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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

2015年4月29日、この趣味で初めての能登遠征・初日。この日のネタで記事にしているのは、朝練中の女子口バス停大平隧道此ノ木隧道豊川隧道旧・七海第二隧道旧・七海第三隧道

 

今宵ご紹介するのは、豊川隧道の33分後、のと里山海道から「降りるところ」にある隧道。どういう意味かって?

 

 

 

それは、こういうこと。

地図を見たほうが分かりやすいと思う。現在地コチラ

 

右に見えてるのは、のと里山海道。そこから一般道に降りる長めのランプウェイにあるのが、本日のお題。

 

 

 

 

 

なんとなく、車から降りるのが憚られるような場所だが、

気にせず降りて(笑)正対。

 

殺風景なコンクリートトンネルですな~。

 

 

 

 

そんなルックスだが、ご本人は

「隧道」だと主張(笑)。しばしばあるやつですな~。

 

 

 

 

 

 

 

お名前は、穴水隧道。銘板によると、

昭和52年11月完成。思ったより古くて少し驚いた。

 

能登有料道路を前身とするのと里山海道、ウィキ先生によるとこの穴水IC(当時は此木IC)までが開通したのは昭和53年11月とのこと。

 

 

 

 

 

 

隧道内の様子。

北行き車線から降りるランプウェイなので、要は一方通行。なので幅員もそれなり。

 

最初からこのサイズで造られたってことは、当たり前だが当初から一方通行の想定だったということで、確かに穴水ICの立地を見ると分岐の取り回しが難しそうではあるけど、なかなか贅沢なランプウェイですなあ。

 

舞鶴若狭道にもこういうパターンのトンネルがあるけど、あちらは料金所の外とはいえ一応有料道路上のようなので、こんな駐停車したり、ましてや降りるとかできないだろう(未訪問)。

 

 

 

 

 

その点ここは一般道なので

問題ない…と思う(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

知らんけど。

 

 

 

 

サーっと抜けまして~、

 

 

 

 

 

 

 

北側もご紹介。

北向き一方通行一方通行ゆえに、こっちの坑口はドライバーにとっては通常バックミラーでしか見られないってことになる。

 

だからってこのご面相じゃあ、大してありがたみはないけどな(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

なので、内容は一緒やけど、

一応銘板も。

 

 

隧道前後で写真を撮ってる間に何台かの車が通過して行ったが、どいつもこいつもガン見だった。まあ慣れてるけど(笑)。ここに車が停車してましてや人が降りてるなんてことは、相当に珍しいんでしょうな。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

 

月イチ連載のお時間です(笑)。

 

 

2016年10月16日に敢行した、「ある目的」達成のために林道北股線をひたすらに遡っていく旅。

ここまでに記事にしたのが、二乃股橋ゴウシギ橋(仮)奥玉橋三之公橋と三之公上橋(仮)北股川橋(仮)じやくら橋ともう一本

 

 

 

 

あしゅら男爵橋からほんの数分の

この橋でまたしてもストップ。進まねえ~(笑)。場所はたぶんコチラ

 

親柱には銘板がはまっていた跡があるけど、失われていた。残念。

 

 

 

 

 

 

 

 

この橋でストップしたのは、

橋自体の雰囲気が良かったのもあるけど、

 

 

 

 

 

 

大きな理由はやっぱこれ、

なかなか見事な滝が、橋の真横に!

 

この時期に記事にする橋じゃなかった気が凄くするが(笑)、これ夏だと最高だと思う。マイナスイオンが出まくっておったぞ。

 

 

 

 

 

 

奥地側の欄干

何があったか、もはやモニュメント(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

奥地側からの振り返り。

唯一まとも(でもないけど)に生き延びてる親柱があったぞ。

 

 

 

 

 

 

 

そこには、

「かまのたに」と。

 

ははぁ、じゃあきっとこの橋のお名前は、漢字はわからんけど「かまのたに橋」に違いない…

 

 

 

 

 

 

まだあきらめるのは早いぞよ。

お名前判明のチャンスはまだある。橋を追いかけてる同業者ならおわかりだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

ほーれ、あった!

やっぱり、「かまのたにばし」。漢字はわからんけど、まあ「釜ノ谷橋」かな。

 

どこにこの銘板があったのかって?答えは最後に(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

サイド気味アングルは、

このくらいで限界。どっしりした橋脚が印象的だった。

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり、

弱いとこから壊れていくね(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

はい~、最後に動画を。

先ほどの銘板がどこにあったか、これを見ればわかる(笑)。そして滝。その近さや規模、水音を感じていただければと。ちょっと寒々しいか?(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

【次回】は、ある程度距離を稼げる…かな?

 

 

 

 

 

 

約10ヶ月ぶりの、「仁丹じゃない」古い住所看板ネタであります。

 

 

これは、地味に難易度高いっすよ?

さて、どーこだ?

