今年度は本当に終了、そして来年度・・・
確定申告 は昨日、一応提出しました。ただ、特に不動産売却した今回は、添付すべき資料は他に必要だったかな、と思ったりしています。時間が許せば、この件に関しても加筆か改めて記事にするつもりです。
昨日は、勤務校での「教員お疲れ様会」があり、申告書提出後(何とか間に合わせた)行きました。この日が終業式でしたが、学校に着いたのが夕方で、生徒にも挨拶どころか誰とも会えなかったのが残念です。
引き払いは9日に終えた
つもりが忘れ物に気付き、教科準備室で片付けをしていたら、会場への到着は遅くなってしまいました。。
会は、学校から少し歩いた所にある会館内のレストランで行われました。初めて顔を合わせる先生も多かったです(結構大きな組織で、担当学年ごとに職員室も分かれているので)。
食事をしながら各教職員が挨拶を行い、最後の方で講師達にも周ってきました。
私は、簡単に自己紹介をした後、
昨年までの雇用状況に失望し、昨春は教員を辞め て他の進路活動を行い、それが一段落しつつあった時にちょうど代講のお誘いを頂いた事、
年度途中に加え専門外科目という事で、大変な面もあったものの勉強になり、久々に教える事の楽しさを味わえた事に、感謝の意を述べました。
一通り参加者全員のコメントを終えると、お開きとなりました。
終了直後、過去の勤務校での元同僚(現在も親しくさせて頂いている)とお知り合いという講師の先生から声をかけて頂きました。この先生は、来年度は他校での勤務が決まられたとの事。
2次会も行われたようですが、私は初めての先生方と途中までご一緒に帰宅しました。
実は来年度のこちらでのコマに関してですが、今日までの段階で未定だったのです。
自身の今までの経験では10~12月にクビ宣告、一番遅かったのは、急病教諭の代講で入った高校で(それを承知ゆえ、既に翌年度の就職活動はしていましたが)2月初めでした。他の講師仲間達から聞いてきた話では、遅いケースで1月末に解雇を伝えられ、継続可能になった場合に続けるか否かの返事は2月上旬までと迫られたそうです。
私自身、2月中旬まで教員以外の進路に向けての活動も続けていたため、敢えてそれまで尋ねなかった部分もありますが、さすがに「これは遅い」と、2月末に化学チーフに伺ったところ、以下のようなお返事でした。
「うちは来年度の人事が決まるのが3月後半と遅く、しかも
もう一人の産休が戻られるため、お約束出来ない。
もし、お願いするにしても多くはないので、他を探して頂いて構わない。」
そう、高等部化学科では、このたび私が引き継いだ産休教諭 より前にもう一人、産休に入った専任がいるんです!(しかし、同じ科目で2人も専任が産休って・・・しかも男子校で・・・)
なので、今年度チーフであった先生が化学で唯一の専任だったわけですが、新年度から最初の産休教諭も戻って来るのに加え、採用面接時には「今回の産休教諭も11月頃には復帰」と聞いていました。
進路活動は一応終了し、もしそれでもコマを頂ければ継続しつつ他校でも掛け持ちしようと思い、少ない時間数の兼務先を探す方向で動いていました。
しかし、上記の回答を受け「もう少し多めの時間数の学校も探してみないとマズイな」と思った正に何分か後、私の携帯が着信を受けたのです・・・
何と、ある学校から講師のお誘いです前々から結構興味のあった学校ゆえ、面接を受けると即答(笑)
ただ、この時期は成績処理業務で慌ただしく(現任校は、他校に比べやる事も多く複雑 )、近い平日&土曜で都合がつく日がなかったところ「次の日曜日に来て下さい」と言われました。ちょうどその日が卒業式で、午後なら対応出来るとの事。
面接当日は、校長先生と少しお話した後、理科教諭である副校長先生と面談し(合計1時間以上)、採用が決定致しました(^^;結構コマ数も多く、来年度のメイン勤務先はこの学校となります。
新任校について(差し障りない範囲で)や現任校でのその後などに関しては、長くなりそうなのでまた改めます。
確定申告


自分のはさほど問題ないのですが(今回は収入も少ないため、現任校 &前任校 とインチキ医学系予備校 での1回の授業の収入を申告すれば、徴収税は全額返ってくる)、親父の分が・・・
入院中の父親のも毎年私がやっているんです。しかも2008年は不動産売却したので(買った時の半額の売値とう大赤字)、いつもと違う事に気付きまして・・・未だ悪戦苦闘しています。



アメンバーについてのお願い(あるお二方への返信も兼ねて)
先日「溜めてしまっていた
」と申した「アメブロメッセージ」については、一通り返信致しました。
