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さて、去る 4年前の7月30日(木)の「夢について・続報3」のブログの上段に、
「(前略)去る7月25日(土)の『夢について・続報2』のブログの上段に、
『(前略)去る3月23日(月)の【夢について・続報】のブログ
の上段に、
【(前略)去る 4年前の7月24日(日)の〖夢について〗のブログの上段に、
〖(前略)過日 見た夢のことで 御座 います。すなわち、母校の建物内に
それで、目覚めてから思いましたことで 御座 います。すなわち、母校の建物は、津波の来るような場所に建てられていません。津波の心配がなければ、建築法改正後の鉄筋コンクリートの建物でしたら 耐震性が高く、その場を動かずに 基本通り 机の下へ
ときに、この夢を見て 早速 その朝 午前7時25分頃、最大震度4の地震がありました。母親によりますと、最近 地震が多いとのことでありました。 因 みに、茨城県南部が震源地である地震が多い理由は、この
なお、去る7月18日(月)の〔夢(海の日)〕のブログの上段、去る5月14日(土)の〔デュッセルドルフ( 独 )(ハイネの家)〕のブログの中段やや下、去る12月10日(木)の〔クリーニング〕のブログ そして 去る 昨年の7月17日(金)の〔プチ・トマト〕のブログ のそれぞれ上段などに、
〔(前略) これらの夢のことは記録していて、B5の30枚のノート19冊分(今では、23冊分です)になりました。このことは、数年前、去る( 一昨年 の)12月17日(水)の〘万年筆〙のブログ の冒頭で言及致しました友人に話しました。御承知のように、 高山寺 を開山した、鎌倉時代前期の 華厳宗 の僧である 明恵 上人は、生涯に 亘 って自分の夢を記録し続けましたね。(後略)〕と記させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。
ならびに、去る 4年前の9月26日(月)の〖母親の入院・続報3(資源回収)〗ブログの上段に、
〖(前略)昨日 すなわち 9月25日(日)の〔母親の入院・続報2〕のブログの下段やや上に、誠に有り難いことに、
〔(前略)読者の お 方から、去る 一昨年の11月25日(火)の〘第六感(スピリチュアリティ[spirituality])〙のブログ のことを言及して頂きました。このブログに記されているような内容を伝えさせて頂きます。母親によりますと、2千回 誦行していたら このHp.(hospital[ホスピタル]の略です。以下、Hp.と示させて頂きます)で亡くなった大勢の方々が ぞろぞろと出て来た とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。昨日 このことにつきまして、母親は 夢で見た とのことでありました。(後略)〗と記させて頂きました。
および、去る 一昨年の3月6日(火)の〖母親の転帰〗のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。
また、明日 すなわち 3月24日(火)の〖鰻の蒲焼・580(カレーうどん・父親の食事)〗のブログの下段やや上に、
〖(前略)家政婦によりますと、足の小指の上に まな板を落としたとのことであり、跛を引いていました。それで、湿布をしようとしました。(後略)〗と記させて頂きます。
そして、本日、上記のように 亡くなった母親が 夢に出て来て、前述致しました 家政婦が 跛を引いていたのと同様に、母親も 跛を引いていました。それで、母親の足を診ましたら、皮下出血を起こして 色が変わっていました。 因 みに、母親は、この足で 京都から 歩いて 帰って来たとのことでした。そこで、気が付きませんでしたが、一緒に タクシーで帰って来られれば よかったねと話す夢でありました。なお、去る2月27日(木)の〖母親の三回忌の挨拶〗のブログの中段に、
〖(前略)母親の夢を よく 見るのですが、夢の中では 必ず 母親は、生きているのですね。(後略)〗と記させて頂きました。序で乍ら、上記のように これらの夢のことは 継続して 記録していて、B5の30枚のノート 今では、34冊分になりました。(後略)】と記させて頂きました。本日の未明は、母親が、ホテルのドリンク・バーで いきなり コーヒーを飲んでしまう夢を見ました。それで、当方のみ ホテルの従業員に 別室に連れていかれて、¥1,440円の支払いをする内容です。 因 みに、コーヒーは、生前 母親の好物でした。コーヒーを 一杯 飲む為 に、母親は 喫茶店に 一人で 入ることも しばしばありました。なお、誠に有り難いことに、上記のように 夢の中では 必ず 母親は、生きているのですね。序で乍ら、上記のように これらの夢のことは 継続して 記録していて、B5の30枚のノート 今では、35冊分になりました。(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、去る 一昨年の11月26日(月)の『リハビリテーション(父親)・31・前編』のブログの中段やや上に、
