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さて、去る 8年前の1月7日(水)の「受験のアドバイス」のブログの上段に、
「(前略) 大学院生の頃、主任教授に依頼されて、最終学年である 6回生に 医師国家試験特別講義を担当致しておりました・・・
(中略)
因みに、主任教授が 医師国家試験特別講義をすっぽかしたことが御座いまして、6回生から、同・教授に 呉々も指摘しておくようにと言われたことが御座います。なお、このことは同じ大学院生(当時)も知っています。
(中略)
また、同じく母校の大学院生のとき、学部生の試験監督の一人として担当致しておりました。
試験監督をしていますと、気が付くことは、すぐに問題に取り掛かる受験者が居ます。当たり前のことと お思いになられるかもしれませんが、番号と氏名は 一番最初に書くことで御座います。勿論 うっかりしたら たいへんですし、氏名を ゆっくり書くことは、試験の始めに際して、心を落ち着かせる効果があるとされています。
因みに、この試験のとき、母校の後輩のことを思って、気を使って正面では無く、右斜め前方のサイドの黒板に、『頑張って下さい!』と書きましたら、主任教授に消されたことが御座いました。
主任教授は 母校出身ではありませんでしたので、愛校心を期待することは適わないことで御座いました。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 8年前の1月21日(水)の「ボランティア・高尾山登山・その2」のブログ の中段やや上に、
「(前略)去る10月28日(火)の『スイス』のブログ の下段に、
『学部一回生のとき、同期生(男性)に勧められて、体育会系ではワンダー・フォーゲル(独語:Wandervogel)(渡り鳥の意味です)部に入部致しました。』と お伝え申し上げました。
このワンダー・フォーゲル部の入部理由は、同級生(男性)に誘われたということと併せて、同じパーティー(英語:party)で、同じ釜の飯を食べ、競技では無いので、体育会系では御座いますが、競争が無いからで御座います。因みに、一学年下のワンダー・フォーゲル部男子後輩は、当初、茶道部に入るつもりで、ワンダー・フォーゲル部と茶道部を兼部している女子先輩から、新入部員勧誘のときに、ワンダー・フォーゲル部に回されて入部させられたとのことで御座いました。(後略)」と記させて頂きました。
および、去る 8年前の3月16日(月)の「納豆」のブログの冒頭に、
「(前略)母校の、某・理事長に勧められた内科学教室に入局・・・(後略)」と記させて頂きました。それで、この内科学教室で研修を行いました。
また、去る 一昨年の3月23日(火)の「養子斡旋(母体保護法[旧・優生保護法])」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る 6年前の1月1日(木)の『謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)』のブログの中段やや上に、
『(前略)平成9年の初夏に、都立の某・養護学校に依頼されて、母校の大学の主任教授の同意があり、修学旅行(三泊四日)に付き添い医師として同行したことがあります。
(中略)
このときの報酬は、某・団体に寄付させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、都立清瀬養護学校修学旅行に 医師付添いとして参加し、宮沢賢治イーハトープ館、資料館等に訪問した際、 魂の清らかな いい高校生がいることを 体験をもって知りました。因 みに、その養護学校の生徒たちにとりましては、一生に 一度の 大切な思い出の修学旅行であった と思われます。なお、その大切な思い出の修学旅行に 医師として 付添うことが出来て、誠に有り難く存じました。
昨年(平成8年の法改正のこと)、『母体保護法』 と改正された経緯が ここにあります。この流れを 更に 生かしたいものであります。(後略)」と記させて頂きました。
しかも、去る 一昨年の8月8日(日)の「ボランティア・地域医療・その7(令和3年)」のブログの上段に、
「(前略)去る 4年前の8月28日(月)の『ボランティア・地域医療・その6(両親の食事)』のブログの上段から、
『(前略)去る 一昨年の8月8日(土)の【ボランティア・地域医療・その4】のブログの上段から、
【(前略)去る11月17日(月)の〖黒胡麻〗のブログ の中段に、
〖(前略)去る10月7日(火)の〘ボランティア・地域医療〙のブログ で記させて頂きました地域医療研究会で、学部生の頃から、埼玉県神泉村(当時・無医村)(ここのフィールド[英語:field]は約四半世紀続きました)に伺っておりまして、医師になってからは、9年間伺っておりました。夏の健康診断は3日間ありますので、4泊5日になることがあり、その間の食事となる玄米を酢でしめて持って行きます。夏でありますが、冷蔵庫に入れられませんので、あと梅干しで補います。古来、中国では、梅は薬用として用いられ、三毒(食物の毒、身体の毒、そして、水の毒)を消すとされています。因みに、大乗仏典・維摩経によりますと、三毒とは貪・瞋・癡とされています。