そのうちお二人からは再度メールを頂き、2,3回ほどやり取りをさせて頂いたのですが、お二方に共通して申し上げたいお返事があり、そしてこの機会に、他のアメブロ利用者の方々にもお願いしておきたいと思い、記事に致します。
アメブロ会員以外の方のために説明しておきますと、アメーバブログの中に「アメンバー」という機能があります。ブログ記事を公開する際に、「全員に公開」以外に「アメンバー限定公開」という設定にも出来ます。つまり「シークレットモード」みたいなものでしょうか。
その「限定公開記事」を読める人が、ブログ主の「アメンバー」です。ブログ内の管理人プロフィール下の「アメンバーになる 」から申請し、相手に承認されると、アメンバーになれるというものです。
アメブロガーの方々の「ルーム(プロフィール詳細)」を拝見すると、多くの人々と相互アメンバーになっていられるのが伺えます。
これに対し私の場合、アメンバーの少なさ からもお分かりのように、現在は積極的にアメンバーを受け付けていない状況でして・・・
自分は今のところ、こうした限定記事を書く予定はなく(その時間もないでしょう)、むしろ自身の意見や知り得る情報を、外部へ一人でも多くの方々にに発していきたいという思いゆえです。私の知る読者様も、ほとんど限定記事を書かれていないようですし、こちらからお願いした事もまだありません。
そして、もし今後、自分自身が落ち着くなどしてアメンバーを利用する時には、かなり内輪でのお知らせ等に活用したいと考えています。
アメンバー申請者の中には、アクセス数を増やすためや仲間が多い事を誇示するためと思われるものも多いらしいです。それならば、個人的には「読者」で良いと思うのすが・・・
また、時々聞く話では、これを利用して個人情報を漏らしたりという問題も生じているようなので、慎重にしています。少し前には、出会い系リンクのアメンバー申請も現れ、先日までアメンバー受付拒否にしていましたが、再び解除(受付再開)しました。
私も今まで、複数の方から依頼を頂いてきましが、以上の理由から勝手ながら、アメンバー承認の条件として「ブログ相互読者登録をし、ある程度交流のある方」に限定させて頂いています。
よって、既に本ブログの読者さんが申請下さった時には、基本的に承認させて頂いていますが、初めてでいきなりだと、やはり心配です。
その場合、まずは私の方からその方のブログに読者登録をすると共に、本ブログ読者登録をお願いし、登録して下さった場合は保留、その方のブログやコメント等をしばらく拝見した後、承認&こちらからも申請としています。
反対に、こちらの読者登録の依頼に応じて頂けなかった場合は、お返ししています。
今回のお二方は、メールでのやり取りの後アメンバーを申請下さった事、ありがとうございます。
ただ上述の通り、それぞれのブログに読者登録をさせて頂き、こちらへの読者登録をお願いしておりますが、再度のメールは下さっても、これに関するご返答はございません。そうすると、大変申し訳ないのですが、アメンバー承認はおろか、こちらが申請した貴ブログへの読者登録も取り下げざるを得なくなってしまいます。
もし、読者申請メッセージやメールでの私の言い方が悪くて、こちらの意図が伝わらなかったなら、ごめんなさい。つまり、アメンバー承認をご希望されるなら、まずは私のブログに読者登録頂きたいのです。
お二方に限らず、今後、私へのアメンバーをご希望される方すべてへのお願いです。
わがまま大変申し訳ありません。ただ、自身のブログ運営の方針上どうかご理解とご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
また、相互アメンバーさせて頂いても先日、残念ながら解消した方々もいらっしゃいます。ただ、私の人生 に今回あまりに批判的な意見等をされたり(しかも同業者なら、年度末の時期にもう少し配慮して欲しい)、相手側から外した(先月末に本人の誕生祝いメッセージを送ったのに「一切交流のない方は外す 」って・・・1日に何回も更新される人にとって、約半月のご無沙汰は長いですかね?再申請に関し質問コメントしても承認すらされていないので、読者登録も解除しました)場合などですので、普通に行き来ある読者さんならOKです。
私の方も、コメント拒否にする事が多いなど、お読み下さる方々との交流を積極的に行って来なかった事は、申し訳なく思います。今後は、もう少し皆様との関係も大切にせねばと考えています。
読者さんのブログに頻繁には伺えませんが、決して忘れておりませんので、どうか見捨てずに頂けると嬉しく思います(^^;
中高学年同窓会!






















