奥玉橋 (奈良県吉野郡川上村入之波) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2016年10月16日に敢行した、「ある目的」達成のために林道北股線をひたすらに遡っていく旅。それを記事にするにあたりまずお送りしたのが、「導入部分の一番初め」となる二乃股橋ゴウシギ橋(仮)

 

今宵お送りするネタは、その二橋に続いて現れた橋。依然として、「導入部分の一番初め」ではある。

 

 

 

 

ゴウシギ橋を後にして、いよいよ林道北股線を遡り始めた。寄りそう北股川にほどなく現れたのが、この記事で取り上げたファイト一発橋(笑)。川砂利採取のためのダンプ用っぽく、もちろん見下ろしただけでスルー。

 

 

ゴウシギ橋から、わずか数分。現れた次なる橋が、

古びたガーダーもさることながら、

河原との比高異常近さが気になるコイツ。場所はコチラ

 

 

 

親柱も銘板もない塩対応には為す術なし(笑)。よってさっそく橋上へ。

 

谷の名は「奥玉谷」という。奇しくも、この朝に訪ねたお隣上北山村のこの記事の場所と同じ。

こちらは上流側。

左岸側には谷を遡る支線林道が見えるが、大きく補修された痕跡が真新しい。どうやら近年にかなり損傷したっぽく、その際に谷もけっこう埋まってしまったのではないだろうか。

 

 

 

で、コチラ下流側…って、

橋のほぼ直下で北股川に流入してるので、見えているのは北股川。

 

 

 

 

んで~、渡りきって振り返り。

おおっと!こちらには親柱が一本残ってた。

 

 

 

 

さっそくチェックすると、

「おくたまはし」。お名前だけでも判明して良かった!

しかしなあ、つうことは他の三本の親柱は…流されたんかやっぱり?

 

 

 

 

上流側サイドから見ると、改めて

めっちゃくちゃ低いなあしかし!

コレ絶対、谷が暴れたらもろに濁流にさらされるよなあ。大丈夫なんか?

 

 

 


かがんで潜り込んでみたガーダーの下には、

あっ、木が引っかかってる(笑)。

 

 

さて、お名前は判明した。後はお誕生日が知りたいところだが、この手の橋にはアレが期待できるのじゃないかな~と、

 

 

くぐって下流側にまわってみると…

ビンゴ(笑)。

 

 

 

 

あったあったよ銘板が。しかもこんなにもガン見できる幸せ(笑)。

1960年建造

川上村森林組合施工

林道北股線奥玉橋

櫻田機械工業株式會社製作

スッキリとすべてが判明(笑)。

 

 

そして、ちょっと面白いの見つけたのだが

下流側側面に「櫻田機械製作」の文字が。

 

何気なくこの会社を調べてみると、1895(明治28)年創業の老舗橋梁業者だったが、残念ながら2012年に破産申請して消滅してしまっていた。

 

この会社がいかにして破産に至ったか、とても面白い(と言っていいかどうか微妙だが)ビジネスジャーナルの記事(無断引用ご容赦)を見つけたので、興味のある方はご覧あれ。骨太な社会派映画でもできそうな、濃密な話だ。

 

 

そんな名門橋梁会社の忘れ形見が、

奈良県のこんな山奥の林道に。

 

まあ全国的に見れば、きっとよそにもあちこち残ってるんだろうけど、こういうサイドストーリーも知ると、いろいろと面白いもので。

 

 

 

最後に、

車を停めたところからのサイドアングルを。

 

 

うん、この橋もまた、ウチくらいしか記事にするトコはなかろうて(笑)。自信あるわ(爆)。

 

アカデミック路線には負けんぞ!(←バカ

 

 

 

 

林道北股線遡上の旅は、まだまだ始まったばかり。これまた、そう遠くない将来の三之公橋に続く。