万年橋 (大阪府堺市西区津久野町) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
2015年6月29日。まったくなんの期待も予感もなく、今年もっとも驚いた出会い頭の対面。しかも正確には仕事中(爆)。
 
 
 
いやー完全に「呼ばれ」ました。
 
 
 

 
 
仕事の商談でやってきたのは、大阪府は堺市。こと拙ブログにおいてはこれまではあまりご縁のないエリアですな。
 
 商談が終わったものの、バスは行っちゃったばかり。地図を見ると、JR阪和線の津久野駅または上野芝駅まで歩けなくもない距離だったので、じゃあまぁ歩くか、と。
どっちへ向かうかちょっと考えたが、あわよくば石津川沿いに面白い橋でもあれば・・・ということで、津久野駅目指して歩き始めた。
 
 
 
 
…で、石津川。おかげさまで面白い橋はナッシン(笑)。
 
 
 
まぁ期待してなかったよ、川の相を見てもなんかありげな雰囲気は皆無やったしね。てことで、川から離れて津久野駅方向へ左折した。
 
 
そしたら…
 
 
 
 
 
そしたらですよ!
 
 
 
 
 
 
 

は。
 
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…は!?
 
 


なに?
なんなの?
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ナンナノコレーー!!??
 
 
 
 
 
場所はコチラ。
 
 
 
 
 
イヤイヤいやいや~。
 
 
 
 


ありふれた街角に
 
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橋。ですよ?川、流れてないですよ?




そして…おそらく橋好きでないと心底共有してもらえない驚愕ポイント。
 
 
 
 
 
 
まさかまさかの、
 
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コンクリート・ローゼ橋!!
 
以前記事にした八七瀬橋の時にも書いたが、この型式の橋は、わたくしがこれまでに記録した2096本の橋の中でたったの2橋、前掲の八七瀬橋と、和歌山県の某橋(記事未)しか巡り合っていない、レア中のレアもの。なのに、それなのに、
 
こんなトコで、こんな形で、まさかの3件めはっけーん。
 




ちちち、ちょっと落ち着け。なんかいろいろありすぎて、おかしくなっとる(笑)。
 
 
 
 
 
まず、こんな立地ではあるが、橋である(あった)ことは間違いなさそう。取り急ぎ銘板チェック。
 
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「まんねんはし」。
 
結果的に、4ヶ所の銘板はすべて「まんねんはし」だった。…うーん(苦笑)。漢字表記も不明なのだが、まあ間違いなく「万年橋」だろうと思われた。
 
 
 
 
 
 
 
改めて、しっかり観察。(ここまでの写真も含め)北側より。
 
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橋(…ですよね?)は、南行き一方通行となっている。ようは、対面通行で南行き部分に橋があるってこと。
 
 
残念ながら竣工年などはこの時点で全く不明。だが、こうなった理由はなんとなく想像がついた。皆様も同様だろうが。すなわち、
 
 
石津川の流路付け替えだろう、ほぼ間違いなく。
 
 
 
 
東側に隣接する小公園のようなところに、何か手がかりでもあるのではないかと…
 
 
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あった(笑)。何かが刻まれた石碑が。
 
さっそく読んだ。けっこう読み取りにくかったが、読んだ。
 
 
 
そして、
 
 
 
 
感動した。
 
 
 
 
 
そこには
 
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万年橋に寄す
 
石津川の古き流れは
今この橋の下に眠る
古え永く父祖たちが
曲りてうねる岸に瀬に
賽の河原の石を積む
治水の跡を汝は物語る
星は移り時は廻りて
我らなす街つくりをも
後の世の子や孫たちが
語りつがむよすがにも
汝が名の如し
汝を残さむ
 
昭和四十六年十月吉日
津久野土地区画整理事業完成記念
組合長 ●●太一 書
 
 
 
 
 
じ~~ん…
 
 
 
 
現在の万年橋は、「モニュメント」だった。
 
 
 
やはりこの橋は、かつて石津川に架かっていたのだ。その蛇行ゆえに、頻繁に氾濫を繰り返していた石津川。そのたびに大きな被害を出し、橋も幾度となく流失していた。そして昭和6年。今度こそ、二度と流されることのない頑丈な橋を、との願いを込め、「万年橋」と名付けられたこの橋が完成した。大阪府下で初めての鉄筋コンクリートアーチ橋だったという。
 
はっきり特定できなかったが、昭和27~30年ごろの大規模河川改修によって、石津川の流路は現在のルートに付け替えられ、この橋の下から消えた。無用となった万年橋。ではなぜ残されているのか?交通上では明らかに邪魔なのにかかわらず。
 
 
 
石碑は謂う、
 
星は移り時は廻りて 我らなす街つくりをも 後の世の子や孫たちが 語りつがむよすがにも 汝が名の如し 汝を残さむ
 
と。
 
 
 
つまり、
 
水害の記憶や先人たちの治水への苦労を後世に残すために、この万年橋は存在しているのだった。その後の道路の拡幅に際しても、橋を南行き一方通行とすることで生きながらえた万年橋。地域の人達の、相当に熱い想いが為した、まさにこの橋が「モニュメント」たる所以だ。おそらく、石碑が建立された昭和46年に、道路が拡幅されたのではないかと思われる。
 
 
 
まこと、心に響いた。
このような橋がコンクリート・ローゼだというのは、わたくしに取ってはちょっとした奇跡に思えた。
 
 
 
 
 
 
では、さまざまな角度からの万年橋をご覧いただいて終わるとする。
 
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「万年にわたって失われない橋」として生まれた万年橋。
 
 
 
その名のとおり、末永くこの地にあらんことを。
 
 
 
 
 
 
 
以上、完結。