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さて、去る 7年前の1月31日(火)の「永代神楽祭・3」のブログの上段に、
「(前略)去る 昨年の1月31日(日)の『永代神楽祭 ・2』のブログの上段に、
『(前略)去る 昨年の1月30日(金)の【永代神楽祭 】のブログ そして去る 一昨年 の12月4日(木)の【神社参拝】のブログ で記しましたように、1月29日で 靖國神社に 祀 られている伯父の 祥月 命日(御承知のように、一周忌以後の当月の命日のことです)であり、 永代神楽祭 に参りました。最近では、母親は この日は寒いから行けない とのことで 御座 いました。以前から 父親は、この日は家に 居 ます。近年では 家族で 一人になりましたが、参ります。午後の比較的 後 の時間から始まるのです。万障 繰 り合わせて、毎年 参拝致しております。誠に有り難いことに 親によりますと、cold(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座 いますし、お読み下さっている 方々 に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴 ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。感冒[俗に、風邪]のことで 御座 います)を ひいているのなら 行かなくていい とのことでありましたが、この日は 特別で 御座 います。(後略)』と記させて頂きました。一昨日 すなわち 1月29日は、例年のこと 乍 ら 寒い日でした。
ときに、前述の 去る 昨年の1月31日(日)の『永代神楽祭 ・2』のブログの上段に、
『(前略)去る 昨年の1月30日(金)の【永代神楽祭 】のブログ の上段に、
【(前略)伯父は くらいど丸に乗船していて、昭和20年1月29日午前6時30分、台湾海峡でアメリカ海軍潜水艦ピクーダ SS-382 の魚雷攻撃により撃沈されました。(後略)】と記させて頂きました。調べましたら、この数日前の1月25日は 九州では雪が降っています。英霊の 方々 の御苦労は 計り知れないものがありますが、 霙 が降って 少しでも 寒さを共感させて頂けたかと存じました。誠に有り難いことで 御座 います。明治神宮外苑の国立競技場で 出陣学生の【壮行会】がありましたときも、雨でした。 因 みに、去る 一昨年 の10月8日(水)の【親の受診に付き添っていること・1】のブログ また 去る 一昨年 の11月9日(日)の【親の受診に付き添っていること ・2】のブログ のそれぞれ共に中段やや上 そして 去る2月23日(月)の【天皇陛下行幸の君恩に 浴 して】のブログ の中段やや下に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)で、高校一年生の春のときに バス(英語:bus)の隣の席に 座った 先輩(この後、この先輩によりますと、東京大学法学部に入学して 3回 天狗の鼻を折られた とのことでありました)から 自分が 最も好きな曲は 【学徒出陣の歌】であると聞かされました。靖國神社に行きますと、必ず この【学徒出陣の歌】の歌詞が脳裏に浮かんで来て 口ずさみます。英霊の方々 と共に 歌っているような気持になります。しかも、前述の 去る 昨年の1月30日(金)の【永代神楽祭 】のブログ の中段やや上に、
【(前略)学徒出陣の歌が御座 いますが、学徒出陣した戦没学生の 方々 の手記が記されている感動的な本です。この 方 は、この本を読んだが、学徒出陣はしたくないとのことでした。現在の日本人の学部生の 方々 が共通して思っておられることであるか、と思われました。
日本国民にとりまして、護 るべきものがある場合の価値観が関わって参ります。日本国民が、国家を愛して国家を 護 るために戦いました。その戦いという行為は、相手があり 相対的なものであるから、 各々 の立場の異なる人々によって、その価値 もしくは 不価値をいろいろに評価されるけれども、その戦いという相対的行為の奥にあるところの、日本国民が 天皇を愛し大日本帝国を愛したという、その純忠なる愛の価値は 相対的価値を超えた絶対的なものでありますから、肉体という相対的存在が滅びても、永遠にその愛の価値が滅びることは無いので 御座 います。(後略)】と記させて頂きました。なお、去る 3月16日(月)の【納豆】のブログ の冒頭に、
