ハイゼンベルグの神懸かり | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

量子力学を勉強すると、シュレーディンガー方程式がどのようにして発見されたかについて、ドブロイの波動の流れから何と無く分かりやすいのですが、ハイゼンベルグが量子力学の基本原理である正準交換関係式を発見した経緯は、多分ほとんどの人が知らないのではないでしょうか。そこで、今回は、ハイゼンベルグがその基本原理を見つけてきた経緯を紹介しましょう。

 

近年に書かれている量子力学の教科書では、いきなりシュレーディンガー方程式やハイゼンベルグの交換関係ありきで出発してしまうので、何故先人たちがこのような突拍子もない神懸かりに気が付いたのか、いくら教科書を読んでも判らなくなってしまっています。

 

量子力学を金科玉条として、これを超えた力学を発見してみたいという本来の物理学者の夢を追うのではなくて、量子力学を神聖不可侵のものと考え、それを工学的にどのように上手に使いこなし応用してみせるかという、理学者ではなくて工学者的な寄与をしたい人にとっては、その発見に至る神懸かりを理解しなくても、それで十分にやって行けます。いわば、与えられた規則の欠陥を指摘するのではなくて、既存の規則をいかに誰よりも深く理解し、誰よりも上手に使いこなしてみせるというお役人や官僚的な能力のある人には、それで良いでしょう。

 

ところが、そもそもこの規則で良いのかという疑問を提示して、既存の規則の不完全な部分を抉り出し、それをもっと適切な新しい規則に置きかえようじゃないかという、本来の意味で政治家的な能力のある人にとっては、先人たちがなぜ、シュレーディンガー方程式やハイゼンベルグの正準交換関係に気がついたのかという思考過程を追体験しないことには、新しい世界が見えてきません。

 

その神懸かりの部分を詳しく説明している教科書は、私が勉強した範囲では、朝永振一郎の『量子力学1』だけでした。それによると、ハイゼンベルグは原子から出てくる光の振動数が必ず、ある規則に従った二つの項の和か差で表されるということを実験事実から指摘したリュードベリ・リッツの結合則に事の本質が隠れていると考えことが決定的だったようです。ハイゼンベルグは、それをマクスウエルの電磁方程式から導き出そうとしました。朝永はハイゼンベルグのその計算を具体的に示しています。そしてマクスウエル方程式をフーリエ展開で解くに当たって、位置変数と運動量変数の積が現れてくる部分で、その変数の積を交換した時に、あるお釣りが出てくると仮定すれば、上記のリュードベリ・リッツの結合則が導き出せることに気づいたそうです。もし位置変数も運動量変数も単なる数だったら、そんなお釣りが出るはずがないのです。そして、これが、ハイゼンベルグの正準交換関係の発見だったそうです。

 

実は、この話を私の先生だったノーベル化学賞を受賞したイリヤ・プリゴジン教授に指摘したところ、教授はその経緯を知っておりました。そのとき私は、量子力学の黎明期にその発展を目の当たりに見ていた科学者たちは、ハイゼンベルグのこの神懸かりの経緯を皆知っていたのかもしれないと思いました。

 

ところが、そんな神懸かりに興味がなく、量子力学を神聖不可侵のものと考え、それをただただ工学的に応用してみようという人たちがその後に一杯出てきて、その人たちが量子力学の新しい教科書を書くようになってしまったために、このハイゼンベルグの神懸かりが忘れられてしまったようです。