自己紹介
はじめまして。幸せな人生の選択をする生き方を提案しています。私は九州出身で、高校までは、大自然に囲まれ、野生児のように育ちました。バスケと勉強に明け暮れて、中高時代はファンクラブも出来たほど学校内でも目立つ存在でした。→自分で言うか(笑)でも事実なんです。お昼休みには「手紙書いてきました」だとか「写真一緒に撮りたいです」だとかで、クラスの前には列が出来たりもしてました。極め付けは「先輩は私のシンデレラです」って告白されたこともあります。→ただし、女子からのみ 苦笑東京の大学に進学し、バスケと飲み会に明け暮れ、就職氷河期と言われる時代に、親のコネで一部上場企業に就職し、流行りの見せパン服で出社して、上司に「パンツ見えてるぞ」って言われても、「見せてるんで大丈夫です(^^)」と受け答えするようなふざけたOLをしてました。その後子供の頃から憧れていた、アメリカ留学を決意し、ビザも取り、再来月出発!という時に、地元の父が務めていた会社が倒産😖それまで順風満帆だった我が家は一転。妹はまだ小学生で、父親は単身赴任になり、母は働きに出るようになりました。しかも今まで専業主婦だった母に簡単に仕事など見つからず、体力を使う仕事しかありませんでした。私は両親に、「留学をやめて、実家に帰って、ママが単身赴任のパパについていけるように私が妹の面倒を見るか、私が単身赴任になった父の面倒を見る!」と伝えたら、両親は「子供に残せるのは教育と経験をさせることしかないから、行って来なさい!」と私の背中を強く押してくれ、単身渡米。将来安定して稼げるようになる仕事は何かを考え、学びたかった心理学を諦めて、会計学を専攻し、茨の道を歩むことに…(u_u)目指したのは、Big4と言われる世界4大会計事務所。「必ず4社のうちのどこかに入り、パパとママに楽をさせてあげられる自分になる!」という強い誓いの元…親から仕送りをさせないように、学費と生活費を確保して、Big4の面接を受ける権利を得るためには、成績も上位を維持しなきゃいけないというプレッシャーの中…学校以外は朝から夜中まで、ベビーシッター、家庭教師、ウェイトレスと、アルバイトのかけもち。それに加え、学校1厳しいと言われていた会計学の宿題、グループワーク、テスト…の日々。友達と遊ぶ時間もお金もなく、1ドルのコーヒーすら我慢しなきゃいけない地獄のような毎日でした😭海のある街なのに、海にも行ったこともなく、太陽が近い街なのに、図書館にこもってばかりいました。そうして南カリフォルニアで、語学学校を経て会計学を専攻し、地獄のような学生生活を送り、無事にBig4から内定をもらい、卒業!晴れてBIG4の一つのNY事務所に就職し、南カリフォルニアから世界の大都市NYにお引越し。やっと勉強と貧乏から解放される〜♪と喜んでいたら、さらに地獄の社会人生活。ちょっと自由のきく囚人のようなプロフェッショナル生活が始まりました。会社に寝袋持参で、シャワーを浴びるためだけに家に戻り、土日は洗濯をするためだけに家に帰るような生活。お金はいらないから、自由な時間が欲しいと、マンハッタンのビル群の片隅で、泣いた日もありました💦ただようやく、両親に恩返しができるようになり、使う暇さえなく貯まったお金で、実家の家、車、学資、などすべてのローンを完済しました。そして余力があれば、妹にも私と同等の教育を受けさせたかったと強く願い、それが出来ないことで心を苦しめていた両親のために、私が出来ることは、妹を大学に行かせることだ!と思い、妹をNYに呼び、一緒に住みながら、妹の学費を責任を持って支払いました。→結構キツかった 汗 (^_^*そしてついに妹も、無事にNYの大学を卒業することが出来ました。→しかも会計学…苦笑そんな頃、同僚の男の子からプロポーズを受け、走り続けてきていた私は、任務を終えた気になり、少し気が抜けたのか、付き合ってもいない彼との国際結婚を決めたのです。彼は社内でも優秀な人材で、みんなから神様みたいな人と、言われるほど出来た人。結婚するには申し分のないような人でした。しかも実家が相当な大金持ちで、結婚と同時にマンハッタンビューの一等地に数億円の家を与えられ、最初のお誕生日プレゼントは、真っ赤なアウディの新車でした。仕事を辞め、全てを与えられた私は…幸せではありませんでした。そしてついにハゲました、テヘペロ(笑)→10円じゃないよ、500円だよ😩本当の幸せを求めた私は離婚を決め、「今帰国しないと、もう一生アメリカかもしれない。」と思い、約15年のアメリカ生活に一旦終わりを告げ、帰国しました。帰国後は、同じくBIG4で、プロフェッショナル兼、外国人理事長の秘書を兼務。