【(前略)母校の、某・理事長に勧められた内科学教室に入局・・・(後略)】と記させて頂きました。この内科学教室の研修医のとき、徒歩で15分 位 の所に位置していた この靖國神社に 通勤の 序 でに、誠に有り難いことに 毎日のように 参拝致しました。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。
ところで、去る 一昨々年の1月29日(金)の「永代神楽祭(令和3年)」のブログの上段に、
「(前略)去る 6年前の1月30日(金)の『永代神楽祭 』のブログの上段に、
『(前略)昭和20年(1945年)1月20日、九州の門司から第12師団隷下の歩兵46連隊は 明秀丸、くらいど丸、馬来丸の3隻の輸送船に乗って 台湾を目指しました。時を遡って 昭和19年(1944年)11月、満州にあった 陸軍 第12師団に対して台湾派遣が決定されたからです。これにより転進が開始されました。伯父は満州に暫く居たと、以前 父親が話していたことを思い出しました。因みに、満州国の首都は新京(長春)でした。
伯父はくらいど丸に乗船していて、昭和20年1月29日午前6時30分、台湾海峡でアメリカ海軍潜水艦ピクーダ SS-382 の魚雷攻撃により撃沈されました。祖母が帰還兵から聴いた話によりますと、一旦、伯父は船の甲板に上がったものの、部下が下に居るので、戻ったとのことでありました。
冷たい1月の海に投げ出された生存者は、多数が海中に没したとのことです。少なくても、数日前の同・1月25日に 鹿児島県では 雪が降っています。しかも、魚雷命中から沈没迄 僅か 3分以内とのことでした。御承知のように 大型船が沈みますと、周囲に渦を巻きます。近くの海岸には多数の水死体が流れ着いたそうです。なお、くらいど丸の戦没者は、船員を含めて1107名でした。父親によりますと、生存者は17名だったとのことで御座います。
去る10月11日(土)の【海外のこと】のブログ の中段やや下に、カラチ(パキスタンの都市)から成田への国際線に搭乗したとぉ伝え致しました。その際、途中、バンコク(英語: Bangkok)(タイ王国の首都)、そして、台湾で、機内待機のトランジット (transit)(一時寄港)がありました。その際、台湾上空から黙禱致しました。因みに、当時、台湾上空では、軍事上のために撮影禁止とのことでした。
また、これ迄、偶然も含めて西側が海になっている海岸線に立ったときには、台湾方向に向かって、黙禱しております。
伯父はパン屋で修行していました。パンを調理するレシピ(英語: recipe)のノートが残されています。因みに、新婚3ヶ月で、赤紙が来ました。相手の女性は 伯父との間の子供が 欲しかった と話していたそうであります。なお、父親が 電話をして 分かったことですが、伯父が 戦死した後 相手の女性は 再婚した とのことです。序で乍ら、当初 伯父は二等兵で御座いましたが、戦死して二階級特進で曹長になったと聞かされています。
母親は、日本の官僚でもあり、実業家でもあった白洲次郎のことが好き(当然のこと乍ら 隠された事実でありました為 母親は 知らなかったのですが、国際金融資本家[左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち]系列の人物であります。因 みに、母親は この人物のことを 素敵と言っていましたから、多分に 日本人離れした 外見 と マス メディアによる 持ち上げの為と 思われます。なお、御承知のように、あのN.H.K.でさえも この人物の特集を 数回に分けて 放送していましたからね)です。その言葉に、徴兵されるよりも、農家は農業のことを行うことが一番いいとの旨のことが御座います。家族は、伯父がパン屋で進んでいたら・・・と話します。父親によりますと、伯父は犬死だったとのことでした。
