大野地隧道 (静岡県浜松市天竜区佐久間町浦川~熊) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2013年1月17~18日、奥三河彷徨。この日のネタで記事にしているのは、小町トンネル豊栄トンネル槙原隧道新一の瀬橋水沢トンネル国道151号・市原トンネル旧廃道、旧々道戦橋川角トンネル旧廃道渋川六所神社の凱旋紀念門

 

今宵ご紹介するのは、終盤に静岡県に入り込んでからの物件。渋川六所神社の1時間前のこと。

 

 

東栄から静岡県道9号天竜東栄線を南下、

目指す隧道表記に到着した。割と古そうなコンクリート隧道だ。

 

 

 

 

 

接近して正対。

隧道そのものよりも、左側のマッシヴな擁壁がインパクトあった。

 

 

 

 

 

扁額は…

読み取れず。まあ地図に表記されていたので、「大野地隧道」という名称は判明していた。

 

よく見ると、下に年号が刻まれているようだったが、これまた判読不能。元画像をよーく見てみたら、「昭和十九年三月竣功」とあった。マジか?

 

昭和19年3月といえば、日本は大東亜戦争の激戦真っただ中。悪名高きインパール作戦が開始されたのがまさにこの3月だったりで、国民生活全体が緊縮されていた時期だと思われる。そんな時代に?

 

 

 

 

 

でも、見間違えではない、はず。

ボケボケ元画像の拡大をどうぞ。

 

この記事を書いてる本日現在までに、2,600件以上の隧道、4,000件以上の橋を見てきているが、昭和十九年なんて年号はここでしか確認していない。

もちろんそのすべてで年代が確認できたわけではないけど、そんだけ希少…というか、もはや異常事態ではないのか?この時代に隧道を完成させたなんて。そこまでの緊急性があったのだろうか。国家的緊縮の時代にヒト、モノ、カネを投入するだけの?

 

 

 

誰か調べて(爆)

 

 

 

 

 

えーと。

洞内にあった「あるもの」を撮ろうとしてうまく撮れなかった図。車で抜けながら撮り直そうか。

 

 

 

 

 

振り返りの、鉄板の構図。

…鉄板ではあるけど、これはいささか味気ない。こんだけ改修されてると。

 

 

 

 

 

では、車で進入。

これがさっきうまく撮れなかったやつなんだが、結局これなんだったんだろう。サーキットのスタートシグナルみたいに5灯式で、真ん中が点滅してたんだったかな?さすがに記憶がない(笑)。

 

 

 

 

 

で、

やはり全面的に改修されている様子だな、これは~。

 

 

 

 

 

抜けた南側。

このコンクリポータルがオリジナルなのかどうかは不明。Q地図によると、本隧道の完成年は「1945年(S20年)」と1年遅くなっているが、「こんな時期に!?」であることは変わらない。

 

あと、何かで見たのだが、この隧道の扁額(両側ともなのかは不明)、実際には「大野地隧道」と刻まれているらしい。

 

 

 

 

 

とりあえず、

この石積み擁壁、いい雰囲気だった。

 

 

 

 

以上。