気温が程よく上昇した春のとある日、気になる気になる、の草むしりをすべく、マイ鎌を手に庭に出ていた母。

得意のウンチングスタイルを雑草たちに披露している際、なぜか尻もちをついたらしい。

週末、兄から母の笑い話のひとつとして聞かされ、判明したのは、近くに頼る場所がないと尻もちから中々立ち上がれない、もしくは助けがないとそのまま起き上がり小法師状態、という母の有体なのであった。

 

 

卒寿と4カ月だし、週一のミニテニス以外、日常で「動く」という動作は洗濯カテゴリー位なので、そんなことにもなっているのは、ま、致し方ないこと。

こうして、ひとつ、またひとつと出来ないことが増えていくのは自然の摂理、と日々受け入れ態勢を整えている、つもりではあった。

が、母がこの「おちゃんこ座り」もしくは「体育座り」から自力で立ち上がれない、とは、実はワタクシも兄も、思ってもいなかった。

 

なにしろ、週に一度は室内で行うミニテニスに通っている。

体育館ではテニスの前には必ずラジオ体操とストレッチをする、と聞いている。

なので、この座り方は必須であろう。

しかも毎日、2階への階段も手すりなしで昇降しているのである。

なのに、立ち上がれない?

 

実家に帰った時に、何気なく、母に「おちゃんこ」の話題をふってみる。

 

「おちゃんこから立てないの?」

「立てるよ」

○○ができないの? と訊けば、「できるよ、そんなの」というのが常で、この時も母、即答である。

 

やってみてみてー、と軽いノリで言うと、そんなのカンターン、というノリで即、やりはじめるのも母。

 

が、手を下について体を支えつつ立ち上がろうとすると、かなりよろける。

2度目は重心がぶれ、どうも支えのコツがわからなくなって、立てない。

靴下ですべるのよ、とか、ここは狭いから、と言い訳は山ほど浮かぶのが不思議だ。

しかし、この姿、確かに懐かしの起き上がりこぼしを彷彿させる。

壊れた起き上がり小法師、だけれど。

 

しかし、その日、何度か練習をするうちに「ひとり立ち」できるようになったので、

90歳でも毎日のわずかな精進が大事、と今更ながら思う。

一日一度でいいから、おちゃんこ筋トレ、続けてほしい。

なにしろ、4月末に母を連れての温泉旅行を計画している。

毎回、兄から「連れまわしの刑」と呼ばれている一泊旅行である。

今回は、片道100キロ以内と厳しく制限された。

去年の11月に行った伊豆旅行では、帰宅後の母、かなりぐったりしていた、と兄に威嚇されたので、近場の温泉地をチョイスして、予約してみたが、毎日母に、旅行には行けそうか? と電話で確認をとっている。

最後の旅行だからね、何とか行けるといいね、と何気なく口にすれば、「なんで最後なのよ」とのたまう。

 

杖なしで歩いているとはいえ、週末に会う母の生体の変貌ぶりを目の当たりにすると卒寿の壁、侮れず、と思う。

今回は連れ回しの観光はほぼ無しにしての旅だが、果たしてこのメンバーで本当に行けるのかと未だに現実味がない。

因みにメンバー、「余命明日かも」の夫、「持病の扉開けっ放し」のワタクシ、「起き上がれないお婆師」の母のお馴染み旅トリオ。

 

最後の晩餐ならぬ最後のトリオでの卒業旅行、いい日旅だちの朝はそこまで近づいている。