「週刊ダイヤモンド」人気ブログリストに載りました!


「ペタ」を頂いた方々の所へもなかなか伺えず、申し訳ありません。こんな状況なんで最近は、頂くペタの数も減ってしまいましたね(苦笑)ようやく仕事(学校の年度末業務)も落ち着きましたので、こちらも徐々にお返ししていくつもりです。
以前から、よく「暫く更新を休止する
」と言いながら、実生活で感じた事や気になるニュース等があると、つい書いてしまいました(^^;ブログ以外でも、帰宅するとすぐにパソコンを立ち上げてメールチェックやポイント&アンケートサイト
への参加もしてしまう。それが、予想以上に時間を費やし、勉強時間をも減らしてしまう事になってしまうんですよね。。
自分も「ネット中毒」みたいになってしまっているのだと思います。先月のエントリー
でも触れましたが、大学院時代に夢破れ、一時期引き篭もり状態になっていた際にハマったインターネットが、その後も抜け切れないでいるのは否めません。
しかし、自身の年齢や今後を真剣に考えると「このままではいけない!」との思いが今まで以上に強まり、実生活をより大切にしたく「ネット依存症から卒業」を目指したいと思います。
ちょうど新年度からは、仕事も今まで以上に忙しくなるため(後日に書きますが講師生活で最も)、本当に更新出来ない日が続きそうです。
本ブログ今後の予定としては、出来るだけ今月のうちに、書きたい事や報告などを書いていくつもりです。以後は「超不定期更新」というか、無理しない範囲でのんびり続けていきたいと思います。
一方、先日(5日)お初の方からメッセージを頂いたのですが、雑誌「週刊ダイヤモンド」の人気ブログランキングをご覧になって本ブログにアクセスされた、とおっしゃっているのです初耳でびっくりしました!
そこで少し検索してみたところ、同誌2月28日号に「ブログが変えたクチコミPR特集」という記事が組まれていると知りました。
発売から既に10日ほど経っているようなので、急いでamazonから注文し(その翌日に書店で見付けたので、わざわざ送料と時間をかけて配送してもらわなくても良かったとやや後悔)、日曜日に届きました
前述の特集記事の最後に「35ジャンル別 人気ブログリスト」があり、その中の1つとしてタイトル名だけですが、それでも他ジャンルにて有名人らのブログもリストアップされている中に載っており、光栄です!(^o^)/
言いたい放題のブログですが、自分の知る情報や意見を発する事で、少しでも認めて頂けたのだと思います。
今までお読み下さった方々、そして、そこに目をつけて下さったダイヤモンド社様に、この場を借りて心から御礼申し上げます。ありがとうございます。
本ブログが、自分の想像以上に注目されていたという事に気付かされましたし、僅かとはいえメディアで取り上げられた以上、今まで以上にご覧になる方も増えると予想されます。現に、このリストで知っていらした方もいらっしゃいますし。
これを機に、更に今まで以上に表現等には気を付けるつもりでおりますので、今後も温かく見守って下さると嬉しいです。どうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m
大カテゴリ「暮らし」中の「受験・学校」ジャンルで選ばれた11ブログの1つ。下から3行目です
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田口さん家族、金賢姫元工作員と面会
1987年に起きた「大韓航空機爆破事件」の実行犯である金賢姫工作員(当時)と、北朝鮮拉致被害者の一人である田口八重子さんのご家族(お兄様と長男)の面会が昨日、実現しました。
金元工作員、彼女と田口さん家族の面会、そしてその報道に関しては、賛否両論あるようです。金工作員を「あれだけの事件を起こし多数の犠牲者を出した犯罪者」との声もあれば、「彼女もあの国に従わざるを得なかった」との意見も多く、どちらももっともだと思います。
