※登場する人物・団体名等は、架空のもので実在しません。
二日後、雲母は会長の中根九段と、対局場となるホテルのロビーにいた。そこへ、両立会人と臥龍岡名人、挑戦者の橋爪棋将が現れた。
「改めて紹介することはないと思いますが、今回、急遽記録係を務めることになった雲母君です。」
中根九段が、関係者に紹介した。
「雲母です。よろしくお願いします。」
「雲母さん、急な依頼で恐縮です。こちらこそ、よろしくお願いします。」
温厚な橋爪棋将が言った。臥龍岡名人は、無言のまま軽く会釈をしただけだった。
「それでは、検分の方をお願いします。」
会長の言葉に、四人は対局場へと向かった。
「さあて、前夜祭が始まる十七時までは随分時間があるなあ。雲母君、藻岩山に登らないかい?」
「いいですねえ。私は初めての場所です。」
「そうかあ。私は二回目だが、随分昔に登ったので初めてみたいなもんだよ。」
藻岩山は、北海道札幌市の中心部から南西約五キロメートルに位置する標高五三一メートルの低山である。山頂展望台からは石狩平野、そして石狩湾までを一望することができ、夜には札幌市街の夜景を楽しむことができる。夜景は、函館市の函館山、小樽市の天狗山とともに「北海道三大夜景」の一つとされ、日本の「夜景百選」にも認定されている。札幌を訪れたら、外せない名勝である。心境穏やかではない雲母にとっては、この誘いはいい気分転換であった。もしかしたら、師匠の粋な計らいであったのかもしれないとも思えた。
会長の挨拶から始まった前夜祭は、二十時に滞りなく終了した。明日の準備を終えて自室に戻ろうとする雲母を、嫌な声が呼び止めた。
「雲母、ご苦労だな。まさかお前が記録係だとはなあ。まあ、しっかりと俺の将棋を味わうことだ。お前の将棋とは次元が違うということをなあ。」
「勉強させてもらうよ。」
臥龍岡の言葉にむっとした雲母だったが、当てさわりのない言葉でその場を濁した。
「それはさておき、お前は相手の二歩で命拾いしたそうだな。悪運の強い奴だなあ。口の悪い連中は、偶然なのかって、勘ぐる奴もいたぞ。ははは・・。どうでもいいことだがなあ。まあ、折角もらった最後のチャンスだ。這い上がってこい。万が一上がっても、直ぐに落ちるだろうけどなあ。じゃあ、あと二日よろしくな。記録係君。」
そう言うと、笑いながらエレベーターに乗り込んでいった。
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