すべての人に認められたい
すべての人に認められないといけない
そんな風に思っているお客様が多いです。
その結果、悪影響な人や支配・洗脳しようとしてくる人等認められない方が良い(嫌われた方が良い)ような人への過剰な媚びや執着をしてしまい、自ら辛い人生を歩もうとしてしまう方が多いです。
まずすべての人に認められたいということは無理ですし、それが無理であることやよろしくないことは皆さんわかっているのですが、なかなか抜け出せないようです。
この記事の結論を先に書いてしまいます。
誰からの言葉を受け入れて、誰からの言葉を受け入れないか、
を選別しましょう、
ということです(タイトルのまんまですね)。
「言葉」の部分は、「意見」「指摘」「アドバイス」「評価」等と言い換えても良いかと思います。
私は以前こちらの記事『なぜ毒親への期待をやめられないのか-身内と他人について-』でこんなことを書きました。
「(大村は)両親からの言葉はそれがプラスのものであれマイナスのものであれ何も感じない」
というようなことです。
そうなった経緯はいろいろとありますが、なぜそうなったかいくつか挙げると、
両親が、
・表面的なところしか見えていないから(本質が見えないから・長く生きている割に普段から薄いことしか言わないから)
・家にいた時(実家にいた時)の自分(大村)は自分の中のきわめてごく一部に過ぎないということがわかっていないから(子供が自分をすべてさらけ出せるような環境にしていないという自覚がないから)
・自分の見たいようにしか人や物事を見ていないから(客観性に乏しいから)
・無知の知という考え方を持ち合わせていないから(自分はなんでも知っていると思い込んでいるから)
・普段ちゃんと見ていないのに、人や物事に対して知ったようなことを言うから(自分が感じたことだけがすべてだと思い込んでいるから)
・1学んでも1しか学べていないから(応用できないから・抽象化能力が低いから)
・言動や行動が「みんなこうしているから」「昔からこうするものだから」というものによることが多く、自分の頭で考えていないから(理由を聞いても「だってそういうものだから」としか答えられないから)
・特に難しいことを言っているわけではないのに、私大村の言っていることが理解できないから
・相談しても相談内容を理解できないから(相談のスタートラインにすら立てないから)
等だからです(一部です)。
一つのエピソードだけでそのように感じたわけではなく、このように思うエピソードがこれまでにたくさんあったのです。
<例①>
例えば、親と「AさんとBさんは似ているよね?」というような話をした際の話です。
(誰のことを話すかというのは、共通の知り合いや芸能人のことで、何が似ているのかというのは、外見ではなく性格や人間性的な話です)
そういう話の時、大抵親が言うことに同意できないことが多いのです。
親が「似ているよね?」といった2人は大抵私にとっては似ていないのです。
厳密に言うと、もちろん似ている部分はあるが、それは全体の中の一部である、という意味合いです。
親は人の分類が極端に言うと3種類しかないのです。
私はべつに普段人を分類して見ているわけではありませんが、私がもし分類するとしたらもっと数十種類あるわけです。
それが何種類なのかはともかく、少なくとも親よりも多いわけです。
とにかく親の見方が物凄く大雑把で粗いのです。
そういう理由で、表面的な部分しか見えていないのだろうな、と感じるのです。
単純に経験が少なくいろいろな人がいるということを知らないということがあると思いますが、私は親に関してはそうではないと思っています。
いろいろと経験はしていると思います。
経験はしているが、
「自分はもう既にいろいろなことにおいて知っている」と思い込んでいるので、今既にある数少ない(本人は少ないと思っていない)自分の中にある分類に当てはめてしまって、そこで思考を終わらせてしまい、分類が増えていかない、
ということだろうな、と思っています。
これはいくらいろいろな経験をしても成長していかない人の特徴です。
何においても、
今自分が知っている型のどれかにはめて、スッキリして終わらせてしまう人、
です。
