散り際の途
苦しい時の神頼み、とよく言うが、一説では神様に祈ったり、頼んだりしてはいけないとも聞く。そんなこと、知らなければよかったなと思う。なにしろ、私は神社仏閣に行くたびに手をあわせ、あらん限りの困りごとを願い、祈っている。困難にあった時、最後の砦のように、人が、見えない何かに祈ったりすがったりすることは計算づくではなく、最早人様の本能だと思っているのだが、わが母は神も仏も信じていない。信じてはいないくせに、冠婚葬祭の行事には口うるさく、昔からある古い神棚を借り物のようにいつまでも東向きに置き続けている。毎朝、仏壇には香をたて仏飯や茶湯を変えていたり、何ともちぐはぐな行動が面白い。多分この行為は、昔からの単なる習慣に過ぎないのだろう。習慣、そこには信じる信じないの言葉さえ存在していないのかもしれない。そういえば、と思いは四方へ飛び散る。そもそも私が初めて「かみさまー」と言葉にしたのはいつだったのだろう。就学前の幼児期だったような記憶がうっすらとある。絵本か人か、どこのなにから得た「かみさま」の概念だったのだろう。見えないものは見えないのだから、ない、と言い切り、すがることも祈ることもせず生きている母の強さに今更ながら感服する。90歳になった今もそれは全く変わらず、私の遺伝子とどこでどうつながっているのかと不思議な気がする。ここ数カ月で、身近な人を続けて見送った。どの人も道の途中で突然倒れたようにして逝ってしまったせいか、泣き切れなかった涙が時折、中途半端に漏れてくる。こんな出来事が続くと、弱虫毛虫の私は「神も仏もありませぬ」と佐野洋子のように嘆きたくなるのだが、けれど心のどこかでまた「かみさまー」と小声で叫んでしまう。そんな私がこの季節になると、なぜか必ず思い出す立原道造の詩言葉をひとつ。五月の風をゼリーにして 持ってきてくださいひじょうに美しくておいしく口の中に入れると すっととけてしまう青い星のようなものが食べたいのですこの言葉を友に残し、1週間後に24歳の若さで亡くなった立原。彼もまた散り際の途に「かみさま」と呟いていたような気がしてならない。