 

 

 

 

 

 

正解はこれ。

このステルス具合とゆうか擬態とゆうか、ヤバイ(笑)。

 

山科区の御陵(みささぎ)で見つけたものですが、よく見ると「東山区山科御陵~」となっておりますな。東山区から分区して山科区ができたのは1976(昭和51)年のことなので、確実にそれよりは古いもの、ってことになります。

 

 

 

 

 

一見して仁丹看板じゃないのはわかったんだけども、じゃあなんだ?と目を凝らして見れば…

 

おおっ。

「パパヤソース」!これは初めてやな~。

 

もしかして、パパヤソースって…全国的には無名だったりします?京都発の、歴史あるソースなんですよ。参考までに、ホームページはコチラ(笑)。お取り寄せもでき升(爆)。

 

 

 

 

 

 

そうそう…パパヤと言えば…

もうええっちゅうねん(笑)。

 

 

 

 

 

 

2010年10月2日、房総の隧道王子(当時?笑)、まききさんに初めてお会いし、隧道王国・房総においても特異点たる穴銀座・茂原市は押日地区をご案内いただいた。

なんとこの日の記事は初めてっすな。

 

この伝説的なテリオス・キッドに乗っけていただいて押日をめぐる…なんと贅沢なツアー(笑)。

 

 

まききさん、Web上ではかなりごぶさたな感じだが、きっと仕事の合間に元気に活動してらっしゃることだろう(決めつけ)。

 

 

今回ご紹介するのは、茂原駅で待ち合わせしてから一番最初に連れてっていただいたところ。今さらながらに房総の真髄を思い知らされた。

 

 

 

 

 

冒頭の写真の場所、引いて見るとこういうところ。

場所コチラ。写真は北を向いている。

 

中学校を望む郊外の市道という趣。隧道なぞありそうにない?うん、そうなんだけども、実は正面じゃなくって左なんだな。

 

 

 

 

 

 

その左に何があるかっつうと…

モチのロンで、当たり前のように隧道ですな。

 

手前に写っている謎な石造の…ミニ祠?、よく見ていただくと、さっきのストビューの左端に写ってるので、それを基準にしていただくと位置関係が分かりやすいかと。市道に対しほぼ直角方向、つまり東西方向に穿たれている。

 

 

 

 

 

その石造ミニ祠?の屋根には、

これまた謎な、未年の開運紹福瓦がかぶせられていた?なんじゃこりゃあ。たぶんお正月に神社かどこかで頒布されるような類いのもんだと思われるのだが…。

 

ちなみにこの年2010年は寅年であり、遡ってもっとも近い未年は2003年となるが、7年もかぶせられたままにも見えないし。どうでもいいんだけども気になりだすとなんか…(苦笑)。

 

 

 

 

ええい、そんなもんどうでもエエんじゃ!(笑)

 

 

 

 

 

 

接近して正対してみると、

完全人道サイズ、矩形断面に近い素掘りの隧道だった。

 

当然扁額も銘板もあるわけないのだが、今は亡き房総隧道のバイブル「千葉の素掘り隧道(トンネル)」というサイト(Yahoo!ワイワイマップのサービス終了で消滅…)でのデータによると、名称は野本隧道であるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

やっぱこれ、

矩形断面と呼んでも差し支えないような。

 

アーチの力学に頼らなくても完全に安定しており、房州がいかに隧道を掘るのに適した地質であるか、を如実に物語っている。延長は20m強くらいと短いが、洞内中央くらいにサミットがあって、水がたまることもない。

 

 

 

 

 

 

 

洞内には

照明の類いは皆無だったが、

 

 

 

 

 

 

固く踏みしめられた洞床、そして

前後の道の状況を見る限り、この隧道、完全に現役である。

 

 

 

 

 

まあ、多少は鬱蒼としているけど。

野本隧道・西側坑口。

 

 

 

 

 

 

隧道から、

その先へと進んで行くと…

 

 

 

 

 

 

 

すぐに竹藪が開けて、

里に出た。

 

低い山だが、この隧道を穿つことで、確かに行き来はとても楽になっただろう。入ってきたほうの東側も、今は真新しい市道で上書きされているが、元々はこういう「ザ・ニッポン」的景観が広がっていたのかもしれない。

 

隧道のサイズ、勾配のゆるさ。状況証拠から考えるに、自動車交通の到来以前に穿たれた古洞である可能性も高い。もしそうだとしたら、房総では珍しいわけでもない明治(以前)の素掘り隧道においても、そのまま改変されずに使われ続けているものはレアなんじゃないかと思われる。

 

 

こんなのがほぼ街中にある茂原市、ステキすぎるわ~。

 

 

 

 

 

ステキすぎると言えば、わたくしが思い知らされた「房総の真髄」はこれだけではなかった。いや、ここからがまさにそれなんだな。

 

 

 

 

 

 

野本隧道の西側(3枚上の写真近く)から、

道に見えなくもないところを

 

 

 

 

 

南側にガサガサと分け入ると…

んなああああ?

なんとそこにも、そうひとつの素掘り隧道が!