ただ、今回の面会に関しては「行方不明になった肉親と交流のあった人に会い、当時の様子を聞きたい」と思うのは、家族として当然の感情だと思います。金工作員も、この事件と向き合っていく姿勢は伺えますので、被害者への謝罪と共に、北朝鮮関連の事件の数少ない証言者として知る限りの真実を話してくれる事が、(償いきれないとはいえ)出来得る償いだと考えます。
大韓航空機爆破事件は、犯人つまり、「蜂谷真由美」を名乗った金賢姫とその父親役「蜂谷真一」(発覚後に自殺)に関しする報道が多かった印象が強いです。特に生き残った金賢姫は、暫くの間ニュースを賑わせ、不謹慎ながら「綺麗な人だな」とも思いましたし、「お国のためと信じて行ったのだろうか」と考えると、あの国に生まれた悲劇を子供ながらに感じたものです。
そして、彼女の日本語教師「李恩恵」の正体が、田口八重子さんである事は、ずっと後になって知りました。
それにしても、田口さんが「工作員の教育係」という事で、ご家族は周辺から偏見や中傷を受けてきたみたいですね。。
また、田口さん行方不明後は、残された子供達のうち、この長男・耕一郎さんは長兄・飯塚繁雄氏の養子となり、娘さん(耕一郎さん姉)は田口さんの他のご兄姉に引き取られたとの事。
飯塚氏ご家族は、まだ幼かった耕一郎さんを「好奇の目に晒すまい」と務め、家族にも配慮を求め、実の子と分け隔てなく育ててきたそうです。
以下のサイトでこの事を知り、飯塚氏とそのご家族の温かさと必死の守りに、心打たれる思いでした。そうした愛情の下で育った耕一郎さんも、テレビでの応対等を見ていて「しっかりした立派な人だな」と感じます。
彼の言うとおり「この流れを止めなず」この問題が良い方向に向く事を願ってやみません。
*ネット上で何度か「田口さん長男・飯塚耕一郎さんが、元巨人(現メジャーリーガー)の上原浩治に似ている」との声を見ました。この場で不適切かもしれないが、「言われてみれば、確かに」と思う(^^;
2002年9月の日朝首脳会談で「死亡」とされた安否未確認者。だが、北朝鮮側のずさんな発表内容に、家族は不信を募らせ、真相解明を求めている。今シリーズでは、母が佐渡出身の田口八重子さんを皮切りに県外安否未確認者を取り上げ、家族たちの生存を信じ「今も待っている」思いを描く。
2009/03/11 11:09更新
【釜山=住井亨介】北朝鮮 による拉致被害者、田口八重子さん=拉致当時(22)=の兄、飯塚繁雄さん(70)と、田口さんの長男、飯塚耕一郎さん(32)は11日午前、田口さんから日本人化教育を受けた大韓航空機爆破事件実行犯、金賢姫元北朝鮮 工作員(47)と韓国 ・釜山市内で面会した。家族と金元工作員の面会は初めて。
東京・池袋の飲食店に勤めていた田口さんは昭和53年6月に拉致され、56年から7月から58年3月にかけての約20カ月間、金元工作員と同居して日本人化教育に従事させられた。
金元工作員は昨秋以降、韓国の月刊誌などを通じ、田口さんの家族との面会希望を明らかにし、飯塚さんらも面会の意向を持ち続けていたことから、日韓両政府が調整を進めていた。
バグダッド発ソウル行の大韓航空機がミャンマー 南方の洋上で爆発、115人が死亡した爆破事件は1987(昭和62)年11月29日に発生。「蜂谷真由美」名義の偽造日本旅券を持っていた金元工作員が実行犯としてバーレーン空港で身柄拘束された。金元工作員は、「金正日 書記(当時)の指示があった」と供述。
89年4月に死刑判決を受けたが、90年4月に韓国 政府が特別赦免。「李恩恵という日本人女性から日本語教育を受けた」と証言し、日本の警察庁はこの女性が田口さんと断定した。
金正日 総書記は2002(平成14)年、日本人拉致を認めて謝罪したが、北朝鮮 は大韓航空機爆破事件を「韓国のでっち上げによる謀略」とし、「李恩恵なる日本人女性はいない」と否定し続けている。
北朝鮮 側は、田口さんは拉致被害者、原敕晁さん=同(43)=と結婚し、1986(昭和61)年7月に「死亡した」としているが、帰国した拉致被害者や金元工作員の説明と異なっている。
