穴と橋とあれやらこれやら -151ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

これ、もっと違う角度からも見てみたかった建物。

 

 

あの自転車がたくさん停まってるほうが正面かな?けど、この側面からでもなかなか。このエリアらしく、無造作に積んである大谷石もまた良き。以前は工場というか、作業場的な感じだったような、そんな印象。

 

 

これ撮ったのは8年以上前なんで、もう取り壊されてるかもしれないな。

 

 

 

 

ロケ地:埼玉県桶川市某所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年1月17~18日、奥三河彷徨。この日のネタで記事にしているのは、小町トンネル豊栄トンネル槙原隧道新一の瀬橋水沢トンネル国道151号・市原トンネル旧廃道、旧々道戦橋川角トンネル旧廃道渋川六所神社の凱旋紀念門

 

今宵ご紹介するのは、終盤に静岡県に入り込んでからの物件。渋川六所神社の1時間前のこと。

 

 

東栄から静岡県道9号天竜東栄線を南下、

目指す隧道表記に到着した。割と古そうなコンクリート隧道だ。

 

 

 

 

 

接近して正対。

隧道そのものよりも、左側のマッシヴな擁壁がインパクトあった。

 

 

 

 

 

扁額は…

読み取れず。まあ地図に表記されていたので、「大野地隧道」という名称は判明していた。

 

よく見ると、下に年号が刻まれているようだったが、これまた判読不能。元画像をよーく見てみたら、「昭和十九年三月竣功」とあった。マジか?

 

昭和19年3月といえば、日本は大東亜戦争の激戦真っただ中。悪名高きインパール作戦が開始されたのがまさにこの3月だったりで、国民生活全体が緊縮されていた時期だと思われる。そんな時代に?

 

 

 

 

 

でも、見間違えではない、はず。

ボケボケ元画像の拡大をどうぞ。

 

この記事を書いてる本日現在までに、2,600件以上の隧道、4,000件以上の橋を見てきているが、昭和十九年なんて年号はここでしか確認していない。

もちろんそのすべてで年代が確認できたわけではないけど、そんだけ希少…というか、もはや異常事態ではないのか?この時代に隧道を完成させたなんて。そこまでの緊急性があったのだろうか。国家的緊縮の時代にヒト、モノ、カネを投入するだけの?

 

 

 

誰か調べて(爆)

 

 

 

 

 

えーと。

洞内にあった「あるもの」を撮ろうとしてうまく撮れなかった図。車で抜けながら撮り直そうか。

 

 

 

 

 

振り返りの、鉄板の構図。

…鉄板ではあるけど、これはいささか味気ない。こんだけ改修されてると。

 

 

 

 

 

では、車で進入。

これがさっきうまく撮れなかったやつなんだが、結局これなんだったんだろう。サーキットのスタートシグナルみたいに5灯式で、真ん中が点滅してたんだったかな?さすがに記憶がない(笑)。

 

 

 

 

 

で、

やはり全面的に改修されている様子だな、これは~。

 

 

 

 

 

抜けた南側。

このコンクリポータルがオリジナルなのかどうかは不明。Q地図によると、本隧道の完成年は「1945年(S20年)」と1年遅くなっているが、「こんな時期に!?」であることは変わらない。

 

あと、何かで見たのだが、この隧道の扁額(両側ともなのかは不明)、実際には「大野地隧道」と刻まれているらしい。

 

 

 

 

 

とりあえず、

この石積み擁壁、いい雰囲気だった。

 

 

 

 

以上。

 

 

この記事は「そういえば大阪城公園駅の開業って10月10日だったよな~」と、10日に向けて思い立ったものだったが、いざ写真を探してみると、なんと10日でなく10月1日!もう過ぎとるやーん!ってなって、書くの止めようかと思ったのだが、せっかく写真も漁ったので、こうして書き上げた次第。

 

 

 

昭和58年10月1日、大阪環状線の新駅・大阪城公園駅が開業した。当時すでに「鉄」真っ盛りなわたくし、身近なエリアで国鉄の新駅開業はこれが初めてだったと思う。喜び勇んで開業当日に訪ねた、その記録を記事にしておく。

 

例によって、ぐっちゃぐちゃに入り乱れた膨大な写真群を漁って、思い当たる限りの写真を集めたのだが、漏れがあるかも。そして、当日の切符なんかも出てきた。

 

 

 

光の加減がおかしいが、

ホームの様子。

 

 

 

 

 

