穴と橋とあれやらこれやら -180ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2020年2月18日、仁丹ハントの途中で立ち寄ったラジオ塔をご紹介。

 「ラジオ塔とはなんぞや?」などについては、これまで記事にした萩児童公園のラジオ塔大和公園のラジオ塔八瀬のラジオ塔小松原公園のラジオ塔紫野柳公園のラジオ塔を参照のこと。


 

 

 

さて、現在地はこちら。雰囲気を感じていただくためストビューからも。

これまで見てきた「ラジオ塔のある公園」とはちょっと趣が違う。

 

運動グラウンドが中央にあり、この日は野球の練習をする子供たちとその保護者でにぎわっていた。場違い感ハンパなし(笑)。

 

 

 

 

 

こんな明るい公園のどこに…って、

あ~、あれか。

 

 

 

 

 

これはまた、

やっぱりほかのどれともまた違う。この一基ごとの個性が素晴らしいなあ。

 

 

 

 

 

最大の特徴は、

やはりこのサイドの巨大なくり抜き。

 

ここに機器を内蔵していたものと思われるが、なんらか蓋かカバー的なものはあったはず。どんな姿だったんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

改めて、おおむね正面より。

下に向かって少し広がる形状のためか、優美な印象があるね。

 

 

 

 

 

もちろん気になるのは正面に取り付けられた石板。そこには

「橘公園愛護會」とあった。公園の管理をしていた近隣の団体とかだろうか?

 

見たところ、このラジオ塔にはほかの幾つで見られた「KOOK」のコールサインは記されていないようだった。あるいは失われたのかも。

 

 

 

 

 

てっぺんのここは、

拡声装置が置かれていたスペース?

 

 

 

 

 

こちらには、

 

開閉可能な蓋が取り付けられていたとおぼしき蝶番が残っていた。

 

 

 

人が写り込まないように撮ってるけど、冒頭に書いたようにすぐ背後のグラウンドには人がたくさん。ささっと撮って観察して、速やかに立ち去った。いわゆるヒット&アウェイで(笑)。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

【前篇】より続く。

 

 

 

もちろん、通りすがりに

こちらもご案内。

 

 

 

 

 

改めてよくよく見てみると、

「明治十四年巳六月」とあり、その下に「再發起人」として(おそらく)三名分の氏名が刻まれているようだ(「西澤」「加藤」はなんとなく判読できた)。

 

「再」發起人とは、やはり「嘉永七年」と刻まれているのは元々の建立年で、明治十四年に再建されたってことなのか?てかそもそも、「何に対しての」発起人?謎が多いな、この石柱は。

 

 

まあ、さほど掘り下げることもなく(笑)、進軍再開~。

 

 

 

 

 

掘割を抜けて下っていき、

 

 

 

 

 

現隧道上を横断。

国道8号に雪崩を起こしたら、どうなっちゃったんだろう(笑)。猛ダッシュで逃げるしかないな。

 

 

 

 

 

最後の下りが難儀だった。

太ももまで埋まる雪中行軍に加え、倒竹が隠れているので踏んづけたら滑るスベる。あーやんさん、顔を隠すのがもったいないくらい爆笑中(笑)。

 

 

 

 

 

最後は

倒竹の底に滑り降りたら、

 

 

 

 

 

5年ぶりの

ごたいめーん。

 

 

 

 

 

このあたりの写真とか、

 

 

ナニしてたんだっけ(笑)。

 

 

 

 

 

フラッシュオンで撮ってみたけど、

結局どうやってもちゃんと見えない扁額…。

 

 

 

 

 

扁額左側の

デカいクラックも、実は以前からあった。前回は載せなかったけど。

 

この赤いペイント、いわゆる落書きではなかったと思う。一応管理されてるというか、行政によるもののように見えた。

 

 

 

10分ほどの滞在の後、撤収~。

 

 

 

 

 

帰りには改めて、

草ヒロ鑑賞も忘れずに。

 

 

 

 

この後は横山隧道へ流れて、楽しくお食事など。その模様は、この日のダイジェストで。いや、楽しい日だった~。

 

 

 

 

この時を最後に、以後再訪はしていない旧・佐和山隧道。ウェーダー着用での再アタックは…やっぱり気が進まないのでやめ(笑)。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

【初訪問篇】【2012冬篇】より続く。

 

 

 

旧・佐和山隧道への三度目の訪問は、少々間が空いて2017年1月27日。この時も、お仲間と一緒での訪問だった。

セロ尾さん(当時・笑)と、ケッパコあーやんさん(今どうしておられる?)との、ご覧の通りの雪中行軍となった。

 

お二方とも、WEB上でのやりとりはよくしていたけど、この時が初対面だった(と思う)。

 

 

 

 

 

草ヒロたちも雪化粧…いや、屍衣か…

 

 

 

 

 

でー、滞りなく到着。

いやもう、酷いもんですわ。

 

こんな見え方しかしないのがこの隧道のデフォルト。前回みたいな丸見え状態ってのは、手間をかけて刈り払い・掃除しないと絶対無理。

 

 

 

 

 

今回も、ポイントだけ押さえとく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クラックは…

ちょっと広がったかな?