『(前略)この理学療法士の方が 逃避(心理学用語)のことを言及していました。そこで、逃避でも いろいろな形があるという話になりました。因みに、前日の晩に 父親が 戦争による トラウマ(英語:psychological trauma)(日本語:心的外傷)のことを テレビで見たとのことであり、トラウマのことを尋ねられました。それで、第一次世界大戦のときは 肉弾戦であり、第二次世界大戦のときには レーダーを用いた戦いであるので、戦士たちの症状が違うとされていることを伝えました。すなわち、簡潔に お伝えいたしますと、前者の第一次世界大戦のときには 臓騒病(心身症の一種)になり、後者の第二次世界大戦のときには 神経症になる戦士が多かった とされている旨を話しました。つまり、ワン・ポイント(英語:one point)を お伝え申し上げますと、レーダーを用いるようになりますと、何時 敵に出会うか ということを考えるようになり、神経症になるようなのです。機会がありまして 宜敷ければ、詳細を記させて頂きます。なお、その理学療法士の方からは、そのトラウマの語源を尋ねられました。それで、希語と回答しました。(後略)』と記させて頂きました。本日、この 第一次世界大戦 そして 第二次世界大戦における 臓騒病(心身症の一種) と 神経症のことを、数人の医学部生に説明している夢を見ました。(後略)」と記させて頂きました。
それから、去る 一昨年の4月9日(土)の「夢について・続報8」のブログの下段に、
「(前略)去る2月23日(水)の『夢について・続報7』のブログの下段に、
『(前略)去る2月6日(日)の【夢について・続報6】のブログの下段に、
【(前略)去る 昨年の11月13日(土)の〖夢について・続報5〗のブログの下段に、
〖(前略)去る9月7日(火)の〔夢について・続報4〕のブログの下段に、
〔(前略)昨日も、母親の夢を見ました。すなわち、パソコンには縁のない 母親が、何と 当方の お古になった パソコンを使っているのです。それで、当方が、母親に パソコンを買ってあげようと思う夢です。 因 みに、 上記のように、これらの夢のことは記録していて、B5の30枚のノート 41冊分になりました。(後略)〕と記させて頂きました。
また、本日 すなわち 11月13日(土)の〔父親からの連絡・223・後編〕のブログの下段に、
〔(前略)昨日の午前中の 父親の食事の準備をして、食べ終わる迄 付き添いました。そして、昨日の夕食の 父親の食事の準備をして、食べ終わる迄 付き添いました。それから、事務作業をする為に戻って来て 睡眠をとっていて 更に 午前2時30分頃にも、父親から連絡がありました。すなわち、丑三つ時(午前2時から 2時30分の30分間のことを云います。転じて 〘深夜〙 そして 〘真夜中〙という意味も持っています)であります。因みに、父親によりますと、鞄がないとのことでした。それで、鞄を見つけて、父親に渡しました。そうして、今朝 すなわち 午前7時40分にも 父親のところに行きましたら、横になって よく寝ていました。それで、毛布の上から 更に 蒲団を掛けました。(後略)〕と記させて頂きました。
なお、上記のように 両親の夢を よく見ます。すなわち、昨夜は 父親の部屋に行く夢を見ました。すると、上記のように 本日未明の午前2時34分に、父親から電話連絡がありました。それで、夢の途中で 起こされました。そして、見ていた 夢と同様に、父親の部屋に呼ばれることになりました。因みに、これが、正夢というものでありましょうかね。なお、上記のように、これらの夢のことは記録していて、B5の30枚のノート 41冊分になりました。(後略)〗と記させて頂きました。
しかも、昨日は、おかしな 短い夢を見ました。すなわち、蝉が 半分になって、羽を バタバタさせているのであります。どうして こうなったのかと不思議に思っていると、生きている ピンセットが 蝉を食べているのであります。それで、半分にされた 蝉が、それぞれ 二 つに分かれて 羽を バタバタさせているのであります。なお、上記のように、これらの夢のことは記録していて、B5の30枚のノート 42冊分になりました。(後略)】と記させて頂きました。
