ある神社のこと | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 昨年の1月29日(日)の「ある神社のこと」のブログの上段に、

「(前略)去る 8年前の3月16日(月)の『納豆』のブログの冒頭に、

『(前略)母校の、某・理事長に勧められた内科学教室に入局・・・(後略)』と記させて頂きました。それで、この内科学教室の研修中に、近くに 『東京大神宮』があることに 気が付きました。ちな みに、江戸時代、『伊勢神宮』への参拝は 人々の生涯 けての願いでした。明治の新国家が誕生すると、明治天皇の御裁断を仰ぎ、東京における 『伊勢神宮』の遥拝殿として 明治13年に創建された 『東京大神宮』は、最初 日比谷の地に鎮座していたことから、世に 『日比谷大神宮』と称されていました。すな『と同様に 毎日のように 参拝しました。順番と致しましては、まず 『東京大神宮』に参拝してから 『靖國神社』に参拝しました。ついながら、お賽銭として 『東京大神宮』に 金5千円を入れるときもありましたし、特別に 『東京大神宮』に 金5万円を奉納したときもありました。ちな みに、去る 昨年の5月7日(土)の『靖國神社崇敬奉賛会・続報2』のブログの上段に、

『(前略)去る 4月21日(木)の【靖國神社崇敬奉賛会・続報】のブログの上段に、

【(前略)一昨日おととい すなわち 4月19日(火)の〖靖國神社崇敬奉賛会〗のブログの上段に、

〖(前略)靖國神社に関しましては、最近では、去る2月2日(水)の〘永代神楽祭えいたいかぐらさい(令和4年)続報〙のブログを記させて頂きました。

 ときに、去る3月11日(金)の〘父親の転帰〙のブログに記させて頂きましたように、父親が 母親に続いて 亡くなりました。それで、これまでは 靖國神社崇敬奉賛会年会費を 父親の名前で振り込んでおりましたが、当方が 引きぐことになりました。そこで、これを機に 父親の正会員ではなくて ¥50,000 円を支払って 終身正会員になろうと思います。それで、本日の午前9時の開始を待って、電話しました。そして、申し込みました。(後略)〗と記させて頂きました。

 それから、電話で 丁重に申し込みをして、本日、返信がありました。それで、同封されていた 振替用紙で 終身正会員として ¥50,000 円を支払いました。

 

 

(本日 すなわち 4月21日[木]の日付が記されています)

 

 

 

(後略)】と記させて頂きました。そして、昨日 ようやく 3週間以上が 経過して、奉納金の受納証が届きました。それで、靖國神社崇敬奉賛会に入会すると 英霊の【祭神之記】を申し込めるというので、早速 必要事項を記入して 丁重に 手紙を添えて 速達で送りました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、『靖國神社』にも、上記のように 金5万円を奉納したことがあります。

 なお、研修中は、『東京大神宮』には ほとんど 参拝客がませんでした。ところが、最近は 何故なぜか 縁結びと 紹介されて、若い女性が 大勢 参拝するようになったとのことであります。なお、研修中のときのように 参拝客が少ないときのほうが よかったのでありますがね。

 

 ときに、去る 一昨年おととしの10月14日(水)の『大和心』のブログの上段やや下に、

『(前略)平成14年(2002年)5月25日~26日に、三重大学で 日本交流分析学会第28回学術大会がありました。この学術大会に参加したついでに、三重県松阪にある 本居宣長記念館(鈴屋すずのや)に行きました。 ちなみに、本居宣長が 勉強に疲れたときに らす鈴をけたので、【鈴屋すずのや】という名前が 付けられたとのことであります。それで、当方も、机のわきに 下の画像の鈴を置いています。

 

 

机のわきに置かれた 鈴

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。

 なお、誠に有り難いことに、伊勢神宮へは、これまでの生涯で 父親とともに 1回、出社拒否中であった 去る 7年前の12月17日(水)の『万年筆』のブログの冒頭で言及致しました 友人と 1回 そして 上記の学術大会で 三重県にったときに 1回 すなわち 合計3回参拝しました。

 

 ところで、本日 すなわち 1月29日(日)の『永代神楽祭えいたいかぐらさい(令和5年)・前編』のブログ そして 本日 すなわち 1月29日(日)の『永代神楽祭えいたいかぐらさい(令和5年)・後編』のブログなどを記させて頂きました。ちな みに、本来であれば、 『日比谷大神宮』に参拝してから 『靖國神社』に参拝したかったのであります。ところが、家政婦に 永代神楽祭えいたいかぐらさいに参加してもらいたくて 一緒でありましたので、高齢な家政婦を『日比谷大神宮』まで  歩かせるわけには 参りませんでした。それで、今回は 『日比谷大神宮』に参拝することを諦めて 『靖國神社』のみに参拝しました。(後略)」と記させて頂きました。

 つぎに、去る 8年前の 1月2日(土)の「初詣はつもうで・お せち料理」のブログの中段に、

「(前略)去る10月12日(月)の『産土うぶすなの神社の【例大祭】』のブログの上段に、

『(前略)以前、約10数年位前になりますが、クライエント(英語:client )から、お賽銭さいせんの額は、境内の掃除のことを考えて銀色の硬貨、すなわち、50円、100円 そして 500円以上にしているという話を聞いたことがあります。それで、それ以前も この額以上でありましたのは勿論もちろんのこと、それ以降も、このことを脳裏に浮かべて お賽銭さいせんを入れています。(後略)』と記させて頂きました。それで、今回は、一番大きい硬貨を 複数枚 お賽銭さいせんとして入れました。(後略)」と 記させて頂きました。

 さて、本日の午後0時過ぎに、誠に有り難いことに、参拝しました。ちな みに、順番と致しましては、まず 「東京大神宮」に参拝してから、「靖國神社」に参拝するべきであると思われましたので、そう致しました。なお、本日は、午前10時55分に 家を出て、J.R.飯田橋駅(駅の構造が変わりました)に 午前11時59分頃に着きました。ついながら、もと ウクライナ大使も 指摘していましたが、東京23区に入りますと 外国人が増えます。すなわち、聞き慣れない言語で話している 年配女性たちがました。しかも、黒人もました。

 そのうえ、電車内で 電話をしている 年配女性がました。さらに、下車しても 歩きながら 話している へんな年配日本人女性であります。のみならず、立ち止まったりしていました。

 および、J.R.飯田橋駅を下車して 歩いて、上記のように 午後0時過ぎに 「東京大神宮」に参拝しました。ちな みに、「(前略)以前、約10数年位前になりますが、クライエント(英語:client )から、お賽銭さいせんの額は、境内の掃除のことを考えて銀色の硬貨、すなわち、50円、100円 そして 500円以上にしているという話を聞いたことがあります。それで、それ以前も この額以上でありましたのは勿論もちろんのこと、それ以降も、このことを脳裏に浮かべて お賽銭さいせんを入れています。(後略)」と前述致しました。なお、前述致しましたように、お賽銭さいせんの額は、境内の掃除のことを考えて銀色の硬貨を入れています。すなわち、¥775円を入れました。ついながら、5円硬貨でありますと 155枚分でありますので、1回に 5円硬貨で参拝したとして 換算しますと、誠に有り難いことに 155回 参拝したことになりますね。ついながら、誠に有り難いことに、これが、本年の初詣はつもうでであります。

 

 

「東京大神宮」の御由緒

 

 

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)