今日の一曲!小糸侑、七海燈子「hectopascal」【'18秋アニメ・アニソン(切ない系)編】 | A Flood of Music

今日の一曲!小糸侑、七海燈子「hectopascal」【'18秋アニメ・アニソン(切ない系)編】

 【追記:2021.1.5】 本記事は「今日の一曲!」【テーマ:2018年のアニソンを振り返る】の第十九弾「秋アニメ・切ない系」編です。【追記ここまで】


 本記事では2018年の秋アニメ(10月~12月)の主題歌の中から、「アニソン(切ない系)」に分類される楽曲をまとめて紹介します。本企画の詳細については、この記事の冒頭部を参照。





 メインで取り上げる「今日の一曲!」は、『やがて君になる』ED曲・小糸 侑(CV:高田憂希)、七海燈子(CV:寿 美菜子)の「hectopascal」(2018)です。

 先にクレジットから掘り下げますが、作詞が中村彼方さん・作曲が本多友紀さんというタッグについては、今回の振り返りの第十四弾にも関連する言及が多くあるため、リンク先の内容も参考になるかと思います。また、編曲の脇眞富さんは本多さんと同じくArte Refact所属のクリエイターであるので、音楽制作プロダクションレベルでの高い連携が確保されているのも好材料です。




 本曲を気に入った理由は多岐に亘り、どの要素を取っ掛かりにしようか迷うくらいですが、まずはダンスミュージック好きとしての立場から、エレクトロに傾倒したアレンジの素晴らしさを語ります。最も印象的且つわかりやすく機能しているのは、"やがて君になる"のフレーズが細切れにされたボーカルチョップのセクションでしょう。

 いちばんのメジャーどころで言えばPerfumeが適例だと例示しますが、この手法によって生まれるグルーヴの心地好さを一般的なものにした(パイオニアかどうかは知りません)功績が、中田ヤスタカにはあると考えます。言葉として「チョップ」を出しているものに限ると前置きしておきますが、コロケーションを意識して当ブログの使用を見ていくと、パフュームの記事では「聴き易さ」に、一方でヤスタカソロの記事では「ひねり」に結び付けていて、これは当該手法の美点「凝っているけれど難解さにはつながらない」を両側面から見た結果の表現です。また、アニソンの範疇では、鈴木みのりの記事で「エレクトロポップの(或いはボカロ楽曲的な)作法が入ってきて急に現代的に」、『ナナシス』の記事では「EDMらしいマナー」、振り返りの第十一弾では「かなり現代に近いビジョン」との記述があり、そこに提示したジャンルの傾向と「現代」をキーにしてまとめると、デジタル時代に於ける定石のひとつとして、確立しているトラックメイキングのスタイルだと言えます。


 後に同作のOP曲も取り上げますが、そちらが心理描写の奥深さが光る作風に寄り添った繊細な楽想を抱いているのに対して、「hectopascal」は良い意味で軽さが持ち味のトラックだという印象です。これは登場人物達の大人びた内面;百合の深淵に到達しているかの如き早熟性については一旦忘れて、年相応の素直な心持にフォーカスした結果だと捉えれば、ダンスミュージックに舵を切ったことも、そこに現代的なアレンジセンスが織り込まれているのにも、個人的には得心がいきました。

 詳しくは当ブログ内を「忘我」で検索してくれと丸投げしますが、僕は度々「ダンスミュージックの本質は忘れることである」との主張を行っていて、そこに至るまでの道程がどれだけ暗くとも、全て受け容れてくれるだけの大きな包容力を持つ音楽性そのものを好意的に捉えています。この観点で『やが君』の構成に着目すると、本編の中で強烈な闇を見せられても、本曲がEDテーマとして最後に据えられていることで取り敢えずは救われた気分で視聴を終えられるため、単に曲を聴いただけでは「アニメの雰囲気に対して明る過ぎる」と思ってしまいそうなアウトプットにも機能的な役割を見出すことが出来、このプロセスこそが納得の根拠です。