この無医村のフィールド(英語:field)へは、ディーゼル・エンジン(英語:diesel engine)であるJ.R.八高線、バス、そして、村営バスを乗り継いで行くのですが、村営バスの運行が一日2本であり、バスから村営バスに乗り換えるときに、約1時間40分の待ち時間がありました。(後略)〗と記させて頂きました。
毎年、夏の今頃、すなわち、8月の第2週で御座いました。健康診断の場所は、村の地域センターや体育館でした。季節が今頃になりますと、毎年、このことを思い出します。前述の、去る10月7日(火)の〖ボランティア・地域医療〗のブログ で記させて頂きました、母校の医学部と某・看護の大学が主催しています地域医療研究会の学部生の方々には話したことですが、バスを待ってフィールドに向かうとき、愈々これから無医村に赴任するような気持ちになりました。
健康診断3日目、すなわち、最終日の健康診断が夕方に終わりますと、その日のうちに失礼致しました。健康診断では、内科を担当致しました。去る1月29日(木)の〖ボランティア・地域医療・その3〗のブログ の上段に、
〖(前略)地域医療研究会の夏の健康診断の4泊5日が終了した、(今日の日付と同じ)平成15年8月8日(金)のことで御座います。十二支で一周して、今年と同じ未年のことです。学部生の方々はもう一泊して、この日の夜、肝試しとかレクリエーションをして夏期合宿を締めるのが例年のことでした。母校の男子学部生の方から、肝試しを勧められましたが、学部生の方々で楽しんで下さいと丁重に話して、これまで失礼致して参りました。その後、肝試しで問題があったということは聞いておりません。
帰宅するために、毎年のように、一人で路線バスを待っているときのことです。バス停の前で、住職のような方の運転する自動車が停まりました。誠に有り難いことに、最寄りの駅迄送ってくれるとのことで御座いました。但し、前述の去る11月17日(月)の〘黒胡麻〙のブログ で記しましたように、荷物が多いので、誠に申し分けないと思い、車で送って頂くのでは無く、お布施をさせて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。学部生の方々は、この最終日の健康診断が終わった後、上記のように打ち上げをして、もう一泊して帰ることが例年のことであるようでした。因みに、肝試しは小学校6年生のときの林間学校以来、経験致しておりません。
前述のように、医師になってからは、9年間伺っておりました。そして、10年目に、村の方針で健康診断を地域の医師会に委ねることになりまして、ここのフィールドは終わりになりました。その医師になってからの健康診断9年目(最後の年)の3日目(最終日)、すなわち、平成16年8月6日(金)、健診会場である某・体育館前で、健康診断終了後に撮影されました写真を、下に掲載させて頂きます。画像をクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、拡大致します。
誠に有り難いことに、周囲は全て学部生の方々です。最後列でスーツ(英語:suit)を着ていますのが、当方です。
健診会場である某・体育館前
学部生の方々と共に
ここに続くフィールドは千葉県の南房総でした。ここも連続して3年間伺いました。宿泊所は、3年間とも違う民宿でした。学部生の主将によりますと、平成23年3月11日〖金〗の東日本〇〇〇(お読み下さいます方々に影響を お与えすることの無いように、御賢明であらせられます お読みの方々はすぐにお分かりになられる、と存じ上げますので、敢えて〇〇〇と綴らせて頂きました)がありまして、ここのフィールドは終わりになったとのことでした。
そして、その後のフィールドは、長野県の南相木村です。
因みに、埼玉県神泉村の前のフィールドは、茨城県神栖です。先輩によりますと、このフィールドは人口が増加した為に、フィールドとしては離れなければならなくなったとの旨でした。お気付きのことであらせられますように、前述の神泉村と同様に、地名に〖神〗が付きますね。
(後略)】と記させて頂きました。上記のように、季節が今頃になりますと、毎年 このことを思い出します。そして、去る 昨年の7月8日(金)の【ボランティア・地域医療・その5(新入生歓迎会)】のブログに、地域医療研究会の新入生歓迎会に呼ばれまして、話すことを依頼されると、申していることの話の 触りを記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。今年も、8月の第2週になりました。 因 みに、前述致しましたように、夏の今頃、すなわち、季節が今頃になりますと、毎年、上記のことを思い出します。(後略)」と記させて頂きました。
そのうえ、去る 昨年の12月28日(水)の「税理士・続報34・後編」のブログの下段に、
「(前略)去る 8年前の10月24日(金) の『健やかに生活をして頂くために』のブログで お伝え申し上げましたように、医者(研修医)になってから、ポケベル(今は ほとんど用いられていませんね)を持つようになり、夜中でも呼び出されましたので、お酒を止めました。(後略)」と記させて頂きました。
