先日のセロ尾さんの記事(なぜかファン限定記事 解除してくださったようです・笑)を見て思い出したネタをご紹介。セロ尾さん、ありがとうございまする。色調がおかしいが乞うご容赦。
2013年1月18日、奥三河彷徨。この日のネタで記事にしているのは、槙原隧道、水沢トンネル、市原トンネル旧廃道旧々道、戦橋、川角トンネル旧廃道。今宵ご紹介するのは、探索終盤、静岡県に食い込んだ時にたまたま見つけた物件。
日没近い16時42分。レンタカー探索では焦ってくる時間帯。そんな時に限って、
ええ橋があるやないの~、と思いながら、視線はその先の…
なんぞアレ!?
もう~しょうがないな~(笑)。急いでる時に限ってアカンものを見つける。これってわたくしだけ?
てなことで、
「そのモノ」に正対。
煉瓦製のこれは…見るからに「門」だ。しかも、デカイ扁額がある。
ありがたいことに、解説板があった。
「凱旋紀念門」。
改めて書き出さないので、各自お読みくだされ(笑)。
日露戦争(の戦勝)を記念して明治39(1906)年に築かれたという凱旋門。こういうものはこれまで見たことがなかったので、「へえ~」と感心しきり。
ではあるが、
これが思った以上に貴重なものであるということは、帰って調べてから知ったのだった。
以下、コメント最小限でご覧あれ。
これまでに似たものを見たことがなかったため、非常に印象に残ったこの凱旋門。帰ってから調べてみて、日清戦争戦勝からわが国でも造られ始め、日露戦争戦勝時には「ブーム」と言えるほどに全国各地に造られたということを知った。
市街地においては当初から一定期間後に撤去される前提で造られたものも多かったらしく、また優に100年以上前のことだけに、全国的に見ても現存するのは僅かに2ヶ所。それが、鹿児島県姶良市の「山田凱旋門」と、この「渋川の凱旋門」であると。
こりゃあたまげた。日没直前、偶然にここを通りかかるとは、やっぱ「呼ばれた」かな~(乱発しすぎやろ・笑)。
最後に、背面より。
ちなみに、「山田の凱旋門」は石造。こちらは煉瓦造。なので、それぞれが現存唯一の、ってことになる。
今回改めて調べたら、ブロ友のポンヌフさんの記事を見つけたので、併せてどうぞ。わたくしは気づかなかったこの奥の忠魂碑や、興味深いサイドネタも取り上げておられます~。
以上、完結。