 お次はメロディについて。編曲のダンサブルさに関しては前述の通りですが、それが立てる旋律としては当然ながらキャッチーなものが適している場合が多く、本曲も望外の可愛らしいラインによって非常に聴き易い仕上がりとなっていますが、これも作品内容とのギャップで一層際立つ類の良さであるとの認識で、だからこそアレンジが明るく踊れて、メロディもポップでキュートなものであるにも拘らず、「切ない系」の向きが強いのだと分析します。

 例えばAメロの"思っていた"や"こんなキモチ"がコーラスで繰り返される箇所に顕著ですが、センチメンタルなタイプのアイドルソングらしさを常に漂わせているところが好みで、侑と燈子が共に歌う楽曲として適性を見た際には意外なアプローチに映るものの、作品世界から離れたif然とした趣が寧ろ味わい深いです。先の「年相応」にも関連付けられるように、少女に普遍的な憧れのひとつとして存在しうる「ヒロイン願望=特別視への欲求」も反映されているのではと、そんな解釈が浮かびました。

 Bメロのシンプルさというか王道の細かい音運びも嫌いじゃありませんし、サビメロの跳ね感のある旋律("繊細な中身"まで)が翳ったピークを迎える("覗いてみて")意外性にもはっとさせられ、ラインの流麗さに意識を惹き付けられるCメロも切なさ全開で、いずれのセクションにもらしいツボがあります。


 最後は歌詞の素敵さについて。冒頭の"知りたくて知りたくない このままでいい/○×がつくのなら ずっとずっと明日にならないで"のいじらしさからして、表現の素直さによる文学性を感じられますが、簡単な言葉で複雑な機微を描き出す中村さんの着眼点は、全編を通して冴え渡っていると言えます。作品題を巧く落とし込んだ"明日は何になる? やがて君になる"も心に引っ掛かるフレーズで、最も目立つサビの頭にこの意味深長な表現を持ってきたことを称賛したいです。

 2番のストーリー性に富んだ歌詞の流れもお気に入りで、"今の距離は壊さずに"と願望を表した直後に、"少しずつ壊れていく 2人の距離はそのうち"と不可避の現実に襲われ、"限界越えて ああ ゼロに"と原点に達し、なるほどこの同一視をして"やがて君になる"なのだなと理解をまとめかけるものの、それを受ける"どんなに早く逃げたとして/すれ違っても ずっと君でいて/きっと会いに行くから"には、座標の上でマイナスに振れてもなお君を君として追いかけていく決意が窺え、「ゼロ距離で=ふれて終わりではない」と示されていることで、描写がよりリアリティのあるものとなっています。


 ひいてはこれがOP曲「君にふれて」を回収する一節でもあると展開させたいので、このまま同曲のレビューに入るとしましょう。「hectopascal」の補足も含むものとし、特に「この同一視をして"やがて君になる"なのだなと理解をまとめかける」という煮え切らない文章についてはフォローします。





 ということで、続いて紹介するのは同作のOP曲・安月名莉子「君にふれて」(2018)です。彼女自身の名義としてはメジャーデビュー曲となり、作詞作曲にボンジュール鈴木を、編曲に鈴木Daichi秀行のW鈴木を迎えて、盤石の布陣で送られた楽曲であることをまず伝えておきます。ちなみにですが、2ndシングル曲も同一のクレジットであるため、今後もこのタッグで推していくつもりなのでしょうかね?だとしたら、個人的にはありよりのありです。

 Daichiさんはアニソン・声優界隈でのワークスもそれなりに多くある方ですが、J-POPまたはアイドルをよく聴く人のほうが馴染み深いのではといったイメージがあり、幅広いアーティストへの楽曲提供者として昔からお名前を見かける機会が多いです。当ブログでも言及したことがあるはずと思って過去記事を漁ったところ、全て雑誌『サンレコ』の感想にてと判明しました()。名前を出さない形であれば、「AXIA ~ダイスキでダイキライ~」(2016・編曲)にふれた記事がありますけどね。また、ボンジュール鈴木さんのトラックメイキングに関しては、間接的な言及で申し訳ありませんが、振り返りの第七弾の中にリファレンスとして出した『くまみこ』のOP曲が好みです。