生まれたときに、伯父の生まれかわりとのことで、伯父と同じ名前を命名されました。伯父とは縁が深いので、前述のように、近年では家族で 一人になりましたが、参拝しているので御座いましょう。(後略)』と記させて頂きました。なお、本日 父親によりますと、兄(伯父のこと)は 厳しかった とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
次に、去る 一昨々年の12月6日(月)の「永代神楽祭・欠席(令和3年度)・続報」のブログの中段に、
「(前略)去る11月29日(月)の『永代神楽祭・欠席(令和3年度)』のブログの下段やや上に、
『(前略)去る 昨年の12月4日(金)の【永代神楽祭・欠席(令和2年度)続報】のブログの下段やや上に、
【(前略)去る11月30日(月)の〖永代神楽祭・欠席(令和2年度)〗のブログの下段やや上に、
〖(前略)去る1月29日(水)の〔家政婦への贈り物・115・後編〕のブログの下段やや上に、
〔(前略)上記の 靖國神社の撤下神饌に因ませて頂きます。すなわち、去る 昨年の12月6日(金)の〘永代神楽祭・欠席・続報2〙のブログに記させて頂きまように、金1万円の玉串料を 靖國神社に 郵便振り込みで 奉納致しました。すると、この撤下神饌が 送られてきました。そして、本日は 大切な 靖國神社の永代神楽祭の日ですが、父親の在宅介護のことがありますので、3年連続で 参加は 見送ることになりました。(後略)〕と記させて頂きました。
ところで、今回も、前回、前々回 そして 前々々回に続いて 親の介護のことが この1月29日に当たりますので、上記のように 来る1月29日の 靖國神社の永代神楽祭の参加は 見送ることになりました。それで、替わりに 本日 すなわち 11月30日に 金1万円の玉串料を奉納致しました。
郵便振り込みで 奉納した 払込票 兼 受領証(本日 すなわち 11月30日【日】の日付が入っております)
(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日 すなわち 約一週間が経過して、一昨々年、一昨年 そして 昨年などと同様に 下の画像の純金茶(撤下神饌)が送られて来ました。それで、これを 一昨々年、一昨年 そして 昨年と同様に、ヘルパーたちに あげました。
マッサージ師、姉夫婦 や ヘルパー(日本語:家政婦)たちに お裾分けした純金茶(撤下神饌)
マッサージ師、姉夫婦 や ヘルパー(日本語:家政婦)たちに お裾分けした純金茶(撤下神饌)
ヘルパー(日本語:家政婦)たちに お裾分けした純金茶
(後略)】と記させて頂きました。
次に、今回も、前回、前々回、前々々回 そして 4回前に続いて 親の介護のことが この1月29日に当たりますので、上記のように 来る1月29日の 靖國神社の永代神楽祭の参加は 見送ることになりました。それで、替わりに 本日 すなわち 11月29日に 例年 同様に 金1万円の玉串料を奉納致しました。なお、奇しくも、本日は、上記と同様に 伯父の月命日なのです。
郵便振り込みで 奉納した 払込票 兼 受領証(本日 すなわち 11月29日【月】の日付が入っております)
(後略)』と記させて頂きました。そして、本日 すなわち 約一週間が経過して、4年前、一昨々年、一昨年 そして 昨年などと同様に 下の画像の純金茶(撤下神饌)が送られて来ました。それで、これを 一昨々年、一昨年 そして 昨年と同様に、ヘルパーたちに あげました。
受納証(本日 すなわち 12月6日【月】の日付が入っております)
マッサージ師、姉夫婦 や ヘルパー(日本語:家政婦)たちに お裾分けした純金茶(撤下神饌)
マッサージ師、姉夫婦 や ヘルパー(日本語:家政婦)たちに お裾分けした純金茶(撤下神饌)
ヘルパー(日本語:家政婦)たちに お裾分けした純金茶
(後略)」と記させて頂きました。
そして、去る 昨年の11月30日(木)の「永代神楽祭(令和5年)・前編・続報」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る1月29日(日)の『永代神楽祭(令和5年)・前編』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る 昨年の11月30日(水)の【永代神楽祭(令和4年)続報2】のブログの下段に、
【(前略)去る2月2日(水)の〖永代神楽祭(令和4年)続報〗のブログの下段に、