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とりあえず、今年度業務終了
多くの学校は、そろそろ学年末試験が終わった頃ではないでしょうか。
現任校は少し早目で、2月最終週が試験でした。化学は最終日の金曜。
この日は、それぞれ試験監督にも入っていたので、それらが終わるとすぐ、採点基準の打ち合わせをし、各担当分の問題を採点に入りました。
2学期末
にも書きましたが、この学校の採点方法は他の多くの学校(自分の担当クラス分のみ採点)とは異なり、各教員がそれぞれ割り当てられた大問ごとの採点を全12クラス分行います。つまり、大問1~8まであるとして、例えば「△△先生は1と2」「□□先生は7と8」などといった感じです。各教員の持ちコマ数に関係なく、均等に割り振られるため、少ない授業数の講師でも多くのクラスを受け持っている専任も、採点量はほぼ同じため、お昼前に取り組んでも夜遅くまでかかりますね。
そして、皆の採点が終わったところで、自分担当クラスの合点を行います(教科準備室のパソコンに、各小問の点数まで入力し、それらの合計はじめ、レポート点を含めた合計・評点そして欠課を答案に記入)。
採点基準なのですが、後半の計算問題に関しては、内心しっくりいきませんで・・・
大問中の小問(1)の計算において、以下のような答案は「説明不足」として扱われます。
・反応に登場する(計算に関わる)分子の分子量(CO2=44など)を示さずに計算している。
・mol(モル)などの量を求める際に、計算式でなく言葉での説明になっている。
それは良いとしても、(1)でこれら説明不足が2ヶ所あると、やり方(流れ)や解答が正しくても0点。すると、以降の小問も、たとえ方法・解答共に正解であっても、すべて×になってしまうんです
計算部分を採点したのは、チーフ専任と何年か在職している講師ですし、チーフを中心とした全体の方針ゆえ従わざるを得ないものの、個人的には「説明不足は1~2点減くらいにし、次の小問は正解で良いのでは?」というのが本音です。
「試験返却では絶対に文句が出るだろうなぁ」と。別の講師も「本来なら○ですよ」と言っていました。
生物専門の自分は、今回のような化学計算に関わるのは初めてでしたが(生物でも時々計算はありますが、そこまで複雑でないし)、過去の勤務先等でも数学講師の先生の話を聞いていると、やはり納得いかない採点基準は結構あるようです。
採点処理を経て、先週木&金が返却日でした。
試験返却日時は、既に時間割が組まれており、化学の場合、今回はクラスによって木曜の所もあれば金曜の所もあり、という状態でした(多くのクラス木曜)。専任は両日として、講師は出講日の関係で、私は金、木は何年か在職している講師の先生が行いました。そのような形なので、自分の授業担当クラスに出られなかったり(他の先生が返却)、逆に自分が担当していないクラスにも出向かねばならなかったりします。
しかも、この学校の返却体制は独特なんです。30分で以下の事を行います。初めてであった2学期は、かなり神経を使いました。
・机の上は何もない状態にさせる。(改ざん防止のため)
・レポートと試験返却。
・採点ミス等の確認。
訂正や質問のある生徒は、挙手し答案を折り曲げ(後で分かるように)させる。
・答案回収(試験答案は、生徒は持ち帰れず学校で保管)
・授業アンケートの配布。
・訂正等を受け付ける。他の生徒は、その間にアンケートを書かせる。
・アンケート回収。
私の場合(他の講師も)、受け持った高2は2クラスですが、1クラスは前日が返却日で、もう1クラスと他の講師担当の1クラスを返却するよう割り当てられました。
先に自分が教えていなかった組に行き、アンケート配布まではスムーズにい進行しましたが、案の定、訂正&質問受付にて、計算採点に関する抗議の嵐。今回の採点基準を説明しても、どうしても納得出来ずに文句を言いまくられる。彼らの気持ちは分かるのだが・・・