そのうえ、過日は、いつものことですが、結局 蒲団に入ることが 適いませんでした。その明け方に、うとうとして 見た夢のことであります。すなわち、1階の居間で 両親が 横になっています。それで、母親(上記のように、夢の中では 必ず 母親は、生きているのですね)に 2階で寝た方がいいと 言うのであります。そこで、起きてみますと、自分が 1階の事務所で うたた寝するのでは なくて、2階で寝た方がいいと思われたのであります。すなわち、夢の中で 母親に アドバイスしたことを 自分が 行なえば いいと 気が付いたのであります。但し、時間が あって 寝ることが 可能であれば の話でありますがね。(後略)』と記させて頂きました。
それから、昨日は 父親の夢を見ました。すなわち、去る 3月9日(水)の『父親からの連絡・239・前編』のブログなどに記させて頂きましたように 生前の如く、父親から電話連絡がありました。そして、いつものように 『あることに対して、何とかしてくれ。』という内容であります。なお、上記のように、これらの夢のことは記録していて、B5の30枚のノート 43冊分になりました。(後略)」と記させて頂きました。
のみならず、去る 一昨年の7月4日(月)の「夢について・続報11・シンクロニシティ」のブログの中段に、
「(前略)昨日 すなわち 7月3日(日)の『夢について・続報10』のブログの下段に、
『(前略)去る5月20日(金)の【夢について・続報9】のブログの下段に、
【(前略)去る 4月28日(木)の〖税理士・続報10〗のブログの下段に、
〖(前略)去る 4年前の3月6日(火)の〘母親の転帰〙のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る3月11日(金)の〘父親の転帰〙のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。 すなわち、母親が亡くなって、父親が 続いて 亡くなっています。従って、その税理士によりますと、当家は 相続が 続いている事例になるとの旨でした。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、昨日は、父親に 国産の 鰻の蒲焼を買ってくる夢を見ました。ところが、母親も 山盛りで 鰻の蒲焼を買ってきたのであります。すなわち、重なってしまったので、どうしようか という夢でありました。(後略)】と記させて頂きました。
ならびに、 去る 一昨々年の8月20日(火)の【訪問看護(父親)・34・前編】のブログの下段に、
【(前略)母校の医学部生のときに、父母会で 担任の主任教授から 大学の近くに住むように言われたと 父親が話していました。それで、この千駄木の近くに、研修医の頃も含めて 約8年間住みました。その為 この近くのことは よく知っていましたので、その訪問看護師の方に 店を紹介しました。すると、誠に有り難いことに、この訪問看護師の方によりますと、また 行ってみるとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。本日は、1度も訪問したことがない 父親が、上記のように 28年前迄 8年間 当方が住んでいた ワン ルーム マンションに訪れている という夢を見ました。そして、父親は ベッドで寝たことがない人でしたが、当方のベッドで 寝ているのであります。そして、父親が、ベッドから起きました。それで、当方が、父親に 『眠れた?』と訊くのであります。すると、誠に有り難いことに、普段の父親のことを考えますと 珍く、父親は 『眠れた。』と答えるのであります。なお、上記のように、これらの夢のことは記録していて、B5の30枚のノート 44冊分になりました。(後略)』と記させて頂きました。
および、本日は、自宅の鍵が 壊される夢を見ました。すると、以下のことが起こりました。
すなわち、去る 7年前の11月5日(木)の『法人マイ・ナンバー』のブログの上段に、両親は 約8年前(現在からですと、15年前)に 商売を廃業した と記させて頂きました。それで、本日の午後2時56分に、電話が入りました。すなわち、同じ町の清水さんという人であり、玄関ドアの鍵が 開かなくなったとのことでした。そこで、上記のように 両親は 商売を廃業して、亡くなったことを伝えました。因 みに、確かに 両親は、鍵に関する商売を行なっていました。なお、同業者を紹介しようか とも思われました。序で乍ら、誠に有り難いことに、その人は 納得してくれました。以上であります。(後略)」と記させて頂きました。
つまり、去る 4年前の7月12日(日)の「本の進呈・続報7・前編(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)上記の 三輪秀香アナウンサーの芳名の『秀』の漢字を、前述致しましたように 成書を進呈すべく 書状の作成を始めた 宛名の方が、名前に持っているのであります。
更に、本日 すなわち 7月12日(日)の『家政婦への贈り物・136・中編・10』のブログ
