散逸構造の理論とホーキング博士の「時間」 | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

ご回答ありがとうございます。「散逸構造の理論」の話を差し置いて、レスする失礼をお赦しください。

まず、物理学の法則、複雑系の物理学について、お聞きします。
 

それ(時間の矢の存在)は、時間は、エントロピーの増大(熱力学)によって確実な「矢」を持っているという理論ですか?
 

また、第二の質問なんですが、加藤文元氏の数学の本を読むと、数学というのは、モデルである。「発明」である(新書「数学する精神」にあるゼノンの矢の反論にあります)と語っています。それと、ホーキングの『モデル』は同じことを言っているのでは無いでしょうか?とすると、時間というはやはり「発明」なのでは?

と言うやり取りをQuoraと言うSNSの質疑応答欄でありましたので、これに関してそちらに載せた私の回答をここに書き残しておきます。

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ご存知かもしれませんが、物理学の基本法則と呼べるものは、ニュートンの法則と、マクスウェルの法則と、シュレーディンガーとハイゼンベルグ方程式と、一般相対性理論です。これらはとてつもなく奇妙な共通性を持ってます。それは、その全てが決定論的な微分方程式で表されていることです。確率論的微分方程式ではない。その結果、この宇宙では、初期条件が与えられると、全ての過去と全ての未来が一意に決まっていることを主張しています。いわゆる決定論的な世界観というやつです。その結果、全ての未来の情報は今現在の時刻に入っていることになり、時間をずらしても全く何も新しい情報も事柄も創出されません。ですから、これら基本法則では、この宇宙は実質「「無時間」の世界であると主張しているのです。
 

これはいわば神の見た世界です。過言すると今までの物理学はユダヤ・キリスト教の一神教的な世界観の数学具現化と言うこともできます。この事実はニュートンの法則が提示された時にすでに認識されており、ニュートンの法則の発見で神の存在が証明されたと主張したライプニッツとそれに反対するニュートンの間で書簡による大論争があったことが記録されています。
 

しかし、物理学の中で熱力学と統計力学だけがその主張と相い入れず、したがって、伝統的な物理学者の間では熱力学は異端であると考えられています。(皮肉にも、量子力学という基本原理が、熱力学によって発見されたにも拘わらずにです。)
 

それに対してボルツマンは決定論的な力学的世界観と非決定論的な熱力学的世界観を統一しようとして、エントロピーの数学的モデルを力学から導き出しとた主張しました。いわゆるボルツマンのH関数とH定理です。ところが、H関数を提示した直後、ツェルメロとロシュミットとポアンカレによって、エントロピー増大の法則は決定論的な力学法則からは導き得ないことが指摘されてしまいました。そこで、ボツルマンは時間の向きの対称性を破るエントロピー法則は、我々人間の不完全性に基づく情報処理の欠如から、決定論的な力学方程式を厳密に解くことが不可能なので、それを粗視化して平均値などの置き換える我々の行為の結果導き出されるのだと、主張を変えました。そして、決定論的な力学原理を金科玉条とする大多数の物理学者はこのボルツマンの考え方を支持しています。
 

余談ですが、プリゴジン教授はボルツマンのことを、
 

「この人は力学という決定論的な女性と熱力学という非決定論的な女性の両方に惚れてしまった人だ。その結果の板ばさみとなて、彼は自殺してしまった」
 

と形容していました。事実ボルツマンは自殺しております。
 

さて、ボルツマンの考え方が正しいとすると、この世界に時間の向きはなく、ただ、我々人間の不完全性が一見時間には向きのがあるように見えているだけで、本来我々は無時間的な世界に住んでいるのだが、時間の矢が存在している世界だと誤解しているだけなのだということになります。現に、アインシュタインは

 

「時間は幻想である」
 

と言っています。こういう物の見方を「人間中心主義」と言います。要するに、我々が歳を取って行くのも幻想であると言い出しているのです。
 

もともと、エントロピーの法則は、時間の向きは物理系の秩序が乱れて崩壊して行く方向に流れているということを主張してます。こんな悲観的な法則では、その根拠の物理的根幹を解き明かそうという動機を出してくるのも難しいでしょう。さらに熱力学系は粒子の数など、自由度の数がとてつもなく大きいので、力学方程式を厳密に解いてそれを説明することも絶望的です。ですから、今までボルツマンの解釈で、「まっ、良いか」とされてきたのです。現にファインマンの教科書を読んでもランダウの教科書を読んでもそのように書いてあります。
 