あとは、独特な計算方法をしている答案の減点理由を問われた場合、採点者(この日は出勤していない講師)でないと、どういう基準でつけたのか分からない部分もありました。おまけに、初めて顔を合わせる生徒達ゆえ、授業を通しての関係も出来ていないせいか、こうした問答で余計ギクシャクした雰囲気を感じました。
次のクラス(私が授業担当してきた)の返却時間になっても、引いてもらえず、次の返却は急遽、専任の先生に代わって頂く羽目に。。
その後、こちらも何とか場を収めましたが、彼らは不機嫌そうでしたし、最後に自分の担当クラス両方とも教壇に立てず、あまり後味良く終われなかったのが悔いです。
以上、複雑な事を書いて読みにくい文章になってしまい、すみません。
ともあれ全クラスの返却後は、専任が職員室のパソコンに成績データを入力し、講師も含めそれらを2人1組で確認。
そして、それらがプリントアウトされた票を昨日、全教員で再度チェック。それも済むと、3学期および年度の総括や反省の小会議を行い、何か問題が生じない限り、講師達の今年度の業務は終了・・・
今学期は期末業務も講師の出講日を考慮して下さり、2学期 のような負担なく行えたので、有り難かったです。
あとは、期末に「まとめ」と称した書類を各教員(講師も)が作成せばならず、成績処理と並行して書いてきましたが、これも結構時間がかかりましたね。
実は、まだ来年度の人事は決まっていない状態なので(この件は後日)、とりあえずは片付けを行い、科目内の教職員へ挨拶して退勤しました。
本当に、終わってしまうとあっという間で、何だか寂しいです。。
帰りは、共に産休代講で入ったもう一人の講師の先生と「仕事収め」として食事をしながら色々語り合い、「春からも、それぞれの勤務先で頑張りましょう!
」と挨拶を交わし、解散しました。
最年少の気象予報士試験合格者!―栄光学園の中学1年生
先週金曜、NHK夜のニュースを見ていたら、中学1年生が気象予報士試験に最年少で合格したとの報道がありました。
個人的には「最年少○○」と騒ぐのはあまり好きではないが、この男の子が横浜市住在という事で、市民としては「どこの学校だろう」と興味を持って(NHKでは学校名はいっさい言及されなかった)、本人のインタビューを見てしまった感じです(^^;
制服を着ていたが、上部しか映っていないので最初は分からなかったものの、上着襟に小さく見えたバッヂ(校章)で「もしや、栄光学園では」と思ったのです。
その後に見たネット記事には、やはり「栄光学園中学」と書かれており「やっぱり」「さすが栄光」というのが、率直な感想です(^o^;
「栄光学園」とは、神奈川県の大船(鎌倉市)に位置する、イエズス会を母体とするカトリック系の私立中高一貫男子校。県内では最難関、都内「御三家」レベルの一流校にも匹敵するほどの進学校で、東大合格者も常に上位にランクインされます。
(弟も中学受験で受けましたがダメでした(^^;でも、合格して入学・卒業した学校が、本人には最も合っていたと家族・親族で一致しています。)
ちなみに、今回の最年少合格記録は、数年前の14歳(当時中学2年)を塗り替えたそうですが、その中2というのは灘中学だったそうで・・・
やはり、こういうスゴイ記録を作るほどの才能を発揮する子って、中学受験した錚々たる超難関校進学者なのだなあと。もちろん、そういう学校に入学したからと言って、必ずしも成功するとは限りませんが、可能性は高くなると思います。
そのためには、本人の才能や小さい頃からの努力もありますが、親や教師など周囲がその子の能力を発揮出来るよう、指導や環境作りが出来るかにもかかってくると感じるのです。
(ああ、私も、あんな「収容所」で押さえつけられて小~高校を過ごす
のでなく、中学受験したかったよ~)
(受験や人生において失敗だらの自分は出会う機会は少ないものの)これらの学校出身の人と話していると、頭の切れ・回転や発想が違いますね!
