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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

STAY HOMETOWN@滋賀シリーズ、第二段。こっからは県内マイナー橋ネタを連打します(笑)。

 

 

2014年4月11日、湖南市~甲賀市方面徘徊の終盤に見つけた物件。この日のネタで記事にしているのは、序盤の大谷川の水路橋無名橋

 

 

 

 

 

いや~、この橋は

なかなか見つけられないと思うな~。場所コチラ

 

 

 

 

 

 

地図で一目瞭然、国道1号の旧道…つうか旧東海道の橋かもしれないのだが、

踏んづけられてますやん…(泣)。

 

見つけられないと思う、と書いたのは、R1のこのあたりってけっこうな速度で走るし、現道よりも一段低いところにあるので、車内からは視認しづらいしで。なので、見つけて嬉しかった(笑)。

 

 

 

 

 

 

踏んづけられた親柱に何と刻まれていたのかはわからないが、

右の親柱にはお名前、「小田川橋」。

 

 

 

 

 

 

サイド気味アングル。

R1にはバンバン車が走っているが…ほんと地味な橋だ。

 

 

 

 

 

 

橋上から、下流方面を。

ちなみに橋の名前とはうらはらに、川の名前は山中川のはずなんだが。小田川橋って名前はどこから来たんだろう。

 

 

 

 

 

 

あ~、この感じ…

なんていじらしい(笑)。この感情、共有できるかなあ…なかなか難しいか(笑)。

 

踏んづけられてるのもそうだし、この歩道だって見るからに後付け。生き延びるために、いろいろと受け入れてる感が、ねえ。いじらしいなと。

 

 

 

 

 

 

そして、お誕生日を見たら、思ったよりもだいぶ古かったのだ。

「昭和五年四月竣功」。

 

なんと、昭和ひとケタ橋とまでは思わなかった。基本的に旧東海道を踏襲しているR1、冒頭近くで書いたように、旧東海道の時代からこの場所には橋が架かってたのではないだろうか。

 

ちなみに、この先の滋賀/三重県境に鈴鹿隧道が完成したのは大正13年のこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういう目で見ると、

昭和ひとケタ橋っぽく見えてくるから不思議だ。

 

 

 

 

 

 

 

老体にムチ打って、とは

こういうことよなあ…(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

今では集落の人だけが使う生活の橋。

なんだかんだでまだまだ活躍しそうな、小田川橋でありました。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

【2012年・春篇】より続く。

 

三度目の訪問は、2012年12月8日。

 

この日は関東からまききさん、doodoongooさんというお世話になった先輩方をお迎えし、よととさん、おろろんさんと5名での湖北方面隧道群歴訪接待ツアー(笑)の一環として訪れた。この日のネタ単独では記事にしてないけど、楽しかったなあ…。

 

 

 

 

さて、杉本隧道。

 

 

今回もまた、旧余呉町側からやってきた。今回は過去二回にはその存在に気づいてなかったものからスタート。

 

それは…旧余呉町側坑口ほど近くにある

隧道記念碑。

 

植生によっては全然見えなくなることもあるんじゃないだろうか。あるいは、単に過去二回は我が目がフシアナだっただけかも(笑)。

 

 

この記念碑には、極めて重要な情報が二つ刻まれていた。順番に見ていこう。

 

 

 

 

まず、ある意味最重要なのがコチラ。

「工費寄附」とあり、その下に刻まれていたのは…

 

土倉鐄山経営者 

田中平八 殿

田中銀之助 殿

 

出自を物語る重要情報。この隧道の工費を負担したのは、行政でも地元の人たちでもなく、木之本町の奥地、金居原にかつて存在した、土倉鉱山だった。

 

ヤマで産出した鉱石は敦賀港への積み出し駅として国鉄木ノ本駅まで搬出されていたが、より距離の短い中之郷駅(路線付け替え~廃止を経て現存せず)への搬出路を、ということで、この隧道が開削されたという。なんなら、隧道だけでなくこの隧道擁する県道284号全線が、土倉鉱山の負担で作られたものらしい。

 

 

 

 

 

その裏面には、もうひとつ重要な情報。

「大正七年六月竣工」。 

 

初回に紹介した銘板では「昭和二十六年三月三十日竣功」となっていたが、あれはおそらく現在の姿に改修された際の銘板ということになるのだろう。

 

 

横山隧道、佐和山隧道に先んじること五年。この大正七年という竣工年、それ以前には大沙川隧道、由良谷川隧道などの天井川隧道は建造されていたが、滋賀県のいわゆる山岳隧道(山を抜く隧道)の中では、実は最古となる。これもまた、知る人ぞ知る「最古」である。

 

 