 

 

前出の「千葉の素掘り隧道(トンネル)」によると木生坊隧道というお名前のこの隧道、状況的には、野本隧道の10mほど南側に、並行して東西方向に穿たれている。さりとて、野本隧道の旧隧道ではないはず。だって、ほぼ高低差はないから。確かに断面の大きさはちょい小さいけど…。

 

一説によると、野本隧道掘削に先立っての試掘だったとか?確かにこちらのほうが延長は短いのだが、普通は延長が短くて済むところに隧道を掘るよなあ。見たところこっちも洞内は安定しているし、これ以外に野本隧道がなんで必要だったのか、解せない。

 

 

まさか…これはアレか?房総で時に感じるあの感想…

 

 

 

掘りたいだけやろ~これ!  知らんけど。

 

 

 

 

これぞ房総の真髄なり。

 

 

 

 

 

こちらもおおむね矩形断面、

天井はやっぱ少し低い。

 

 

 

 

 

 

東側に抜けて振り返り~の

木生坊隧道・東側坑口。延長は10m切るくらいか?

 

 

 

 

 

 

こっちは廃隧道につき、少し引くとすぐにわからなくなる。

背後はすぐ市道だが、よほど気をつけて見てても気づかないかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、市道から全体を引きで。

テリオス・キッドの停まってるところが野本隧道・東側坑口前で、写真中央、二本の電柱の間あたりに木生坊隧道の東側坑口が開口している。という状況。いや~、なんということでしょう。

 

 

この写真左端にも思わせぶりなスペースがあるが、実はそこでも面白いものを見つけている。が今回は割愛(笑)。機会があればまた…。あっ、隧道じゃないっすよ、さすがに。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

2019年11月23日、鹿児島出張最終日の仕事がなくなるという神様からのプレゼント(笑)を有効に活かすべく敢行した「駅から探索」。その一か所目として降り立ったのが、鹿児島本線は伊集院駅だった。

 

この伊集院駅周辺で事前にチェックした物件は5件。本日ご紹介するのは前夜の事前調査で見つけてテンションぶち上がった、この日最も楽しみにしていた橋である。

 

メインから紹介する…わたくしには極めて珍しいことだ(笑)。

 

 

 

 

5件中3件のチェックを済ませて、いよいよ…タメなしでお見せする。

 

 

橋好きしか共感してもらえないと思うが、なんと嬉しい

下路RCローゼ橋~!

テンション上がり過ぎて水平が取れてない(笑)。場所はコチラ。上の写真は北側より。

 

 

下路RCローゼ…長野県がこの型式のメッカであること以外、その分布は把握できていないのだが、決してありふれてはいないはず。

これまでの記録が確かならば、わたくしが記録してきた橋はこの橋で3,396本目、その中で下路RCローゼ橋はわずか3本、これが4本目となる、個人的に非常に希少な存在なんである。そのうち記事にしているのは八七瀬橋万年橋

 

 

そんな希少型式橋がなんとこの南国の地で、しかも自分が探索しようとしてるエリアの駅から至近の場所に見つかるとは!持ってんなわたくし(笑)。

 

 

 

 

 

 

この独特な質感とフォルム、 

紛うことなきRCローゼ橋。

 

ローゼ橋とは、端的に言えばアーチ部と桁部、その両方で曲げモーメントを分担するように造られたアーチ橋の一種で、そのためアーチ部、桁部ともにゴツく太いのが見た目の特徴。

ちなみに先述の万年橋については、桁部が地面に埋まって視認できないのでローゼ橋だという確証があるわけではないのだが、自分内カウントではきっとそうだ、ということにしている(笑)。

 

 

 

 

 

 

右の親柱のお名前は、

「御門前橋」。

 

 

 

 

 

 

 

 

左の親柱の河川名は

「かみのかわ」。結局漢字での河川名がなかったのだが、神之川と書く。

 

 

 

 

 

 

 

 

下路RCローゼ橋といえば個人的に真っ先に思い浮かぶのが、

この、アーチ部と桁部の融合する優美な曲線。コンクリートの質感と相まって、大好きなポイントである。

 

 

 

 

 

 

 

しばし、写真のみで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、渡って南側より正対。

写真は割愛するが、左の親柱には「昭和二十九年七月竣工」と。先ほどスルーしたけど、5t制限標識がある。

 

 

 

 

 

 

 

これまた先ほどスルーしたけど、

親柱上の街灯支柱が、かがり火の台座的なモニュメントになってるのはなんだろう?後付け?オリジナル?

 

ちなみにこの親柱には、ひらがなで「ごもんぜんはし」。

 

 

 

 

 

 

 

最後に引きで

北側からサイドビューと、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南側からの

斜めビュー。いや~、どっから見ても非の打ちどころがない!

 

 

 

この橋は間違いなく、ストリートビューという文明の利器のおかげで見つけられた。これが現地でたまたま見つけたんならさらにコーフンしただろうが、それでも十分以上に嬉しかった。やっぱ生で見るのは全然違うしね。

 

 

もしかしてもしかすると、我が国最南端の下路RCローゼ橋…だったりするのかもしれない。いや、まあまあの確率でそうなんじゃないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知らんけど。

 

 

 

 

以上。