イマジン:ジョンレノン、名曲だけど | texas-no-kumagusuのブログ

texas-no-kumagusuのブログ

トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

ジョンレノの『イマジン』と言う曲の歌詞は人を引き付ける魅力がありますね。しかし、この曲で歌われて内容は、社会の成り立ちをまだ十分に理解していない人生経験の乏しい人達にとっては、実は危険を孕んだ歌詞であることを論じてみます。

一見関係ないような話ですが、会社の社長の役割を先ず考えてみましょう。残念ですが、社長のいない会社は必ず潰れます。何故でしょう。それは人間の考え方は多様で価値観も多様ですので、人間は話し合えば全てのことが同意できると言うわけではない。人間には話し合っても合意できないことが幾らでもあるからです。

また、たとえ話し合っていれば最終的に合意できる事柄でも、今目の前で起こっている問題を3日以内に解決しなくてはならないのに、その合意に達するのに1週間以上かかってしまうというような事柄が、人間社会には幾らでもあるからです。だから、その組織の構成員全員が納得する前に、誰かが強権で意思決定を下さなくてはならないことだらけなのが人間社会なのです。さもないと、その組織は滅んでしまう。だからどの会社にも社長が必要なのです。

そして、会社同士が生き残りのために他の会社と熾烈な戦いをしたり、妥協して協力関係を結んだりしている。もちろん協力関係も妥協の産物ですから、その共同体の意思決定も協力者同士の間に序列を作って、どちらかに相対的な強権を与えなくては、その共同体も分裂してしまいます。

妥協が嫌だ、熾烈な競争が嫌だというなら、世界中の会社を合併させてたった一つの地球規模の会社にすれば良いのか。しかしそれは単に一つの独占企業を作ることですから、その会社は好き勝手なことをやりだす。

単なる利害関係が原理となっている会社ですら、組織を動かす上で役割に序列を作り社長という指導者を選出しなくては滅んでしまいます。また、たった一つに統一した共同体を作ることは、人々を不幸にしてしまいます。

ましてや、国の営みはこの会社の営みよりもはるかに複雑で多様な営みです。ですから、国の意思決定をタイムリーに責任を持って下す指導者が必ず必要でなのです。さらに、世界中の人間を一つの価値観に統一する営みは、世界中の人間を不幸にしてしまうのです。

我々のできる最善のことは、決してジョンレノンのいうような、人々が同じ一つの価値観で統一して一つの共同体を作り出すことではありません。その反対に、多様な価値観の存在を許容し、お互いに付かず離れずに適当な距離を置きながら礼を持って尊敬しあった国々の存在を認めることです。さらに、その国の指導者を誰にするのかは、その国の人の総意に任せる。そして、不幸にもその総意が自分たちの首を締めることがないように、その国の国民の民度の成長を祈る。それ以外に、人々が安寧で暮らす方法はないでしょう。

その結果、時々国々の間で価値観の違いの衝突が起こることは止むを得ない。それを無理に一方側の価値観だけを強権で押し付けてしまうと、もっと不幸になってしまう。

人類は、意識の領域でもまだ成長過程の真っ只中にいます。この最善の状態、すなわち、

 

1)多様な価値観の存在を許容し、お互いに付かず離れずに適当な距離を置きながら礼を持って尊敬しあった国々の存在を認める

 

さらに、

2)その国の指導者を誰にするのかは、その国の民度を高めて、その人々の総意に任せる

 

もまだ達成できていません。しかし、数千年の痛い歴史的経験から、人類はそこに向かって少しづつ確実に前進しています。

人々の不幸を見て苛立ち、この1)と2)を無視して、その反対に、人類を一つの価値観で統一しようという運動が歴史には繰り返し現れてきました。その典型がマルクスでありエンゲルスでした。その結果スターリンや毛沢東やポルポトなどの独裁者を生み出し、数千万人が殺戮されてしまった。

ジョンレノンのイライラは心情的に理解できますが、人類の経験してきたこの悲劇は、我々に、その心情どおりにことを運んでしまうことが、いかに危険であるかを教えてくれています。

you may say i'm a dreamer, and I'm not the only one . I'm afraid  someday you'll join us, and the world will be desroyed.