 

 

 

 

最後の面には、

「發起者」として、直近の杉野、丹生、余呉の三村それぞれの村長、土倉鉱山長などの氏名が刻まれていた。

 

お上が道を造ってくれるわけではなかったこの時代、やらしい言い方だが、自分たちの負担なしに新しい道と隧道まで造ってくれる、というのは、願ったり叶ったりのオイシイ話だったに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

つうことで、実は大正隧道だった杉本隧道。もうひとつトピックを。

この旧余呉町側ポータル、全く目立たないが、実は扁額があるのだ。

 

ポータル中央上部にあるその非常にわかりにくい扁額には、「丹生隧道」と刻まれている…らしい。らしい、というのは、実は自分でも確認できていないからだ。(「ある」のは視認したが、文字は判読できなかった)

 

「丹生」というのは、この旧余呉町側坑口とここから下った先にある集落を含んだ、先ほどの記念碑でもその名が出ていた丹生村のこと。

つまりこの隧道には「杉本」「丹生」という二つの名前がある…ということになるのだが、道路台帳など公式データでは杉本隧道となっているようなので、記事タイトルでもそれを採用した。

 

 

 

 

 

で、この日は初めて徒歩で隧道を抜けた。

まずは、前回紹介したギーガー管(謎)を確認。

 

 

 

 

 

 

そして、

いざ、洞内ショートトリップへ。

 

洞内滞在時間はおよそ10分。まずは写真連打、元は煉瓦隧道であったという前提でご覧いただき、向こうに抜けてからちょっと補足コメントでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

洞内の激しい変化が伝わっただろうか。

 

煉瓦の巻き立てが残っているのは、旧木之本町側のわずかな区間のみで、全面的にモルタル改修、セントル補強がなされている。

 

特筆すべきは、煉瓦巻き立て撤去の雑さ(笑)。ギザギザに残った煉瓦の上からそのままモルタルで塗りつぶしてしまっていて、えも言われぬ奇っ怪なテイストを醸し出している。

 

 

 

 

 

この塗り壁ポータルとドデカ扁額ともあいまって、

「湖国屈指のクセつよ隧道」の名をほしいままにしている(弊社調べ)

 

その神髄、三度目の訪問にしてようやく、しっかりと堪能できた。

 

 

 

 

 

 

向こうからコッチへ、愛車を回送してきたよととさん。

ちょうどイイ比較対象、きっちり撮影するdoodoongooさん。

 

 

 

 

 

 

 

この日は、初訪問以来久々に、

ポータル上にも登ってみた。

 

 

 

 

 

 

この角度で水平位置から見る扁額も

うーん、いとをかし(笑)。

 

 

 

 

 

 

よーく見ると、左端にはちゃんと

「大正七年六月竣工」と刻まれておるではないか。これまで全然気づいてなかったフシアナっぷりが残念(笑)。

 

 

 

 

 

さて、ポータル裏をちゃんと撮った写真がなぜかないのだが、

 

この写真で大まかな様子はわかるだろう。

塗り込められたモルタルの奥からところどころ煉瓦がのぞく状態で、ここでも特筆すべきはその雑さ(苦笑)。

 

 

 

 

 

この端部足下とか、

どうなってんの、これ。ヒドイ酷い非道い(笑)。

 

 

 

 

 

 

こんな感じで、

抜け落ちた煉瓦が落ちてる始末。めちゃくちゃですやん。

 

 

 

 

 

 

 

最後に(もう十分だろうが・笑)、改めて旧木之本町側ポータル。

こうして見ると、オリジナルの姿では、帯石と笠石の間というセオリー通りの位置に扁額があったのだとわかる。

 

ピラスターはなさそうなので、冠木門タイプではない比較的シンプルなポータルだったようだ。滋賀県初の山岳隧道としてはいささか地味なようにも思えるが、土倉鉱山の鉱石搬出のため、というその出自を思えば、まあこんなもんなんだろうか。

 

この惨状(笑)であるため、当然ながら?土木学会の土木遺産選定からは漏れている。

ええ、でしょうね(笑)。

 

 

 

 

 

これ以降も何度か通り抜けたりしてるが、写真は撮ってない。今回記事を書いてみて、「丹生隧道」の扁額とか宿題がまだ残ってるのも思い出したし、季節を見てまた撮り直しにいこうかな。

 

 

 

以上。

 

 

 

【2009年篇】より続く。

 

 

2012年4月5日、湖西~湖北徘徊の終盤、3年ぶりに杉本隧道に再訪した。この日のネタで記事にしているのは、安曇川大橋旧、旧々上ノ瀬橋雨谷橋保坂のカルバート北川橋

 

 

 

 

