実家の整理を始めたら、こんなもんやあんなもんが出てきて唖然とした、というKさんの話を聞いているうちに、昔の我が家の変なものが芋づる式に蘇ってきた。
因みにKさん宅の「こんなもんやあんなもん」は中々手強い。
実家は熊本で、かつての家業は農家兼造園屋さん。
先月は軽トラ一杯の瀬戸物を処分してきたという。
軽トラ一杯分? の写真を見せてもらうと、なんと立派な陶磁器類がいくつものコンテナに収納され、処分に行く、というより、そのまま移動販売できます、かのように整理積載されている。
よくある冠婚葬祭での引き出物シリーズはいいとして、法事をする時のセット物の茶器や、時代劇でよく見る箱膳のような漆器類もあって、つい、目を奪われる。
このあたりは序の口で、処分に困っているのは、はく製の類だという。
亀、いたち、たぬき、の3点セットが押し入れの奥で居住まい正していた時はさすがにぎょっとしたと言う。
カメ? のはく製ってどんな感じなのだろう。
子供の頃、見た記憶のないものが沢山出てくるわ、で片づければ片づけるほど片付かない、とぼやいていた。
他にも刀剣類や火打石や鉄の矢じりなどもある、という手強さなのだ。
そういえば、である。
Kさん宅ほどではないが、我が家にも、思い返すとあれってなんだったの? というようなものがいくつかあった。
記憶の筆頭がしらは、般若のお面で、その般若がいる部屋に行くのはとても怖かった。
お面は他にも、おかめとひょっとこがあり、なぜか並んで長押に飾られていた。
そういえば、長押からはなんだか色んなものがぶら下がっていた。
大きな御殿鞠や武者小路実篤の絵手紙、古切手のコレクションの巨大な額とか。
気持ちが悪かったのは、一升瓶に焼酎漬けされていたマムシで、不気味だったのはテレビの上に置かれていた謎の石、しかも敷物付き。
今思えば、なぜ、テレビの上?
このあたりは亭主関白筋金入りの父親の趣味にほぼ間違いない。
他にも、こけし専用のタンスほどの大きさの飾り棚もあって、かなりの数のこけしに囲まれて暮らしていた。
当時、母の趣味で作っていた日本人形も何体かあり、ガラスケースに収められ、一応は客間と呼ばれる部屋に飾られていた。
今にも踊り出しそうな藤娘など、これもたまたま夜に出くわすとかなり怖かった。
極めつけの一品は糸綴じされた「日本書紀」と「古事記」。
これも不思議な代物で、父がどうやって何のために手に入れたのか、少し興味がわいた一品ではあった。
狭い借家に筑摩書房の全集の初版本を全巻揃えたり、昭和の遺物、百科事典なども何種類か置かれていたが、こちらも関白おやじの満足世界を作り出すためのもので、残された家族にとってはただのあんなもの、でしかなかった。
親世代でこの状態だともうひとつ上の祖父世代がいたら、どうなることやらなのである。
Kさんの話を思い出しながら、あんなものやこんなもので済まなくなりそうな、そんな事態にならなくてよかったとホッとしてしまった。