駅名標。

ここまでだけ見ると、さほど人がいないかのように見えると思うが、実際はかなりにぎわっていた。

 

 

 

 

 

いつものように、当時の「旅記録ノート」を紐解いて見ると、

このスタンプを押すのに50mほども並んでたらしい。すげ。

 

関係ないけど、サロンカーなにわって懐かしいなあ。…って書いたとこで気になって調べてみたら、なんと今も一応現役なんですな、あの車両。すげー。なんか胸アツ。

 

 

 

 

 

で、この写真だが、

垂れ幕を持っている男性は、全然知らないおっさん(笑)。ねじれてたか何かで見にくくなっていたのを、自分の子供さんが撮りやすいように直してあげたのだったかな?そこをわたくしも撮らせてもらった、みたいな感じだったかと。

 

40年近く前の写真とはいえ、あまりにガッツリとお顔が写ってるので、隠しておく。

 

 

 

 

 

橋上駅舎。

その後、大阪城ホールでのコンサートやその他、何度もお世話になった。もう久しくこの駅には行ってないが、駅舎自体は現在も変わってないはずだ。

 

 

 

 

 

当日購入した、入場券。

さすがに硬券入場券はなく、券売機で買った軟券。往時の軟券、ものによってはすでに退色して判読できないものも多々あるのだが、これは比較的よく文字を残してくれている。

 

 

 

 

 

当日は、このほかに開業記念入場券も購入した。

オレンジの鮮やかなスリーブケース。もちろん当時は国鉄時代、「大阪鉄道管理局」の文字に萌え~。

 

 

 

 

 

内容は、こんな感じ。

そういえば、今でも記念入場券とかって販売されているんだろうか?

 

 

 

 

 

当時はこういう数枚セットで

子供用も一枚混じってるパターン、あったな~。

 

 

 

 

 

裏面は、それぞれこんな内容。

当時は、大阪城築城400年まつりの時期だったんですな~。「21世紀の幕あけまでの18年間」なんてフレーズに、なにか不思議な気分にさせられる。思えば、トシとったわなあ…(笑)。

 

 

 

 

 

駅の説明だけクローズアップで。

10億で駅が出来たんですな…。

 

 

 

 

 

最後に、当日の切符。

あえて券売機で買わずに、窓口で往復券を購入。わかってるね~(笑)。てか当時、まだ券売機で帰るのはもっと近距離の駅だけだったのかもしれないけど。

 

 

ちゃんと大阪城公園駅の下車印をもらってたりとか、思いっきり「下車前途無効」と記載されてるのにA券B券両方残ってるってことは、駅員さんにお願いして貰うことに成功したんだろうな。

 

…ってことでこれまた当時の「旅記録ノート」を見てみると、京都駅で切符をもらえたのはこれが初めてだったみたい。当時はいろいろおおらかだったし、頼んだらまあまあの確率で使用済みの切符は貰えたもんだが、そういや京都駅は厳しかったですな、なんか思い出してきた(笑)。

 

そして(大阪城公園駅で)「運よくテープカットを見られた」とか書いてるから写真も撮ったはずだが、やっぱ見落としてるな。いやいや、記録として優秀すぎるぞ、我ながら…(笑)。まあもうそれを探し直す気力はないのでスルーするけど。

 

 

 

 

いや~、やっぱこういう記録って、残しとくといいですな。

 

 

 

 

 

一応【前回】の続き。

 

 

 

休憩スペース視察を終え(違)車に戻るわたくし、気づいてしまった。

なんか、あそこにも「ある」んじゃないか?

 

 

 

 

 

果たしてそこにも、

橋が架かっていた。念のため、場所こちら

 

車で走っていてこれを見つけたなら、正直停まるかは疑わしいレベルで、決して面白そうな橋ではない。今回は別口のすぐ近くにあったから拾ってもらえた的な物件ではある。けどまあ、せっかくなんでこの流れで紹介しといてあげようと。

 

 

 

 

 

さてこの橋、

明らかにもう使われていない様子。

 

 

 

 

 

なんなら、

物理的にも終わってて、トマソン橋と化していた。微妙な幅員ながら、きっと車道橋だったと思われるのだが。

 

 

 

 

 

この盛り土みたいなのは何かいな?と、

登ってみれば私有地っぽい?平場のヘリに出た。わかりにくいが、向こうの擁壁の下に現国道が通っている。

 

この平場は、現国道の工事での資材置き場があったような、そんな場所ではないかと思われた。あくまで印象だが。となると、このトマソン化した橋はなんなんだ?

