に評価することがその効果の分析の中心課題になっています。ところがゼノンの矢ではその部分を端折ることができるので、話がずっと簡単になっています。

とこで、力学によると相互作用によって起こる時間変化は必ず有限な時間が掛かります。もしその過程が一瞬で起こるとすると相対性理論に矛盾してしまい因果律が成り立たなくなってしまうのです。そしてその有限な時間はシュレディンガー方程式などの力学の方程式の解を求めることで計算することができます。ですから、矢の位置の壁からの距離の半分、その半分、そのまた半分、、、と分割して測定して時間を細分化しても、矢の移動時間は有限な幅の時間尺度で細分化しているので、有限の数にしか細分化できません。ですからその測定をしているうちに有限回の測定で矢は壁に当たってしまうのです。ですから、「最後の自然数が矛盾概念だから」と言う数学的言質とは無関係に矢は壁部当たるという結論が導き出されてしまうのです。

以上

 

"Quantum Zeno Effect" T. Petrosky, S. Tasaki and I. Prigogine, Physics Letters A 151 (1990) 109-113

"Quantum Zeno Effect," T. Petrosky, S. Tasaki and I. Prigogine, Physica 170A (1991) 306-325