〖(前略)去る1月29日(土)の〔永代神楽祭(令和4年)〕のブログの下段に、
〔(前略)本日は 大切な 靖國神社の永代神楽祭の日ですが、父親の在宅介護のことがありますので、5年連続で 参加は 見送ることになりました。 因 みに、本日が 伯父の 祥月 命日であることは、94歳になる 父親も 覚えてくれていました。(後略)〕と記させて頂きました。
さて、本日、上記と同様に 靖國神社の撤下神饌のみが届きました。因みに、手紙は同封されていませんでした。それで、去る 昨年の1月21日(木)の〔家政婦への贈り物・154・中編・11〕のブログなどにも記させて頂きましたように、その撤下神饌を 家政婦にあげました。なお、毎回、家政婦にあげています。
毎回、家政婦にあげている 靖國神社の撤下神饌
(後略)〗と記させて頂きました。
ときに、去る 4年前の3月6日(火)の〖母親の転帰〗のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る3月11日(金)の〖父親の転帰〗のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。
そして、今年も、上記のように 来る1月29日の 靖國神社の永代神楽祭の案内が来ました。因みに、上記のように 両親の介護のことがありましたが、今年は 5年ぶり すなわち 平成27年以来になりますが、靖國神社の永代神楽祭に 参加しようと思います。それで、午後1時 迄の昼食時が過ぎて 電話連絡しました。すると、最初 女性の受付が出て 説明しましたが、担当者に代わるとのことでありました。それで、〖おくみ〗という男性の人に代わりました。なお、その男性によりますと、普段は 参集殿の受付に居るとのことでありました。序で乍ら、その〖おくみ〗という男性の人によりますと、参列者は 個人で参加しているので、挨拶を振り 案内をすることは しないとのことでありました。(後略)】と記させて頂きました。
ところで、上記のように 挨拶を振り 案内をすることは しないとのことでありましたので、話を始める 切っ掛けが必要であり 2ヶ月も前から 家政婦に委託しなければなりませんでした。すなわち、待ち合わせの電車の手配もしなければなりませんでした。勿論、交通費、食費 そして 手当て(給料)も 当家が持ちました。
そして、誠に有り難いことに、靖國神社の永代神楽祭の当日になりました。それで、事前に 下の画像のように 金1万円の玉串料を用意しました。
金1万円の玉串料奉納
ところで、当日は、午前11時45分に、その家政婦の最寄り駅である 西武線萩山駅迄 行くことにして その駅の改札で待ち合わせをしました。因みに、万が一 電車が動かないと まずいので、西武線、中央線 そして 地下鉄東西線の運行情報を見て 平常運転であることを確認しました。そして、その家政婦からは 午前8時半に電話が入ることになっていて、平常運転であることを伝えました。何故ならば、仮に 電車が動かないときには、振替輸送を考えなければならないからであります。なお、西武新宿線(その時間帯、西武池袋線は、飯能・仏子間で、故障があり 止まっていました)急行で 高田馬場駅迄 行き、乗り換えました。序で乍ら、その急行が 10両編成であり、一番 後りに乗ることを確認していました。なお、その仏子駅に因ませて頂きます。すなわち、去る1月9日(月)の【小学校中学年の担任のこと】のブログに記させて頂きました 小学校3・4年生を担当した教師に関することであります。つまり、この担任教師が、確か 遠足の下見に行ったのであると思われます。そして、通過した その仏子駅の情報を仕入れてきて、教室で その駅の名前を質問しました。それで、当方が、仏子駅であると答えました。そこで、その担任教師が、よく読めたわね と言ってくれました。何故ならば、その直前に 母親と 飯能駅から バスに乗っていく 宮沢湖に行っていたのでありました。それで、仏子駅は通過していましたので、覚えていたのであります。序で乍ら、その宮沢湖に関して であります。すなわち、以前から 母親に 宮沢湖に行きたいと話していたのであると思います。そして、当方が 平日 小学校から帰って来たとき すなわち 午後4時頃でありますが、母親が これから 宮沢湖に行こうというのであります。