長年の同業界での人間関係や、派閥問題、同僚との比較や社内評価など、会社内で生きづらく、ストレスを抱えて日々を過ごしている社員、そして会社の経営陣を真近で見てきた経験から、心のサポートがいかに大事であるかに気が付き、カウンセリングとコーチングを学ぶようになりました。というのも、自分自身が憧れの業界のNYオフィスに入所以降、失敗は許されず、同僚はライバル、自分の出世のことしか頭にない、誰も信頼出来ない、人間らしくない、そんな世界に心を病みました。そんな中、高校時代の後輩だった現在の旦那様と出会い、再婚♡産まれて初めて子供が欲しいと思い軽い気持ちで開始した不妊治療その時すでに37歳!欲しいと願えばすぐに出来ると思っていた…気がつけばすでに5年の不妊治療の歳月が過ぎ、ようやく妊娠できたと思った矢先流産・手術を経験しました。心身共に、そして金銭的に疲れてしまい不妊治療をやめることを決意。会社でどんどん産休に入っていく同僚を尻目に、どんどん友達が妊娠して、あっという間に赤ちゃんを抱っこしている姿に胸が締め付けられる日々でした。今までの人生では、欲しいと思った全てを、何としてでも努力して手に入れてきていた私は、「自分では努力してもどうしても手に入らないものもあるんだ」と愕然とし、またそれまでにかかった不妊治療費用を計算し、呆然としました(@_@)(汗)それまでの私は、どんな困難も、例え希望の光を2度と見れないのではないか、というほどの暗闇にいる時も、ただただ根性だけで、力づくでガムシャラに、シャカリキに、這い上がってきていました。でも、涙も出ないほど深く重く、全てがイヤになりました。そして、力づくで、ガムシャラで、シャカリキな這い上がり方には限界を感じ、ホトホト疲れ、抱えるストレスの大きさに、生きる目標や、人生の本来の楽しみを失ってしまっていたんです。根性だけで乗り越えてきた半生。強いと思っていた自分の心が、ボロボロだということにようやく気づきました。根性論じゃなくても、もっと心を楽に生きていく方法やもっと柔らかく物事を乗り越えて行く方法があるのではないかと思っていたところ、ポジティブ心理学と出会い、私の人生はまたゆっくりと光の射す方向へ進み始めたのを感じたのです。もっと早く、ポジティブ心理学に出会っていたかったと思うほど、幸せへの道をロジカルに科学的に証明し、紐解いてくれました。そして私の独自の根性論は、あながち間違いではなかったと思うと同時に、もっと早く誰かに助けを求めていたら、もっと簡単に、もっと楽に生きる道を、もっと早く歩きだすことが出来たはず、と強く確信しました。また久しぶりの日本でのなんだか窮屈な、心が壊れそうな日々の生活で、心との向き合い方、気づき、いらないものを手放す勇気が、自分の心を楽にしてくれることを体感!そうして、ほんの少しの手放す勇気と、ほんの少しの動き出す一歩で、自分らしく笑顔で、他人に振り回されず、自分の人生に夢中になれる自分に再び戻れたんです(^^)今では会社に対する考え方も変わり、人間関係にもビックリするほど悩まなくなりました!夫婦のあり方や、両親、妹への対応も変わり、笑顔の数が断然増えました♪そして、好きなことに没頭する生活をしていたら、自然に授かることができ、超高齢出産を乗り越え、去年無事に娘を出産しました\(^^)/→娘は私が楽になるのを待ってくれていたのかもしれません心を楽になりたい自分を創造するセルフプロデュース術を身につけ本来のあるべき姿の自分として新たな人生の一歩を踏み出す✨この一歩が想いを共感できる仲間との出会い誰かの何かのきっかけに繋がると信じて、自分の人生経験を交えながら自分自身の思考の成長と共に、また一言では語れない波乱万丈の人生ストーリーをブログに残していきたいと思います💕余談ですが、私の大好きなものを最後に紹介させてください。私は"家居酒屋"が大好きで、好きがこうじて、猫の額ほどの庭に、手作りウッドデッキ、手作りテーブルを作り"家居酒屋"を仕上げました。→作ったのは主人です(笑)気持ちのいい日には大好きなおつまみを作り、家で主人とパジャマのままで飲んでいます。→私はすっかりノンアルな人になりましたが、ますます外に出なくなり、楽しく明るい引きこもりやってます(^^)このブログを訪れてくれた方が、いつか偶然ではなく、訪れるべく訪れ、出会うべく出会っていたんだ!と感じてくれたら、嬉しいです🌈1度きりの人生の、自分だけのストーリー。せっかくだから楽しんじゃおっ♪You only live once. Might as well enjoy your story.改めまして、Rieでした。皆さまとのご縁に感謝いたします。The future begins today, not tomorrow.未来は今日始まる。明日ではないLove,Rie