 先述の通り、ED曲の歌詞から流れを構築するつもりでしたが、クリエイター紹介を挟んだことで既に間が空いてしまっているため、最も主張したい作編曲のツボから見ていくことにします。というのも、本曲についてはイントロからAメロにかけての神懸かり的な美しさを特に評価しているので、この立ち上がりを演出した両名のお名前が近くあるうちに言及を済ませておきたかったからです。

 前奏部は何と言ってもギターの表情豊かさに惚れ惚れします。ベル系の音と重なったアコギが醸す穏やかな幕の開け方も素敵ですが、そこからエレキにシフトして質感がガラっと変化した後の数秒が殊更好みで、奥に秘められていた全ての感情が堰を切ったように溢れ出づる「奔流のビジョン」に呑まれるからか、涙腺に強く訴えかけてくるものを感じました。奏でられているラインにも、溺死しそうなほどの切なさと苦しさが同居していて、ギターのエモい扱い方が上手過ぎると脱帽です。


 Aメロはもうシンプルに「何この美メロ」と語彙力低下で褒め称えるところから始めます。振り返りの第十一弾の中で取り上げた別作品の楽曲に対して、僕は「Aメロの良さだけを比較する選手権を開いたとしたら(中略)オブ・ザ・イヤーで1位を与えてもいいくらい」と記しているのですが、これを阻止し得るとしたら本曲のものが最有力であるとの認識です。

 純粋や清廉を具現化したような旋律とでも言いましょうか、世界から正しさだけをフィードバックして飾り立てた「理想の姿」が浮かび上がってくるような、含みを持たせれば「未だ汚れていない段階」でのプラトニックさが発露した、そんな翳のある美しさを感じました。舞台の観客としてユニークな描かれ方をしていた槙くんのような理解かもしれませんが、純白はいずれ黒に染まるからこそなお愛おしいといった感覚です。

 ここは情景描写に終始した歌詞も好みで、"木漏れ日 キラキラ揺れてる朝の並木道/いつもの 君の『おはよう』って声が聞こえる"は、作品と絡めてストレートに解釈すれば通学路での出来事であろうと受け取れますが、歌詞の全編を通して直接的に「学校」や「学生」に纏わる表現は登場しないにも拘らず、学生時代の甘い記憶やピュアな精神性を想起させる点が秀逸です。


 ここからは後回しにした、ED曲の歌詞との関連性について述べます。簡単におさらいをしますと、「hectopascal」の2番Bメロ~サビの歌詞を総合して、「ふれて終わりではない」との解釈を導き出した結果、「君にふれて」の内容にも結び付けられそうだと思ったことが前提です。何やら大仰な書き出しに感じられたかもしれませんし、以降の文章が込み入った複雑なものとなっているのは否定しませんが、別に難しいことを主張したいわけではなくて、サビの"動きはじめた物語"に端的に表れているように、「全ては君にふれてから始まった」という点に着目した理解となります。

 描かれている恋愛の形態が百合であること自体の困難と、それとはまた別に各人が抱える問題(侑の「特別」に対する不感/燈子の抑圧された自己)を考慮すると、二人の関係性がすんなりと好転していくわけがないことは明白でしょう。この先に待ち受ける困難を思えば、ともすれば出逢わない幸せもあったのではと顧みたくなりますが、それでも惹かれ合ってしまったのが運命で、寧ろここからが人生の脚本に於いて面白くなるところだと無意識的に察知したからこそ、"君の世界もっと知りたくて"と能動的になっていき、これは所謂「恋の芽生え」に相当する初期の感情だと受け取れます。