ところがプリゴジン教授から直接聞いたのですが、
 

「この世の中って生物の世界も人間社会も一見エントロピーの法則とは逆に時間と共に、より高度な秩序を持つ方向に進化してきたよね。我々人間の不完全性に基づく情報処理の欠如の結果からその進化が得られたって、おかしいじゃないか」
 

と若い頃から考えていたそうです。
 

そこで、プリゴジン教授は非平衡熱力学と非平衡統計力学を徹底的に研究して、「散逸構造の理論」に到達したのです。散逸構造は、次の3つの条件を満たすとそれが物理学の法則に従って創発されます。
 

1)系全体の閉じた系では、今まで通りエントロピー増大の法則、すなわち熱力学第二法則が成り立っている。要するにこの宇宙には時間の矢がある。
 

2)その系全体の一部分を取り出してみると、その一部分はその周りの外界とつながっている開放系になっている。そこで、その開放系に着目する。
 

3)その部分系は熱平衡状態から十分に離れており、いわゆる非線形力学効果が無視できない状態にあるものとする。
 

この3つの条件を満たすと、その部分系は、初期の安定した単純で構造の少ない無秩序な状態から、物理学の法則に従いながら自発的に複雑でより高度な構造が創発してくることを定量的に示したのです。要するに、この宇宙では全てのものが前以て与えられているのではなくて、神様でも予測できないことが自発的に創出してくると言うのです。その定量化された理論は自然界のあらゆる分野で確認されたので、プリゴジン教授はその功績でノーベル化学賞をもらいました。そして、我々の脳味噌もような散逸構造の典型的な事例であることがどんどん明らかになってきているのです。
 

この3つの条件の中で、物理学的に見て、最も重要な条件は1)のエントロピー増大の法則です。上記したように、この宇宙には過去から未来に向かう一方的に流れる「時間の矢」があることを主張しているのです。そして、エントロピー増大の法則は「散逸現象」として象徴されるので、プリゴジン教授は物理学の法則に従って自発的に現れるこの構造を「散逸構造」と名付けました。
 

要するに、決定論的な世界観に立つ伝統的な物理学では、人間がいるから時間というあたかも一方的に流れるものがあるように見えると主張していたのですが、それに対して、プリゴジン教授は、もともと向きを持った時間があるから我々がこの宇宙に出現きたのだと言っているのです。プリゴジン教授は
 

「我々は時間の子供であって、時間を生み出した親ではない」
 

という表現をしばしば使っていました。
 

ところで、上記の条件1)では本当にこの全宇宙が閉じた系になっているかどうかという問いが当然出てきます。しかし、熱力学が成り立つための必要条件を考えれば、この問題は重要でないことがわかります。熱力学が成り立つ必要条件は、粒子間の距離が短距離力であることです。重力は長距離力であるために、熱力学の基本的な要請を満していません。従って、せいぜい我々の太陽系の程度の大きさまでは、重力は分子間力と比べて全く無視できますが、銀河系以上の大きさのスケールになると、重力が圧倒的に重要になってくる。その結果、その大きさ以上の世界では熱力学的平衡状態というものに意味がなくなってきます。ですから、この宇宙の部分系は重力のおかげて、熱力学的に非平衡状態に常に保たれている。現に銀河系の状態に熱平衡状態はありません。そういう意味で、重力が系全体としてこの宇宙を非平衡状態に保っている役割をしているのです。ですから、宇宙全体が閉じた系であるのか開放系であるのかは、この散逸構造の理論に影響を与えません。

現在の物理学の大問題の一つは、物理学の決定論的な基本方程式とこの宇宙で我々の存在を許している時間の矢の存在を、人間中心主義に訴えずにどのように折り合いをつけるかという問題です。この問題は宇宙論ではなくて、複雑系の物理学の分野で現在活発に研究が進められている問題です。私もプリゴジン教授との共同研究でこの問題をずっとやって参りました。