 

 

 

 

 

いつものこの場所で、

三人並んで腰を下ろして、まったりしましたな~。

 

 

 

 

 

あーやんさんが買ってきてくださってた

チェリオ「ママの手作り風ココア」をチビチビいただきつつ、「落ち着くなあ~」って(笑)。

 

まあまあの時間、ここに座ってたような気がする。

 

 

 

 

 

で、その後は、

わたくしとしても5年ぶり、山越えして鳥居本側をご案内することに。

 

 

 

 

 

掘割も、

雪があるとまた、違いますなあ。

 

 

 

 

 

となるとやっぱり、

あれも見とかないとね。

 

 

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

 

 

寝耳に水。

 

 

5月からまたしてもピンチヒッターをおっ被せられてしまった~。もう勘弁してほしいわ。他にやれる人間がいないからって、まあそらそうでしょうけどさあ。

 

あ~あ、ブログ書くのがさらにきつくなるじゃないのさ。まぁ比較的短期間で済みそうではあるけど…。

 

 

 

 

こんなふうに、

ボロボロにならんかったらいいのだが…(笑)。

 

 

 

 

しゃーない、今回も乗り切るしかない。

 

 

 

 

 

すいません、毒吐く…もとい、独白でした(笑)。

 

 

 

 

2021年9月26日、初めての長州遠征2日目。この日のネタで記事にしているのは、大棚隧道徳佐川橋梁佐波川ダム釣山隧道。今宵ご紹介するのは、朝のうちにたまたま見つけた物件。

 

 

 

まずはこれ。

とある四つ辻北側の左右に、存在感あるコンクリートの柱が。そしてその向こう遠くには、「ハウルの動く城」みたいな威容。これはそそるでしょう~。現在地はこちら

 

地図を見ればわかるが、向こうに見えているのは巨大な(マジで巨大な)セメント工場の一部。すると、親柱みたいに見えるこれはたぶん…。しかしそこはフルオープン、かつ民家もあり、一般車と思しき車も駐車されている。進入しても問題はなさそうだ。

 

 

 

 

 

なぜならば(上の写真ではわかりにくいが)

目を見張るほどにゴツイ橋が見えていたので。

 

 

 

 

 

右に見えている看板は、

伊佐川沿いの道は河川管理道路なので注意して通行せよ云々、という内容だった。

 

 

 

 

 

ていうか、ここでの見え方だけで、

この橋のゴツさが伝わるのではないかと。

 

橋の取り付き付近には一本だけのチェーンが地面に横たわっていた。黄色いものは、古~いトラック用ホイールを着色したもので、かつてはなにかの表示が立てられていたのかも。

 

今はご覧のように何もないので、渡らせていただく。まあ、結末はもう見えていたが。

 

 

 

 

 

この橋はサイドアングルに恵まれず、

現場ではこれが精いっぱい。親柱には銘板を嵌めるスペースはあったが、がらんどうだった。

 

 

 

 

 

右側の高欄に沿って、

ぶっとい金属管が生えてきて、「橋の内側」に這わされている。

 

公道の橋でこんなことはあり得ない。これはやはり、「アレ」だなと確信した。

 

 

 

 

 

見てくださいな、この感じ。

ゴツイ金属管と、それ以上にゴツイ(そして低い)コンクリート欄干。萌えるわ~。

 

 

 

 

 

それもそのはず。これ公道じゃなく、

このセメント工場の橋。行く手を見ればそれは明らか。つまりは、企業占有道の橋だということだ。

 

 

 

 

 

橋のドンツキには、ようやくというか

「部外者立入禁止」の掲示がある黄色い門扉、その向こうの工場への道は、巨大な扉で閉ざされていた。橋の状態も考え合わせると、永らく使われていないように見えたが、廃橋なんだろうか?

 

 

 

 

 

ひっそりと隅に立っていた柱?には、

かろうじて「伊佐セメント」と読めたが、残りは錆び切って判読もままならない。

 

 

 

 

 

閉ざされた門扉からの振り返り。

漂う廃の香りと、

 

 

 

 

 

公道の橋にはない、ハードコアな雰囲気

いい、実にいい。

 

 

 

 

 

橋上から望む、こちら上流側。

これだけ見ると、左に巨大セメント工場、右に住宅街があるようには見えない。

 

 

 

 

 

対してこちら、下流側。

元々は向こうに見えている橋をチェックしに立ち寄って、ここを見つけたという流れ。あそこからこの橋のサイドアングルも一応見えるのだが、木が生い茂ってろくなもんじゃなかった。よって、載せるほどの写真でもなく、割愛。

 

 

 

 

 

いや~、楽しめた。

このコンクリ柱は、やはり元はセメント工場の門柱だったのだと思われる。橋までの30mほど、昔は企業占有道だったのを払い下げたのだろうか?…知らんけど。

 

 

 

 

 

最後に、引きで。

ゴツい橋、本来ならもっと目立つはずなんだが、背景のあいつがデカずぎて、入ってこない。

 

 

 

 

 

ちょっと、Google Mapの航空写真モードで貼ってみるけど、

全貌は入りきらない~。ちなみに今回の橋は、左下のやつね。

 

 

いや、あそこのセメント工場のデカさは衝撃的だった。さすがセメントの都・美祢(勝手に命名)

 

 

 

 

 

以上。