因みに、宮沢湖迄は、2時間以上の時間が掛かります。それで、到着したときには、日が暮れていました。なお、後 から 考えますと、母親は 外出したかったのであろうと思われました。家政婦が言うことでありますが、元々 母親は 外出したい人なのであります。但し、このブログを記していて 繋がりましたが、その お蔭で 仏子駅の名称を答えることが出来たのでありますね。話を戻しますが、上記のように 高田馬場駅で乗り換えて、地下鉄東西線を利用しました。すると、車椅子に乗った 老女が、新聞をよんでいましたので、家政婦によりますと 凄いとのことでありました。そして、地下鉄東西線九段下駅に到着しました。その駅で、上記の家政婦が トイレに行くとのことでありましたので、待っていました。すなわち、遠回りになりました。それから、九段の坂道を上り、靖國神社に向かいました。序で乍ら、左側に 日本武道館がありましたので、その家政婦に伝えました。なお、この日本武道館に因ませて頂きます。すなわち、去る 7年前の8月10日(水)の【ボランティアについて】のブログに記させて頂きましたことに関係することであります。つまり、9年間 毎年 5月3日(祝)に、この日本武道館を会場にした 某・大会の救護係(医師は、当方のみ)のボランティアを依頼されました。序で乍ら、8千人以上が 参加する 某・大会であります。それで、その日本武道館の前を通った 序でに そのことを その家政婦に話しましたら、誠に有り難いことに、【たいへんですね。】とのことでありました。
ならびに、去る 一昨年の12月4日(土)の【鰻の蒲焼・1110(カレーうどん・父親の食事)】のブログの下段に、
【(前略)去る1月13日(水)の〖鰻の蒲焼・832(味噌汁・カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)去る 4年前の7月6日(木)の〔墓参(両親の食事)〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、この前日に 立川に行って 帰って来たら 身体が火照って 熱中症になったとのことでした。なお、対処方法と致しまして、腋下(脇の下)、首 そして 脚の付け根といった場所は 太い血管が 近くを通っているので、ここを冷やすと 体温を効果的に下げることができます。因みに、太い血管とは、脇の下(腋窩動脈)、首(頸動脈) そして 脚の付け根(大腿動脈)のことです。序で乍ら、この部位で 脈拍を測定することも出来ます。(後略)〕と 記させて頂きました。その家政婦によりますと、首が寒いとのことでした。それで、上記のように 首(頸動脈)の周囲には 脂肪がなく、太い血管が通っているので 熱が逃げ易いと回答しました。なお、その為に、首に マフラーをする訳であります。(後略)〗と 記させて頂きました。
および、去る 7年前の10月11日(土)の〖海外のこと〗のブログ の中段やや上に、
〖(前略)学部生の頃(昭和62年の夏・菜食を始める前のことです)、エコノミー(英語:economy)(経済的)に、パキスタン航空を用いて、英国に 行ったとの 旨を記させて頂きました。(後略)〗と 記させて頂きました。
なお、家政婦によりますと、寒いとのことでした。それで、自宅にある 上着を使わせました。また、その家政婦によりますと、薄いマフラーしか 持って来なかったとのことでした。それで、上記のように 英国のスコット ランドの首都である エディンバラ(英語: Edinburgh)に 行ったときに、カシミヤのマフラーを購入してきました。すなわち、このマフラーを その家政婦に着せました。序で乍ら、上記のように 首(頸動脈)の周囲には 脂肪がなく、太い血管が通っているので 熱が逃げ易いと説明しました。(後略)】と 記させて頂きました。この家政婦と上記の家政婦は、同一人物です。そして、今回も、上記のマフラーの意義について 話しました。それから、子供のときには 父親が マフラーを身に付けていたのが 分からなかったが、大人になったら マフラーが必要であることが分かったことを伝えました。
しかして、去る 一昨々年の7月6日(月)の【リハビリテーション(父親)・94・中編・2】のブログの下段に、