 "偶然、触れたその指を"と、きっかけはあくまでも因果の悪戯として描かれていますが、主体性のある"今 握ったんだ"が続くことで、もはや言い逃れは不可能なレベルで「特別の想いが強まっている」ことが示され、結びの"強がりも弱さも全部 包んであげるよ ぎゅっと"は、「やがて辿り着く先の愛」を詠っていると言えるでしょう。敢えて「やがて」というワードを盛り込みましたが、相手のことを深く理解するあまりに同一性を帯び始めることを愛の顕れの一種とするならば、作品題の「やがて君になる」は愛の完成に等しいと読み解けます。このシークエンスを一文にして「君にふれて、やがて君になる。」とまとめれば、実に情緒纏綿な曲名であると感服の至りです。


 上掲の恋愛のプロセスの中で、前半に重きを置いたのが「君にふれて」、後半にフォーカスしたのが「hectopascal」である(歌詞に"やがて君になる"が登場するため)と二分すると、より困難が多いであろう後者については、この特別な関係性が破綻せずに続いた場合の話だと言えるので、未来に対する「まだよくわからない」といったあどけなさと、不安を撥ね除ける意味合いも込みで、敢えてポップに仕立てられているのではないでしょうか。

 また、後者の歌詞については、先に"限界越えて ああ ゼロに"の部分を取り立てて、「この同一視をして"やがて君になる"なのだなと理解をまとめかける」と文末を濁しましたが、これは単に互い位置関係が原点に収束した(=物理的にふれた)というだけの話で、前述した愛の顕れと見做す同一性とは異なります。このように一緒になったり離れたりの紆余曲折を経て、最終的に共に歩んでいく未来を得た時にのみ愛の完成を見る(=心理的にもふれあう)…といった対立構造にすれば幾分わかりやすくなると期待しますが、侑と燈子の関係はきっと良き方へ向かうのだろうということが、「君にふれて」では"強がりも弱さも全部 包んであげるよ ぎゅっと"に、「hectopascal」では"すれ違っても ずっと君でいて/きっと会いに行くから"に表れていて、どちらも「ふれて終わりではない」ことの暗示には充分です。

 作詞者は異なれど両曲とも女性の手に成る歌詞であるからか、尊さを抽出する繊細な感性にも説得力があります。調べたらどうやら原作側の監修も入っているようなので、そのおかげもあるのかもしれません。


 最後はOPの映像美を簡単に語って〆ます。校舎を使ったフラワーアート、或いは花と少女を主軸に据えたインスタレーション作品と形容出来る趣で、改めて花の持つ表現力の高さに気付かされました。主役にそのまま据えても当然映えますし、引き立て役として少女らしさを強調するのにも利用可能、舞台装置として心情とリンクさせた状態変化も定石で、花言葉を意識した象徴的な配置のパターンも千万無量と、あまりにも万能ゆえに使い方にセンスが出ますよね。

 とりわけ好みなのは、直接的に花が絡む部分ではなくて恐縮ですが、沙弥香が手を伸ばしたままぽつんと残されるカットと、侑と燈子が互いに鏡で顔を隠すカットです。単にビジュアル的なツボを挙げれば、こよみのアップがやけに可愛らしく見えてドキっとしました。登場する花について調べている方も多く、いくつかのブログ記事やツイートに行き当たったのですが、こよみの髪飾りの花に関してはガーベラだと同定する意見が多いですね。自分は疎いので、確かにキク科っぽいよなと曖昧なことしか補足出来ずにすみません。






 お次は『色づく世界の明日から』ED曲・やなぎなぎ「未明の君と薄明の魔法」(2018)をレビュー。

 2017年の振り返りでも、ラストにあたる秋アニメの記事の中で彼女の特集を組んでいたので、たまたまですがこれを踏襲して当初は本曲をメインで立てようと考えていました。しかし去年のうちに、僕の中での評価がリストBにアーティスト名を載せるレベルのお気に入りへと昇格していたため、今後単独のブログテーマ「やなぎなぎ」を作成した際に、本記事の扱いに困る(=「アニソン(切ない系)」に分類不可となる)であろうことを想定して、敢えての次点での紹介となります。

