やらかしの大波小波に揺れる日々が続いている。

そのせいか、やらかしのいくつかは浅い記憶喪失となっていた。

そのひとつ、例の家の鍵を手ブラ散歩の途中で紛失し、我が家にブロックされたワタクシのその後の半日をひけらかそうと思う。

 

我が家は賃貸なので、即、管理会社へ連絡なのだが、まず私が駆け込んだのは隣の隣、位にある大家さんである。

大家さんとはかなり馴染んでいて、ひたすらお世話になりっぱなしのおつきあいをしている。

冬場は自宅前の畑で作っている大根やネギ、春~夏は青物やトマト、地這いキュウリなどの野菜、秋は柿、スプレー菊の取り放題で、おすそ分け以上の恩恵を受けているのが我が家なのである。

 

しゃれたチャイムの音を鳴らし、数分待つのはいつものこと。

地主さん特有のお屋敷仕立ての家なので、出てくるまでに時間がかかるのである。

すみません、お休み中に、と前垂れをしてから鍵紛失について経緯を話すと、すぐに管理会社に連絡をとってくれ、大家さんの畑で冬の農作物について立ち話をしながら待つこと15分。

管理会社のおねーさんが駆けつけてくれ、自宅に入ることができた。

そう、もしかしたら自宅にあるかもしれない、という一縷の望みを抱きつつ、狭い我が家で、探しものの天使の名を連呼しながら鍵を探し回ること1時間。

なぜか、片付けや掃除までしている。

いいのか、悪いのか。

 

カギナクシタ、ミツカラズ、と夫にラインをしてみるも、仕事中なので既読などになるはずもない。

忘れよう、鍵のことはなかったことにしよう、とその時は思えるはずもなく、次の一手として散歩コースから近い場所にある交番で遺失物届を出すことにした。

 

この届出書が結構笑えるのである。

何時何分頃、どこそこで紛失した、と記入するのだが、それがわかれば見つけに行くわい、と傷心ゴゴロがさらに萎えた。

中老の警察官おじさんに、鍵って見つかりますか?と訊いてみれば、うーん、その日のうちに出てこないと難しいけど、たまーに、見つかることもあるから、と言いながらも絶対見つからないだろうな、のふわふわ目線なのである。

 

2回コースを回り、管理会社に連絡し、交番に行き、自宅を徘徊し、多分、やりきった、と思いつつも、あきらめきれずの心境を引きずって2時間後、再び立ち上がるワタクシ。

あきらめが悪すぎるよな、と思いつつ、誰かがあのレモンイエローのジャラジャラをガードレールにでも巻き付けておいてくれないかな、などと甘いストーリーを想像してみる。

そうだ、もう一度だけ、もう一度だけ点検してこよう、と夕方のまだ陽のある頃にもう一度チャリンコで探し回るも、甘い奇跡は起こる気配さえもなく、夕暮れの富士山のシルエットだけが目の奥にツーンと映える。

ただ、富士山を眺めながら梅の香りに包まれようとしただけなのに、ママン、こんな汗だくのいちにちになったのはなぜ?

 

ドア交換の後、合鍵を作り、新しい鍵には、大きなぬいぐるみとクマよけの鈴を付けているのだが、存在感、この上なく重く、これを失くす時は人間やめ時、のような気がする。