ただ、生まれた場所が違うだけ
最近、インドネシアへ戻ることが近づいてきて、自分のこれからの人生について改めて考える。次女も4歳を過ぎ、明らかに物理的な育児は楽になってきてる。四六時中つきっきりでやってあげなきゃいけないことだらけで毎日が終わっていく日々は、終わりに近づいている。長女をみていると、次女が小学生になったら、私の生活は今とは大きく変わると思う。きっとその頃にはコロナもだいぶ落ち着いていて、学校もオンラインではなく通常通りになるんじゃないだろうかと思っていて。もちろんお母さんであることに変わりはないし、子供達が私の最優先事項であることに変わりはない。でも、私は私自身の人生にも、少し時間を使おうと思っている。母でもない、妻でもない、私の人生の時間に。その時、私は何がしてみたいんだろう。何ができるんだろう。それをここ数ヶ月ずっと考えている。今、私が一番好きなことは、日本ではない国に生まれ育った人たちの生活を、自分の目で見ること。そして感じること。それは18年前、初めて友達とハワイに行って、海外と日本の違いに衝撃を受けたあの日から変わらない。最初は海外旅行ばかり行っていたけど、オーストラリアに住み、ケニアに住んでから、私は、「住んでみる」ということに魅了されて、もうそこから10年が経つ。オーストラリア、ケニア、インドネシアと住んでみて、ハワイ、イタリア、グアム、ギリシャ、NY、サイパン、カンボジア、トルコ、スイス、ドイツ、チェコ、フランス、タンザニア、バリ島と旅行してみて思う。どこに生まれるかで、その人の人生の大枠は、かなり左右される。私の感覚では、先進国に生まれるか、新興国に生まれるか、途上国に生まれるか、それがその人の命の重さに関係なく、その人の生きやすさを変えてしまう。もちろん、先進国に生まれても、私の想像を絶するような苦しい辛い境遇に生まれてくる人もいると思う。でも、途上国や紛争地では、生きることが難しい境遇を強いられる人たち多さが胸を締め付ける。正直、そんな運命に生まれなくて良かったと思っている自分がいる。自分の子供がマラリアにかかっても、診療代が払えないから病院に連れて行くことはできない。薬を買うお金がないから、薬を買うこともできない。お金がないから、栄養のあるものを買うこともできない。私は今、娘の影響を受けて、地球環境について考えることが多くなった。子供達や夫が日々口にするものに、これまで以上に気を使うようになった。添加物にも敏感になったし、できるだけオーガニックのものを、フェアトレードのものを選ぶようになった。でも、その選択を続けることは、同時に生活コストを上げていく。それは、本来あるべき適正価格がそこにあるということなんだけど、地球や人や動物に優しい生活をするには、自給自足の生活を選ばない場合には、生活コストはどうしてもかさむ気がする。それは今ある現実なような気がする。同じように、世界には、生きることが困難な状況にある人たちはたくさんいる。教育を受けさせる暇があるなら一人でも多く働いてもらって、家族の生活費を作らなきゃいけないという理由で、教育を受けられない人たちも多い。でもそこには生活がかかっている。長い目で見れば、教育を受けた方がいいと思う。教育をうけて、脳を使うトレーニングを受けた人と、教育を満足に受けられなかった人の脳の動きは確実に違うと私は体感している。教育は非常に大切なことなんだと、本当に思う。でも、その前に生きる必要がある。それも事実。私が、子供時代に当たり前に受けた教育は、当たり前ではないし、勉強すんのダッルって思っていた自分は、生きることに困っていなかったし、教育を受けることになんのありがたみも感じていなかった。世の中には、今日生きるのにも困っている人たちがたくさんいる。でもじゃあ、自分にできることはなんなのかなって思う。例えば、児童労働をやめさせるために、格安の洋服を買わないとかっていうのは、児童労働を反対するという意思を示すことだと思う。買い物は投票だとよく言う。でも、私は、正直自分の家計を考えた時、ファストファッションを買っている。安いことに助けられている。それが誰かを苦しめることに繋がっているのかもしれないと、なんとなくの想像はできても、目の前の自分の生活を変えるというのは本当に難しいと痛感している。そして、本当の根本は児童労働なんてよくない。でも、その子供に仕事がなくなったら、その子は学校に通って、教育を受けられるんだろうかとも考える。仕事がなくなったら、食べるものを買うことができなくなり、食べるものがない。生きてはいけないじゃないかと思う。それでも、じゃあ児童労働をさせ続ける社会でいいのかというと、そんなのよくないに決まってる。これ、答えが出ない。深く考えるほど、深く知っていくほどに、単純な問題ではない。インドネシアでの生活でも、似たようなことを考えさせられる場面はちょこちょこある。私はインドネシアでは本当に無力な日本人で、インドネシア語も満足に話せないし、インドネシアのこともよくわかっているとは到底言えない。毎日たくさんのインドネシア人の助けを借りて、日々を生きている。でも、ドライバーは、私が1日で使うこともある月給で毎日働いてくれている。会話をしていても、私と何も変わらない。私は、日本では普通の家庭だけど、インドネシアではジャカルタという都心の、家賃が何十万もするマンションに住んでいる。それは、日本人の駐在家庭では普通のことなんだけど、日本人の私にとっての普通は、インドネシアでもケニアでも、決して普通ではない。立場だけが、私という本来の人間をすり抜けて、ありえない高さまで行ってしまっていて、そのギャップに違和感しかない。でもじゃあ、ドライバーがどんな家に住んでるか見せてもらったことはないけど、今日からここに家族4人で住んでねって言われたら、きっと絶望的な気持ちになるのも事実。私はそんなに強くない。結局はぬるま湯に浸かって育ってきて、今もそこから脱却できないし、きっと脱却する根性すらない。目を背けたい現実なんて世界にはいくらでもある。この10年間、私はそれを知っては考え、知っては考え。ただ繰り返してきたと思う。第二のインドネシア生活、どう生きていきたいのかなってすごく考える。僕が旅に出る理由Amazon(アマゾン)1〜5,287円人生やらなくていいリスト (講談社+α文庫)Amazon(アマゾン)858円わたしが幸せになるまで 豊かな人生の見つけ方 (幻冬舎単行本)Amazon(アマゾン)1,247円この3冊は最近読んで、たくさん考えさせられたとても良かった本。