今回の彼もまた、幼い頃から興味を見付け、それに対し探究心があった
事が伺えます。だから、苦なく努力出来たようで。
加えて、翌日(昨日)の新聞朝刊によると(以下の記事が同文)、合格においては「気象予報士の資格を持つ中学理科の先生の助言が役立った」そうです。
こういう学校は、先生も凄いんですね自分も何か秀でる物を持てるよう、精進せねばと痛感しました。
過去の関連エントリー
ところで、以上のような学校は、労働状況も良さそうです。
以前、多くの私学の雇用実態にうんざりし 、友人講師達と「働き易い学校はあるのか?」という話題になり、その一人が「(神奈川では)栄光学園などの募集を全く見た事がない。こういう所は勤めやすいゆえ、先生がなかなか辞めない」と言っていました。確かに、私も見聞きした事がありません。
やはり、伝統ある難関校(特に男子校)は、生徒(入学出来て勉強がついて行ければ)にとっても教師にとっても穏やかな環境なのかもしれません。
2009年3月6日20時32分
気象予報士試験の合格発表が6日あり、横浜市港南区の山崎一哉君(13歳7カ月)=栄光学園中学校1年=が合格。これまでの最年少記録の14歳を塗り替えた。
「雪遊びが好きで天気に興味を持った」という山崎君は小5の時に初めて国家資格の試験を受けた。中学受験での中断をはさんで4回目で合格した。
気象予報士資格を持つ中学の理科の先生の助言が役立ったという。「最年少は少し意識していたけれど、合格してびっくりしている」と話す。
今回の合格者は272人。94年に始まった気象予報士試験の合格者はこれで7311人となり、合格率は6.0%。最年長は74歳。
陰ながら「最初で最後の教え子」の卒業を祝う
今日は、勤務校の卒業式です。
約1ヶ月だったとはいえ(10月からの途中交代 で高3は11月下旬にて授業終了 )、選択科目20人足らずを担当したので、私も彼らを見送りたい気持ちでしたが、人数の関係上(この学年は14クラス!)、生徒さえ在校生は代表者のみで全員参加でない、教員も高3を主に担当していた先生のみの出席、まして講師は参加していないとの事でした。「せめて謝恩会でも」と思ったものの、それも無いそうで(卒業生と保護者の会はあるらしいですが)、陰ながら祝う事にしました。
男子校って、こんな感じなのでしょうか?前任校も(当時高3は受け持っていなかったものの)、講師はどの行事については、いっさい知らされなかったし。
ちなみに女子校は、勤務経験校は両方とも講師も参加でした。専任として勤務した所は非常勤の先生の姿を見ましたし、講師として勤務した方も私達は式のみ(謝恩会には講師を呼ばないって!) 参加しました。
共学でも、両校(大学付高校と通信制高校サポート校)とも、前者は高3を担当せず全く知らなかったため、後者も兼務校(前者の高校)の業務の関係上、参加しなかったものの、式・謝恩会とも出欠を聞かれました。
ちなみに、今春高校卒業する学年(2008年度高3)というと、著名人では、フィギュアスケートの浅田真央ちゃんが代表格ですね。
2003年に中学入学で2006年に高校入学ですが、自分は2004年に教員(主に講師)を始めて以来、他の学年に比べると縁が薄かったです。昨年の段階で一度も、授業で受け持つ機会がありませんで・・・専任時代には、部活や(非常に嫌な思いをさせられましたが)学校行事、そして、小規模校だったため校内をすれ違うと声をかけてくれる生徒も何人かいたものの、授業を担当しない限り深く関われないですし。
授業を受け持ってきた学年は(当時ので)、こんな感じです。学校はすべてバラバラ(2004年度は別々の学校)。
2004年度 高1、高2
2005年度 中1、中2、高2
2006年度 中2、高2、高3
2007年度 高1
2008年度 高2、高3
そして昨春は色々あって「教師を辞める」と、敢えて仕事を受けませんでした
。なので、この学年が高3となった今年度初め「遂に、この学年を受け持たずに終わったなあ。。」と思っていたのでした。