【(前略)去る2月21日(金)の〖新型コロナ・ウイルス〗のブログ そして 去る5月6日(水)の〖新型コロナ・ウイルス・続報〗のブログなどに、新型コロナ・ウイルスのことを記させて頂きました。日本の第10代天皇である 崇神天皇の御世に、疫病が 流行して 人口の半ば(約65%)が失われました。そのときに 崇神天皇が行ったことの一つに、全国にあった神社に 格付けをし、最上位にある 天社に 手水舎を置いた とされています。そして、このことで、全国にある全ての神社が それに ならい 手水舎が設置されることになったとされています。因みに、この日本人の手洗いの習慣が、武漢ウイルスに対して 働いていると思われます。また、食習慣も同様ですね。(後略)】と 記させて頂きました。すなわち、上記のように 崇神天皇の御世に 全国の神社に 手水舎が置かれたことを、家政婦に 手水舎の前で 話しました。
また、第一鳥居(大鳥居) そして 第二鳥居(青銅製の烏居としては、日本一の大きさ)を通って、取り敢えず、参拝しました。そのときの お賽銭は、¥199円であります。因みに、去る 7年前の 1月2日(土)の【初詣・お 節料理】のブログの中段に、
【(前略)去る10月12日(月)の〖産土の神社の〔例大祭〕〗のブログの上段に、
〖(前略)以前、約10数年位前になりますが、クライエント(英語:client )から、お賽銭の額は、境内の掃除のことを考えて銀色の硬貨、すなわち、50円、100円 そして 500円以上にしているという話を聞いたことがあります。それで、それ以前も この額以上でありましたのは勿論のこと、それ以降も、このことを脳裏に浮かべて お賽銭を入れています。(後略)〗と記させて頂きました。それで、今回は、一番大きい硬貨を 複数枚 お賽銭として入れました。(後略)】と 記させて頂きました。
なお、去る 6年前の1月31日(火)の【永代神楽祭・3】のブログの上段に、
【(前略)去る 昨年の1月31日(日)〖永代神楽祭・2〗のブログの中段やや上に、
〖(前略)この中門鳥居の手前・左手に、英霊の手記が掲示されています。毎月、変わります。参拝する度に、これを撮影します。取り敢えず、今月 そして 4年前の同じ時期 すなわち 去る平成24年2月4日に撮影した 英霊の手記を添付致します。(後略)〗と記させて頂きました。因みに、今回も、今月の英霊の手記を掲載致します。(後略)】と記させて頂きました。
すなわち、拝殿の目の前にある 中門鳥居の手前・左手 すなわち 社頭に、下の画像のように 今月の【英霊の言の葉】が掲示されています。因みに、固有名詞は、謹んで 消させて頂きました。なお、家政婦に尋ねられましたので、上記のように 月毎に代わることを伝えました。
今月の【英霊の言の葉】
そして、靖國神社 参集殿に行きましたら、案内の女性から 声を掛けられました。それで、上記の 玉串料を奉納しました。因みに、上記のように【おくみ】という男性の人に話して 前述致しました 許可を得ていることを伝えました。すると、その案内の女性によりますと、【おくみ】は 不在とのことでありました。それで、当日 その【おくみ】という男性の人に会ったら 挨拶させて頂くと話していたので、何卒 宜敷しく お伝え下さいと 伝えました。そして、この案内の女性にも、詳細を話しました。それから、名刺を手渡しました。
受領證(本日 すなわち 1月29日[日]の日付が記されています)
そして、後 から 英霊の家の代表者には、下の画像の印が 巫女さんから 手渡されました。因みに、左胸に貼 るのでありますね。なお、家政婦によりますと、その背が高い 巫女さんは 綺麗とのことでありました。それで、その家政婦に 自分の中に 綺麗な原型があるから 綺麗と思うのであることを伝えました。なお、ネガティブなことでありますと、投影(英語:project)(心理学用語)という言葉があります。
巫女さんから 手渡された 印
それから、午後2時開始の処 16分前になりましたので、一人の男性がトイレに立ちましたが、始めました。すなわち、全員で 7名(上記のように、一人の男性は トイレ)でありました。因みに、一人で 見えている家は、3組でありました。そして、上記の家政婦から、【申し分けないですけれど、参集殿受付で お時間を頂く許可は 取っておりますので、これから 挨拶があります。】と前置きをしました。そして、挨拶を始めました。
