夢について・続報7 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 昨年の7月30日(木)の「夢について・続報3」のブログの上段に、

「(前略)去る7月25日(土)の『夢について・続報2』のブログの上段に、

『(前略)去る3月23日(月)の【夢について・続報】のブログ

 

 

の上段に、

【(前略)去る 4年前の7月24日(日)の〖夢について〗のブログの上段に、

〖(前略)過日 見た夢のことで 御座 ござ います。すなわち、母校の建物内に て 地震があり、津波を警戒した ため か 周囲の人々が ( みな ) 屋上に上がろうとしていました。群集心理(集団心理とも  われます)なのかもしれません。それで、一緒に 階段を ( のぼ ) る夢です。

 それで、目覚めてから思いましたことで 御座 ござ います。すなわち、母校の建物は、津波の来るような場所に建てられていません。津波の心配がなければ、建築法改正後の鉄筋コンクリートの建物でしたら 耐震性が高く、その場を動かずに 基本通り 机の下へ もぐ り込む ほう がいいと言われている ということです。御承知のように 夢とはそのようなものであり、夢の中では 屋上に上がることが当たり前のことと思って、なんの疑いもなしに 行動しているのですね。

 ときに、この夢を見て 早速 その朝 午前7時25分頃、最大震度4の地震がありました。母親によりますと、最近 地震が多いとのことでありました。 ちな みに、茨城県南部が震源地である地震が多い理由は、この あた り 深さ40〜50〜60kmは、フィリピン海プレート(英語:plate)の沈み込み部であるからのようです。 さら に、その下は 太平洋プレートが沈み込んでいます。この フィリピン海プレート そして 太平洋プレートのことは、去る 昨年の6月2日(火)の〔玉川上水・4〕のブログ の中段やや上にもさせて頂きました。

 なお、去る7月18日(月)の〔夢(海の日)〕のブログの上段、去る5月14日(土)の〔デュッセルドルフ( ドイツ )(ハイネの家)〕のブログの中段やや下、去る12月10日(木)の〔クリーニング〕のブログ そして 去る 昨年の7月17日(金)の〔プチ・トマト〕のブログ のそれぞれ上段などに、

〔(前略) これらの夢のことは記録していて、B5の30枚のノート19冊分(今では、23冊分です)になりました。このことは、数年前、去る( 一昨年 おととし の)12月17日(水)の〘万年筆〙のブログ の冒頭で言及致しました友人に話しました。御承知のように、 高山寺 こうざんじ を開山した、鎌倉時代前期の 華厳宗 けごんしゅう の僧である 明恵 みょうえ 上人は、生涯に わた って自分の夢を記録し続けましたね。(後略)〕と記させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。

 ならびに、去る 4年前の9月26日(月)の〖母親の入院・続報3(資源回収)〗ブログの上段に、

〖(前略)昨日 すなわち 9月25日(日)の〔母親の入院・続報2〕のブログの下段やや上に、誠に有り難いことに、

〔(前略)読者の お かたから、去る  一昨年おととしの11月25日(火)の〘第六感(スピリチュアリティ[spirituality])〙のブログ のことを言及して頂きました。このブログに記されているような内容を伝えさせて頂きます。母親によりますと、2千回  誦行しょうぎょうしていたら このHp.(hospital[ホスピタル]の略です。以下、Hp.と示させて頂きます)で亡くなった大勢の方々かたがたが ぞろぞろと出て来た とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。昨日 このことにつきまして、母親は 夢で見た とのことでありました。(後略)〗と記させて頂きました。

 および、去る 一昨年おととしの3月6日(火)の〖母親の転帰〗のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。

 また、明日 すなわち 3月24日(火)の〖うなぎ蒲焼かばやき・580(カレーうどん・父親の食事)〗のブログの下段やや上に、

〖(前略)家政婦によりますと、足の小指の上に まな板を落としたとのことであり、びっこを引いていました。それで、湿布をしようとしました。(後略)〗と記させて頂きます。

 そして、本日、上記のように 亡くなった母親が 夢に出て来て、前述致しました 家政婦が びっこを引いていたのと同様に、母親も びっこを引いていました。それで、母親の足をましたら、皮下出血を起こして 色が変わっていました。 ちな みに、母親は、この足で 京都から 歩いて 帰って来たとのことでした。そこで、気が付きませんでしたが、一緒に タクシーで帰って来られれば よかったねと話す夢でありました。なお、去る2月27日(木)の〖母親の三回忌の挨拶〗のブログの中段に、

〖(前略)母親の夢を よく 見るのですが、夢の中では 必ず 母親は、きているのですね。(後略)〗と記させて頂きました。ついながら、上記のように これらの夢のことは 継続して 記録していて、B5の30枚のノート 今では、34冊分になりました。(後略)】と記させて頂きました。本日の未明は、母親が、ホテルのドリンク・バーで いきなり コーヒーを飲んでしまう夢を見ました。それで、当方のみ ホテルの従業員に 別室に連れていかれて、¥1,440円の支払いをする内容です。 ちな みに、コーヒーは、生前 母親の好物でした。コーヒーを 一杯 飲むため に、母親は 喫茶店に 一人ひとりで 入ることも しばしばありました。なお、誠に有り難いことに、上記のように 夢の中では 必ず 母親は、きているのですね。ついながら、上記のように これらの夢のことは 継続して 記録していて、B5の30枚のノート 今では、35冊分になりました。(後略)』と記させて頂きました。

