元気だった頃のひめは、ストーブ前が冬の定位置でした。
去年のこの日より、ひめの闘病生活がスタートしました。
夜中におしっこを2時間ほどの間に20回くらい行くようになり、その後治まったけど病院に連れて行くことになりました。
病院が開いた時間に、まずタケヤンだけが行って先生に相談。
以前に膀胱炎を起こしたときに、『1度、鎮静をかけて検査した方がいいですね』って言われていたので、お願いする事にしました。
相談の結果、午後診療が始まるちょっと前に、ひめを連れていくことになりました。
そして、それまでは絶食です。
家に帰り、ひめに言いました。
『今日は病院に行って、ひめの具合悪いところ治してもらうんだよ!』
『だからゴハンは我慢するんだよ!!』
ひめは納得したのか、ふてくされたのか、コタツの中で過ごしていました。
そしてお昼です。
家で仕事をしているタケヤンは、昼休みにはベッドの上で壁にもたれて座って過ごします。
するとひめがベッドに乗ってきて、タケヤンの太ももにピッタリくっついて横になりました。
その姿は、ゴハンをねだっているのではなく、ちゃんと理解しているように見えたものです。
ひめは賢い子でした。
そして病院に行って、いろいろと検査をしてもらいましたが、すごく悪いというところはありません。
でも、年齢なりに腎臓が悪くなっていました。
だけどすぐにどうこうなるような数値ではないので、とりあえず膀胱炎を抑えましょうという事になったんです。
ネコなので、腎臓に関しては注意していたし、ある程度は覚悟していました。
なので、ついに来たか…という感じでした。
それでも、きっとこんな調子で少しずつ悪くなっていって、数年後に眠るように逝ってしまうんだろうなって思っていました。
ある朝、ひめ起きてこないなぁ…って見に行ったら、もう冷たくなっていたというような…。
そんな穏やかなお別れを迎えるんだと思っていました。
穏やかな死が、ひめへの最後のプレゼントになればいいなって思っていました。
うちの子になってくれて、ずっといい子で過ごしてくれた、ひめへの最後のご褒美です。
だから、それから半年も経たずに逝ってしまったのはショックでした。
それに、穏やかな死を迎えてほしいと思っていたのに、最後はちょっと苦しそうにしていたのが可哀想でした。
だけど今にして思うと、その時のひめは、もう意識がなかったんじゃないかって感じています。
そう思う事で、ちょっとだけ救われる気がします。
先日、ある駐車場でわんこ3匹を連れたおじさんに出会いました。(タケヤンもおじさんですが、その方は10歳以上は先輩に見えました)
とても人懐っこいわんこ達で、車から降りたわんこ達がおじさんにリードを持たれる前に、タケヤンのところに挨拶に来てくれました。
ほとんど人が来ないところなので、ある程度はノーリードでも問題ないかと…。
そこで撫でながら軽く世間話をしたのですが、流れで『うちにはネコがいたんですが、4月に死んじゃったんですよ…』って会話になりました。
おじさん:何歳だったの?
タケヤン:14歳です。
おじさん:大往生ですね。
タケヤン:そうですね…
確かに14歳7か月生きてくれたから、世間的には大往生かもしれません。
だけどタケヤンとしては、もっと一緒にいたかったです。
あと数年は…。
せめて9月のひめの誕生日までは…。
もうすぐ桜が咲くから、一緒に見れるかな…。
こんな思いで、日々を過ごしていました。
だから、大往生なんかじゃないんです。
それを、会ったばかりの他人に言われた事に、非常に疑問を持ってしまいました。
きっとおじさんは、長生きして良かったね!…って意味で言ったんだと思うんです。
それはわかるんですが…。
ひめよりも早く逝ってしまったネコちゃんや、通院に大変な思いをしている飼い主さんがいる事も承知しています。
だから、そんなネコちゃんに比べると、ひめは良かったのかもしれません。
でも…、タケヤンはひめが一番です。
だから比較はできません。
もう少し、長生きしてほしかったな…