ーーー
ラオスに旅に出たのは2011年の秋だった。
今は2024年の春。
あれから12年半も経ったのだ。
当時、帰国後もしばらく人間不信に陥り、何日も眠れない夜を過ごした。
友人と日本の飲食店にいても荷物を置いてトイレに行くのが怖かったし、やっと眠れたと思ってもすぐに悪夢にうなされて起きてしまう日々が続いた。
どうやって私の電話番号を仕入れたのか、ラオス大使館から電話もあった。
ラオスにくる日本人旅行者への注意喚起のために、何があったのか詳しく知りたい、とのことだった。
あの日あったことを言語化していると、客観的に綴ろうと努めても、“あれも罠だったんだ”“ここでも気づけたはず”と自分を責めた。
大使館の方はそんな弁明を求めてはいないとわかってはいても、どうしても言い訳を書かずにはいられなかった。
彼らは主に日本人をカモにする組織的な犯罪グループで、日本では被害者の会のようなものも立ち上がっていた。
中には何百万も騙され日本で借金生活を送っている人や、帰国後も友人としてコンタクトを取り再訪した際に騙された人もいた。
彼らと比べれば自分はだいぶマシだと思い、自分を慰めた。
カード会社とも折衝をした。
現地で被害届を出す時間はなかったが、事件直後や帰国後に大使館と連絡を取ったことが功を奏した。大使館の方はとても親身になってくれて、何かあれば証言すると言ってくれたのだ。
大使館とのやり取りのメールをカード会社に提出すると、通常は保証されないケースではあるが、明らかに犯罪に巻き込まれたケースだろうと、審査の結果、被害額は折半の扱いにしてくれた。
友人たちは、
「勉強代」
「たった5万円で済んでよかった」
「途中で変に気づいていたら命が危なかった。お金で済んでよかった」
「彼らはプロ。本物の笑顔と完璧なシナリオを持っている。ターゲットにされたら誰もが騙される。だから自分を責めないこと。」
と、さまざまな言葉で私を励ましてくれた。
仕事や心理の勉強に打ち込むなか、友人たちの言葉と時間の経過で、私の心は少しづつ癒されていった。
ただ一つ、
“また旅に出たいのか?”
それだけが私の中で問われ続けていた。
半年後、私はまた旅に出た。
行き先はパリだった。
誰とも交わることのない旅だった。
街とも人とも、距離のある乾いた旅だった。
旅に対して、私は心は閉じたままだった。
その時思った。
こんなの旅じゃない。
私はやっぱり、旅で街や人や土地と関わりたい。
“この人になら騙されてもいい、裏切られてもいい。”そういう覚悟を持って人と関わろう。
そういう覚悟を持って旅をしよう。
あれから12年。
私はその後も旅を重ねてきた。
そしてこのタイミングで、ずっと書けなかったこの記事を書き上げている。
蟻地獄の先、そこにあるのは変わらない日常であり、生活であり、相変わらず旅だった。
それでも一つ確かなことは、この経験が今の私を作っているということだ。
そしてまた旅立つ。
蟻地獄の先、私はまだ生きている。
だからまた旅立つ。
The END.
ーーーー
11年越しに最終話を書き終えました!
2013年に書いた記事はこちらです。
◾️第1話
◾️第2話
◾️第3話
◾️第4話
◾️第5話
◾️第6話
◾️第7話
◾️第8話
◾️第9話
◾️第10話
◾️第11話
◾️第12話
◾️第13話
◾️第14話
◾️第15話
◾️第16話
◾️第17話
◾️第18話
◾️第19話
◾️第20話
◾️第21話
◾️第22話
◾️第23話