一年前の私は、とても悩んでいる状態だった。
大人でもイジメはある。
私はその場を離れたが、
心の傷は確実に残ったわけで…。
必死に識子さんの本を読んでいた時期だった。
読み進めていくと「私は何か、どこかが欠けている」という感覚が強くなった。
子どもの頃、普通の人だったら受けれたはずの、
母親からの愛が足りないのでは、と。
親子関係に何も問題のない人(例えば夫など)を見ていると
堂々としているな〜と思う。
芯があるというのだろうか。
「ここに居てもいいよ」というメッセージを、
言葉だけでなく、言葉にならない態度でも受け取ってくることができた人は本当に強い、と思う。
どうも私はどこかビクビクして、
人からも「何か足りない感じなんだよね」と言われたこともあったりした。
今思えば、「安心感」をあまり感じずに育ったのだと思う。
親の影響は大きいと思っている。
そんな風に、親との関係でもイジメが存在すると言っていいだろう。
(親に限らず、大きくなるまでに周りにいた大人、
例えば、親戚、近所の人、学校の先生や習い事の先生、スポーツのコーチなど、
大人からイジメられる経験はたくさんあると思う)
イジメによって傷を負った状態、そのままでいた私。
欠けたままでいたら、いつまで経っても愛は自分に貯まらない。
例えばバケツも穴があると、いつまで経っても水が貯まらない。
欠けているところを、ふさがないと。
小さい頃にもらえるはずだった愛を、今、ください。と。
満たしてください。
欠けているところを治してください。
自分が今大人ということは置いておいて、
まず傷を治してくださーい!と。
思えるようになってきた。
というのも、
識子さんの本『あなたにいま必要な神様が見つかる本』の
カトリック修道院 聖体奉仕会の文にこのような感じで説明があったから。
キリストに愛をもらえば、ほんわかと満たされます。
孤独に悩む人、失恋直後などで心が傷ついている人、イジメなどの傷が深くてなかはか癒えない人、
キリスト教では、絶対神にお願いをするが、その願いは聖人に取り次いでもらうそう。
(アメリカ人のカトリック信者にききました)
だからここのマリア像にお話しすれば、道がつながっている聖人が悩みを取り次いでくれて解決してくれるかも。
宗教を超えて人々を救おうとされているので、遠慮はいらない。
(まとめて書いてみました)
さらに同じ本の、大浦天主堂のページを読み、
「キリストに会いに行って、愛を貰おう!」と思ったのだった。
識子さんの『神仏のなみだ』には、
もっと詳しく教会での過ごし方が書かれているので、
メモをして、行く途中何度も読んで覚えるようにした。
教会とはどういうところなのか、
お話を聞いてもらうのには軽く十字を切った方がいいなど、
「読んでいたのに、読んで無かったわ〜💦」という体験をまたした。
そして、これは重要なことだと思うので紹介するが、
行くのにオススメは、観光地などの常時開放されている教会で、自由に入って自由に出られる。
ただし入信しない場合は「続けて行く」のは2回、
イベントや土日しか開いていないところは2回だけにしておきます。
(その後1回休んだり、少し時間をおくなどして、再び行かれるとよい)
と本にある。
「もしかしたらそこで、キリストの愛のほうが心地よいと思うかもしれませんし、やっぱり自分は行きつけの神様の愛情のほうが合う、と再確認するかもしれません」
と識子さんが言われていた。
私は短大がキリスト教系だったので雰囲気は知っていたし、
自分の好きな世界だとわかっていたので、
死ぬまでに一度はぜひキリストに会いに行きたい!と思った。
私の家の近くで、気軽に入れそうな教会はやっぱり少ない。(ほぼ無い)
長崎県の大浦天主堂ならきっと大丈夫だろう、本にもあったからと、高速バスで長崎へ。
一年前はまだコロナで行動制限があった頃。
ちらほら中学生の修学旅行生がいたが、
観光客の数はまばらだった。
おかげさまで大浦天主堂で10分ほど、一人きりの時間を貰えた。
自己紹介をして、今まで自分がどれほど愛に飢えていたか、
過去どんなふうにして欲しかったか、家族への想いなど
たくさんおしゃべりした。
この経験はとっても貴重なものだったと今でも思う。

その後、
少しずつ出会う本の質が変わってきた。
より自分に参考になるものが増えた(斎藤学先生の本など)
今振り返れば、「安心感」がアップしたように思う。
大浦天主堂で座っていた私は安心感に包まれていた。
これが愛なのだろうか。
私は神社の神様も好きだが
キリストへも会いに行けて良かったと思っている。

最近出版された識子さんの本
『100年先も大切にしたい日本の伝えばなし』の中に、
ご神木が癒してくれる神社が紹介されていて、