 この影響として、幾つかの言及ポイントを字数制限対策で簡略化せざるを得なくなりました。ゆえにざっと済ませますが、アニメの放送時期より二年は遡らなくて済む程度の直近に、僕は舞台である長崎を訪れていたので、図らずも聖地巡礼を済ませていたことが一点目。そして、作中での魔法の扱いおよび魔法使いの位置付けから、2003年のアニメ『魔法遣いに大切なこと』を思い出したため、そこから現代社会に包括された魔法使いモノ論に発展させようとしたのが二点目。…これらについては残念ですが、ここでふれた記述で全てとします。




 あくまで僕の印象ですが、本曲はアニメの内容や雰囲気に対しては暗過ぎるきらいがあると感じました。とはいえ安易にこれを批評したいわけではなくて、やなぎなぎの或いは編曲者である保刈久明さん簡単なクリエイター評を書いた記事:「FRUITS CANDY」の項を参照)によるトラックとして聴けば、この鮮やかな暗さは両者の持ち味が高い次元で調和された結果であるとまずは理解可能です。

 加えて、ED映像の内容にも焦点を当てれば、このアウトプットとなった理由も見えてきます。若者らしい輝きが印象的であったOPとは対照的に、EDには主人公である瞳美(と猫)しか登場しません。時間帯は夜ですし、天候は雨です。これは観たままに瞳美の孤独や疎外感を描いたものだと受け取れ、魔法使いの血筋なのに魔法が苦手なこと、色を認識出来ないこと、過去の時代に於いてイレギュラーな存在であること…等々のビハインドによって雁字搦めとなっていた、物語当初の瞳美の内面を浮き彫りにする映像世界の構築に映りました。これを踏まえると翳のある仕上がりになるのは至極当然で、映像と音楽のマッチングの点でも寧ろこの上ない大正解であると認めざるを得ません。


 歌詞の内容も取り込んだ上で旋律とアレンジの美点を表現するならば、仄暗さの底に沈んだ色彩の叫びに鼓膜が揺さぶられるような感覚としたく、特にBメロ~サビにかけてが芸術的だと評せます。1番Bの歌詞"耳元を魔法が掠めて 色づく世界/私を残して"には、前述のビハインドが全て描かれていますし、言葉の憂えとは裏腹にメロディラインは非常に流麗であるところも、なお一層絶望を色濃くするために機能していて、胸が締め付けられる思いです。

 サビはまさに色彩の叫びのセクションで、鋭利な切なさを孕んだ旋律でもって畳み掛けてきます。"未来は零れ 零れて足元で滲む/モノトーン溜まり 沈んでも"は、フレーズの余りの寂しさに感心したくらいで、色が流出していくのを止められない遣る瀬無さに、瞳美の曇った表情が似合ってしまうのがまた哀しい。編曲の点ではドラムス使いに妙味があると感じ、ボーカルラインの綺麗さに対しては意外とも思える荒々しさに、乱反射する光のイメージを見ました。


 このようにネガティブな面はありのままに描かれていますが、歌詞全体の流れは希望を持たせるものとなっていて、先述のサビも続く歌詞は"変わらぬ明日を抱きしめてしまえたら/君に少し近づく"と、前進を示すものとなっています。ここまでは意図的に瞳美の闇にフォーカスしてきたので、レビュー文も自傷的なものとなっていますが、彼女は言うほど暗いキャラクターではなく、抱える設定がファンタジーの割には、リアルに居そうな翳のある子としてきちんと存在感を放っていたところに、魔法使いらしい神秘性を宿しているなとも思いました。従って、後向きで終わる歌詞は確かにそぐわないよなといった主張です。

 その後の2番~Cメロの展開を見ると、決して手放しで前向きな心模様の変遷を経ているとは言えませんが、ラスサビでは"世界は染まる 染まって明日へと変わる/今 確かな魔法で/瞳の中を 朝焼けが満たしてる/未来はまだ ここから"と結ばれ、未来への帰還(=時間の正しい経過)と色覚の復調を共に果たす、明るい展望のエンディングに安心します。この一節には特に高度な作詞能力が窺え、主人公の名前である"瞳"を取り入れつつ、作品題の『色づく世界の明日から』にも曲名の「未明の君と薄明の魔法」にもつながる、取り零しのない言葉選びに感動です。





