夢について・続報 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

 リンクを らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)

 

 さて、去る 4年前の7月24日(日)の「夢について」のブログの上段に、

「(前略)過日 見た夢のことで 御座 ござ います。すなわち、母校の建物内に て 地震があり、津波を警戒した ため か 周囲の人々が ( みな ) 屋上に上がろうとしていました。群集心理(集団心理とも  われます)なのかもしれません。それで、一緒に 階段を ( のぼ ) る夢です。

 それで、目覚めてから思いましたことで 御座 ござ います。すなわち、母校の建物は、津波の来るような場所に建てられていません。津波の心配がなければ、建築法改正後の鉄筋コンクリートの建物でしたら 耐震性が高く、その場を動かずに 基本通り 机の下へ もぐ り込む ほう がいいと言われている ということです。御承知のように 夢とはそのようなものであり、夢の中では 屋上に上がることが当たり前のことと思って、なんの疑いもなしに 行動しているのですね。

 ときに、この夢を見て 早速 その朝 午前7時25分頃、最大震度4の地震がありました。母親によりますと、最近 地震が多いとのことでありました。 ちな みに、茨城県南部が震源地である地震が多い理由は、この あた り 深さ40〜50〜60kmは、フィリピン海プレート(英語:plate)の沈み込み部であるからのようです。 さら に、その下は 太平洋プレートが沈み込んでいます。この フィリピン海プレート そして 太平洋プレートのことは、去る 昨年の6月2日(火)の『玉川上水・4』のブログ の中段やや上にもさせて頂きました。

 なお、去る7月18日(月)の『夢(海の日)』のブログの上段、去る5月14日(土)の『デュッセルドルフ( ドイツ )(ハイネの家)』のブログの中段やや下、去る12月10日(木)の『クリーニング』のブログ そして 去る 昨年の7月17日(金)の『プチ・トマト』のブログ のそれぞれ上段などに、

『(前略) これらの夢のことは記録していて、B5の30枚のノート19冊分(今では、23冊分です)になりました。このことは、数年前、去る( 一昨年 おととし の)12月17日(水)の【万年筆】のブログ の冒頭で言及致しました友人に話しました。御承知のように、 高山寺 こうざんじ を開山した、鎌倉時代前期の 華厳宗 けごんしゅう の僧である 明恵 みょうえ 上人は、生涯に わた って自分の夢を記録し続けましたね。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る 4年前の9月26日(月)の「母親の入院・続報3(資源回収)」ブログの上段に、

「(前略)昨日 すなわち 9月25日(日)の『母親の入院・続報2』のブログの下段やや上に、誠に有り難いことに、

『(前略)読者の お かたから、去る  一昨年おととしの11月25日(火)の【第六感(スピリチュアリティ[spirituality])】のブログ のことを言及して頂きました。このブログに記されているような内容を伝えさせて頂きます。母親によりますと、2千回  誦行しょうぎょうしていたら このHp.(hospital[ホスピタル]の略です。以下、Hp.と示させて頂きます)で亡くなった大勢の方々かたがたが ぞろぞろと出て来た とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。昨日 このことにつきまして、母親は 夢で見た とのことでありました。(後略)」と記させて頂きました。

 および、去る 一昨年おととしの3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。

 また、明日 すなわち 3月24日(火)の「うなぎ蒲焼かばやき・580(カレーうどん・父親の食事)」のブログの下段やや上に、

「(前略)家政婦によりますと、足の小指の上に まな板を落としたとのことであり、びっこを引いていました。それで、湿布をしようとしました。(後略)」と記させて頂きます。

 そして、本日、上記のように 亡くなった母親が 夢に出て来て、前述致しました 家政婦が びっこを引いていたのと同様に、母親も びっこを引いていました。それで、母親の足をましたら、皮下出血を起こして 色が変わっていました。 ちな みに、母親は、この足で 京都から 歩いて 帰って来たとのことでした。そこで、気が付きませんでしたが、一緒に タクシーで帰って来られれば よかったねと話す夢でありました。なお、去る2月27日(木)の「母親の三回忌の挨拶」のブログの中段に、

「(前略)母親の夢を よく 見るのですが、夢の中では 必ず 母親は、きているのですね。(後略)」と記させて頂きました。ついながら、上記のように これらの夢のことは 継続して 記録していて、B5の30枚のノート 今では、34冊分になりました。

 

 (半角で 4万文字以内という字数制限を超えましたので、文章を削らせて頂きました。なお、義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)