の下段やや上に、
『(前略)父親の名前で 靖国神社・崇敬奉賛会の会員になっています。(後略)』と記させて頂きました。この靖国神社・崇敬奉賛会から 毎月、『靖国』という雑誌が 送られてきます。この『靖国』という雑誌に掲載されている 『英霊の言の葉』の今月の英霊の芳名が、その『秀』の漢字を 有しているのであります。
そのうえ、本日 すなわち 7月12日(日)の『家庭用ヒート・ポンプ給湯機の故障・続報10・前編』のブログ
に記させて頂きました、本日 来た リフォーム担当者の名前も、その『秀』の漢字を 有しているのであります。なお、本日、上記の『英霊の言の葉』を、名前に 同じ『秀』の漢字を 有しているということで このリフォーム担当者に手渡しました。
さて、去る 一昨年の9月18日(火)の『訪問看護(父親)・12・前編』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る4月23日(土)の【親への買い物・10・続報】のブログの中段やや上に、セレンディピティ(英語:serendipity)のことを記させて頂きました。また、去る5月28日(月)の【リハビリテーション(父親)・8】のブログの中段やや上に、
【(前略)この理学療法士の方と シンクロニシティ(英語:synchronicity)(日本語訳では〖共時性〗)の話になりました。それで、東洋 すなわち 仏教では、因果律という 更に 深い言葉がありますね と話しました。すると、誠に有り難いことに 頷いてくれました。因みに、シンクロニシティに関しましては、去る4月28日(土)の〖姉からの連絡(シンクロニシティ)〗のブログの下段やや下に、
〖(前略)去る2月16日(金)の〔母親の入院〕のブログの上段に、
〔(前略)去る9月11日(金)の〘親への買い物・15・前編〙のブログの下段に、
〘(前略)上記の知床のことを記しましたら、このスーパー・マーケットで ⁅知床旅情⁆の曲が流れていました。それで、去る11月5日(水)の⁅くもの糸(シンクロニシティ)⁆のブログ そして 去る 昨年の7月17日(金)の⁅プチ・トマト⁆のブログ のそれぞれ上段などに記させて頂きました シンクロニシティ(英語:synchronicity)(日本語訳では⁅ 共時性⁆)のことが思い出されました。(後略)〙と記させて頂きました。この救急車を呼んだということも、このシンクロニシティのように思われました。(後略)〕と記させて頂きました。なお、不思議と 前述致しましたのは、同じ日に おば(高祖の孫)も 姉も 同じ 某・東京医科歯科大学に受診することを聞かされたからであります。正しく、上記と同様に シンクロニシティであるように思われました。(後略)〗と記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。このセレンディピティ と シンクロニシティが 両方 起きたような気がしました。(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、去る6月21日(日)の『追体験・続報(シンクロニシティ)』のブログ
の下段に、
『(前略)去る 昨年の10月17日(水)の【5年目の感謝(迷惑メール[シンクロニシティ])(父親の食事)】のブログの上段に、
【(前略)すなわち、1日違いで 両者の金3,000円という金額が同じでしたので、このシンクロニシティが起きたような気がしました。(後略)】と記させて頂きました。上記の【黒猫】につきましても、このシンクロニシティが起きたような気がしました。(後略)』と記させて頂きました。上記のように、名前に 『秀』の漢字を 持っているということが 1日に 4件 重なりました。これは、前述致しましたように、そのシンクロニシティが起きたような気がしました。しかも、この翌日、家政婦に 父親の買い物を委託しました。すると、この家政婦が 初めて 購入した店の主人の名前も、やはり その『秀』の漢字を 有しているのであります。因みに、家政婦も同意してくれましたが、『秀』の漢字を 名前に 持っている人は、そう 多くはないと思われるのでありますがね。(後略)」と記させて頂きました。
しかも、去る 一昨年の8月5日(金)の「夢について・続報13・シンクロニシティ」のブログの下段に、
「(前略)一昨日 すなわち 8月3日(水)の『夢について・続報12・シンクロニシティ』のブログの下段に、
『(前略)前述の 去る7月4日(月)の【夢について・続報11・シンクロニシティ】のブログの下段に、
【(前略)去る 5月27日(金)の〖ガス設備保守点検・続報5(令和4年)・シンクロニシティ〗のブログの下段やや上に、