 同作のOP曲・ハルカトミユキ「17才」(2018)も作品内容に寄り添った名曲でした。OP映像については先に「若者らしい輝きが印象的」と記しましたが、曲名に象徴されているように、この多感な頃の眩しさや煌めきがパッケージされた、青春を体現するようなナンバーです。

 より作中の描写や登場人物の心情に合わせた形容をするならば、「それぞれの救いとなったものたちの歌」でしょうか。敢えて平仮名で書きましたが、この「もの」は「物」であり「者」で、後者はそのまま「誰かが誰かの救いになっている」という人間模様を、前者は「魔法写真美術部」に含まれる三つの要素を想定しています。




 "たとえば今日までの僕が壊された夜/誰にも愛されていないと感じた夜"に、"たとえば夕陽さえ色褪せてしまった日は/誰かの勇気まで疑ってしまう日は"と、救いが必要な状況の描き方が鮮やかな点も称賛に値しますが、そこからでも進めるルートや手段やきっかけが幾つもあると、ポジティブに展開していくプロットこそが、『色づく~』の主題歌として相応しい楽曲像ですね。

 この歌詞の素直さは若者の等身大の思いを代弁しているとも、もしくは大人の目線から学生の時分へと投げ掛ける助言にも思え、この時間を超えてくる感覚がタイムスリップモノの暗示として響いてきます。"新しい季節と誰かのサイン/見逃さないように僕らは走る"には、これから先の選択を誤らないための教訓が込められていて、現実を生きる我々は時間を遡行することなど出来ないからこそ、金言として受け取る必要があるでしょう。


 メロディには正しい美しさが宿っているというか、シンプルにキャッチーだとしても構わないのですが、過度にポップにはなっていないところが技巧的です。確かに青春を謳う旋律ではあるものの、その手の楽曲にありがちな全肯定の軽薄さは感じさせず、痛みや苦みも纏ってなお明るい方へと走っていく、センチメンタルなエモさを携えたラインを心地好く思います。運動部の激しさではなく、文化部の頑張りが滲むメロディと表せば伝わるでしょうか。

 アレンジ面では曲を通じて維持されている疾走感のあるリズムパターンが心地好く、根底にカントリーっぽさを見出せる気がします。このスピーディーな編曲には若者らしい勢いを感じますし、OP映像の走りを補助するサウンドスケープとしても優秀です。




 ここからは「中身の濃いレビューには発展させられそうにない曲」をまとめて紹介します。こう書くとネガティブに聞こえるかもしれませんが、スペースを作ってまで紹介しようと思うくらいにはお気に入りの楽曲群であることに留意してください。「発展させられそうにない」のは、僕の技量不足&時間不足によるものです。

 なお、本記事は言及対象が多過ぎ&文章が長過ぎるせいで、字数制限への対策をしなければならなくなったため、以降では容量を食うAmazonリンクの表示を一部省略します。視覚的な仕切りとして使用しているだけなのでレビュー上は問題ありませんが、見づらくなってしまってすみません。





 『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』ED曲・桜島麻衣(CV:瀬戸麻沙美)、古賀朋絵(CV:東山奈央)、双葉理央(CV:種﨑敦美)、豊浜のどか(CV:内田真礼)、梓川かえで(CV:久保ユリカ)、牧之原翔子(CV:水瀬いのり)による「不可思議のカルテ」(2018)。作詞者の児玉雨子さんつながりで、振り返りの第十弾でもレビューを予告してありました。

