我が家の愛猫『ひめ』が、4月17日に逝ってしまいました。

ひめがいなくなってから、ひめの最後について、よく思い出します。


生きているひめに最後に触れたのは、タケヤンの左手に支えられながら、苦しそうに茶色の液体を大量に吐き出して、息を引き取った時です。

自宅で最後にひめに触れたのは、火葬場に連れて行く前に、ひめが我が家にやってきた時に入っていた箱に、ひめを入れた時です。

ひめを最後に抱っこしたのは、火葬の前のお別れの時間でした。

そして、本当に最後にひめに触れたのは、火葬される前のひめに、大好きなおもちゃをあげた時です。

死後硬直が始まって固くなってきたひめの前足と前足の間に、10cm程の人形を挟んであげました。

キャットニップが仕込まれているおもちゃで、それで遊んでいる時のひめは、いつも大興奮でした。

よく前足で挟んで持ち上げて、ブンッって放り投げていました。

最後に見たひめも、その時と同じようにおもちゃで遊んでいるようでした。

だけど、少し硬くて冷たかった…。

ひめの思い出は、そこで終わりです。



4月13日の夕方に痙攣をおこして病院に連れて行きました。

腎臓の数値がかなり悪く、先生には『厳しい数値』だと言われました。

家に帰ってからもフラフラは治まらず、ご飯も食べず水も飲みません。

だから、『看取りの時間』なんだと判断しました。

でも、ひめが亡くなったのは、17日の午前2時頃です。

どうしても考えてしまいます。

その間に、もう一度病院に連れて行ったとしたら…。

ひめは病院が大嫌いだから、最後にイヤな思いはさせたくありませんでした。

血液検査や注射をするには押さえつけなければならず、全力で抵抗するひめには凄く負担になります。

もしも入院という選択肢があったとしても、ひめがかわいそうで置いて帰る事は出来なかったでしょう。

だから、タケヤンの判断は間違っていなかったと思っています。

それでも、もしかしたら…。


もしもひめがお盆に帰ってきてくれたら、聞いてみたいと思っています。

タケヤンの判断は、間違っていなかったかな?

でも、もうどこかの家の子になっているなら、帰ってこなくていいんだよって言ってあります。

ひめが幸せでありますように…。