悲しい…じゃなく寂しいだった
ひめがいなくなって、もうすぐ1年になります。その間、ひめを思い出さなかった日は、1日もありません。朝起きたら『ひめ、おはよう!』カリカリをお供えする時は『ひめ、ゴハンだよ!』出かける時は『ひめ、お留守番してるんだよ!』帰ってきたら『ひめ、ただいま!』寝る時は『ひめ、おやすみ!』だけどもう、ひめからの返事はありません。だからつい、口からこぼれてしまいます。『ひめ、いないな…寂しいなぁ。。。』あまり悲しんでばかりいると、ひめが心配するって思っていたけど…悲しいんじゃなく、寂しいんだって気付きました。もちろん、悲しみは少しはあるけど、それ以上に感謝です。ノルウェージャンの平均寿命は11歳~14歳と言われており、ひめは14歳7か月頑張ってくれました。ひめがタケヤン家の子になった時、『この子は最後まで、しっかり面倒を見る!』って覚悟しました。ひめはそれを叶えさせてくれました。いつも家にいて、我々を待っていてくれました。3度の引っ越しにもついてきてくれて、常に一緒にいてくれました。最後の数日も、奥さんが金曜日に休みを取っていた日に合わせてくれたかのように、ずっと一緒にいる事ができました。イボを取る手術も日帰りだったし、何度かオシッコ系の病気にもなったけど、入院もありませんでした。大病もせず、ひめが家にいなかったのは、避妊手術をした日の1泊だけです。だから、そんなひめに対して、悲しいよりは『ありがとう』という気持ちです。家の子になってくれてありがとう!いつもいい子でいてくれてありがとう!長生きしてくれてありがとう!だけど、14年も一緒にいた子が急にいなくなったら、やっぱり寂しいんです。タケヤンは自宅で仕事をしているから、話し相手はひめだけでした。仕事中に『おしっこした!』って言いに来てくれたり、『ご飯食べるからちょっと来て!』ってわがまま言ったり…。その度に仕事の手が止まって、『ひめ、わかったよ!』『ひめ、ちょっと待ってね!』。そんな他愛もない、会話とも言えない日常が、とても楽しかったことが思い出されます。だけど今は、朝に奥さんが出勤してから帰ってくるまで、話し相手はいません。だからつい、口から出ちゃうんです。『ひめ、いないな…寂しいなぁ。。。』