〖(前略)去る4月24日(日)の〔父親の納骨(七七日・満中陰法要)(シンクロニシティ)〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)去る3月11日(金)の〘父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・258(柚子湯)〙のブログ そして 去る4月14日(木)の〘マッサージ(父親)・205・前編〙のブログなどを記させて頂きました。この介護福祉士の方(非常勤) そして マッサージ師の方の苗字 と その某・霊園管理事務所の担当者(男性)のそれが、同じなのであります。なお、 シンクロニシティが起きたような気がしました。
また、去る 4月7日(木)の〘保険外交員の訪問・続報(前編)〙のブログなどに記させて頂きました退職した保険外交員の苗字 と 以下の 位牌担当者のそれとも、同じなのであります。因みに、ここでも、シンクロニシティが起きたような気がしました。
(中略)
なお、そのタクシーの運転手と家政婦のことも、シンクロニシティであると思われました。すなわち、シンクロニシティであると思われることが、1日で 3回 あったことになりますね。序で乍ら、今回も、タクシーの運転手に チップ(英語:tip)を考慮して 言及しました。
(中略)
なお、タクシーの運転手によりますと、その某・霊園近くの西武線の踏切は 開かないとのことでした。それで、1度 閉まると、上り下りで それぞれ 2本 通りますからね と回答しました。ならびに、その 従兄弟(男性)も、そう言っていました。および、家政婦も、そう言っていました。すなわち、3人から 同じことを 言われました。 因 みに、これも、シンクロニシティなのでありましょうかね。仮に そうであると致しますと、1日に 4回 シンクロニシティが起こったことになりますね。(後略)〕と記させて頂きました。
そして、記録を見ましたら 誠に有り難いことに、今年の担当者は、過去に 令和元年九月二十七日 と 令和二年六月二十七日と 二回 来ています。それで、本日は 五月二十七日であり、同じ担当者が、三回共 二十七日に来たことになります。これは、上記と同様に シンクロニシティであると思われました。(後略)〗と記させて頂きました。
要するに、本日も、鍵に関して シンクロニシティが起こったと思われました。(後略)】と記させて頂きました。
それから、本日は、違反した女子生徒が 男性教師に 鞭で 強烈に 叩かれている夢を見ました。 因 みに、上記のように これらの夢のことは 継続して 記録していて、B5の30枚のノート 今では、44冊分に なりました。(後略)』と記させて頂きました。
そして、本日は、近くの二人連れの間に 雷が落ちる夢を見ました。 因 みに、昨日の夕方 近所に雷が落ちて、一瞬 停電になったことがありました。なお、パソコンのモニターも 一瞬 消えました。序で乍ら、上記のように これらの夢のことは 継続して 記録していて、B5の30枚のノート 今では、44冊分に なりました。(後略)」と記させて頂きました。
そのうえ、去る 一昨年の11月15日(火)の「夢について・続報19・シンクロニシティ」のブログの下段に、
「(前略)去る11月11日(金)の『夢について・続報18・シンクロニシティ』のブログの下段に、
『(前略)一昨々日 すなわち 11月8日(火)の【夢について・続報17・シンクロニシティ】のブログの下段に、
【(前略)去る10月17日(月)の〖夢について・続報16・シンクロニシティ〗のブログの下段に、
〖(前略)去る9月12日(月)の〔夢について・続報15・シンクロニシティ〕のブログの下段に、
〔(前略)去る9月7日(水)の〘夢について・続報14・シンクロニシティ〙のブログの下段に、
〘(前略)本日は、上記のように 両親の夢を 見ました。 因 みに、誠に有り難いことに、夢の中では 必ず 両親は、生きているのですね。なお、上記のように これらの夢のことは 継続して 記録していて、B5の30枚のノート 今では、45冊分に なりました。(後略)〙と記させて頂きました。
のみならず、本日も、上記のように 両親の夢を 見ました。 因 みに、母親が 寒い部屋の中で うたた寝を していましたので、誠に有り難いことに、抱き上げて 寝床に運ぶ夢でありました。(後略)〕と記させて頂きました。
更に、本日は、電車内で 不良に対して 注意する夢を見ました。すると、その赤い髪の不良が襲ってきて 生命の危険に晒される という夢であります。(後略)〗と記させて頂きました。
ならびに、誠に有り難いことに、本日は 女性で 睡眠導入剤に依存している クライエント(英語:client)(心療内科では、〖クライアント〗ではなくて 〖クライエント〗と言われることが多いとされています)に、〖(睡眠導入剤が、)なくて 眠れると いいのですがね。〗と話している夢を見ました。(後略)】と記させて頂きました。