私の「イジメ等の傷を癒やす方法メモ」に加わった。
失恋したり、ペットを失ったり、悲しみからなかなか脱出できない人や、心の傷が癒えない人は行くといいです。
ご神木の癒やしパワーが心を整えてくれます。とあった。
大分県の八幡竈門神社だそうで。
いつか行ってみたい☺️
他にも識子さんのブログ2019年10月31日、
読者さんの体験メールの紹介があって興福寺の薬師如来さんも心を癒してくれるとあった。
『神様と仏様から聞いた人生が楽になるコツ』の中で鑑真さんが
「仏を頼れ、もっと甘えてもいいのだぞ、遠慮はいらん」と教えてくださったエピソードも紹介されていた。
愛する人やペットを失った悲しみ、
願いが叶わなかった悲しみ、
他の人から心ないことを言われてできた心の傷、
つらい、苦しい状況におられる方、
そのような時は、遠慮なく薬師如来様を頼って元気になってもらえたらいいな…とそのように願っております。
と識子さんも言われている。
私はずっと自分でなんとかしなければいけないと思っていたけれど、
傷は他の人(神仏)からも癒してもらってもOK、
両方必要なのかもしれない。
他にも傷を癒す方法を、きっと識子さんは書かれているずだ。
私のメモが充実できるよう、これからもコツコツ本やブログを読んでいこうと思う😊
そして、紹介されている場所を訪れたいなあ〜自分を癒したいな!と思う。
ちなみにその他のイジメに関する内容では、
『神様が教えてくれた金運のはなし』には、
子どもがイジメられた時、神社の神様へ願掛けする方法が具体的に書かれてある。
心構えや考え方など。
「願掛けでつらい状況を打破する」の項目。
←これはイジメだけでなく、身近な人との関係にも応用できると思う!
心の在り方を教えてもらった
『神様と仏様から聞いた人生が楽になるコツ』
「八坂神社」のところには、イジメで苦しんでいる人へ具体的にどうやって守ってもらったら良いかが書かれている。
イジメている人は、イジメ行為をするだけではなく、悪い念も飛ばしてきます。その悪念によって、心に、また肉体にダメージを受けることがあります。(中略)
悪念を飛ばしてくるのは、会社の同僚や上司・部下、友人、ご近所、ママ友、学校の同級生、まれに家族。ストーカー。
悪い念の詳しい解説、とても丁寧で読みやすく、ありがたい。
イジメで困っている人の実践編という感じだろうか。
『神様仏様とつながるための基本のき』には、
珍しく識子さんからイジメをした人へのメッセージがある。
「イジメに関するスピリチュアルルール」
イジメをするとどうなるのか、確実にそうなるというルールを教えてもらって、イジメはしないほうがいいよな、得にならないということを教えてもらえるし、
もしイジメられたとしても「こういうルールがあるのだから、自分は相手と同じようになるのではなく、自分の霊格を落とさないように生活しよう、頑張ろう」と思える。
同じ本の「天」の項目も読んでおくと、イジメをしたことのある人も今後どうしたらいいか、の方法が書かれていて救われると思う。
おまけ
母のことで。
「なんで母親なのに、子どもをイジメるのか」と、私の心の底にずっとうっすら母を責めるような思いが流れていた。
高野山の冊子で、最近「合縁奇縁」(あいえんきえん)という言葉を知った。
説明によると「世の中に気の合う人と気の合わない人がいるのは、すべて不思議な縁によるもの」とのこと。
「親子だから仲良いはずだろう、イジメはありえない」
「家族ならわかりあえる」「子どもを大事に思って育てる」
「親なら子どもの幸せを考える」ものと思い込んでいたが、
家族であっても、そういう人(気の合わない人)もいて良いんだとわかったら、
結構気が楽になった。
不思議なご縁なんだからしょうがないよ〜、人間の誰も入り込める余地はないよな〜、
だって、そのようになっていただけなんだから。
母とも24時間いがみあっていたわけでもなく、
時々お互いに優しくする、優しく思う時もあった。
でも、ただ、気が合わなかっただけか〜!
と。
このひらめきは、母への見方が変わって、自分も楽になってきた。
周りの人に目をやった時にも、この合縁奇縁は私の目を優しくしてくれる。
前に「嫌いな人がいてもいいのよ、親切にしなさい」という言葉をTwitterで見た。
幼稚園生だったその方が、通っていた園のシスターに言われた言葉だと記憶している。
嫌いというのは自分の感情なのだから、それは大事にしつつ、(受容してもらい)
嫌いな相手でも尊重してみようね、
こんな風に小さな頃に教えてもらえたら一生の宝になるのだなあ〜と、
そしてそれをこうやってシェアしてもらえたことに感謝。
人間関係は大変ですな〜
傷を癒しながら、やっていこう