よって、夏に現任校から代講のお誘いを頂き、秋に採用が決定 した際に、高2と高3の担当を仰せつかり、本当に最後の最後で受け持つ事になったという感じです(^^;つまり彼らが、この学年では最初で最後というわけです。
彼らの場合、付属高校
ゆえ大学受験をしなくて良いわけですから(他大受験者も一部いるとはいえ、そういうクラスではないし)、のんびりしているという印象でした。3学期は入学する学部学科に応じて、専任教員(や大学側から)与えられた課題を調べ、2月の期末試験期間前に発表を行っていたようです。
成績が足りず内部進学出来なかったという生徒も、最終授業の時には既に推薦で進学先も決まっており、希望する分野を学べるとの事で満足している様子でした。
「受験戦争」を体験してきた身としては、いいよなあ~と思ってしまう(笑)
あっという間に終わってしまった感じで、彼らにとって私の印象はほとんどないかもしれませんが、それでも2回の実験(初めての専門外の科目ゆえ、こちらは思い通りに指示出来なかった部分もあれど、自ら選択してきたためか進んで取り組んでいた)、授業外でも教科準備室に来た際に他の教職員と共に話をしたり、文化祭 時は担当生徒の1人に「○○先生(私のこと)、うちのクラスに来て下さいよ」と言われたりした事などが思い出されます。
ほんの何ヶ月か前の事なのに、最近は全く会っておらず、ずいぶん前の事のようにも思えてしまいます。
卒業おめでとう!!大学生になっても(そして卒業後も)お元気で!(^o^)/
P.S.
数日前、他の動画検索のためYou Tubeを訪れていたら、何と、数年前の現任校の卒業ライブにヒットしました卒業式二次会のようで、当時の卒業生数名のバンドが、自作の曲を演奏している様子を映したものです。
こんなイベントがあるとは羨ましい(^^;
「謝るつもりはない」郁文館理事長コメントと学園の姿




過去の関連エントリー
東京都文京区の私立郁文館中学・高校で、英語教員3人が02年まで十数回、同校を会場にして行われた「実用英語技能検定」(英検)の問題を事前に見て、試験前に解答を生徒に指南していたことが分かった。3人の一人だった堀切一徳校長はこの件で26日付で辞任し、外食チェーン「ワタミ」社長で同校を経営する学校法人「郁文館夢学園」の渡辺美樹理事長が27日付で新校長に就任した。
同校によると、堀切前校長らは試験2日前に届いた問題を事前に見て、解答の単語などを含めたプリントを作って、試験前に受験する生徒に覚えさせていたという。会場になった95年ごろ以降、十数回行われたとみられるが、04年からは会場になっていない。
英検を運営する「日本英語検定協会」(東京都新宿区)によると、実施要領では、事前に学校に届けられた問題や解答用紙は、教員が数だけをチェックした後は封印して当日まで厳重に保管することになっている。英検2~5級は受験する生徒が10人以上いる場合は学校を試験会場にできるようになっている。
堀切前校長は「英検に合格することで生徒に達成感を得させたかった」と話しているという。堀切前校長らは協会から支払われる運営費も、学校の会計に入れるという校内規定に反して、担当教員で分配していた。
同校は今後、堀切前校長の処分を決める方針で、27日に全校生徒に説明し、28日には保護者説明会を開く。渡辺校長は「私が理事長になった03年3月以降は不正は一切ないが、不名誉なことだと思っている」と話している。【三木陽介】
毎日新聞 2009年2月27日 19時41分(最終更新 2月27日 20時13分)
2009/02/28 21:47更新
政府の教育再生会議委員も務めた渡辺氏は、約550人の保護者らに「心配を掛け、お騒がせして申し訳ない」と謝罪。その上で、不正は自分の理事長就任前に起きたなどとして「社会に対して謝るつもりはありません」と話した。
高校1年の男子生徒の母親(49)は「息子の今後のことを考えると迷惑している」と憤っていた。
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