および、家政婦に、夢は不思議であることを話しました。 因 みに、その家政婦によりますと、夢では 願望していることを見るとの旨でした。なお、確かにそのようなことは あるかもしれませんが、御承知のように 正夢もあります。序で乍ら、当方は 小学校高学年のときに 西武線の一橋学園駅が 府中駅に繋がる夢を見ました。すなわち、小平市から 府中市迄 の 電車が開通する夢であります。 因 みに、その頃の交通事情は、小平市に 国鉄(民営化前の国鉄の時代であります)は通っていませんでした。ところが、その2~3年後の 当方が 中学1年生になった 昭和48年(1973年)4月1日に、新小平駅から 府中本町駅迄 も走行する 武蔵野線が開通しました。すなわち、上記の正夢であると思われました。
それから、誠に有り難いことに、両親の夢を よく 見るのですが、夢の中では 必ず 両親は、生きていることを前述致しました。すなわち、両親が 生きている世界があるのであると思われるのであります。因 みに、この話しを 家政婦に伝えましたら、誠に有り難いことに、頷いて 納得してくれました。(後略)』と記させて頂きました。
また、本日は、男性が 二人掛りで 一人の男性の指の骨を折るという夢を見ました。(後略)」と記させて頂きました。
しかも、去る 昨年の1月14日(土)の「夢について・続報23・シンクロニシティ」のブログの下段に、
「(前略)去る 昨年の12月19日(月)の『夢について・続報22・シンクロニシティ』のブログの下段に、
『(前略)去る12月2日(金)の【夢について・続報21・シンクロニシティ】のブログの下段に、
【(前略)去る11月21日(月)の〖夢について・続報20・シンクロニシティ〗のブログの下段に、
〖(前略)本日も、上記のように 誠に有り難いことに、両親の夢を 見ました。 因 みに、誠に有り難いことに、お正月であり、両親 と 僧侶が
〔(前略)去る3月16日(水)の〘告別式前日の打ち合わせ〙のブログの中段やや下に、
〘(前略)父親は そのような優しい人でした。序で乍ら、生前 父親によりますと、自分が 死んだら 泣いてくれるかとのことでした。 因みに、家政婦と共に 泣きました。(後略)〙と記させて頂きました。そして、本日は、納骨(七七日・満中陰法要)の日です。 因みに、この四十九日間、父親の お骨を 何度も 抱きました。すると、自然に涙が 溢れてきました。なお、生前 父親は、上記のように 自分が死んだら 誰か 泣いてくれるかと 何度も 尋ねました。それで、勿論 泣くよと回答しました。すなわち、この四十九日間は、そうでした。(後略)〕と記させて頂きました。すなわち、今でも 日々、父親のことを思いますと、自然に涙が 溢れてきます。
序で乍ら、上記のように これらの夢のことは 継続して 記録していて、B5の30枚のノート 今では、46冊分に なりました。(後略)〗と記させて頂きました。
ところで、小説家 故・北杜夫は 躁鬱であり、躁のときには 〖どくとるマンボウ航海記〗を書き、鬱のときには 〖幽霊〗のような小説を書くと 話している文章を 以前 読みました。因みに、某・医学部を卒業している その小説家によりますと、坐骨神経が パッと分かれて その一つ一つに 羅 語で名称が付けられていて、更に その分かれた神経が パッと分かれて その一つ一つにも 名称が付けられていて うんざりしたとのことでありました。なお、この話を 夢の中で 話していました。序で乍ら、この内容は、覚醒時にも 話すことがあります。因みに、夢の中でも 話しているのだ と思われました。なお、この話を 本日も、家政婦に話しました。(後略)】と記させて頂きました。
ならびに、去る11月3日(木)の【同級生(男性)・続報】のブログに、小・中学生のときの男性の同級生のことを記させて頂きました。および、誠に有り難いことに 今朝迄 読者だった お方と同じ名前の 学部生のときの同期生が居ました。因みに、前者の 男性の同級生 と 後者の学部生のときの同期生は、決して 席を同じくしたことはありません。ところが、夢では それらの二人と 三人で会っているのですね。なお、去る 8年前の10月24日(金) の【健やかに生活をして頂くために】のブログで お伝え申し上げましたように、医者(研修医)になってから、ポケベル(今は ほとんど用いられていませんね)を持つようになり、夜中でも呼び出されましたので、お酒を止めました。因みに、夢の中で 前者の 男性の同級生は、上記のように 当方が お酒を飲まないのと同様に 【お酒は飲まない。】と 言っています。(後略)』と記させて頂きました。