すなわち、
【昭和20年1月29日に 台湾沖で くらいど丸に乗っていた ○○○○の甥で 生まれ変わりとして 同じ名前 名付けられた ○○○○であります。靖國神社崇敬奉賛会終身正会員であります。
さて、6年前の日曜日迄は 毎年 来させて頂いておりました。
ときに、それ以前から 長年 両親の介護に携わり、平日は 介護サービスが入っており、近年は 参加すること 適いませんでした。それで、毎年、玉串料のみ 奉納致しておりました。
ところで、5年前に 母親 そして 昨年 父親を看取りまして 今年から また 参拝させて頂きますので、何卒 宜敷しく お願い申し上げます。
こちらは、主に 両親の食事を作ってくれた 家政婦さんです。当方は、お酒を飲みませんので、御神酒のときは 失禮させて頂きます。重ねて 何卒 宜敷しく お願い申し上げます。お時間を頂きまして、誠に有り難うございます。】以上であります。有り難うございます。
なお、午後2時開始の処 約10分前に 神官が説明に来ると聞かされていましたので、その前に 挨拶をさせて頂こうと思いました。因みに、神官は 12分前に来ました。
次に、前述の 去る 6年前の1月31日(火)の【永代神楽祭・3】のブログの中段に、
【(前略)去る 昨年の1月31日(日)の〖永代神楽祭・2〗のブログの中段に、
〖(前略)それから、参集殿に行きました。前述の 去る 昨年の1月30日(金)の〔永代神楽祭〕のブログ 下段に、
〔(前略)玉串料を奉納致しまして、本殿に昇殿致しました。永代神楽祭では、修祓、献饌、祝詞奏上、戦没者招霊、かずら舞い(神道式の巫女さんの舞い)、玉串奉奠、撤饌そして 黙禱が御座います。最後、全員に巫女さんから 御神酒が振る舞われますが、去る(一昨年の)11月1日(土)の〘東ベルリン(旧・東独)〙のブログ の下段に記させて頂きましたように、医者(研修医)になってから、お酒を飲んでいませんので、毎年、通路上の神官 そして 巫女さんの脇を通り抜けて、失礼します。(後略)〕と記させて頂きました。参集殿に入るときに いつも ビニール(英語:vinyl)袋を持って行って、その中に 靴を入れて 上がります。すると、今回は 受付から 靴箱もありますよ 言われました。西郷隆盛の教訓がありますので、いつも ビニール袋を持参致しております。機会がありまして 宜敷ければ、この教訓の詳細を記させて頂きます。そして、前述と同様に 参集殿の受付を済ませて、本殿に昇殿致しました。この日の参拝者は、当方を入れて 9名でした。近年、毎年 一人で来ているのは 当方だけでしたが、今年は もう 一人 見えました。両親の分も、記帳致しました。
式次第が進み、戦没者招霊が始まりました。(後略)〗と記させて頂きました。因みに、日曜日であった為か、今年は 10数名の参拝者が集まりました。なお、参拝者の関係以外の英霊の招霊も唱えられますので、長い時間が掛かります。
なお、去る 一昨年の1月30日(金)の〖永代神楽祭 〗のブログの上段に、
〖(前略)生まれたときに、伯父の生まれかわりとのことで、伯父と同じ名前を命名されました。伯父とは縁が深いので、前述のように、近年では家族で 一人になりましたが、参拝しているので御座いましょう。(後略)〗と記させて頂きました。ならびに、前述の 去る 昨年の1月31日(日)の〖永代神楽祭・2〗のブログの上段に、
〖(前略)このブログ記事の冒頭に、伯父のことを記させて頂きました。実は、当方が生まれたときに、この伯父の生まれ変わりと思われて、漢字は違いますが 同じ名前を命名されたのです。平仮名では 同じですから、読み上げますと 同様なのです。伯父の芳名を読み上げて 招霊がなされますと、自分が 招霊されているような気が致しました。(後略)〗と記させて頂きました。
そして、前述の 去る 昨年の1月31日(日)の〖永代神楽祭・2〗のブログの中段に、
〖(前略)その次に、かずら舞いが始まりました。毎年のことですが、このときは 英霊の方々のことを思い 拝見しているどころではありません。下を向いて 拝見することは致しません。すると、そのときに 閃きました。誠に有り難いことに、大東和戦争では 英霊の方々が犠牲になって、次の日本に繋いで下さった。英霊の方々の お蔭であると思われました。