ときに、その大学院生の頃、ゼミナールのように 「須藤賢太郎」、「福島正人」 そして 「森山岳」などの数人の男子医学部生と 一緒に 食事に連れて行って、御馳走しました。それで、いろいろな質問に答えました。 因 みに、その中の一人の男子医学部生から 「患者さんから 求められて 応じられない要求を教えて下さい。」と尋ねられました。それで、一つには 「お金、頂戴」のような要求であることを伝えました。また、その中の一人の「野村可之」という 男子医学部生から、もう一人の「長汐千秋」という男子医学部生のことを言われました。すなわち、彼は、勉強の山を外してばかりの勉強をするとのことでありました。それで、山を外した勉強も、若いから 将来 必ず 役に立つと思いました。なお、その言われた 男子医学部生は 長汐千秋君であります。序で乍ら、彼は、上記の ワンダー・フォーゲル部の後輩でありましたし、その後 同じ内科学教室で研修を行いました。但し、彼は 山で遭難してしまいました。御冥福を心より お祈り申し上げます。 因 みに、彼のことを非難していた 男子医学部生は、医師国家試験不合格になりました。もしかしたら、医師国家試験不合格になった 男子医学部生が、自分のことを 投影(英語:projection)(心理学用語)していたのかもしれませんね。
なお、その長汐千秋君から、女医である 母親の代わりに 上記の修学旅行(三泊四日)に付き添い医師として同行して欲しいと言われました。それで、上記のように、その間の食事となる玄米を酢で しめて持って行きました。 因 みに、報酬は、去る 9年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること ・2」のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 8年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩に浴して」のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)(母親と関係があります)に 寄付しました。序で乍ら、その女医である 母親も、そのサークルのことを知っていました。
ところで、去る 9年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること ・2」のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 8年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩に浴して」のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の会議中に、母校の心理学教室の教授から、当方の 上記のポケベルに連絡が入りました。それで、その会議を抜け出して、駅の公衆電話から 連絡しました。すると、その心理学教室の教授によりますと、そのゼミナールに 統合失調症の医学部生を入れて欲しいとのことでありました。それで、その言葉通りに しばしば ボランティアで その「長岡寛敦」という医学部生のカウンセリングを行ないました。 因 みに、去る1月18日(水)の「ボランティアで カウンセリング・続報2」のブログ、去る 昨年の9月10日(土)の「ボランティアで カウンセリング・続報」のブログ、去る 6年前の11月23日(木)の「ボランティアで カウンセリング」のブログ そして 去る 6年前の5月29日(月)の「ボランティアで カウンセリング(両親の食事)」のブログなどを記させて頂きました。
また、去る8月20日(日)の「カウンセリングの極意・続報」のブログ そして 去る 8年前の1月3日(土)の「カウンセリングの極意」のブログなどを記させて頂きました。
次 に、上記の「森山岳」という医学部生には 求められて、彼を日本アレルギー学会に連れて行きました。 因 みに、彼の実家は、有料老人ホームでありました。
また、去る 4年前の7月25日(木)の「鰻の蒲焼・373(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る 一昨年の5月2日(火)の『肉親(甥)の来訪(両親の食事)』のブログに記させて頂きました甥は 訪問歯科医です。そして、この甥も、ラグビー部出身です。このことを その家政婦に言及しました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、甥は 学部生のときに、ラグビー部でありました。それで、彼の両親が 旅行中に、fracture(英語)(ネガティブ[英語:negative]で御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。骨折のことで 御座います。以下、英語で fracture と示させて頂きます)したと 当家に来ました。それで、母校の附属Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです)に入院することになりました。そのときの担当が、誠に有り難いことに、上記の「須藤賢太郎」という整形外科研修医でありました。 因 みに、彼は、そのとき 卒業して 研修医になっていました。なお、後から 甥の父親(義理の兄)が 旅行から帰ってきて 担当医に「寸志」を持って行きました。そして、甥には 担当医に 何でも訴えるように助言していました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)