 ならびに、去る 一昨年おととしの11月26日(月)の『リハビリテーション(父親)・31・前編』のブログの中段やや上に、

『(前略)この理学療法士のかたが 逃避(心理学用語)のことを言及していました。そこで、逃避でも いろいろな形があるという話になりました。ちなみに、前日の晩に 父親が 戦争による トラウマ(英語:psychological trauma)(日本語:心的外傷)のことを テレビで見たとのことであり、トラウマのことを尋ねられました。それで、第一次世界大戦のときは 肉弾戦であり、第二次世界大戦のときには レーダーを用いた戦いであるので、戦士たちの症状が違うとされていることを伝えました。すなわち、簡潔に お伝えいたしますと、前者の第一次世界大戦のときには 臓騒病(心身症の一種)になり、後者の第二次世界大戦のときには 神経症になる戦士が多かった とされているむねを話しました。つまり、ワン・ポイント(英語:one point)を お伝え申し上げますと、レーダーを用いるようになりますと、何時いつ 敵に出会うか ということを考えるようになり、神経症になるようなのです。機会がありまして 宜敷よろしければ、詳細を記させて頂きます。なお、その理学療法士のかたからは、そのトラウマの語源を尋ねられました。それで、ギリシャ語と回答しました。(後略)』と記させて頂きました。本日、この 第一次世界大戦 そして 第二次世界大戦における 臓騒病(心身症の一種) と 神経症のことを、数人の医学部生に説明している夢を見ました。(後略)」と記させて頂きました。

 それから、去る2月6日(日)の「夢について・続報6」のブログの下段に、

「(前略)去る 昨年の11月13日(土)の『夢について・続報5』のブログの下段に、

『(前略)去る9月7日(火)の【夢について・続報4】のブログの下段に、

【(前略)昨日も、母親の夢を見ました。すなわち、パソコンにはえんのない 母親が、なんと 当方の おふるになった パソコンを使っているのです。それで、当方が、母親に パソコンを買ってあげようと思う夢です。 ちな みに、 上記のように、これらの夢のことは記録していて、B5の30枚のノート 41冊分になりました。(後略)】と記させて頂きました。

 また、本日 すなわち 11月13日(土)の【父親からの連絡・223・後編】のブログの下段に、

【(前略)昨日の午前中の 父親の食事の準備をして、食べ終わるまで 付き添いました。そして、昨日の夕食の 父親の食事の準備をして、食べ終わるまで 付き添いました。それから、事務作業をするために戻って来て 睡眠をとっていて さらに 午前2時30分頃にも、父親から連絡がありました。すなわち、丑三つ時うしみつどき(午前2時から 2時30分の30分間のことをいます。てんじて 〖深夜〗 そして 〖真夜中〗という意味も持っています)であります。ちなみに、父親によりますと、かばんがないとのことでした。それで、かばんを見つけて、父親に渡しました。そうして、今朝 すなわち 午前7時40分にも 父親のところに行きましたら、横になって よく寝ていました。それで、毛布の上から さらに 蒲団ふとんけました。(後略)】と記させて頂きました。

 なお、上記のように 両親の夢を よく見ます。すなわち、昨夜は 父親の部屋に行く夢を見ました。すると、上記のように 本日未明の午前2時34分に、父親から電話連絡がありました。それで、夢の途中で 起こされました。そして、見ていた 夢と同様に、父親の部屋に呼ばれることになりました。ちなみに、これが、正夢まさゆめというものでありましょうかね。なお、上記のように、これらの夢のことは記録していて、B5の30枚のノート 41冊分になりました。(後略)』と記させて頂きました。

 しかも、昨日は、おかしな 短い夢を見ました。すなわち、せみが 半分になって、はねを バタバタさせているのであります。どうして こうなったのかと不思議に思っていると、きている ピンセットが せみを食べているのであります。それで、半分にされた せみが、それぞれ ふた つに分かれて はねを バタバタさせているのであります。なお、上記のように、これらの夢のことは記録していて、B5の30枚のノート 42冊分になりました。(後略)」と記させて頂きました。

 そのうえ、過日は、いつものことですが、結局 蒲団ふとんに入ることが かないませんでした。その明け方あけがたに、うとうとして 見た夢のことであります。すなわち、1階の居間で 両親が 横になっています。それで、母親(上記のように、夢の中では 必ず 母親は、きているのですね)に 2階で寝たほうがいいと 言うのであります。そこで、起きてみますと、自分が 1階の事務所で うたた寝するのでは なくて、2階で寝たほうがいいと思われたのであります。すなわち、夢の中で 母親に アドバイスしたことを 自分が 行なえば いいと 気が付いたのであります。但し、時間が あって 寝ることが 可能であれば の話しでありますがね。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)