※登場する人物・団体名等は、架空のもので実在しません。
運命の大一番の日の朝、雲母は東部会館近くのホテルのロビーにいた。何故か、緊張感もさほど感じることなく、昨夜はぐっすりと睡眠を取ることができた。ほろ苦いコーヒーを飲みながら、対局開始時間までをゆったりと過ごしていた。すると、水原連が声をかけてきた。
「雲母先輩!おはようございます。」
「おおっ、水原君、奇遇だねえ。」
「ですねえ。私も先輩を見かけるとは思いませんでしたよ。」
「このホテルに泊まっていたのかい?」
「そうなんですよ。昨日ここで、情報技術関係の学会があったんですよ。」
「そうかあ。」
「先輩は対局ですか?」
「うん、大一番の日だよ。」
「ああ、そうでしたか。先輩、今日はきっと勝てますよ。何か、凄いオーラを感じます。」
「そうかい!いやあ、嬉しい言葉だねえ。頑張るよ。」
「先輩には、もっと上に上がってもらって、臥龍岡名人を叩き落としてほしいですから・・。」「水原君、君は・・・。」
「ええ、私は彼だけは許せませんから。そして、将棋界に対する恨みも消えていません。」
その言葉を聞いて、雲母は暫し言葉が出なかった。
「君の思い、しっかりと受け止めたよ。きっと勝つからな。」
「吉報を待ってます。では、これから大学です。失礼します」
「じゃあ、また。」
雲母は、水原の思いを知り、改めて身の引き締まる思いに包まれた。そして、しっかりとした足取りで、東部会館へと歩き出した。
今日の対局相手は、羽柴九段であった。前代未踏の全冠制覇を成し遂げた棋界の象徴たる存在である。今は無冠ではあるが、衰えぬ棋力は、今もなお輝きを放っている。雲母は、最後になるかもしれない対局の相手が、羽柴九段であることに喜びすら感じていたのである。会館のロビーで、対局場を確認した雲母は、控え室で和服に着替えた。正に、タイトル戦のような正装であった。それだけ、この一番にかける思いが尋常ではないということの表れであった。
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