『アラサー男子の老化ウォッチング』へようこそ。
これは、私がアラサーに突入してから逐一メモっていた心身の老化を、アラサーのうちに書き残しておこうというただの思いつきです。
せっかくみんなで見ないことにして済ませていた老化のはじまりを、よせばいいのにほじくり返します。
毎週日曜日に一本ずつアップしていく予定。
薄~い目で、ご覧いただけたら幸いです。
アラサーの老い㉖8月の前半にもう秋を感じる
秋は夕刻やってくる。
というのも、ここ数年の日記を読み返してみると、どうも私が秋の訪れに気がつくのは、夕暮れ時と相場が決まっているらしいのです。
2015年には、8月14日の日没後すぐに秋を感じている。
2014年は最速記録で、8月9日でした。夕風が涼しかったらしい。表参道の裏路地で、くるみ蕎麦を食べた帰りのことだったらしい。
私は東京郊外に住んでいたころ、近所の農家の無人販売所に売っている露地栽培の野菜をよく買っていました。
真夏は火を使う気が起きないので、コンロを使わずに作れる献立が主流でした。
たとえばサンドイッチ。キュウリを薄く切って、ジップロックに入れて塩でもんでおいたものと、薄切りにしたタマネギ、油を切ったツナを塩コショウで整え、ケチャップをパンにはさんでできあがり。夏野菜は体の熱をとってくれるので天然の冷房みたいなもんで、エアコンを使わない生活には非常にありがたい存在でした。
さて、露地野菜のいいところは、ニュースよりも早く季節を知らせてくれるところです。お盆を過ぎると、トマト、キュウリ、ナスの順番で、品ぞろえが薄くなっていく。
それでもアラサーになると、一度決めた生活習慣を変えるのがしんどいので、夏野菜のサンドイッチをしばらくは食べ続けるのですが、ある朝起きぬけに体温が冷えすぎてるな、と感じる瞬間がきます。
このあたりでようやっと、火を使う献立に切り替え始めます。
夏が終わるとき、何かやり残したことがあるような焦燥感に襲われる人はたぶん多いんじゃないでしょうか。あんなもん、子どもの頃は、夏休みが終わる数日前に、はじめて感じるくらいのものだったのに。
今じゃもう八月の前半に、このままじゃ人生の取り返しがつかなくなるような切実な気分になって、わんわん鳴き倒すセミみたいに命を燃やしといたほうがいいんだろうなと思いつつ、とくに思い出作りとかしないまま夏が終わるのが、ここ数年のパターン。
それから、春は昼下がりにあらわれる。
1月下旬、よく晴れた日には、窓ガラスを透かして床にひろがった日差しのなかに、ゆらゆらかげろうが立ち上っていたりします。またこのころ、日課の散歩に出かけて、人んちの庭などのぞくと、もう梅のつぼみが顔を出し始めていたり。
二十四節気でいうところの「立春」よりも早く季節に気がつく。世界が私だけに春の到来を耳打ちしてくれたようなよろこびに、冬のあいだ縮こまって固くなっていた背中から少しだけ力が抜ける瞬間は、じつにたまらんものがあります。
体力も反射神経も年収も年々下がっていって、もう経済活動のターゲットとしてもみなされなくなって、世の中のぜんぶに置いていかれたように思うころ、世間様に先んじてこんなご褒美をもらえるとは。
どんな年齢にも、それぞれのスピードで感じる季節は残されているもんですね。
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