 

 

 

 

 

ヘリから見下ろした高低差は、なかなかのもの。

おそらくは、現国道建設以前から存在した橋で、道が潰されてトマソン化したものでは?と推測した。

 

 

 

 

 

で、驚いたことにこの橋、愛と信頼のQ地図でお名前とお誕生日が判明した。

お名前は、内井川口橋。お誕生日は、1977年(S52年)とのこと。

 

そして路線名は、田辺市道前田線とのことで、こんな状態なのに帳票上じゃ現役の市道だったなんて!?

 

 

 

 

 

「前田」というのがどこを指すのか不明なのだが、個人的妄想として

この緑線みたいな感じでかつてつながっていたんだったら面白いのにな、と思った。そう考えると、北側にもその続きと捉えたくなる点線道が描かれているし、さらに面白いけどなあ~。

 

でもたぶん、単なる妄想だと思う(笑)。

 

 

 

 

 

つうわけで、

小ネタながらも結果的に案外面白かった、内井川口橋をご紹介した。そもそも名前があった時点で驚きだったし(笑)。

 

 

 

以上。

 

 

【前篇】より続く。

 

 

 

渡った先は、

どんなんかな~?

 

 

 

 

 

ってことで来てみたら、遠目ほどにおぞましい感じではなかった。

 

これらは、上の写真正面奥に写っている、橋詰の標識やミラーの標柱。

和歌山県の表示がある。現役時代には県道だったのか、あるいは県が管理する国道だったのかは不明。

 

 

 

 

 

で、これが橋詰から望む旧道・北方向(上流方向)

 

 

そしてこちら、南方向(下流方向)

いい感じに熟成されてきていた。あれから3年半経っているから、今ではより味が出ているだろう。

 

 

 

 

 

で、これが

橋詰より振り返り正対。

 

 

 

 

 

もちろん親柱をしっかりチェック。

「うちいがわはし」。

 

 

 

 

 

そして無事に、

お誕生日判明!「竣工昭和48年3月」と。わたくしよりも後輩じゃないのさ。

 

2009年3月という現国道・温川トンネルの完成年を基準に考えれば、実働は36年ほどってことになる。橋として極端に短命ってほどでもないが、まだまだ働けるところでの巻き添えリストラは不憫ですなあ…。幅員も必要十分だと思うし。まあ仕方ないな。

 

 

 

 

 

 

でー。ようやくのオプション紹介。

 

 

このように、橋単体としてはまあ…さほど面白みのない内井川橋だったが、【前篇】でチラ見せした、

こちらの階段。これが気になっていたので降りてみた。

 

 

 

 

 

すると…なんということでしょう!

非常に謎な、休憩スペースが!(違うか

 

ドアや窓はないが、これ、壁で仕切れるようになっている?わけではないのか?

 

用途は全く不明ながら、橋のたもとの階段下、そして屋根付き!嵐だと厳しいが、雨降り程度なら余裕ヨユー。これって、OFFの歓談場にピッタリじゃないかね?ここだと、ソーシャルディスタンスを確保しても5人くらいはイケそうだ。

 

さすがにトイレまでは期待しちゃイカンよ(笑)。あと、二輪ならまだしも車だと駐車スペースがちょっと厳しいかな。

 

 

 

 

 

付近に人家はないので誰かにご迷惑をかけることもなく、どこからも見えないので気兼ねなく過ごせる。

 

なにより、普通のあずまやなんかじゃなくってここ自体に廃テイストがあり、

しかも廃橋を愛でながら歓談できるっていう。いや、いいんじゃないの~?(笑)。

 

 

実際の話、ここがどういうスペースなのか、誰かが管理している場所なのか(管理されてる雰囲気はなかったが)は不明。ただ、橋の通行止めガードレールはあったものの、立入禁止の類の表示は付近に一切なかった。なので問題ないんじゃないかな。あっ、当たり前の話だが、ご利用は自己責任で(笑)。

 

 

あと、使った後は「来た時よりも美しく」でよろしゅうに

これは常に基本ですからね~。

 

 

 

 

 

つうわけで、これが「豪華オプション」。廃テイスト休憩スペース付き廃橋をご紹介いたしました~。うん、まあね、「豪華」は言い過ぎだったかな。ごめんなさい(笑)。

 

 

 

 

 

【次回】、ついでにもういっちょ別オプションをご紹介。