 感覚的で独り善がりな…しかも外部からの評価で申し訳ありませんが、アルバムの中盤もしくはc/wに収められていそうな小品っぽさがお気に入りです。決して地味ではありませんし、徐々に盛り上がりを感じさせる楽想でもあるのですが、箱庭やスノードームのような「閉ざされた美しさ」で完結していると言いましょうか、ミニマルな反復による陶酔感や没入感が意識されていると思しき、コンパクトな作編曲が気持ち好さの正体だと踏んでいます。性質上ここを狙いやすい電子音楽をベースとしているならまだしも、しっかりとした歌モノでこの類の美を醸せているのは、アニメの主題歌としては珍しいと思いました。





 『寄宿学校のジュリエット』OP曲・fripSide「Love with You」(2018)。フリップサイドに関しては有名どころしか知らないため、そもそものアーティスト像を誤解しているのかもしれないと断っておきますが、本曲は今までになかったタイプに聴こえて新鮮でした。サウンドに普段のような圧の強さがなく(音が悪いという意味ではありません)、メロディも連続性が際立つ優美な体裁を維持したものであったので、南條さんの歌声がすっと耳に馴染んできます。

 『寄宿~』はOPの映像も好みで、『やが君』のそれと同様に花の演出力に目を奪われました。キャラクターのビジュアルから瞭然の麗しさと、服飾や建築から受ける清潔感および格調高いイメージのフォーマリティと相俟って、音楽も一層上品に感じられたと言えます。




 『キラッとプリ☆チャン』挿入歌・白鳥アンジュ(三森すずこ)「フォーチュン・カラット」(2018)。振り返りの第十弾および第十五弾では同作の別ナンバーをレビューしていますが、そこに記した但し書きをここにも適用して本記事での紹介とします。直近の放送がちょうどアンジュ回なので、タイムリーな言及となりますね。

 フォロワー数世界一のプリ☆チャンアイドルが歌う楽曲なだけあって、他のユニットやソロの持ち歌とは趣を異にする凝ったアレンジが特色です。ストリングスとコーラスワークによる華やかさがあるかと思えば、骨子を担っているのはブレイクビーツという格好良さもあり、流石の貫禄を感じさせます。特に好みなのは、最後の"(始まりを抱いてる) (君の Fortune Carat)"の畳み掛けコーラスパートです。トラックメイキングを務めたのは、Arte Refact所属の桑原聖さん(作曲)と酒井拓也さん(編曲)で、冒頭の「hectopascal」の項にも記したように、同じ制作プロによる連携には高品質が保証されますね。




 『ソラとウミのアイダ』OP曲・空町春(CV:高橋花林)、ルビー・安曇(CV:井上ほの花)、櫻舞湖(CV:すずきももこ)による「ソラとウミのアイダ」(2018)。振り返りの第十七弾でも同作の挿入歌を紹介している通り、意外と音楽に恵まれていた作品だと評せるのは、広井王子さんが原作であることも関係しているかもしれませんね。

 主旋律の抱く切なさをアッパーなバンドサウンドで聴き易くしているところに、ガールズ奮闘記らしい前向きさが表れていて王道の良さがあります。中でもお気に入りは1番B冒頭、"海に生まれたものは その海に帰るから"のメロディです。作編曲者である古川貴浩さんのワークスとしては、「ハニーアンドループス」(2017)以来の個人的ヒットでした。

 余談ですが、作品の舞台である尾道には約三年前に訪れていて、『色づく~』の長崎も含めて'18秋クールには記憶に新しい旅行先第十五弾に書いた沖縄はほぼ毎年ゆえ除外)のプレイバックとなるアニメが偶然にも重なっており、その分の贔屓目や親近感も少しはある気がします。




 以上、【'18秋アニメ・アニソン(切ない系)編】でした。本当はあと数曲は紹介したかったのですが、『やが君』と『色づく~』を作品特集の体で書いたがために予定より文章が長くなり、後半に字数制限のしわ寄せがきてしまいました。

 【2018年のアニソンを振り返るシリーズ】で送る「今日の一曲!」としては本記事がラストとなりますが、まとめというか過去の十九弾全てにリンクを貼ったレビュー楽曲一覧記事を作っておきたいので、次回の更新分をそれに充て、総括や補足などについてもそこで行うこととします。