いろいろな経験をしても広がりが生まれません。
もちろんこれは一度や二度のこういった会話で判断しているわけではありません。
何度も話した結果判断しています。
数ある中の一つの例ですが、こういったことの積み重ねによって、「親は人を見る目が浅い」と判断するわけです。
このような過程で、
「親が自分に何かを言ってきたとしても(評価してきても)、そんなに普段人を見る目が浅いのだから、そんな人の言葉に意味も価値もない」
と思えてきたということです。
<例②>
私は小学1年生から中学まで野球をやっていまして(リトルリーグ、シニア)、毎週土日に練習や試合をしていました。
で、監督やコーチや父兄の皆さんと関わるわけですが、その中で、毎週来る人もいれば、2週に1回、3週に1回、あるいは月に1回来る人等、頻度は様々でした。
当然、毎週来る人はみんなのプレーを見る機会が増えますし、みんなとのコミュニケーションの機会も増えます。
そういう人からの指摘やアドバイスは、鋭いですししっくりくることが多かったので、素直に聞くようにしていました。
しかし、たまにしか来ない人というのは、当然ですが一部しか見えていませんので、指摘やアドバイスが薄いですしどこかズレていますので、一応は聞きますが100で受け入れないようにしていました。
受け入れないように、というか、普段見ていない人からの指摘やアドバイスなんてなかなか素直に受け入れられないですからね。
「よく普段見ていないのにそんなこと自信満々に言えるな」と思うこともありました。
いろいろ書きましたが、以上のように、
誰からの言葉を受け入れて、誰からの言葉を受け入れないか、を選別する、
という意識をもつようにしておきしょう。
私のお客様(共依存やACの特徴をもつ人)は、すべての人の言葉をすべて同程度に受け入れてしまいがちです。
以上のようなドライな感覚を、多少は持ち合わせていた方が生きやすくなるのではないかと思いますよ。
最後に注意点です。
もちろん、普段浅くてズレていることばかり言う人でも、たまには正しいことやしっくりくることを言う時はあります。
また、その道のプロであれば、少し観察するだけでも見えるものがたくさんあるでしょう。
そのため、「〇〇さんから言われたことはまったく受け入れない!」等と完全に決めてしまうと、正しいことやしっくりくることを言われた時に聞き流してしまうので、自分の成長のためにはよろしくないです。
ただし、大抵の場合、「あなたに言われたくない」という気持ちは出てくると思います。
その時には、
「言われた内容は受け入れるが、同時に、あなたに言われたくないんだけど…」
等と心の中で思うようにしましょう。
そこは分けていきましょうということです。
「あなたに言われたくない」等という気持ちをもってはいけないということはないです。
思うこと自体は何も問題ありません。
私のお客様は、こういう気持ちをもつ自分は悪なのではないかと思ったり、罪悪感をもつ方が多いので、ここに記しておきました。
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<参考ページ>
<参考ブログ>
なぜモラハラの後遺症はこわいのか②(+モラハラ加害者の特徴)
なぜモラハラの後遺症はこわいのか③(カサンドラの後遺症含む)
なぜカサンドラ症候群はつらいのか⑥-カサンドラの怒りについて-
なぜカサンドラ症候群はつらいのか⑧-話の一部を切り取って話す-
なぜカサンドラ症候群はつらいのか⑨-見たものだけで判断する-
なぜカサンドラ症候群はつらいのか⑩-「自分はそうは思わない」-
なぜカサンドラ症候群はつらいのか⑫-知識がつくことによるつらさ-
自己愛性パーソナリティ障害(NPD)とASDの共通点-ねじ曲げて解釈することについて-
自己愛性パーソナリティ障害のパートナーと離れないとどうなるか
何年も前から疑問に思っていることなのですが、非通知からの電話で、たまに「折り返しお電話お願いいたします」と留守番電話に入っていることがあるのですが、これって何なんですかね。
ちなみに私は非通知からの電話は出ません。
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