本殿を後にしまして、前述の撤饌の品物を頂きます。すなわち、下に それらの写真を添付致します。(後略)〗と記させて頂きました。今年も、上記の撤饌の品物を掲載致します。
受納證
永代神楽祭神饌
神菓 と お守り
撤下神饌
御神酒
例年と同様に、以上の品々は、すぐに両親に届けて 報告致しました。(後略)】と記させて頂きました。
そうして、これ迄でありましたら 上記のように 両親の分も 記帳しているのでありますが、今年は 当方のみになりました。
そして、上記のように、式次第が進みました。 因 みに、誠に有り難いことに、後 から 家政婦に訊きましたら、戦没者 すなわち 英霊の招霊の際に 伯父の芳名が読み上げられて 招霊がなされましたことが分かったとのことでありました。
なお、靖國神社の拝殿は 西から東の方向に向いていますので、東風が吹くと 背中から 風が当たり 寒いのであります。序で乍ら、御承知のように、通常、神社の拝殿は 北から 南の方向に向いています。一方、浄土教では 西方極楽浄土であります為 仏壇は 西から東の方向に向いていますので、靖國神社は 仏壇のような建て方 であると 家政婦に話しましたら、誠に有り難いことに 頷いてくれました。
さて、調べましたら 靖國神社の資料によると、合祀者の総数は 246万人強となっているとのことであります。 因 みに、単純に計算しますと、この1月29日の1日に亡くなっている 英霊は 約6,740人ということになります。なお、上記のように 戦没者招霊として 約百名の英霊の招霊が行なわれました。序で乍ら、その内 遺族として 参加しているのは、当家(家政婦を含む)を含めて 6家族 9名でありました。 因 みに、そのことを 家政婦に話しました。
それから、今年も、上記の撤饌の品物を掲載致しますが、前回と 全く 同じでありますね。なお、今回は、家政婦に あげました。ところが、その撤饌の品物を あげた 家政婦が、参集殿のトイレに忘れてきてしまいました。それで、誠に有り難いことに、参集殿の下駄箱の所で 当方が 気が付き、指摘をして 大事にならずに済みました。
永代神楽祭神饌
神菓 と お守り
撤下神饌
御神酒
なお、上記の御神酒に因 ませて頂きます。すなわち、上記のように 6年前でありましたら、最後 全員に巫女さんから 御神酒が振る舞われます。ところが、今回は その行事がありませんでした。それで、その家政婦が尋ねました。それで、自粛のせいで その行事が なかったのでしょうと答えました。
それから、その家政婦によりますと、隣の女性は コートを着ていなかったので 寒そうだったとのことでありました。因 みに、その家政婦には 事前に コートを着るように 話しておりましたので コートを着ていましたが、当方は 着ませんでした。それで、その家政婦によりますと、誠に有り難いことに、寒かったでしょう とのことでありました。なお、その家政婦によりますと、そのコートは 着古しているとのことでありました。序で乍ら、その家政婦によりますと、毎日のように 昇殿している 巫女さんも 寒そうだったとのことでありました。それで、その家政婦は、前述致しました 投影(英語:project)(心理学用語)をしているのであると思われました。
また、同じく お酒に因 ませて頂きます。すなわち、帰り道に 奉納されている 酒樽が 沢山 積まれていました。それで、小学生の頃に 男子の間で 酒蓋を集めることが 流行したことを話しました。なお、約4百個 集めました。序で乍ら、当時は、コルクの付いた 酒蓋が ありました。 因 みに、女子は、酒蓋には 興味がない とされていますね。なお、友人と 酒屋で 酒蓋を集めていましたら、店主が出てきて 手伝うように言われて お酒を運びました。序で乍ら、後 から 考えますと、小学生を労働に使って 違法であると思われました。 因 みに、このことを 家政婦に話しましたら、誠に有り難いことに 頷いてくれました。
(半角で6万文字以内という字数制限に達しましたので、次のブログ記事に この続きを記させて頂きます。なお、義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)