この日は、

初訪問とは逆に旧・余呉町側からやってきた。

 

 

 

 

 

 

前回は撮らなかったので、

車を入れた写真をね。

 

この写真での印象だと、激狭に見えるな~。

 

 

 

 

 

 

 

個人的にこの隧道で気に入ってるのが、上の写真でノートさんの右手側壁にある

この謎のふくらみ。

 

 

 

 

 

 

どこか生々しいバイオメカニカル感が

なんか、ギーガーの描くクリーチャーを思い出すのよね。

 

排水管が露出したままモルタル吹き付けしちゃったのだろうが、この「ちょいコワ」が好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

洞内写真は

これ一枚。

 

 

 

 

 

 

これまた前回撮らなかった、

鉄板の構図。車を入れて撮るのはわたくし的には珍しいんだが。

 

 

 

 

 

 

 

上の写真もこの写真も

光量不足でブレブレ。これもう18時ごろやったしな~。

 

 

 

 

 

 

つう感じで、再訪問時も時間的なこともあり、サクッと終了。近くまで来たので寄ってみた、っていうだけだった。

 

 

 

なので、その洞内を満喫したのは、

 

さらに八ヶ月後、三度目の訪問時。

お客様をお連れしての接待ツアーの時だった。

 

 

 

【2012年・冬篇】に続く。

 

 

 

 

 

つうわけで、STAY HOMETOWNシリーズ第一弾は、滋賀県屈指のクセつよ隧道(笑)である杉本隧道。コイツを、いささか執拗に(笑)何度かに分けてご紹介していく。

 

 

まず今宵は初訪問時の記録を。2009年5月21日、この趣味初期の県内徘徊で訪れた。この日のネタで記事にしているのは、岩脇山の蒸気機関車壕横山隧道観音坂隧道档鳥坂隧道

 

 

 

ここは滋賀県道284号杉本余呉線、杉本地内。

 

タメなく、ドン。

ほら、いきなりクセが凄い(笑)。

 

地図はコチラ。これは木之本町側ポータル。

 

全面的にモルタルで(しかもブサイクに)塗り込められたポータルに対して、いささかデカすぎるきらいのある扁額。わたくし正直見慣れてしまっているんだが、ミニマムな高さ制限バーも含めて、改めてみるとやっぱなんともいえないテイストだ。

 

 

 

 

 

その扁額には、右書きで

「杉本隧道」と。

 

高さ制限バー上の薄汚れた表示は、高さ2.5m、幅員2.0m制限を謳っている。激狭ではない(当社比)、まあそこそこ狭い隧道だ。

 

 

 

 

 

 

この隧道のクセつよポイントはポータルだけではない。

この魅惑の洞内、これまたヤバイのだ。

 

煉瓦隧道…なのだが、洞内天井部はところどころアレな状態。まあ初訪問時はこの程度で満足し、写真は撮ってない。さすが淡白(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

でもその割には、

ポータル脇まで登ってたりとか。

 

淡白なんかそうじゃないんか、ようわからんな(笑)。

 

 

 

 

 

 

さて、では~。

反対側へ抜けまするぞ。

 

 

 

 

 

 

洞内一切撮らず。いきなりの

余呉町側ポータル。

 

 

 

 

 

コチラには、ポータル向かって左に古めかしい銘板があって、

延長から竣功、携わった人名まで、ありがたい情報がたくさん。これによると、昭和二十六年三月三十日の竣功ということだ。

 

これを信じ込んでいた、この日は。

 

 

 

 

 

 

 

隧道の先には、

余呉町のカントリーサインが。

 

探索当時は木之本町と余呉町をつなぐ隧道だったわけだが、今はいずれも長浜市の一部となっている。ちなみに合併したのは、この日の約7ヶ月後、2010年1月1日。

 

 

 

 

初心者らしくこれで満足し、次へ向かったわたくし。再訪したのは、3年後のことだった。

 

 

 

【2012年・春篇】に続く。

 

 

 

 

 

えー、コロナの副産物企画です(笑)。

 

 

我が滋賀県の知事は、STAY HOMEから一歩緩和して“STAY HOMETOWN”をお願いしたい、と申されております。「おうちにいよう」から「県内にいよう」っつうことで。

 

それに着想を得たわたくし、当面ブログの方も“STAY HOMETOWN”、つまり滋賀県のネタだけでお送りしようと。そうね~、とりあえずは現時点での緊急事態宣言期限の5月末までは。

ネタは溜まりまくっているので、なんとか今さらなネタを少しでも消化していきましょうということでね。

 

 

まずは、

 

 

ここらへん記事にしとくか。

 

 

 

 

 

 

【本篇】に続く。