および、本日は、母校の某・医学部の学部生であったときの男子同期生(中村英伸君を 夢で見ました。因みに、彼とは 1回生のときに、物理学実習で 一緒でありました。なお、彼の生年月日は 昭和39年11月4日でありました。序で乍ら、約30数年前 すなわち 当方が、学部生であったときのことであります。すなわち、当方と同様に 医学部の学部生であり、彼の東海高校の先輩によりますと、彼は 高校時代 優秀だったとのことでありました。因みに、某・医学部の卒業アルバムを見ますと、彼の言葉が とても 素晴らしかったです。すなわち、『人を尊重し 思いやることができる、そんな人間になりたい。(送り仮名も 含めまして、原文通り)』であります。
また、去る 昨年の2月5日(土)の『本の進呈・続報65・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)もう1通は、母校の同期生の医師の奥方からの返信であります。すなわち、
【暦の上に春は立ちながら、厳しい寒さが続いております。
このたびは ご丁重な お手紙と ご本を お送りいただき ありがとうございます。
平成28年3月、夫は 肝硬変で 永眠致しました。ご連絡が遅れ 申し訳ございませんでした。急なことで 葬儀は 身内にて執り行いました。
先生のご本は 夫の名前が書いてありますので、いただいて大切に読ませていただきます。
夫が生前に 賜りました ご厚情に深く 感謝いたします。(後略)(送り仮名も 含めまして、原文通り)】以上であります。
なお、いつものように 返信を 郵送しました。因みに、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、過日も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。そして、その遺族(妻)に断って、同窓会に伝えました。(高校と大学の両方の同窓会に伝えなければと思われました。因みに、勤務開始は 午前9時であると思われ この時間になるのを待って 電話しましたら、伝言で 午後1時からとのことでした。それで、この時間になるのを待って 電話しました。すると、事務局長の野口あき子さんという人が出ました。それで、高校の方は 小山君という人から 平成29年に 連絡があった とのことでした。なお、平成29年発行の 同窓会・名簿には、物故者として 書かれてありませんでした。それから、大学の方は、誠に有り難いことに 初めて知らされたとのことでした)
しかも、本日、上記のように 年賀状が送られてきた人たちを含めて 母校の医師たち そして 心療内科の医師たち 4人に、上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)』と記させて頂きました。因みに、この高校の後輩であり 大学の同期生であるのは、篠田欣也君であります。
なお、最後になりますが、上記の同期生 二人の御冥福を 心より祈り、結びとしたいと思います。(後略)」と記させて頂きました。
次に、去る 昨年の2月22日(水)の「夢について・続報29・シンクロニシティ・前編」のブログの下段に、
「(前略)去る2月11日(土)の『夢について・続報28・シンクロニシティ・前編』のブログの下段に、
『(前略)去る1月31日(火)の【夢について・続報27・シンクロニシティ】のブログの下段に、
【(前略)一昨日 すなわち 1月29日(日)の〖夢について・続報26・シンクロニシティ〗のブログの下段に、
〖(前略)一昨日 すなわち 1月27日(金)の〔夢について・続報25・シンクロニシティ〕のブログの下段に、
〔(前略)去る1月21日(土)の〘夢について・続報24・シンクロニシティ〙のブログの下段に、
〘(前略)本日は、誠に お世話になった 加藤三郎という 母親の宗教の故人の夢を見ました。因みに、その男性に パン(葡語:pão)を 二 つ あげるのであります。なお、御冥福を 心より祈り申し上げます。序で乍ら、上記のように これらの夢のことは 継続して 記録していて、B5の30枚のノート 今では、47冊分に なりました。(後略)〙と記させて頂きました。
ならびに、本日は、母親の夢を見ました。すなわち、当方が 席を外している間に、母親が 他人から 手を出された と 当方に訴えて来る夢であります。(後略)〕と記させて頂きました。
および、本日は、高校2年生のとき 英語の授業で、教師から指名されたときの夢であります。すなわち、誠に有り難いことに、立ちまして 回答しているときに、左隣の席の生徒が 教えてくれました。(後略)〗と記させて頂きました。
(半角で6万文字以内という字数制限に達しましたので、次のブログ記事に この続きを記させて頂きます。なお、義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)