それでも地球が回っている | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

私は物理学者ですが、その私が皆さんに質問です。さて、太陽が地球の周りを回っているのか、地球が太陽の周りを回っているのかどちらですか?

 

texas-no-kumagusuのブログ-天動説

 

私は博士課程の大学院生を指導していますが、私の研究室にきた物理学者の卵たちに、この質問を必ずしています。もちろん大学院生たちは、地球が回っていると答え、何でこんな誰でも知っていることを聞くんだってな顔をします。

その答えを聞いてから、

「では、どうしてそう考えるのですか。私にはどう見ても太陽が回っているようにしか見えない。私は今まで一度たりとも地球が回っていると感じたことがありません。貴方たちは地球が回っていると飴と鞭で洗脳されて来ただけじゃないんですか?」

と言います。

学校での試験で、地球が回っていると答えると正解と褒められる。だから飴です。自分の感覚通りに太陽と答えるとバッテンという鞭が飛んで来る。だから、そのうちに、自分の感覚を信用しないことが正しいんだと信じるようになり、遂には、太陽と答えた人を馬鹿にするようになる。それだけなんで、本当のことは知らないんですよね。

物理の授業では自分の経験や感覚を信用してはだめだと言うことを、これでもかこれでもかと教わります。例えば、等速で直線運動している乗り物で物を落したら、それは後ろに飛ばず真っすぐ落ちると習います。うっそー!車の窓の外に物を捨てると必ず後ろに飛んで行く経験しかしたことが私にはありません。

床に物を滑らすとどんな状況でも何時かは必ず止ってしまうのに、そして私が一度も経験したことがないのに、永久に真っすぐ進む場合があり、それがこの世界であり、それを慣性系と言うなんてだなんて教わる。

これって全て洗脳なんですね。世の中のほとんどの人たちはそのように洗脳されても全く問題はありません。でも、物理を研究しようとしている人たちはそうは行きません。研究で新しい事実を発見するのに最も重要な道具は、自分の経験と感覚だけなのです。だから、その二つを信用してはいけなかったら、研究など全く出来ません。

その辺を弁えていず、さらに、数学は出来るが物理学とは何であるかを全く理解していない連中が危険なのです。その人たちは、ある思考の産物が数学的に無矛盾なら、どんなに自分の感覚と相容れなくてもそれがこの世界に実現している、と言い出すようになる。自分の感覚や経験に頼ることなく、数学の整合性にだけ頼ってしまい、この宇宙の空間的次元は10何次元あるのだと言ったり、この宇宙は人間が観測する度に同時に幾つもの独立な世界に分岐する多世界の中の一つなんだなんて、頓珍漢なことを平気で言うようになってしまう。

そんな連中は、この宇宙では数学的論理的に可能なことが全て実現するわけではないと言う、物理学の最も基本的なことを理解していない。論理的でありさえすれば何でもありと言うのは、それ固有の特徴がない、すなわち個性がないと言うことです。そのあらゆる可能な数学的論理の中で、どの特殊なことだけが起こるように制限されてこの宇宙が出来ているのか。例えば、光より速く走る物体の存在する世界を数学的に無矛盾に想定することは出来ます。その数学的想定物はタキオンと呼ばれています。でも、この宇宙ではそうはなっていない。数学的論理的に可能なあらゆる世界の中で、そのような制限を持った特殊な原理を探ることによってこの宇宙の個性を知ろうとしているのが物理学なんだと言うことを理解していないんですね。これは物理学者にとって危険なことです。

だから、私は、上の院生たちに次の模範解答を教えます。

「私には太陽が回っているとしか見えないんだけど、皆さんには、『もちろん地球が回っている』と答えておきます。そう教わって来たので、そう答えておかないと、皆さんから無教養な馬鹿者だと思われてしまいそうですから。でも本当のところは知りません」

と答えます。

正直に言って、本当に私はその答えを知らないのです。だから自分の感覚の方が正しいかもしれない可能性もあるかもしれないとも思っています。でも、もし私が、太陽が回っている方が正しいと言うことを証明して見せたら、コペルニクス的大回転を起こしたことになり、ノーベル賞どころではない。科学者としてこれほどの名誉はないでしょう。なのに、何故それを私の研究課題に選ばないのか。

それには理由があります。実は、地球が回っているのだと言う感覚を味わったことがまだ一度もありませんが、私はそれを味わえる可能性のある方法を知っているのです。

それは、かつてケプラーがやったように、地球が回っていると言う仮説を立てて、今まで得られた観測値を克明に調べて行く方法です。そのときに、太陽の周りの地球の軌道は、四角形軌道だとか、六角形軌道だとか、円軌道だとか、楕円軌道だとかの仮説を立てながら分析する。その分析は多分数年かかるでしょう。でも、 その結果、円運動を仮定したときは、その仮説は観測値とは一致しないので、そんな段階で、地球が回っているなんて感覚は出て来ないでしょう。でも、楕円軌道だと仮定したときにその観測値がピタッとあって、そのとき、

「あっ、地球は太陽の周りを回っているんだ」

という感覚を心から感じてしまう可能性が、もの凄く高いと思っているのです。だから、私は答えがどちらか知らないとは言え、数年かけた努力の結果、矢張りケプラーは正しかった、という結論しか出て来ないような気がしています。

だったら、そんな、今までの考え方が正しかったなんてことを証明する研究課題を選ぶより、何か皆さんがアッと驚いてくれる可能性の高い別の研究課題を選んだ方が、短い人生を賢明に生きることになるのではないかと考えているのです。

だから私には太陽が回っているように感じているのですが、本当のことを知らないくせに

「それでも地球が回っている」

と言うことにしているのです。

 

それでも地球は回っている       それでも地球が回っている